長岡市医師会たより No.240 2000.3

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もくじ
 表紙絵 「栖吉川」          丸岡  稔(丸岡医院)
 「医師会館建設について」       会長 高橋剛一(高橋内科医院)
 「往診と訪問診療の違い」       木村 嶺子(木村医院)
 「北部班近況」            大関 正知(大関医院)
 「みそカツ屋の母子」         福本 一朗(長岡技術科学大学)
 「新年麻雀大会について」       鈴木 丈吉(鈴木内科医院)
 「冬のローズマリー」         郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

栖吉川  丸岡 稔(丸岡医院)
医師会館建設について  会長 高橋剛一(高橋内科医院)

 現在の医師会館は昭和41年6月に建設されたもので、かなり老朽化が進んでおり、常に修理、修繕の不安があります。また年々医師会業務も増加し、事務室も手狭になり、日常業務にも支障をきたしかねない状態になってきましたので、すでに関根前会長の頃から会館建設の問題が検討され、平成6年から会館建設資金特別会計を設け、資金の積立を始めております。具体的には役員の手当、理事会などの費用弁償の半額カット、休日夜間急患診療所手当、各種検診手当の一部カットなどのほか、一般会計からの繰入れなどが今日まで続いております。しかし新会館の規模、建設の時期などの検討については、准看護学校の存廃が大きな影響を与えるため、のびのびになっておりました。

 平成11年7月、臨時総会において准看護学校の廃止が承認され、ようやく会館建設についての準備を始めることになりました。これについて、直ちに建設委員会を設けるのではなく、医師会の将来像も考慮にいれ、21世紀にふさわしい医師会館を建設するために、広く会員から意見を求めることにして、まず建設準備委員会を昨年10月に発足させ、検討を重ねた結果、次のような報告書が出されました。

会館建設準備委員会報告書

1.はじめに

 本委員会では、昨年10月以来新会館建設に関して各委員のご意見を聞く形で熱心な討論を重ねてきました。討論は、新会館の規模、建築場所、保健衛生センターの問題に集中する一方、その他にもいろいろな提言がなされました。しかし、いずれについても、現時点では、なお判断材料に不確定の要素が多く、委員の一致した結論に至っておりませんが、ここに委員会の経過と討論の総括を行い、委員会記録と参考資料を添えて報告書といたします。

2.委員会の経過

 第1回委員会では、まず、委員長から現会館の建設経過、保健衛生センターの現況、建設資金などについて説明があり、自由討論の形で会議を進めた。(第1回委員会記録)

 第2同委員会では、第1回委員会で提起された南操車場跡地利用、保健衛生センターに対する長岡市および教育委員会の意向打診の結果説明、ランニングコストの試算、他の医療関係の集会場の利用状況の調査結果などが報告され、更に討論が重ねられた。(第2回委員会記録)

 第3回委員会では、委員長が第1回、第2回の討論の結果を勘案して作成した報告書(案)を提示し、この報告書について検討し、了承した。(第3回委員会記録)

3.討論の総括

(1)建築規模

 建築規模は、現会館程度とする。(耐震設計)

 医師会事務室、役員室、応接室、大会議室(100〜150名)、小・中会議室各1室、保健衛生センター(後述)、収納・書庫、休憩室、手洗い・洗面所を含む。

 別案:多口的ホール建設など

(2)建築場所

 当分の間(約6か月程度)二案併行で作業を進める。

 第1案 現在地建設

 第2秦 代替地建設

 代替地としては、南操車場跡地に強い関心が寄せられた。可能であれば、ここに建設したい。しかし、現時点では、等価交換など当医師会に有利な条件は全く示されていない。他の代替地も含めて、今後、長岡市、建築関係会社、不動産会社等との交渉が必要である。代替地建設の場合には付加施設を考慮する。

(3)保健衛生センター

 現在の事業規模で継続し、将来、状況の変化により廃止を考慮する。(教育委員会の方針、件数の減少、継続的な赤字決算の見込み)しかし、学童の腎臓病・心臓病判定委員会は、継続すべきである。保健衛生センターのスペースは、後日、他に転用可能な設計とする。

(4)会員の負担金はできるだけ少なくし、また、危険の多い営利的な会館運営はしない。

4.おわりに

 本報告書をもって、会館建設準備委員会の任務は終了とし、今後は理事会および正式な会館建設委員会にて検討されることを希望します。

平成12年1月

会館建設準備委員会

 委員長  斎藤 良司(斎藤皮膚泌尿器科医院)

 副委員長 鈴木 丈吉(鈴木内科医院)

 委員   関根 光雄(関根整形外科医院)

      杉本 邦雄(杉本医院)

      木村 嶺子(木村医院)

      太田  裕(太田こどもクリニック)

      土田 桂蔵(土田内科・循環器科クリニック)

      石川  忍(石川内科クリニック)

      郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

      森下 英夫(長岡赤十字病院)

      春谷 重孝(立川綜合病院)

      佐々木公一(長岡西病院)

      福本 一朗(長岡技術科学大学)

 

 以上を受けまして、3月の定例理事会役員会で新会館建設の承認を得ました。これから4月の総会に諮り、承認が得られましたら、新しい執行部が正式に会館建設委員会を発足させ、具体的な検討をすることになります。医師会にとっては数十年に一度の大事業となりますが、会員の皆様の絶大なご支援、ご協力を心からお願い申上げます。

 

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往診と訪問診療の違い  木村 嶺子(木村医院)  

 介護保険がもうすぐ始まろうとしています。今や誰もが、ショートステイやデイサービスの事を知るようになりました。以前「往診」と言っていた行為は、寝たきりの患者さんを計画的に往診する場合には、「訪問診療」と呼び、医者の指示に従って看護婦が患者宅へ定期的に訪れる事は、「訪問看護」と呼ぶようになりました。

 昔、祖父や父があたりまえの事としてやっていた往診を、そのままの形で私が引き続いて行っていたら気がついてみると、私はなんと花形?理想的?医者になってしまったようです。

 往診、オット間違えた訪問診療で感じられる事は、主役は寝たきりの患者、脇役は家族、医者と看護婦は黒子と言った役まわりです。

 先日、主役が怒った場面に出会いました。90才の慢性腎不全のおばあさんで、本来ならば人工透析を受ける状態なのですが、頑として病院での医療を拒否していました。

 週に一回の訪問診療の時ですら、採血拒否、注射拒否、血圧も測らせない時がありました。家族と相談して、残された命は主役の思い通りに静かに過させてあげようと、じっと見守る事になりましたが、何もしないで見守るのも辛いものがあります。

 ある時いつもの慣れたベテラン看護婦に代って、若い看護婦がやって来ました。彼女は、ベッド脇にくるやいなや、型通りの看護業務をテキパキとやり始め、主役が「今日はナンギだから静かにさせてくれ」と言うのを聞き入れず「さあ、オムツをとりかえましょうね」とお尻に手を入れたそうです。ところが、この患者さんはどんなに具合が悪くてもベッド脇のポータブルトイレを利用しているのですから、オムツとりかえの行為は大侮辱だったわけです。突然、主役は看護婦に向かって「帰れ!二度と顔を出すな!」と叫んだそうな。このトラブル直後、訪問診療に行った私にも、ものすごい剣幕で当たり散らし「先生が看護婦をまわしたのが悪い!」と言ってソッポを向いて返事もしませんでした。

 この一件で学んだ事は、こちらの思い込みや、ペースで進めては駄目という事でした。在宅医療の良い点は患者の言い分、家族の言い分が通せる事でしょうが、医者の立場で黒子に徹するのは大変で苦労です。数年前には、私の往診より移動入浴車の到来をありがたがっていた患者もいて、悔しい思いもしました。最近では、主治医の指示で事が運ぶようになった点、開業医が今度は指揮者になったのかしらと嬉しくもなりますが、黒子の役割を忘れないようにしなければ…と思っています。

 さて、あの主役ですが、気持を平らにさせるのに若干手間取ったものの、その数日後、ベテラン看護婦の世話をたっぷり受けた数分後に安らかな顔で昇天されたのでした

 
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北部班近況  大関 正知(大関医院)

 我が北部班は、吉田病院、立川病院そして県立悠久荘と病院が多い医療圏に位置し、広い北部の工業地帯を有している関係上、患者さんの職種は農業中心に、精密機械工業、鉄工業、鋳物業に勤めるサラリーマンあるいは、その家族が多いようです。

 北部班の面々は、第一次の世代交代がほぼ終了し、最長老の皮膚科渡辺修作先生が、現役にて元気で頑張っておられます。新規の開業も多くみられ7軒、廃業は3軒となっておりますが、開業医年齢は年々若返っている感じがします。

 毎年1回の忘年会と役員改選のある班長交代の時期の2年間に1回の春の常会が、北部班全員の交歓会になっておりますが、若い先生方とベテランの先生方との互いの情報交換の場として又、腹蔵なく、心を開いて話し合える場として、いずれも盛り上がりをみせております。ただ現在中枢部の役員が、副会長1人ですので幾分家しい感じで、その分我々全体の動静、意見が中枢に伝わりにくいかとも思っておりますが、いずれ若手の新進気鋭が送り込まれることを期待しております。

 開業の先生方の専門科は皮膚科、内科、眼科、整形外科、産婦人科、小児科、泌尿器科、脳外科そして、耳鼻咽喉科と各科の先生方がバランスよく位置し、診診連携もうまくいっております。北部班からスタートしましたネットワークは余り機能していないようですが、これは2班が合同になった為に頼みづらい事が原因ではないかと考えまして、西部班との合同忘年会、又は常会も考えておりましたが、"それは、やめておいた方が良い"という役員の先生方からの意見に従いまして、まだ班には計らず足踏み状態です。何か別の方法でもあればといまだ考慮中です。何とか西部班との交流の場を持ち、ネットワーク機能不全を解消したいものと考えておりますが、やはり、これは開業医師一人一人の一国一城の主としての倫理感、責任感の問題で、班を越えた依頼し易い友が一番なのかなあとも考えております。

 以上簡単ではありますが、多少私見も交えまして北部班の現況を報告させていただきました。

 

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みそカツ屋の母子  福本 一朗(長岡技術科学大学)

 1995年の日本医学会総会は4月7日から9日まで名古屋で開かれた。壮大な宮殿風の建物と巨大な騎馬像で飾られた国際会議場では、ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎教授・発生学の神様岡田節人京大名誉教授・パーキンソン病研究のオーソリティー水野美邦順天堂大教授など各界の名士達の貴重な講演が開催され、憧れの先生方のお話を間近に拝聴できたことは日本の医師登録をして初めて得た恩典であった。

 夕刻、熱気に満ちた会場を抜け出して地下鉄に乗り市内の宿舎に向かう。活気あふれる名古屋も一歩大通りを離れるとそこはいずこも同じ親しみやすい下町。春とはいえまだ肌寒い4月、夕食には温かいものをと考えて見知らぬ街角を歩いた。当地の名物はきしめん・名古屋コーチン・みそカツと聞いており、きしめんはその日の昼食に味わったのでそれ以外の御馳走に出会うことを期待する。ところが下町には鳥料理店はなかなか見当たらず、それではみそカツにと狙いをかえて小一時間ばかり寒風に吹かれながらさまよったあげく、ショーウインドに美味しそうなみそカツを並べた小さな食堂にようやく出会うことができた。家族だけで営業しているような食堂の中にはテーブルが5脚しかなく、入り口に一番近い所に労務者風の50代の男性が一人ビールを飲みながら夕食をとっていただけであった。ウナギの寝床のような細い店内の中ほどに席を定め早速お目当てのみそカツを注文する。

 何気なく店の一番奥の方を見てみると、30代後半と思われる女性と4〜5歳の可愛い男の子が向かい合って食事をしていた。疲れ果てた目をした女性は薄い紫のワンピースに細い身を包み、黒いスカーフを頚に巻いた上には長い髪を束ねて垂らしており、足下にはくたびれたボストンバックが一つだけ置かれていた。金色のヒモで首から鍵をぶら下げた男の子は、黄色いジャケットに緑色のデニムのズボンをはいて手には赤いマフラーを持ち、落ち着かなく椅子の上で立ったり座ったりしていた。その子の隣には背丈と同じ位の大きなリュックサックが置かれその中からはおもちゃの新幹線が半分首を出していた。料理ができる問、聞くとはなく母子の会話が耳に忍び込んできた。

「ほらボクの好きなハンバーグよ。たくさん食べてね。ママはまたこれから2週間お仕事でいないから、一人でお留守番しているのよ。」

「今度はどこにいくの……」

「お山の向こうの遠い町よ。」

「ボクも一緒に行っちゃダメ……」

「帰ってきたらまたハンバーグ食べに連れてきてあげるから……」

「ウン……」

「何かあったらマサオ君のお家にお願いしてママに電話するのよ」

「でもマサオ君ちにはおじさんがいるもの…」

「いいじゃないのおじさんがいても…。ゴメンね、でもママはどうしても働きに行かなくちゃならないの、わかってね。」

「ウンわかってる…でも早く帰って来て…」

「いつものように冷蔵庫に入れてあるおかず食べるのよ。それで戸締まりと火の用心だけはちゃんとしてね。」

「……」

 私の目の前にはいつの間にか運ばれていたみそカツが黙って冷えていた。そしてその日の夕食の甘いはずの「みそカツ」は涙でしょっぱく、味も良くわからなかった。それはスウェーデンから帰国後4年にして「ここは北欧ではなく、日本なのだ」とあらためて実感させられた一夜であった。

 

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新年麻雀について  鈴木 丈吉(鈴木内科医院)

 長岡市医師会の新年の娯楽としては囲碁、ボウリング、麻雀があります。

 長岡市医師会史によりますと、昭和43年頃から始まったようです。以前は市医師会の新年会は日曜日に行われていました。その新年会の日の午前11時頃から始め、三荘(チャン)を行っていました。当時は4卓か5卓、つまり16人から20人の参加があり、かなり盛んだったようです。上位4人は長岡市の職域対抗麻雀大会(大和杯)に出場し、活躍されたようでした。

 私が初めて参加させていただいたのは平成4年ですが、この時も新年会の日曜日の朝10時30分から、会場も新年会と同じ青木楼でありました。てんで勝手に店屋物のお昼を食べながら、のんびりと3回戦やったように記憶しています。その年の暮れ、当時医師会副会長だった高橋剛一先生から、「新年麻雀大会の幹事をやるように」と仰せつかりました。そんなことから私の暗黒時代が始まったようですが、平成5年の、初めての幹事を務めた年は、「だんぜんのビリ」と日記に書いてあります。別に幹事役に没頭していたり、気を遣ったりしたわけではないのですが……この頃は3卓、つまり12人で、麻雀人口も何となく減ってきたような印象でした。

 その後、平成6年はメンバーが集まらず、中止となりました。

 平成8年、この年から新年会が土曜日に行われることになり、同じ日の開催が困難になりました。参加者も集まるかどうか不安、会場もどこにするか方向が定まらぬまま、平成10年まで開催されませんでした、幹事としての怠慢もあったと思います。

 平成11年、高橋医師会長から御進言いただき、再開してみようではないかということになりました。参加者も何とかそろいそうでした。

 日曜日はかえって集まりにくい、とのことで土曜日の午後に行うことにしました。麻雀台も自動会がよい、ということで、殿町の雀荘「しらかば」にお願いし、1月30日(土)午後1時30分から、1時間ずつ、3回戦で行いました。

 6年ぶりに行われた大会は、12名の参加者があり、下田四郎先生が優勝されました。高橋剛一先生の役満(四時刻)も出ました。優勝の下田先生の名文が「ぼん・じゅ-る」の2月号を飾りました。

 今年、平成12年も会場、時刻を同じくして、1月29日(土)に開催いたしました。昨年越路町で開業された児玉伸子先生が紅一点として特別参加して下さいました。やはり3卓で、楽しい午後を過ごしました。優勝は高橋剛一先生、今年も役満(国土無双)つき、という快挙を達成されました。

 最近は若い人があまり麻雀をしない、という話をあちこちで聞きます。麻雀の効用については、渡辺正雄先生がたびたび本誌にエッセイを載せておられます。和気あいあいと楽しむ麻雀は、頭の休息・体操にも、人間関係を良好に保つ上にも大変よいのではないかと思います。来年はさらに多くの先生が参加して下さるよう願っております。

 

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冬のローズマリー  郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

 正月過ぎにはあっさりと雪が消えた。如月の雪間にはフキノトウも出たとかで、我が家にも早々とフキノトウの到来ものがあった。これは家人にテンプラにしてもらい、はやばやと春の香りを楽しんだ。この冬は小雪で終わりかと思った。ところが弥生三月になったら、再びかなりの雪が降り、越後長岡の本格的な春の訪れはまだまだである。

 それでも陽光のさす朝、出がけに玄関を出ると、鉢植えのローズマリーのたくさんの薄紫の花が美しい。これは数年前から育てている直立性の枝立ちタイプである。わたしが適当に勇定して切り詰めているので、高さは50センチ前後だが、数株の寄せ植えなので、密生している外観の火鉢である。この冬は他の鉢植えの置き場所との兼ね合いで、初めてこの玄関先のやや冷遇的な場所に置いてみたのであった。ところが、この冬中、むしろ例年になく好調に咲き誇っている。

「すごくきれいね、あなたのローズマリーの花。こんなにたくさん咲いたの初めてね。」と家人。

「いやいや、きみのフクシアも今年は枯れずに、りっぱに冬だというのに花を咲かせているじゃない。」

 傍らで家人の大事にしているフクシアの火鉢も、負けずにけなげに、ツートンカラーの赤の可愛い花を、いくつか咲かせているのだ。たしか熱帯産だというのに。

「まさかこっちのほうが暖かいということはないわよね。」

「今朝も温度計を見たら、摂氏3度だった。絶対こっちは寒いよ。逆境に強いってことかな?」

 そこは吹雪の吹き込み防止に玄関ドアの外に付け足した小さなガラス戸の風除室の中である。西向きなので午後からの薄日はさしているだろうが、とても温室という効果はなさそう。数年がかりで丈夫そうな株に育ったローズマリーは「冬越しさえできればいいかな」と思い、例年の南向きの暖かい風除室からこちらの少し日当たりが少なめの玄関先に入れたのであった。

 たしかローズマリーの原産地は地中海地方のはず。なにか地中海原産と聞くと、寒さに弱いイメージがありますよね?

 そこであらためて手元の園芸書を調べてみると、その開花時期に関して「1月から3月」というのと「5月から6月および11月から3月」というのと2種類の記載があった。

 いずれにしても、もともと冬場に花が咲く性質だったのである。

「なあんだ、ローズマリーは冬に花が咲くのがふつらしいよ。」

「ええ、そうだったの? 去年までは暖かくしてあげ過ぎて、花があまり咲かなかったのかしら。」

 ところでローズマリーは料理の風味付けなどに使われる代表的なハーブのひとつである。我が家でも、タイムと並んで、ときどきチキンや羊肉のハーブ風味焼きなどに利用しております。とくに夏場は白象栽培で収穫したズッキーニを口ーズマリー風味で妙め焼きしたものなども、赤ワインの友になかなかいけますよ。

 ハーブの薬効としては、強壮、強心、若返り、老化防止の働きがあるのだそうだ。またその精油成分には細胞の酸化防止作用があり、精神疲労や筋肉痛などの回復に有効で、近年流行のアロマテラピーによく用いられている。

−そうか、そんな薬効があるのか。よし今宵は小枝をたくさんお風呂に放り込み「アロマ風呂」とでも洒落込もうかな。でもハーブ料理と同じ香りの漂う体ってのも……?