長岡市医師会たより No.226 99.1

このページは、実際の会報紙面をOCRで読み込んで作成しています。 たまに、誤読み込みの見落としがあることと思いますが、おゆるしください。

もくじ 
 表紙絵「幸町公園にて」       丸岡  稔(丸岡医院)
 「新年のご挨拶」          高橋剛一会長(高橋内科医院)
 「年男年女に聞く」
 「新しい年に向けて一言〜北部班」
 「モテた話」            田崎 義則(田崎医院)
 「アルコール依存症を発見する方法」 中垣内正和(県立療養所悠久荘)
 「正月元旦の風邪ひき初め」     郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

幸町公園にて   丸岡 稔(丸岡医院)
新年のご挨拶 高橋剛一会長(高橋内科医院)

 明けましておめでとうございます。会員の皆様にはお元気で新春を迎えられたことと思います。

 医療界にとっても昨年は苦難の一年でした。一昨年9月の健康保険法改定以来の患者負担増による受診抑制の効果は、厚生省の予想を超えるものでした。それにもかかわらず、更に厳しい抜本的改革菜を検討中です。特に薬剤の参照価格制度には、日医も対案を出しておりますが、三師会の足並みが碗わず苦戦中です。また、DRG/PPSのまるめ案も既に一部国立病院で試験的に実施されております。いずれも財政主導型の改革で日医としては民意を反映するものでないと反対しており、今年も厳しい一年になりそうです。

 昨年の主な医師会活動をふり返り今後の見通しについて述べます。

 病診委員会は2年目を迎え、病診連携、診々連携を基盤として、よりスムーズな在宅医療を推進するために医療機関機能マップの作成を進めています。10月の病診協議会では、三病院の病診連携室の実状が報告されたほか、マップの素案も提示されており、近々会員に配られる予定です。委員会の益々の活動が期待されます。

 長岡地域産業保健センターについては、神谷理事、南雲コーディネーターの苦労がまだまだ続いています。健康相談、訪問指導など積極的に動いていますが、何しろ対象が中小企業のため、不況の影響が大きく、PR不足もあってなかなか実績があがっておりません。しかし、6月に新潟産業保健推進センターが開設されましたので、適宜助言を受けながら事業を充実させたいと考えています。

 医療情報関係では、市医師会のホームページが、2月に開設されました。鈴木理事、竹樋事務長の尽力で充実した内容になっております。5月には医師会主催のインターネット講習会があり、多くの会員の関心を集めました。また、県の広域災害、救急医療情報システムも10月から稼動し、救急病院のほかに休日急患診療所と医師会に専用のパソコンが配備されています。10月に県医、長岡、加茂医師会間のTV会議が実現しており、将来の会議の在り方に期待がもてます。

 6月から選挙規定などを見直す検討会が、斉藤副会長を委員長として発足し、選挙制度についての検討がなされ、11月に検討結果の答申がありましたが、不在者投票の実施などいくつかの改定が行われる見込みです。

 介護保険については、モデル介護認定審査会が1月と11月にそれぞれ100名を対象として開かれました。大貫理事には大変ご苦労をおかけしましたが、2回目の方がより判定の不一致率が高いとのことで、まだまだ問題を残しております。しかし、平成12年4月の発足は動かないとのことで、本年10月には要介護認定事業が開始されます。その事務量からみて、医師会の認定審査委員は一人というわけにいかず、多数の委員が必要となります。現在の休日急患診療所の出務のように、半ば義務的な医師会活動の一つと考えてはどうかと思っております。

 さて、今年中に決断を迫られる問題に准看護学校の存廃があります。昨年3月に、昼間の学校になってから初めての卒業生22名が全員資格試験に合格し、それぞれの分野で活躍しておりますが、2次募集まで行なった1年生22名のうち4名が勉強についていけない、適性がないなどの理由で退学しました。4月に新1年生が定数一杯入学しても計42名で経済的には大きな赤字が続き、その上国の補助金の減額もあって、一般会計からの繰入れも更に増加する予定で、市からの補助金も焼け石に水の状態です。会員の検診手当などからの天引き、役員手当、費用弁償の5割カットなどで営々と蓄積している会館新築資金への影響も甚大となります。

 中央では准看制度の存廃についてまだ当分結論は出ないようですし、医師会員として准看護婦の必要性を否定するものではありませんが、大スポンサーがつかない限り、当医師会の経済状態では准看護学校を存続するには相当の覚悟と会員の絶大な協力が必要となります。

 本年度の生徒募集はすでに決まっていますが、来年度の募集についての結論を遅くとも8月頃までに出さねばなりません。そのため平成6年に設置され、その使命を終えた准看護婦養成所検討委員会を改めて発足させ、存廃について十分審議していただくことを考えております。その結果によっては懸案の会館新築ならびに保健衛生センターの見直しなどの問題が出てきます。いずれにしても本年は長岡市医師会にとって大変重要な年になることが予想されますが、私達執行部は全力を尽くして対処する積りですし、全会員参加の医師会を目指し、努力いたします。どうぞ会員のご協力、ご助言をお願いいたします。

 それでは皆様にとって今年こそ良い年でありますようお祈りして新年の挨拶といたします。

 

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年男年女に聞く

 年男・年女にあたられる先生方に、アンケート形式で次のような質問を伺いました。

1.ご趣味は?

2.お酒は?

3.健康のために何か運動をしていますか?

4.旅行等で特に印象に残っている所は?

5.好きな歴史上の人物は?

6.新年の抱負は?

7.当医師会報の感想(印象に残っているもの、今後についてなど)


●脇屋 誠悦(脇屋医院・大正4年生)

1.読書、音楽、絵画、旅行、ドライブ、映画(特に洋画)

2.全く飲まない。見るのもイヤ。

3.1か月に数回程度(1時間以内)の散歩

4.富土山…流石日本一のお山です。近くから、又、遠くからもじっと眺めれば眺めるほど壮麗さが胸にジーンと来ます。姫路城…大空に高くそびえたつ天守閣。これだけでも眺めれば眺めるほど、その荘重さがこれまた胸にジーンと来ます。よくこれだけの築城ができたものと感嘆の他ありません。アメリカが爆撃しなかったその気持ちもよく分かります。

5.新田義貞…稲村が崎で剣を海に投げ入れ、賊軍を蹴散らした名将ですから。脇屋義助…田義貞の弟で、脇屋家の初代先祖です。四国で賊軍と戦い壮烈な戦死をされた。松崎の近くに立派なお宮があります。私はお参りに行って来ました。

6.「抱負」と言える程大きなことは特別に考えていませんが・・・。今も私が良いと来て下さるマル老の患者さんを大切に見守りたい。83歳。残りどれくらい生きるか全く分からないが、イザとなったら一ケ月以内くらいの内にコロリと楽に逝きたいもの。子供達は皆親勝りに成長し後顧の憂いは全くありませんから。

7.旅行記(谷口昇先生、西村義孝先生、明石富士子先生、木村嶺子先生)。表紙の絵(江部恒夫先生、丸岡稔先生、下田四郎先生、福居憲和先生、高野吉行先生)。田中健一先生の「長谷川泰先生略伝」。古田島昭五先生の「山と温泉」。郡司哲己先生の随筆。以上の他、毎月楽しみに隅から隅まで熟読しています。編集委員の諸先生、本当にありがとうございます。最後に「ぼん・じゅ〜る」万歳!!

 いろいる「テーマ」を決め、大勢の先生方に執筆して頂いてはいかがでしょうか。

●荒井 奥弘(社会保険長岡健康管理センター・昭和2年生)

1 俳句、絵画、山登り、旅行

2.ほぼ毎日飲む(ビール)

3.一年間に数回程度の山登り

4.国内では、黒部下の廊下山黒四ダムから欅平までの長い渓谷沿いの道程は、緊張の連続であり印象深い。国外では、フィレンツェ山花の都ルネッサンス文化の街は誠に素晴らしい。

5.山本五十六…仁義礼智信の徳を備え、先見性、洞察力、決断力に優れていた人である。

6.時間を有効に使い、日日是好日に過ごしたいと思っています。

7.谷口昇先生の「思い出に残る外国の旅」。木村嶺子先生の「車椅子の旅」。以前、リレー式で「趣味(道楽)を語る」のような企画があったように思います。復活して頂けるのを期待します。

●西村 義孝(長岡西病院・昭和2年生)

1.特になし

2.1週間に数日程度、ビール、日本酒、ウイスキー、老酒、ワイン(梅酒以外はなんでも)を。

3.今年から散歩をしたい

4.ウラジオストック…父が日ソ基本条約(1925年)後の最初の旅行者であり、私が訪れているとき、ソ連が崩壊(1991年)した因縁の町である。

5.吉田 茂…国際感覚のある外交官であり、政治家であった。

6.おそまきながら、身体に良いことを始めたい。

●藤原 正博(長岡赤十字病院・昭和26年生)

1.テニス、野球

2.ほぼ毎日飲む。ビール、日本酒、ワイン、チューハイなど

3.テニス、野球(1か月に数回程度、病院野球部に所属してやっています。別に健康のためにという訳ではなく、ただ好きだからです。)

4.特にありません。

6.長岡へ来て10年になります。10年かかってようやく骨髄移植を含む造血幹細胞移植の体制を整えました。様々な治療方法を駆使することで、今や造血器腫瘍も半分位はチャンスのある時代となっています。さらに治療成績を向上させるべく努力をするのはもちろんのことですが、治らない患者さんの気持ちにも寄り添いながら暖かい医療を実践したいと思っています。

●八幡 和明(長岡中央線合病院・昭和26年生)

1.絵画、山登り、サイクリング

2.1週間に数日程度、ビールを。

3.テニス、散歩を1か月に数回程度(患者に指導している割に自分ではしていませんね)

4.晩秋の上高地山ぬけるような青空と黄色く彩った木立の中で静かな時間を過ごすのが好きです。

5.坂本竜馬…幕末の動乱の時代を自由な発想で大胆に活躍したエネルギーに感動します。

6.糖尿病克服のための新しい指導教育システムを立案して糖尿病指導センターを開設したいと思っています。

7.丸岡先生の表紙と郡司先生のエッセイの熱烈なファンです。医師会諸先生のかくれた趣味のコーナーなどいかがでしょうか。

●吉田 正弘(吉田医院・昭和26年生)

1.読書、ゴルフ、山菜取り、きのこ狩り、魚釣り

2.週間に数日程度、ウイスキーを。

3.ゴルフ、スポーツジム(1週間に数回程度)

4.25年前に行った沖縄(特に西表島)

5.特にいません。

6.例年と同様ですが、何事に付けもトラブルのない毎日を過ごしたい。

●丸山 直樹(県立療養所悠久荘・昭和26年生)

1.読書

2.ほぼ毎日飲む。

3.特にしていない。

4.香港の町、十京城の市場の騒々しさや隈雑さ、いつ訪れても楽しませてくれるし驚かさせられる場所です。

5.特におりません。

6.健康への留意と某作家の全集を20年ぶりに再読破したい。

7.都司先生のエッセイはいつも楽しみにしております。読んでいくうちに、その情景が目に浮かんでくるようですばらしいですね。

●永井 恒雄(長岡赤十字病院・昭和26年生)

1.読書、音楽、テニス

2.1週間に数日程度、ビールを。

3.テニス、スキー、ジョギング(1年間に数回程度)

4.研修医の頃(20年前)に登った南アルプス薬師岳山…ひどいガスもやの中、金子吉一先生(現小国町立診療所)に励まされつつ歩いた山頂までの果てしなきUP・DOWN。「人間、UP・DOWNがあっても登り続ければ、いつかは頂上に至る」というのが、その後の私の人生訓になりました。

5.良寛和尚…不遇でありながら孤高を貫いた人生に心が洗われるから。

6.虚心坦懐に毎日を大切に生きたい。(平常心でラケットやクラブを振りたい。)

7.全体に垢抜けた企画・記事でいつも楽しく読んでいます。特に表紙の絵や思わず微笑んでしまう文章には感心してしまいます。

肩の凝らない編集を続けてー2 肩の凝らない編集を続けて頂けたらと思います。会員の方々が感動された本などについて教えて頂く企画などはどうでしょうか?

●池澤 嘉弘先生(長岡赤十字病院・昭和38年生)

1.4頭のチャンピオン犬(ゴールデン・リトルリバー)を車に乗せて遊びに行くことです。

2.つき合い程度、ビールを。

3.1週間に数回程度の散歩

4.デンマーク…北欧調の建物と自然がきれいなところ

5.特にいない。

6.飛躍、そして、ゆとりを大切にしたい。

7.都司先生のエッセイ

●矢崎  諭(長岡赤十字病院・昭和38年生)

1.読書、ゴルフ、その他

2.ほぼ毎日飲む(ビール)

3.特にしていない

4.グレートバリアリーフ

6.結婚すること。

●北沢  仁(立川綜合病院・昭和38年生まれ)

2. 1週間に数日程度、ビールを。

3.1週間に数回程度のマラソン

4.特になし

6.Full marathonへの挑戦、Halfなら1時間30分台を。Evidence based Medichineの徹底。基礎医学データの臨床への活用。

7.投稿者が限られておりマンネリ化の気配あり。


 次の先生方も年男・年女にあたられます。ご活躍を期待したいと思います。

●勝見 喜也(トマトレディスクリニック・昭和14年生まれ)

●益子 和徳(長岡中央綜合病院・昭和14年生まれ)

●味方 正俊(味方医院・昭和26年生まれ)

●大塚 武司(大塚こども医院・昭和26年生まれ)

●鈴木 健介(喜多町診療所・昭和26年生まれ)

●安達 茂實(長岡赤十字病院・昭和26年生まれ)

●吉川 時弘(長岡中央綜合病院・昭和26年生まれ)

●石黒 淳司(立川綜合病院・昭和26年生まれ)

●斎藤 興信(長岡西病院・昭和26年生まれ)

●幡谷  功(長岡中央綜合病院・昭和38年生まれ)

●黄川田雅之(悠遊健康村病院・昭和38年生まれ)

 

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新しい年に向けて一言 北部班 

阿部 映一(阿部アイクリニック)…初心を忘れず、いつも新鮮な気持ちで診療に当たりたいと思います。

阿部 滋夫(阿部眼科医院)…手帳を交付される年齢になったら、めっきり気力がおとろえてきました。こんな気持ちで診療にあたる度、患者きんに大変申し訳ないと思っているのですが・・・。

石川紀一郎(石川内科医院)…マイベースで進みます。

板倉 亨通(北長岡診療所)…今年も老人性痴呆にならないように気をつけます。

大関 正知(大関医院)…自分の健康に気をつけて、地道にやるしかないと考えています。

大関  忍(大関眼科医院)…診療よりも雑事に追われ、あっという間に一年が過ぎ不勉強を感じます。

大関 道義(黒条内科診療所)…何か一つでも新しい事に手をつけてみたい。

太田 裕(太田こどもクリニック)…仕事、ゴルフ、碁、鮎釣り、それぞれ目標をもってそれをクリアするように頑張りたいと思います。

勝見 喜也(トマトレレディスクリニック)…まず、実行。それから考える。

下田 四郎(下田整形外科医院)…日々絶好日をモットーにしています。

高野 吉行(かわさき内科クリニック)…一日一歩前進。

田中  誠(田中医院)…健康維持を第一に。

田辺 一雄(田辺医院)…急がず、休まず。

田村 隆美(田村クリニック)…ボウリングのアベレージ180。ゴルフ90以下。できれば、中村先生について走りたい。

土田 秀夫(じゆん脳外科内科)…いつになってもゴルフが上達しません。

中村 敬彦(中村整形外科医院)…今年もマラソンに仕事に頑張って行くつもりです。

長尾政之助先生(長尾医院)…子供達と遊びに出ます。

野々村 茂(野々村医院)…中央病院勤務3年余りと開業以来40年の間、医師会にはお世話になりっぱなしのまま、そろそろリタイアの時期が来ました。永い間、ありがとうございました。

野村 権衛(野村内科医院)…節酒

八百枝 浩(眼科八百枝医院)…もう少し、体重を減らしたい。

渡辺 修作(渡辺医院)…我以外すべて師

太刀川 朗(神田診療所)…生と死を見つめながら、地域医療に微力ながら貢献して行きたいと思います。

山川 浩司先生(吉田病院)…休肝日を設ける(無理かなー)。

高橋 利明(吉田病院)…「ヒトの夢」と書いて「儚い(はかない)」という。されど、夢は持ち続けたい。

木村  亮(吉田病院)…「初心」を忘れずに、この一年を過ごしたいと思います。

吉田 英毅(吉田病院)…実家に帰って、最初の正月となります。今後ともよろしくお願いします。

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モテた話 田崎 義則(田崎医院)

 編集部からこの季節に合ったものとのご注文でしたが、そのような才があらばこそ、およそ見当違いのお話を申し上げますがお許しを。それも直前に清雅な趣味のお話や気骨ある論説を目にしては気おくれの限りです。たわいない話ですから、知の勝った方々はお読みにならないで下さい。

 長年点数に取り組んできたせいか、すっかり脳力が弱って了いました。何か刺激をと思っていた矢先、機会があってある土曜日の午後上京しました。神宮外苑に程近い古ぼけた会場で、講習は午後9時に終わりました。

 何はともあれ夕食を摂らねぱならない。新宿駅の南口に出た時は9時半を回っていた。宿はこのまま大通りを真っ直ぐ行けばよい。回りを見たが適当な食べ物屋がない。まあその内にと思ってどんどん歩く。昼食も摂らないで列車に飛び乗って来たことを思い出し余計空腹が募る。気がついてみると道は暗い。大きなピルの角に所々輝いているネオンの看板はどれも飲み屋ばかりだ。今や空腹はとても酒のつまみなどで誤魔化せる段階ではない。こんなことなら駅の近くで何か腹に入れておくのであった。戻りかけたが体の消耗を知って止めた。ホテルに入れば何とかなるかもと急いだが結局絶望でった。食べないで朝までと思ったが、耐えられそうもない。探そう、気を取り直してホテルを出て歩き出した時パニックが襲った。"飢え死に"が頭を掠める。その時、道を隔てた向こうのピルの切れ目に「中華」の赤い看板が目に入った。突進した。確かにそこは飲食店の並ぶ小路の入ロであった。しかしどの店も既に閉店というその中で、交番があってその隣の一軒だけドアが開いている。飛び込んでメニューを掴むや飲み物と二三品の食べ物を喚いた。最終注文承り10時半の5分前であった。店内の各テーブルは満員で賑やかだ。私は誰もいないカウンターに腰を下ろした。安堵の思いが五体に広がる。朝からの忙しさを振り返って、汗を拭っては喉を潤しそして只管(ひたすら)食べた。

 どれ位経ったろう、店内の喧噪の中で身近に声を聞いた。聞いて暫くして気が付いたといった方がよい。ふと顔を上げると、調理場を境している目の前の蓮子格子の横から、若い女性が身を乗り出して私に話しかけている。周りの騒音で聞き取りにくいが、彼女は左手に何か料理の入った器を差し出して「良かったら食べて下さい。店の者には黙っていて下さい。」と言っている。美しい女性である。遠い遠い昔に忘れてきた懐かしいような感情が一瞬全身を包んで消えた。

 この時点で私は既に満腹していた。最後の妙飯の大盛りを前に思案しているところであった。だが鈍い頭もこの時さすがに閃いた。私は妙飯の皿を徐(おもむろ)に移動させ、彼女の一品を正面に据えた。食べた。そして事もあろうに大盛りの方も平らげて了った。この場合何れを残しても具合悪いのだ。不安が襲ってきた"満腹で死ぬかも"。勘定を払って外に出た。気分は上々である。振り返って店の名を見たが案の定忘れてしまった。念のため睨んだ隣の建造物には、警視庁原宿警察署代々木派出所とあった。歩き出したが大層だ。一足毎に腹に響く。歩道の柵に掴まって歩いた。広大な通りを鈍い澄色の光が照らしている。車一台通らず人っ子一人居ない。戴冠式の王様か臨月の妊婦の足取りで横断歩道を渡った。

 幸いなことに何事も無く翌朝を迎えた。夕方4時まで講習を受けて帰途についたが気分はルンルン、頭の中は昨夜の事ばかり、習った事の粗方(あらかた)は忘れて了った。帰宅しても高揚は収まらない。永久に胸に秘めて置こうと考えていたのに胸が狭過ぎた。暫く家内の様子を窺っていたが、遂に満腹の所は伏せて切り出した。女房殿は振り向いてニッコリ「そう、良かったわね」と言ってまたテレビだ。ん?それだけか?それ丈でした。……ここはもう少し何とか感動的な言葉があっても良いのではなかろうか。考えてみて下さい。日本中の医師を探したって、○○才になってこんな目(満腹のことではない)に遭った人が有るでしょうか。何れにせよこれでこの話はすっかり路傍の石になって了った。

 冷静になってみると、これは特別の事ではありません。あの娘さんはカウンターの前に故郷の父親を見たのです。いや、可愛がってくれるお爺ちゃんであったかも知れません。

 もう東京は懲り懲りでしょうって?いや、また行きたい。何といっても勉強は東京に限る。

 終りに、この話は季節に合っていないでしょうか、何か心の温まる…。え?自分だけ温まってる?うーむ。

 

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アルコール依存症を発見する方法  中垣内正和(県立療養所悠久荘)

 蔵王橋の袂にある県立悠久荘は今大きく生まれ変わろうとしています。

まもなく第一期工事が完了しようという段階にあり、柔らかな曲線の建物が姿を見せ始めました。平成11年2月から診療への供用が開始されますが、それと同時に、アルコール依存症などを専門的に治療する「しへき治療棟」も、オープンする予定です。先般の病診協議会で患者さんのご紹介をお願いいたしましたところ、早速何人かの患者さんをご紹介いただきました。この紙面を借りまして御礼を申しあげます。

 「完全断酒」を目標とする悠久荘のアルコール治療の内容の詳細につきましては、いずれ機会を改めて報告させていただきたく思いますが、今回は取りあえず、最も簡単に「アルコール依存症を発見する法」について述べさせていただきたいと思います。

 アルコール依存症の定義としては、DSM-IVやICD-10などの国際分類がありますが、実際には、KAST、CAT、CAGEなどの簡便な質問紙法による診断が汎用されています。中でもCAGE(ケージ)テストは、1960年代より米国で使用されてきた、最も扱いやすいテスト法であり、以下のたった4項目の質問によってアルコール依存症の診断を下すことが可能です。

*CAGEテスト

1.飲酒について他者から注意されましたか

2.自分の飲酒量が多すぎると感じますか

3.自分の飲酒に罪悪感を感じますか

4.朝酒をしましたか

 この4項目の質問のうち2項目以上「はい」と答えると「アルコール依存症」、1項目では「問題飲酒」となるのです。たった4項目のテストですが、90%以上の信頼性と妥当性があるとの統計的検証が得られています。ぜひ記憶されてお使いになられては如何でしょうか。

 患者さんに対して、私はこれをさらに簡略化して使用していますが、その私製の診断基準は4語です。

*私製の診断基準

1.とことん酒

2.かくれ酒

3.迎え酒

4.ガンマ-GTP

 この中で一つでも当てはまればアルコール依存症といえますが、以下にこの4語について具体的に述べてみます。

「とことん酒」

 アルコール依存症を発病しますと、今日こそは上手に飲もう、少量ですまそうとする意図は、とことん飲みつぶれてしまう結末によって、必ず裏切られるようになります。これが酒をコントロールする力を失い、逆に酒にコントロールされるようになったアルコール依存症の証しです。我慢して断酒期間をつくることは可能ですが、長続きしません。日本酒にして4〜5合以上の大量飲酒の場合が多いのですが、御神酒1、2杯で前後不覚・酒乱となり、日本刀を振り回す人もいます。とことん酒は、「飲む、つぶれる、寝る」を繰り返す連続飲酒となって極まり、この間の記憶は残らないのが特徴です。

「かくれ酒」

 飲酒について家人から文句をいわれ、自分でも罪悪感を感じるようになると、かくして飲んだり、かくれて飲んだり、酒臭をごまかしたりするために個性的で多彩な工夫をこらすようになります。押し入れ、布団、本棚、車、車庫、作業場などにかくすのは平均的な方で、巧妙(?)になると、草むら、用水路などの流水の中、中身をくり出したステレオ、金庫の中などにもかくします。雨の日に土を掘って埋めた人もいます。米ビツの中にかくしたことを忘れてしまった人もいますが、金庫の中にダルマをかくした人はキー・ナンバーをちゃんと億えていたそうです。妙な場所から酒瓶が出てくる家にアルコール依存症ありといえそうです。

 人目につかないところで飲むようになることも目立ちます。自分の部屋にこもって飲む人は、部屋から出る時には人格が豹変しています。車で公園へ行って飲んでいた人は、山菜採りの若奥さんの後ろ姿にムラムラと来て……逮捕されたそうです。山で飲んで車ごと谷へ落ちる人もいます。

 酒臭を消す努力も並大抵ではありません。ガムや仁丹を噛む、歯を磨く、牛乳を飲むあたりは常識派ですが、生二ンニクをかじる、タバコをかじる野生派や、イソジンガーグル液でうがいをする本格派もいます。ゼラッブを貼って酒臭を消そうとした人は、全身がヒリヒリして余計に具合が悪くなったそうです。

「迎え酒」

 つぶれた翌朝の不快な症状を軽くするために再飲酒することをいいます。「朝酒」でもよいのですが、「自分は朝酒ではない、10時過ぎだ」とか、「昼過ぎだ」などと抵抗する患者さんもいますので、「迎え酒」の方が使いやすいといえます。朝酒、昼酒、日中酒のいずれでも問題ありの「迎え酒」です。

「ガンマ-GTP」

 ガンマ-GTPの数値が100を超えると危険信号がともり、150を超えると依存症の初期、300前後で依存症が確実といえます。この10年間に入院された900名の患者さんの最高値は、男性で3500、女性で2700でした。もっともガンマ-GTPの値が低くても正常値でもアルコール依存症といえる場合があります。少量の飲酒で酒乱になる人などはその例です。

 アルコール関連の学会では、開業医、内科医の先生方との連携が、アルコール医療のうえで最も大きな課題だといわれております。1日に5合以上の飲酒をする大酒家(ほとんどが依存症)が全国でおよそ250万人、今すぐ治療を要するのは40万人といわれていますが、悠久荘のようにアルコール治療プログラムを有する施設は全国に80ヶ所程度であり、年間2〜3万人弱が断酒教育を受けるにすぎません。大多数の患者さんは内科治療を繰り返すなかで、アルコール関連問題を発生させ、病気を進行させていきます。

 アルコール依存症には「飲むと死ぬぞ」と言っても、「絶対飲むな」と言っても効き目はありません。まして「控えめに飲むように」とか「ほどほどにしなさい」などと医師から言われた場合には、飲酒できるお墨付きを得たとして喜々と再飲酒し、同じ問題を繰り返します。少々語弊がありますが、アルコール問題がある人の内科治療をお断りいただくことは、精神療法の高等なテクニックといえなくもありません。なぜなら、彼らは、そのショックで自分のアルコール問題に向き合わざるを得なくなるからです。その際に、専門病棟での断酒治療も勧めていただければ「診療拒否」には決してならないと思われます。

 悠久荘のアルコール治療プログラムでは、解毒治療の終了後に、週4回のミーティング、回復ウォーク、参禅、断酒会やAAへの参加訓練などを行い、生き方を振り返らせ、断酒生活への決意を促します。専門病棟での3ヶ月間は、断酒生活をスタートさせる機会として卓効があります。肝硬変の方にも、知的障害者にも、アルツハイマーの始まった方にも有効です。アルコール依存症は放置されると確実に短命で死亡します。これに対して、悠久荘で3ヶ月の専門治療を受けた場合の5年後の生存率は88%であり、死亡率は12%程度にとどまっています。

 長岡の地に新しく誕生するアルコール依存症、摂食障害などの専門治療ユニット「しへき治療棟」を先生方の診療体系の一部としてご利用いただけますことを心からお願い申しあげます。

 

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正月元旦の風邪ひき初め  郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

 夜中に息苦しくて目が覚めた。鼻づまりがひどかった。枕が濡れていて、灯で見たら、枕を浮かべる憂いの涙ならぬ大量の鼻水であった。

 隣のベッドでは家人、ふとんの上で犬の "はな"が安らかに足かけ二年の眠りの中。一人で階下へ行き、「おお1、寒い!」と暖房をつけた。時計を見ると午前3時であった。

 平成11年元旦の未明のことである。「正月元旦そうそう、鼻水たらして目が覚めるとは、まったくなんてこつたい!」

 数日前家人が鼻をかみ倦怠感を訴えていた。最近わたしも興味を持つ漢方を選んで投薬した。もともと注射と粉薬は大嫌いだった家人も、齢40を超えようやくおとなになったものか、素直に内服した。粉薬はよほど嫌らしく、お湯に溶解し不気味な色合いの煎じ薬に戻して、なぜか上品な紅茶茶碗で飲んでいた。

「これは鼻風邪用だけど、成分に甘草が多い葛根湯に比べて、すごく苦くて飲みにくいだろう?」

「そうね、でも苦いというより、むしろ酸っぱさが気になるわね。」

 人の味覚は千差万別なのである。さて「良薬口に昔し、または酸っぱし」と言い聞かされ、きちんと服用した家人は、その甲斐あってか、じきに体調は良くなったのであった。

 大晦日には年越しのご馳走もいだだき、紅白歌合戦を見ながらの年越しそばも二人で食べた。もっともつまらぬ歌ばかりなので、途中で眠くなりわたしはひとりで先に寝た。

 そして寝入って数時間後、元旦の明け方の発症であった。潜伏期間3日間、ライノウイルスであろうか、倦怠感および多量の水様鼻汁、鼻閉が主症状であった。

 鼻水をすすりながら、水道とはいえ、一家の主人がひとりまさに新年の夜明けに新しく水を汲んだ。

「これを若水と言うんだろうな?」と寝不足と風邪の頭ながら、風流めいた言葉が浮かび、自問自答をしながら、水をポットに入れた。

 お湯が沸くと、急いで湯飲みに家人と同じ薬を一度に2袋溶解して服用した。自慢にならないが、わたしの体重は一般人の2倍近い。2倍の薬を飲み、2倍の食事をしなければいけないのはむろん当然である。

 ところで自分自身はいつもは風邪といえば、「百薬の長」といわれるお酒を飲んで早寝する。症状がきついと抗ヒスタミン剤のニャンボラジン、APC配合のダンナ・リッチやビーヒャラ額粒などを飲んでいた。今まで常用した薬は病気の症状か薬の副作用か判然としないボーとしただるさのなか、それでも鼻をかむのにティッシュ1箱1つまるごとということも多かった。

 今回、鼻風邪の急性期にこの漢方薬(某社十九番)を飲んで、その効果にはびっくりした。一づ2時間でぴたりと鼻症状が軽減したのだ。

 その後楽になったわたしはソファーでそのまま再び眠りについた。

 おせちとお屠蘇の用意ができたと、家人に起こされた。

「和田アキ子の歌がよくてね、逆転で紅組が勝ったのよ。」

 夜中の鼻風邪で大変だったとわたしが話すと、うつしたと思い当たる家人はとてもすまながっていた。

 というわけで新年の初めに我が身を持って、医師として貴重な経験をした。もっともわたしの患者である小さなこどもたちは、こんな庭の土を乾燥させたような薬はまず飲んでくれないでしょうな。

 翌2日は、中学校の卒業30周年の同級会に予定通り出席。恩師・同級生と旧交を暖めつつ、鼻風邪をお年玉にあげてきたかもしれません。

 

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