長岡市医師会たより No.270 2002.9

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もくじ
 表紙絵 「リンゴたち」       内田 俊夫(内田医院)
 「小沢征爾指揮によるNeujahrskonzert der Wiener Philharmoniker」
                   内田 俊夫(内田医院)
 「自己紹介」            堀井 淳一(長岡健康福祉環境事務所)
 「恥ずかしい…」          佐伯 牧彦(長岡中央綜合病院)
 「当院放射線科を大いにご利用ください」 塚田  博(長岡中央綜合病院)
 「ハリー・ポッター物語の続き」   郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

リンゴたち   内田俊夫(内田医院)

小沢征爾指揮によるNeujahrskonzert der Wiener Philharmoniker

  内田 俊夫(内田医院)  

 手許にある昔のプログラムによると昭和57年6月2日小澤征爾指揮、新日本フィルの演奏会が長岡市立劇場でありました。曲はストラヴィンスキー2曲とチャイコフスキーPiano Concertの第1番でした。才能教育の指導者吉川豪一先生の計らいで、家内が今は世界的な大指揮者となられた小澤さんと早朝テニスをやったのです。ダブルスの試合は初めてと云っていたのに椅麗なボールをよこされたと、家内は云っておりました。

 小澤さんは家内の従兄弟(Nさん)と成城学園の中学時代の同級生で、卒業後小澤さんの息子さんのバスケットのコーチをしてから家族ぐるみの付合いが始まったそうです。その従兄弟が癌で亡くなった時の葬儀で小澤さんは弔辞の途中で涙で言葉がつまってしまい 「この役はぼくにはとてもだめだ」と云ったと東京の世田谷新聞に出ておりました。

 このようになったのは昨年、ボストン交響楽団の音楽監督である小澤さんが2002年から、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任する事が決まったという話を聞いたNさんがアメリカ「タングルウッド・フェスティバル」で指揮をする小澤さんに会うために20人を超える友人を引き連れて米国に行ったということからでした。勿論あちらで小澤さんは20数人の友人と会ってどんなにか嬉しかったに違いないと思います。「外からみれば派手に見えるかもしれないけど本当は寂しいんだ。そこにN君が仲間を連れて現れて本当に嬉しかった」と云われたそうです。

 通夜の日の夕日が椅麗だったので成城学園のコーラスグループが賛美歌の代わりに「夕焼け小焼け」を歌い、小澤さんは涙をふきながらタクトを振り続けたとこの新聞には泣いている大指揮者小澤さんの写真までが載っておりました。通夜の席で家内は小澤さんと偶然隣合わせとなり、小澤さんは大指揮者のそぶりは見せず、ざっくばらんに色々話をして下さったそうです。この葬儀が12月初旬でした。11月中旬私は日赤口腔外科の大西先生から左口腔内に出来た直径2cmのtumorを摘出して頂き、それが扁平上皮癌であって抗癌剤を服用しておりました。

 帰宅した家内と話をしているうちに心が晴れるような事がしたいねと云う事になり、「音楽の友」 に出ていた「ウィーン・オペラとオペレッタそして小澤指揮のニューイヤーコンサート」に行ってみるかと云う事になり、旅行会社に電話をしてみると、どうせ駄目だと思っていた券が2枚残っている由で、これはやはり神の恵みだと云う事になつて12月26日出発〜02年1月5日帰岡に向けて準備を整える事に決めました。

 成田(午後13:30発)からミラノに飛び、ミラノで乗り換えて目指すWienに現地時間で27日(午後21:25着)に到着、ホテルは始めてWienに行った時と同じホテルで、この時は父も母も元気ですぐ近くの市立公園を一緒に歩いた思い出があります。翌朝、思い出の公園を歩きました。少し雪をかぶった有名なヨハン・シュトラウスがViolinを弾いている像があり、近くで遊んでいた子供を呼んでシューベルトの像と一緒に写真を撮ったり、広い他には薄い氷がはっており、赤いセーターを着た老人が鴨や小鳥に餌をやっており、なんとなく詩情を感じていいなーと感嘆してしまいました。

 「ロメオとジュリエット」「魔笛」「ヘンゼルとグレーテル」「Fledermaus」それに〔1月1日のNewYear Concert〕を聞く事の出来るツアーで、その他に始めての方の為に「Wienの森」(この寒い時期に)「中央墓地」それに「シェーンブルン宮殿」などの観光がありましたが、我々は「魔笛」「Fledermaus」と小澤の〔1月1日のNewYear Concert〕だけに限りあとはもっばらぶらつく事にしました。粉の様な雪がよこなぐりに吹き付けるかと思う間も無く(零下7度位)晴天になったりしました。真冬のWienは初めてですが、シューベルトの「冬の旅」を思い、旧制新潟高校の頃よく聴いたGerhard Huschを思い浮かべたりしました。

 12月28日はVolksoperで「ヘンゼルとグレーテル」がありこのチケットはWienに30年も滞在されておられ音楽愛好家で良く存じあげている方に差し上げた所、大変喜んで下さりお返しとして、由緒あるレストランで御馳走になりました。丸い天井に所狭しと音楽家が自分の名前をサインしてあり、その中にはMozart,Beethoven,Schubertなど大昔楽家の名前が並んでおりました。ついでに楽譜とCDの店を教えて頂き、私の発音で通ずるかどうか心配でしたが、HydndnとMozartの全ピアノトリオの楽譜は瞬く間に持って来てくれましたし、さすがにCDの店も大きくて品数が豊富でした。

 いよいよ元日の午前11時から楽友協会大ホールで小澤征爾指揮ウィーンフィルによる「ニューイヤーコンサート」で、その席順をくじをひいて決めるので随分時間がかかりました。私はぼんやりと吹雪いている外の景色を眺めておりました。女性群は着物の方が多く、男性は黒の蝶ネクタイで私は生まれて初めてそのような格好をするのが恥ずかしく、自分で照れており、落ち着きませんでした。今回は、TVで見るバレーが無く音楽だけなので「ニューイヤーコンサート」に集中出来るのが嬉しく、バスに乗り込み、粉雪が舞う様子がこれから始まるワルツのようで面白いと眺めているうちにウィーン楽友協会に到着、中に入るとまさしく絢欄豪華で今迄は緑と黄色を基調にしてありましたが、今回は日本の事を考えてか赤が基調になっていました。我々の席は2階のうしろの方で、私には丁度良い場所でした。やたらにカメラのフラッシュが光り、カメラを持って行かなかった私は些か残念におもいました。そうこうするうちに楽員が席につき、いよいよ始まるなと思っていると小澤征爾さんが指揮棒を持たずに登場、うるさい程の拍手に包まれました。確かにこのホールの音響は素晴らしく暖かみのある柔らかいそれでいて強い鋭さもある立派なものだと感心しました。

 いよいよヨハン・シュトラウスIIの「乾杯!マーチ」から演奏会が始まりました。なんと云う美しい音なのだろうか、このホールになじんだ素晴らしい音にうっとりしました。小澤さんは自分でも踊っている様でもあり、それでいて適格な指揮をするのには驚く程でした。それに小小澤さんの愛の心が指揮にも現れていて私は感動しました。私が気に入った曲はどれもヨハン・シュトラウスIIのもので、「こうもり」「常動曲」「ウィーン気質」それに「美しく青きドナウ」でした。

 翌日のDer Standardと云う新聞に載った批評を御紹介します。TEin Tanzchen auf der WalzerwolkeUと云う表題で「日本人の指揮者小澤はワルツを一本調子の演奏に終わらせず4分の3拍子で羽毛のように軽く演奏して喝采をはくした。彼は明らかに世界に広がるTVの状況を知っているので、ダンスという指揮のパフォーマンスをやった。何度も人々には羽毛のように軽く動くトンボのように小澤が楽友会館の中を飛び、空中から指示を与えているように見えた。音響、楽節の分け方、ダイナミックさの点でフィルハーモニーの団員にはこれ以上コンパクトなものは考えられなかった。ただ軽快で叙情的な「Federmaus」序曲の終わりで響きが少々荒かった(私はこの 「こうもり」は圧倒的に良かったと思っていますが)。小澤はワルツのエネルギーの中断、抑えに対して少々せっかちで、ワルツの持続に茶目っ気がありすぎる。しかし、彼は音楽の抑揚を的確に捕らえ十分理解して音楽と共に呼吸し演奏していた。すべて軽快で、素晴らしかった。」

 いつまでも続く盛大な拍手に小澤さんは何回も呼び出され、本人も嬉しかったのでしょう、拍手に応えておりました。今改築中の階段を降りて待っていたバスに乗り込み日本レストラン「天満屋」で「おせち料理」をワルツの余韻に浸りながら楽しく頂きました。

 この頃になると我々の団体も仲良くなり、皆さん一緒に1月2日ミラノに向かい、3日ホテルの近くの荘厳な何百もの尖塔を天に突き刺すようにのばしているゴシック建築の傑作と云われている教会Duomoを見学してから、デツレ・グラツィエ教会にあるレオナルド・ダ・ヴインチの描いた「最後の晩餐」を説明付きで鑑賞することが出来ました。この絵には胸が震える程の感動を覚えました。wienの「ニューイヤーコンサート」が良かったのか、この「最後の晩餐」が良かったのか自問自答しましたが、情けない事ですが、私にはまだ答えられません。でも素晴らしい旅であった事は確かです。

おわり

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自己紹介  堀井 淳一(長岡健康福祉環境事務所)

 この4月から長岡健康福祉環境事務所地域保健課長となりました堀井です。長岡には3年ぶり3回目の赴任となるので、以前にお会いしたことのある先生もいらっしゃるかもしれませんが、今回初めて入会させていただきますので、あらためてよろしくお願いします。

 健康福祉環境事務所といってもまだ馴染みがないと思いますが、今年度から旧保健所と旧地域福祉センターが統合されたもので、所在地や電話番号等が変わったわけではありません。長い名称に変わったため、未だに電話に出るときにスムーズに名前が出てこない職員もいるようですし、こちらから電話した場合でも「何処それ?」と思われる方もかなりおられるようです。これを機会に先生方にも早く名前を覚えていただければと思います。

 事務所の医師は上村所長と私だけですが、保健師、管理栄養士、放射線技師、理学療法士、薬剤師、歯科衛生士、精神保健福祉相談員など保健分野だけでも多様な専門職がおり、職員数は全体で約90人とかなりの大所帯です。地域保健課は、生活習慣病対策から母子保健、難病対策、精神保健福祉まで幅広い業務を担当しており、いろいろと先生方にお世話になることも多いと思いますので、よろしくお願いします。

 さて、私の自己紹介ですが、昭和38年生まれで、新潟市出身です。新潟大学を平成2年に卒業して、平成3年から県に入りました。早いもので行政に入りもう12年目になりました。とはいえ、今までは生活習慣病対策や感染症対策、難病対策等の業務が中心だったので、他の業務をはじめ、まだまだ勉強することがいっぱいあります。これからさらにいろいろと吸収していきたいと思っています。

 趣味は、スポーツ観戦で、プロレス、格闘技から球技全般まで幅広く見ます。ここ数年のブームはサッカーで、アルビレックス新潟が誕生してからは毎年数試合は見に行ってます。今年も現在2位と好調ですし、J1昇格もありそうな勢いで今後の試合も楽しみです。やっぱり地元にプロチームがあるのはすごくいいことだと思います。野球は、大学時代は軟式野球部でしたし、もちろん大好きで見ています。巨人フアンの先生が多いと思いますが、私は新潟では珍しい中日ファンです。(星野監督が阪神に行き、今年は少し阪神も応援していますが…)

 現在、自分ではほとんど運動をしていません。半年で5キロくらい太ってしまったので何とかしなければと思っている今日このごろです。前はゴルフも少しやったのですが(下手で110を切ったことがないのですが…)、忙しかったこともあり、ここ2年半はクラブも握ってません。今年は久々にやりたいと思っています。

 思いつくままに自分のことを書いてきましたが、どんな奴かは百聞は一見に如かずだと思いますので、これからどうぞよろしくお願いします。

  

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恥ずかしい…  佐伯 牧彦(長岡中央綜合病院)

 初めまして、佐伯牧彦と申します。去る平成6年8月高橋正和先生の後任として長岡中央綜合病院循環器内科に赴任いたしました。生来なまけものですが地道に頑張りたいと思いますので、ご教授ご鞭捷宜しくお願いいたします。

 と、目頭の文章を書いては見たものの、ぼん・じゆ〜るの原稿の督促をごまかしつつもうすでに平成は14年余を数え、同年齢の皇太子にも待望のお子様がお生まれになり、いまさら自己紹介はちょっと恥ずかしい…。

 この間、医師会の皆様からは患者さんを紹介していただいたり、診ていただいたり、いろいろ教えていただいたりしまして、大変お世話になり、何とか伝統ある長岡中央綜合病院の内科診療の足を引っ張らないようやってこれたような気がします。

 そこで今日は、我が循環器内科の活動状況を紹介したいと存じます。

 我が病院は平成7年5月より心臓カテーテル検査を開始し、やっと市中の某二病院と同じ次元にたった

ばっかりです。

 ご存知のように、循環器内科は私佐伯と私の出身である新潟大学第一内科の相沢教授の教室からのローテ一夕ーの二人です。今は田川実先生という、不整脈を超専門とする新進気鋭の優秀な若い先生が来てくれています。それと新潟大学の内科研修医を含めて三人が医師です。一見少なく見えますが、我々には強い味方がいます。

 それは、まず、外来・カテ室・病棟・訪問着護を通して、献身的に患者を看てくれる看護師さん達です。彼らは医師の少ない分、自主的な判断、看護師ならではの発想をする機会を得て、今まで以上に溌刺と患者のために援助してくれています。

 二番目は生理検査技師です。彼らも医師の少ない分、自主的な判断をする機会を得て、溌刺というより真剣に(?)自らの仕事をこなしています。

 三番目は放射線検査技師です。彼らも医師の少ない分、自主的な判断をする機会が増えて、溌刺というより積極的に自らの仕事を超えて、看護師・生理検査技師の領分をも侵すべく(?)、日々精進しています。

 最後は事務方です。彼らも医師の少ない分、自主的な判断をする機会が一方的に増加し、習うより慣れろの勢いで、果敢に自らの仕事を早め(?)にこなすべく、日々創意工夫してくれています。

 手前味噌になってしまいましたが、結局うちの老朽化した病院のハード面を克服すべく、個々のスタッフが医師の少ないことを寧ろチャンスと受けとめて、カバーすべく動いてくれているので、医師三人分以上のパワーが出せているのではないか、ということが私のいわんとしていることです。まるでワールドカップの日本チームみたいではありませんか。

 実際のところは、入院平均10人、心臓カテーテル検査週3.5人といったところで決して多くはありませんが、適応を厳選し内容を濃くして結果を速やかに自科は言うに及ばず他科の診療に反映することにより、容量の少なさをカバーしているつもりです。

 これからも、流行に飛びつくことなく地道にやっていきますので、変わらぬご指導ご鞭撞をお願いします。また、こんな情報を回して欲しい、こんな治療は当院で如何か、こんなシステムを病診連携ではどうかなど、様々なご意見・アドバイスなどいただければ幸いです。

 

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当院放射線科を大いにご利用ください  塚田 博(長岡中央綜合病院)

 現在、臨床医の先生方同士の病診連携が活発に行われておりますが、この病診連携において、放射線科も多いにお役に立てると思います。今回この場をお借りして、より多くの開業医や他院の先生方にご利用していただけるよう、当院放射線科を紹介させていただきます。

 現在診断医3人で日常業務に携わっております。佐藤敏輝先生(S57卒)は、お人柄はいたって温厚で、初めての方でも気軽に相談できる雰囲気の先生です。消化器外科と病理を経験されており、各検討会でも本質をついた発言にいつも感心させられています。当院の先生方や開業医の先生方から絶大な信頼をもたれており、文字どおり当科の顔です。私、塚田博(S61卒)は、呼吸器内科を経て放射線科医になった者で、呼吸器診断(CT下肺生検含む)に特に関心があります。奥泉美奈先生(H6卒)は、気立てが良くて、大変な働き者です。現在当科は診断医がひとり欠員状態ですが、オールラウンドに仕事をこなす彼女の存在は、これを補ってあまりあるほどです。当科の仕事は、一般写真、透視、エコー、CT、MRI、血管造影などの業務はもちろんこと、他科の先生たちとの信頼関係が何よりも大事と考えており、毎週火曜日は消化器内科・外科のグループと、水曜日は呼吸器内科・胸部外科のグループと検討会を行っております。さらに毎月第3月曜日の夜7時から診断室にて、近隣の開業医の先生方との検討会を行っており、この検討会にいたってはその歴史はおよそ40年近くになるとのことです。

 病診連携における各検査依頼に関して述べます。CTの依頼は、午後2時以降ならば、毎日いつでも受け付けております (午前中は、診断医3人ともに各検査に入っており、申し訳ありませんが、十分に対応できません)。MRIや胃・大腸などの透視検査 (前処置は貴院にてお願い致します)は、あらかじめ当科受付に電話にて予約して頂ければ検査可能です(電話0258−35−3700・内線511)。いずれの検査時にも、患者さんに簡単な紹介状をもたせて頂ければ結構です。ただ残念ながらMRIは大変な数の需要があり、現在緊急以外は1ケ月程先になってしまっています。各検査後当日中にすぐに診断レポートを付けて、場合によっては患者さんに結果説明をさせて頂き、写真をもって帰っていただいております。放射線科治療に関しては、毎週火曜日と木曜日の午前中に、大学より放射線治療の専門医が来ておりますので、ご紹介下さい。また、先生方が貴院にて撮られた胸部写真や透視写真、CTなど、何か気にかかることがございましたら、診断室(1階放射線科受付横)まで、本当にお気軽に「この影どうだろうか?」と写真を持ってお立ち寄り下さい。すでに幾人かの先生方にはそのようにして頂いており、そうすることで先生方と我々診断医とのお互いの顔がみえ、診断レポートだけのやり取りでない、より一層の信頼関係が築けるものと思います。特に、消化器疾患に関しては佐藤先生が、呼吸器疾患に関しては塚田が、少しはお役にたてるものと思います。常勤医の2人とも、診断室に誰も相談に来なくなったら廃業と思ってやっております。

 ご自分の検査室をもう一つ持ち、診断医を雇っているつもりで、当科に検査をオーダーされ、また写真を持ってお気軽に診断室にお越し下さい。ぜひ、当院放射線科を大いにご利用くださいませ。

 

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ハリー・ポッター物語の続き  郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

「おやこんなところで、お目にかかろうとは…。」

『ハリー・ポッターと賢者の石』という童話の本なんです。

 この本がすでに英国で人気を博して、米国などにも大ブームとなつてからすでに数年がたつようです。

 洋書の大手A書店のHPの人気ランキングでは、半年前には一般書籍部門でこの四冊すべてが一位から上位を独占していたくらいです。その頃に第四巻目が発売になって、シリーズ前作も再び売れたようです。

 先日市立図書館の宮内にある分館で、ハリー・ポッターの本を発見し喜んで借りました。期待したより、ずっとおもしろかったです。二日で読み上げてしまいました。

 となれば続きがぜひ読みたくなるのが人情というものです。翌日の仕事帰りに書店に寄り、続編の二冊(一昨年発行の第二巻および昨年発行の第三巻)を買い求めたのでありました。

 また家人にも「読んでみれば?」と薦めましたところ、同じくはまりました。

「評判倒れじゃなく、こどもでなくてもおもしろいわね、これ。」

 その後、レンタル・ビデオで借りて映画も見ました。原作を生かしてある美しい映像で楽しめました。

 家人はハーマイオニーなる登場人物がお気に入りです。主人公の友達で、成績優秀な仕切り屋のこまっしゃくれた女の子。映画でのハーマイオニーがこれがはまり役のかわいい子役でした。

 おそらくわたしのアバウト主義な日常に対する家人の仕切り的言動からは、家人は小児期の自分のようなこの女の子を気に入ったのではと推測しております。(内緒ですが)

 ところである本を自分で買う気になる金額の限度というのがあると思うんです。童話、ミステリ、マンガなどのエンターテインメント類は一冊あたりここまでというラインが自分のなかにある気がします。

 このハリー・ポッタ一本は高いんです。それが評判になって興味を持ちながら買わなかった、ゆえに読まなかった最大の理由。ちなみにもうひとシリーズあるんですよ、図書館で置けばと思い買わずにいるファンタジー物。同じ英国の「黄金の羅針盤」シリーズ三冊なんですけれど。

 一週間ほどでハリー・ポッターもの三冊を読了すると、あとはまだ翻訳本が出ていない状況なのでありました。早く続きが読みたい。

 書店の店頭には宣伝ポスターが張られています。

「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」第4巻(上・下)。十月に発売の予約受付中。

 待ちきれない、よし原書でもとインターネット書店に注文すれば、翌日にはもう宅配便で届きました。送料無料サービスもうれしい。ハードカバー本ですが、日本語出版本の半額以下です。そこまではよかったんですが…。うーん、やはり英語なだけに問題は読みとばせる速度ですよね。文法はさておき、魔法関係などを主に相当辞書を引く単語があります。また固有名詞や造語なんでしょうが、大きな辞書にもそれらしい語義がないなど、急にかたつむりの読書速度に落ち込んでしまいました。

 ああ、まもなく十月になります。

 そしてついに翻訳本が出ると多少高くても家人は買うはずです。わが家に日本語の本が置いてあれば、当然わたしもそちらに手が行く可能性が大であります。

 一刻も早く読み進べきか、休んで待つべきか−それが問題です。

 

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