長岡市医師会たより No.250 2001.1

このページは、実際の会報紙面をOCRで読み込んで作成しています。 誤読み込みの見落としがあるかも知れませんが、ご了承ください。

もくじ
 表紙絵 「新春」        内田 俊夫(内田医院)
 「年頭のご挨拶」     会長 斎藤 良司(斎藤皮膚泌尿器科医院)
 「新春を詠む」
 「新しい年に向けて一言」    南部班会員
 「在宅診療の体験報告〜2」   板倉 亨通(北長岡診療所)
 「ボランティアとともに」    八幡 和明(長岡中央綜合病院)
 「料理に蘊蓄のある男」     郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

新春  内田俊夫(内田医院)
年頭のご挨拶  会長 斎藤良司(斎藤皮膚泌尿器科医院)

 明けましておめでとうございます。

 21世紀の幕開け、会員の皆様には決意も新たに新年を迎えられたことと存じます。

 20世紀最後の10年は医療界にとっても誠に厳しい時代でありました。バブルの崩壊と共に右肩上がりの経済は逆転し、それに少子高齢化社会も現実のものとなり、レセプト上でも退職者と老健の増加となつて現れております。誰でも、何処でも、何時でも、という旗印で出来た国民皆保険制度は40年を経て、幾多の部分修正にも拘らず制度そのものの崩壊を危惧させる程に制度疲労をきたしています。

 高齢者の増加と共に疾病が増え、医療費が増加するのは必然の結果であり、人口動態の予測からも早くからその対策が求められてきました。しかし、健保組合は老人保健への拠出金の増加を嘆き、国保連合は退職者を含む高齢者の急激な加入増加を心配し、国はこの人口動態の変化に対応した施策を打ち出せませんでした。医療保険制度の抜本改正は緊急を要し、その主眼は高齢者の医療制度をどうするかです。

 既に日医は未解決の問題を残しながらも、独自の高齢者医療制度の改革案を提案しています。昨年12月8日、坂口厚生労働大臣は財源をどうするかが問題であるとし、専門家集団に下駄を預けるような発言をし、また、同月11日、丹羽自民党医療基本問題調査会会長は、高齢者医療制度について医療拠出金に一定の歯止めをかけ、公費を5割まで引き上げ、定率制の自己負担を導入する「高齢者の独立制度」を導入したいと、少し踏み込んだ発言をしています。何れにせよこの高齢者の医療制度をめぐってこれから各団体間で更に激しい論議が巻き起こると思われます。注意深く見守る必要があります。

 4月から発足した介護保険は確かに在宅医療を支える重要な柱であります。今なおこの制度の是非から保険料、認定審査、介護サービスの給付、不服の申請などそれぞれに多くの問題を抱えています。しかし、この制度はまた増加する老人医療費の一部を分担してくれる制度でもあり、この不況時代に新たな雇用を生み出す重要な医療関連産業に成長する可能性があります。また将来医療保険との統合を説く者もいます。これからは介護、医療、年金、福祉は総合的にとらえる必要があります。医師会も介護保険には全面的に協力する姿勢であり、これは義務であり責任と思います。今後とも会員の先生方のご理解とご協力をお願いします。

 昨年、印象に残ったこととしては、県の行政改革と関連して二次医療圏の変更、小児の県単医療の助成拡大、診療録の記載と情報公開、医療事故の多発、医療機関の個別指導の問題などがあります。特に個別指導は法律に基づいて行われることが強調され、しかもその機関の選定は審査会のみならず保険者、患者などからの申し立てによることもあり、又新規開業の際の指導を除いては、過去一年間の自己申告による返還を命ぜられることがあります。保険診療規則および診療録の記載には十分留意して頂きたいと思います。

 どうも気の滅入る話ばかりになりましたので、明るいニュースを一つお知らせします。昨年10月8日、長岡市消防本部・消防署50周年記念式典で、当医師会が救急医療に対する功績により長岡市長表彰を頂きました。救急医療と共に震災時医療救護体制の確立が評価されたものと思います。

 さて、昨年4月の総会で承認を頂いた新医師会館建築については10月、大貫副会長を委員長とする正式な会館建設委員会を発足させ、建設候補地など新会館の骨格となる事項について地味な調査や交渉を重ねて頂いております。何とか長岡の医師会活動の拠点としてのハードとソフトを備えたものをと願っています。

 誠に残念なことですが、本年3月をもって准看護学校をいよいよ閉枚いたします。長年本校を支援して頂いた関係各位には深く感謝申し上げます。

 現在当医師会の会員は、A会員105名、B会員228名、合計333名であります。診療所会員も病院会員も連携を更に密にし、長岡地域の住民の医療と健康管理に貢献して頂くことをお願いし、併せて会員の先生方のご健勝をお祈りして年頭のご挨拶とさせて頂きます。

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新春を詠む  

雪山に劫初の茜さしにけり     渡辺修作

白鳥の出勤時刻初日の出      荒井紫江(奥弘)

親と子とまゆ玉結び賑やかに    十見定雄

屠蘇祝ふ延命治療望まぬも     郡司蒼穹(哲己)

おどろしきものを蔽うか雪しきり  丸岡 稔

 

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新しき年に向けて一言  南部班会員

 

 ●石川  忍(石川内科クリニック)

 まあまあとか、ぼちぼちとかいう感じで、やっていければいいかなあと思っています。ここ数年、やめていたスキーもまた始めたいですね。

 ●今井 春雄(今井整形外科クリニック)

 院長と小使い業に耐えられる体力作りをしたいと思っています。

 ●金沢 信三(金沢医院)

 開業12年過ぎました。今後ともよろしくお願いいたします。

 ●神谷岳太郎(神谷医院)

 病院から医院へ。そして消えてしまわないように、新しい世紀に向かって体力だけでなく、頭脳の方も鍛えていきたいと思います。

 ●窪田  久(窪田医院)

 昨年はケガや病気が多かったのですが、今年は健康に気をつけたいと思います。

 ●古田島昭五(たじま皮膚科診療所)

 必死に遊びます。山行きは、穂高連峰、四国の山。もう一つは残る北海道の山になります。孫達に山の自然を教えたいと思っていますが…。

 ●小林  司(こばやし眼科医院)

 21世紀の出だし。健康に注意して、明るく働きたいと思います。

 ●斉藤 聴郎(斎藤外科内科医院)

 健康第一です。先日の人間ドックでDGs1、前庭部ビランありBiopsyしました。ピロリ菌の除菌をして気持ち良く酒を飲みたいと考えております。

 ●佐藤  充(幸町耳鼻咽喉科)

 血圧が何とか下がるように′・。

 ●佐藤 良司(種芋原診療所)

 いつの日も夢を!。パソコンの技術向上を!。

 ●鈴木 丈吉(鈴木内科医院)

 何だか、社会じゅうがせわしそうで…。ゆっくり、のんびりいきたいものですが。

 ●竹山 文雄(竹山整形外科)

 新世紀を迎えるが、平素の如く一隅を照らしていきたい。

 ●藤田  繁(藤田皮膚科クリニック)

 21世紀も明るく、自分らしく、背伸びせず、自分の道を。

 ●三上 英夫(三上医院)

 70歳の節目の年、余生を旅行に、運動に、楽しく過ごしたい。

 ●吉田 正弘(吉田医院)

 2001年は、小生にとっては50歳の大台の年になります。中年としての自覚を持って頑張りたいと思います。

※これは、平成12年12月6日開催の南部班忘年会時に、出席された先生方から「平成13年に向けての一言」を記載いただいたものです。

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在宅診療の体験報告〜その2  板倉 亨通(北長岡診療所)

其の2

 具体的に症例を挙げて御報告したいと思います。この症例1は筆者が脳血管障害の患者に良導絡低周波治療を試みる気にさせる端緒となつた症例で、現在も元気に現存し、治療中の患者です。

 

【症例1】

 K・K 81才 男 農業

 初回、脳梗塞発作は70歳で、左半身麻痺にて某総合病院、神経内科に緊急入院し、約1ケ月間、加療を受けて退院しました。この時の症状は、左半身の麻痺と構音障害でしたが、左脚の軽い麻痺を残し、やがて農業に従事する事が出来る迄に自然回復しました。

 第2回発作は10年後、80歳の時であり、今回は右半身麻痺で、再び同院に入院し、約3ケ月後、退院しました。退院時の加謬療情報提供書には、

 「(1)多発性脳梗塞、(2)血管性バーキンソン症候群、(3)高血圧症の病名で、右片麻痺、構音障害、両四肢腱反射克進で入院加療、リハビリ等にて杖を突いて漸く歩行出来る程度になり退院」となり「MRI上、軽い硬脳膜下血腫を認め、両側の半卵円中心を始めとして多数のラクナ梗塞を認め、MRA上、主要脳血管の狭窄を認めている」との診療情報の提供がありました。

 退院後、同年7月31日、(発病後3ケ月の入院。退院後、更に2ケ月間自宅療養の後)筆者に往診を依頼され、診察しましたが、患者はベッドに仰臥位で臥床して居り、前腕、上肢、頚、肩、背、に強い痺痛を訴え、右半身不全麻痺があり、右手指は第1指、第2指が辛うじてゆっくり伸展、屈曲が可能で、第3、4、5指は固く拘縮して居り、手掌を伸ばす事が出来ず、箸も持てず、スプーンで辛うじて食事を摂る状態であり、膝、肘関節は軽い攣縮を認め、四肢の筋肉の脱力とこわばりを認めました。ベッドから起き上がる時は、足元のベッド枠に帯が結びつけて有り、患者が両手で帯を引き、妻が背中を押して、気合を合わせて、漸く上体を起せる状態でした。ベッドから降りてトイレに行く為立ち上がる時も、妻が右半身を支え、左手で杖を突き、擦り足で漸く用便を足せる状態でした。退院に際しこれ以上はあまり改善は望めないだろう、との担当医の見込であったと言う事です。

 この患者に手、上肢、背部の痺痛を和らげる目的で良導絡低周波治療を行なってみました。前腕、上腕や肩、背部の痺痛については、入院中、整形外科に受診させられ、痺痛の原因について精密検査を受けたが、原因不明と言われたと言う事です。患者の両手は水腫状に赤紫色に腫れ上がり、全身の筋肉のこわばりが強く、妻の指が少しでも前腕に触れると飛び上がる程痛みを感じたと言う事です。

 訪問診療は週3回とし、良導絡治療を開始してからは、治療する毎に順調に痺痛が消失し始め、水腫も消失し始めました。1ケ月後、患者から「ロがきける様になった」「頭がはっきりしてきた」「字が書ける様になった。」「話せるが、他人には未だ構昔障害の為、内容が伝え難い」と言う様になりました。今まで寡黙であったのは構音障害の一症状であった事が判明しました。症状が改善してから良く尋ねてみると、意外に過去の記憶が明瞭であり、発病以来強い構昔障害があったと言う事です。

 実は筆者は単純な老人性痴呆と考えて居たわけです。治療開始後3カ月が経過し、歩行、起居、会話が可能になり、思考内容が更に明瞭になって来て、字も書ける様になりました。その後は良導絡治療を継続し続け、5カ月 (発病から10ケ月) 後には年賀状が書けるようになり、思うように会話が可能になりました。発病より1年後には両腕の痛みが全く消失し、1年2カ月後、右手の第3、4、5指が自由に開く様になり、箸が持てるようになり、右半身の不全麻痺も殆ど回復しました。言語や思考が明瞭になり、伝導性失語が回復した時点で、患者は発病当時の見聞した内容を詳しく表現出来る様になり、純粋失書等の半卵円中心の梗塞症状が在った事を推定させる症状を思い出し乍ら言葉に表現する事が出来る様になりました。患者が退院する時点ではこれ以上の回復は困難と言われた事を考えると、此の回復は低周波治療に依ると考えざるを得ません。患者の記憶によれば、発病時は「アー、アー」としか言葉が出ず、妻に意志を伝えようとしても言葉にならず、筆談を試みようと字を書いてみても、書き始めと書き終りが纏まらず、字の形にならない為、妻に意志を伝える事が至難な技であったという事です。この患者は治療開始後4年が経過し、現在は週一回、良導絡低周波治療を実施して居ますが、今では30kg程の植木鉢を5メートルほど単独で移動出来る迄に筋力が回復して来ました。歩行は家庭内において自立して居ますが、屋外は杖を使用しないと不安を感じるとの事です。しかし、少しずつ好転して居るのが良導絡治療を受ける毎に自覚されると言います。最近の変化としては、左足の背屈が出来る様になったと報告してくれました。(左足の背屈が不能になつたのは14年前の第一回発作時に生じた左半身麻痺による障害で、14年前の障害が回復する事がある事を意味すると考えます。

 この点から推定すると、治療に依る症状の改善は意外な程過去に遡って期待出来ると推定されます。医療制度の改正に依り長期の治療、観察が可能となつて初めて観察出来た新しい現象の一例と考えて良いのでは無いかと推測しています。

 症例1の注目点

(1)患者のMRIから第一回の発作は、右中心脳動脈穿通枝の終末領域の梗塞と考えられ、脳梗塞急性期治療のみで、1ケ月後、農業に復帰出来ました。

(2)第二回発作も左同名動脈の終末領域枝と推定され、MRI上、梗塞が大きく二箇所に認められ、機能脱落は強く、広範囲であったと考えられます。注目すべき特異な症状は、両上肢から背部にかけての痺痛であり、少しの刺激にも飛び上がる程の痛みを感じ、この為に、リハビリに行かされたが、リハビリの出来る状態では無かったとの事です。脳血管障害患者のリハビリ等の大きな障害は此の筋肉痛と脱力であり、此の両者の対策が今迄無いとされて来ました。また、診察した整形外科医も原因不明と患者に告げたと言う事は、此のような痺痛は今迄知られて居ても、臨床上の問題にされて居なかったのではないかと推測されます。此のような筋肉痛に良導絡治療が著明な効果を示す事が証明された一例と考えられます。

(3)躯幹、四肢の筋肉の緊張や脱力感を伴なうこわばりが見られましたが、脳血管障害患者には良く見られる症状です。この筋肉の痛みとこわばりと脱力に良導絡低周波治療は極めて有効です。

(4)構音障害、失書についても同様に極めて有効でした。

(5)手背、足背に見られる浮腫に対し極めて有効でした。

 此の患者は4年間、週一回、治療を行って居ますが、治療を受けた日には気が付かないが、数日後には気が付かなかった故障個所が良くなっているのが明確に自覚出来ると言う事です。14年を経ても、左足の背屈が改善した事に気が付くと言う事は、良導絡の効果が遡って有効な場合がある事を推定させます。

追記

 此の患者は今年5月16日嗄声が強くなり、耳鼻科に受診し、喉頭の器質病変は否定されましたが、血圧が上昇し始め、CT、血液検査に異状は認めず、握力、左右とも30でした。

 7月1日、前記の前駆症状の後、第三回の脳血管発作を起こし、眩牽を訴え、寝返り、起き上がりが不能になりましたが、週の治療回数を増して低周波治療を続けたところ、7月5日から食事に起きる事が出来ましたが、寝返りは稀困難で、握力は

右26.5、左25に低下して居ました。7月18日、握力右26、左27と快復し、疎み足 (すくみあし)も改善して来ました。9月14日、足の上がりが良くなったと喜んでいます。此の患者は脳血管発作が此れで3回で、リサイクルが3回目を迎え、11月3日で殆ど発作前に戻ったと言って居ります。唯、嘆声が強度になって居り、この頃声の成り立ちの説明が欲しいと思っております。

(つづく)

 

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ボランティアとともに〜病院内移動図書館「さくら文庫」を運営して

「さくら文庫」館長  八幡 和明(長岡中央綜合病院)

 病院に長期入院をしていると長引く検査や治療、あるいは白い壁に取り囲まれた特殊な環境下で不安やストレスを感じている患者さんは少なくないと思います。そういった患者さんの気持ちを少しでも和らげ、心豊かに過ごせるようにとの思いで病院内に図書館を開設することにしました。その開設の経緯と活動状況について紹介します。

 平成9年7月からこの趣旨に賛同する人はいないかと病院内を口説いてまわり設立準備委員会を発足させました。まず図書館の開設場所を探しましたが、当院は手狭なため場所の確保は困難でした。そこで入院患者さんのもとへ巡回する移動図書館にすることにしました。図書館の名称は当院の脇を流れる福島江の見事な桜並木にちなんで 「さくら文庫」と名づけました。

 この活動のもう一つのねらいは病院の中にボランティア活動を取り入れることでした。すなわち「さくら文庫」はすべてボランティア精神で運営し、共鳴してくれる人々の善意のみでどこまでやれるかという当院にとっては全く新しい試みで大きな冒険でした。そのためには私達自身が病院職員という立場ではなく一人のボランティアとして自主的に参加すること、資金的にも人々の寄付を中心に運営し独自の会計を営むことにしました。また病院外からボランティアを募集することによって、地域の人と手を組んだ開かれた明るい病院にすることをめざしました。

 病院内の反応は様々で、この活動に積極的に参加してくれる人もいれば、「今時ボランティアをしてくれるような酔狂な人は長岡にはいない」と半ば呆れられたり、あるいは「刑務所の囚人が独房を巡回して本を配るやつか?」と冷やかされたりもしましたが、その後でそっと本を置いていってくれたりして目立たないが暖かい支援をあちこちからいただいたりしました。

 またこの構想に共鳴した病院外の個人や団体などから数多くの協力の申し出があり、本や基金が次々と寄せられました。遠く北海道、広島、千葉などから段ボールで本が届いたりしてびっくりすることもありました。

 このように多くの人達の協力を得て平成10年1月にようやく開館し貸し出し活動を開始しました。毎週2回黄色のワゴンに本を満載して病棟を巡回します。ボランティアにははたして何人集まるものかとやきもきしましたが、一人また一人と増えてきて現在20数名の参加者をかぞえ、本の貸し出しや整理を担当していただいています。ケースワーカーがコーディネーターとなりボランティア間あるいは病院との調整を行い、地域との窓口のひとつとして機能しています。

 患者さんには大好評で、本の利用だけでなく、ボランティアとのふれあいも大変喜ばれています。退院時や外来通院時に自分の本を提供して下さる人もでてきました。おかげで蔵書数は現在7000冊を超え天井まで本で一杯になつています。その他わかりやすい医学関連の本を購入し患者さんの病気の理解にも役立ててもらっています。

 この活動をはじめて面白いことに気づきました。開館当初ある病棟に限って本を借りる人が少なく、これはその病棟での対応が悪いのではないかと思いましたが、そうではなく救急患者が多い病棟は利用率が低い事がわかりました。具合の悪いときは本なんか読んでいられない。なるほど考えてみれば当たり前のことですね。

 感動する本、慰めになる本、ためになる本などを読んでもらいたいと思っていましたが、どつこい今の若い人は 「ゴルゴ13」とか「美味しんぼ」などの漫画本を山のように借りていきます。もっといい本を選んでもらいたいと思いましたが、それこそ「小さな親切、大きなお世話」なのでした。もっともそれでは難しい本は要らないのかというと「夏目漱石全集はありませんか」とたずねて来る人もあり、まさに人の好みは多種多様ですね。

 これまでの活動が評価され平成12年1月ようやく「さくら文庫」専用の広いスペースが確保され、より多くの患者さんに自由に利用していただけるようになりました。

 今後の展望としては現在週2回の稼動ですが、毎日開館していきたいとか、視力障害者や高齢者も読書が楽しめるようにしたい、あるいは幼児への絵本の読み聞かせなどにも取り組んでいきたいと考えています。

 そのためにはより多くのボランティアに参加していただきたいと思っています。

 ただボランティアはじつと待っていれば集まるものではありません。

私達自身がボランティアとは何かよく考え、感謝の念を持って積極的に交流し、地域に向かって窓口を開いていくことがこれからの新しい病院 づくりとして大切なことだと思います。

 この文をお読みいただいた会員の皆様からも御支援・御指導いただければ幸いです。

 

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料理に蘊蓄のある男  郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

 雪模様ながらまあまあの天候の新世紀の幕開けのお正月でした。二日は実家や親戚の訪問が伝統でありましょうか。わたしも家人と連れだって実家へまいりました。わたしは数ケ月ぶり、家人は数日前に毎年の年末恒例の餅つきと鏡餅作りに母の手伝いに来たばかりです。

 父の家は先着組ですでににぎやかで、子、孫のみならず、なんと今年は曾孫までおります。なかでは札幌に嫁いだばかりの孫夫婦が遠来のメインゲストです。新婚さんなので酒の肴としても座の中心です。婿さんのNくんは、お酒もお話も好きな大らかな性格の道産子です。

「彼女のお料理でおいしかったものは?と質問されて、生野菜でしょうかねと答えた有名人がいたけれど。どうですかね、H美さんのお料理の腕前は?」と水を向けるわたし。

「まあなんとか日々の栄養は取れております。」とNくん。

 結婚生活はいろんな点で相手が自分と違う人間性をもつ発見の面白さがあります、とNくん。料理なんかでもなにが美味しいと感じるか、ひとりずつで違うよね、とわたし。

「たとえばホウレンソウのお浸し。ぼくはたっぷりのかつお節と出し汁で食べるのが好きなんだけど、うちの奥さんは、そのものの味がわかるからと生醤油でしか食べない。」

「ええっ、その話、まるで我が家の食卓のことそのものですよ。」「そこで自分の分を小鉢に分け、出し汁とかつお節をかけるね。」 「いやあ、まったくおんなじです。ただし叱られると悪いので、かつお節をかけてよいか、まず伺いまして許可を得ておりますが。」

 苦笑いの姪のH美からひとこと。

「おふたり、すごくお好みが合っているようね。叔父さんもグルメだったですものね。」

「いや、ぼくのほうはただ食いしん坊なだけさ。」と答えるB級グルメを自認するわたし。姪と顔を見合わせた家人は笑っております。

 彼らの手土産のカマンベール・チーズを召し上がれと勧めてくれました。二人の勤める乳業会社の製品で出荷用みたいには発酵が止めてない限定品なのだそうです。「うん、おいしい。」「自黴の香りが強いね。」「違いがわかるね。」などの声が一同から上がりました。「あたしはいまチーズの開発研究グループなんです。彼は営業方面に変ったんです。」と姪は続けます。

「あたしたち共働きでしょ。夕食当番は一ケ月交代なんですよ。Nさんは独身時代からお料理していて、けっこう蘊蓄があるのよね。」

 いかにもいまどきの若者夫婦らしいです。男子厨房に活躍すですね。

「へえ、Nくんのお得意料理はなんですか?」

「まあシチュウやカレーはわたしのほうがうまいでしょうね。」

 なあんだ、そんな男料理なら誰でもできそうと思いました。さらに聞いてみると違うんですね、これが。ルーにこだわりがあって市販品は使用せず、自分でこしらえるとかで。

「炒めた小麦粉のでんぷん粒子と脂質であるバターの微妙な混じり具合がですね…でんぷんの架橋構造のアミロースとアミロベタチンとが…なんたやらが…」と続きます。

「おいおいH美ちゃん、なんかこの旦那さんの料理の蘊蓄、ものすごくないかあ?」と姪に向かい呆れるわたしです。姪も食卓にお皿を配りながら笑っております。「だってしかたないわ、叔父さん。彼のH大学での研究テーマが「でんぷん」だったそうなんですもの。」

 

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