長岡市医師会たより No.287 2004.2

このページは、実際の会報紙面をOCRで読み込んで作成しています。 誤読み込みの見落としがあるかも知れませんが、ご了承ください。

もくじ
 表紙写真 「小国辺り」      丸岡  稔(丸岡医院)
 「園内紙「憩」より〜その2」   亀山 公平(サンプラザ長岡)
 「「不学無憂」への回答」     中山 康夫(南魚沼郡塩沢町:中山医院)※元会報編集委員
 「新年囲碁大会優勝記」      富所  隆(長岡中央綜合病院)
 「新年ボウリング大会優勝記」   窪田  久(窪田医院)
 「新年麻雀大会優勝記」      春谷 重孝(立川綜合病院)
 「越後の冬」           岸   裕(岸内科・消化器科医院)

小国辺り   丸岡 稔(丸岡医院)

園内紙「憩」より〜その2  亀山宏平(サンプラザ長岡)  

 日日(にちにち)是好日

 新年あけましておめでとうございます。

 皆様にはよい御年を迎えられたこととお慶び申し上げます。新年に際し、皆様方に、「日日(ひび)是好日」という言葉をお贈りしたいと思います。

 この言葉はNHKの昼プレなる番組のテーマソングの中にも「日日是好日」として使われておりますので、皆様よく御存知の言葉と思います。大方の皆様方は、この言葉を「毎日よい日が続きます様に」とか、「毎日が幸せであります様に」といった風に受け取っておられるのではないでしょうか。実はそうではないのです。この言葉の出典は「碧巌録」という禅書であります。

 千年前中国の高僧、雲門禅師が弟子に対し、「十五日より前のことは過ぎたこと故、どうでもよろしいが、それ以後の毎日と、これからの日々を自分がどう生きて行ったらよいか一句で言ってみよ」と言われたのに対し、弟子が誰一人答えることが出来なかった。そこで禅師が 「日日(にちにち)是好日」といった心境で毎日を生きよと教え訓されたとの文から来ているのです。

 毎日はよい日ばかりでなく、悪い日もあり、苦しい日もある筈です。しかし良い日、悪い日という判断の基準は、人により時により異なり、絶対的の基準はありません。

 例えば夏は干天が続き雨が欲しいと思い、梅雨に長雨が続き洪水になれば、雨は悪いものになります。暑い時には冬が恋しく、冬には晴天の夏が恋しくなるのが人情です。昨日良いと思ったことが今日考えてみると悪いと思うことがあり、その道もあります。この様に是非の判断は一定ではありません。この事を良寛和尚は「是非に両端なし」と訓されおります。

 過去のいろいろな想いにわずらわされず、心を明るく持ち、明日以後をくよくよ心配せずに、一日一日を精一杯生きなさい。その精一杯生きた一日一日の積み重ねが人生を生きるということなのです。

 人の寿命は神佛のみぞ知るのでありまして、くよくよ考えても詮ないことであります。

 キリスト教でも旧約聖書の山上の垂訓に白く、「明日のことを思い煩うなかれ、今日のことは、今日にて足れり」と教えておられます。

 どうかこれからも明るく元気に「日日(にちにち)是好日」 の気持で精一杯生きる毎日をつみ重ねて一年を過ごしていただく様念じて新年の御挨拶と致します。 (平成15年1月)

 大いに笑いましょう

 利用者の皆様、御家族の皆様、明けましておめでとうございます。皆様には安らかな新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。新年に際し、皆様方に本年は大いに笑いましょうと申し上げたいと思います。

 地球上に沢山の生き物がおりますが、笑うことの出来る生きものは人間だけだと言われております。人間はその発生以来、常に危険やストレスにさらされて来ました。人々は洞窟の中に身をひそめ、マンモスや猛獣に怯えたでありましょうし、最近までもペスト、コレラなどの伝染病で危く絶滅しそうになったりしたのです。しかしそんな中でも人間は笑うことが出来ました。きれいな花を見てか、美しい恋人を手に入れたか、何らかの理由で、自分の生きていることを素晴らしいことと思い、生命感の充実を味わった時、自然に笑いが生まれたのでしょう。その笑いは自分の置かれている客観的状況をゆがめたり、偽ったりして、独善的に朗らかな状況を作ろうとしていたのではありません。こうした災難と戦いながらも自分の「生きている」という貴重な事実にふと思い当り、その痛切な有難さが自然に嬉しさとなり、笑いとなつたと考えるべきでありましょう。−−と作家の辻邦雄氏が述べておられます。

 皆様方は明治、大正、昭和、平成と生き抜かれ、特に第二次世界大戦前後は大変な経験を経て来られました。私も皆様方と比較的近い年代ですので、戦争の頃には先輩、同僚の死にも遭い、この時代の辛さを体験しながら、よく今まで生きて来れたものだと、自分の運命に感謝しております。こうした感謝が自分の心の充実感につながり、自分を豊かにしてくれたことを実感しております。

 中国には一笑一若、一怒一老という諺があります。人は一度笑えばその分若返り、一度怒ればその分老けるということです。これを医学的に見ると、笑いにより、体内の新陳代謝(特にホルモン分泌)が高まり、免疫機構が活発になり、若返ると説明されます。

 又「笑う門には福来たる」という諺もあります。笑いは個人の健康に良いのみにとどまらず、人間関係に於いても大切です。笑顔は人に好感を与え、印象を良くします。笑顔は内面にひそむ好意、親愛、ゆとりなどの人間的な温かさによって、相手の心をときほぐします。こうしたことから笑顔に満ちた社会は明るく安定しております。皆様方も私達職員も、今年一年と言わず、これから先ずっと常に笑顔である様に心がけ、毎日を明るく心豊かに送れる様願って、新年の御挨拶と致します。(平成16年1月)

 

  目次に戻る


「不学無憂」への回答  中山康夫(南魚沼郡塩沢町:中山医院)※元編集委員

 正月も半分はレセプトの点検でついやされ、小正月も変な日に成人の日があるために特別の感慨もなく過ぎてしまいましたが、いかがおすごしですか。南魚ではインフルエンザが流行っておりますが、長岡ではそれほどでもないようですね。

 医師会事務局から毎月「ぽん・じゅ〜る」を送っていただいて、楽しく読ませていただいております。実は11月号が見あたらないと思っていたら、封筒に入ったままで他の書類と一緒になっているのを今日見つけました。先生の玉稿も一度は日を通した覚えはあるのですが、もう一度読み直して「不学無憂」について調べてみました。

 実はこれには後に続く文が必要です。

 先生の文は非常に良い文でおもしろくまとまっていますが、元になっている書そのものには欠陥があります。掛け軸としては仕方がないのでしょうが、ちょっと片手落ちです。

 と生意気なことを申しましたが、作者は作者なりの独特の意味を考えていたのかもしれません。ただ、しかるべく文章から引用したものとすると原文は曲げられてしまいます。

 「知らぬが仏」ということわざもありますのでその意味にもとれるのですが、私の父が生きて居れば「文章は正しく全部読まなければならない」と言うでしょう。

 原文は次のものです。

人而不学、雖無憂、如禽何

=人にして学ばざれば憂いなしといえども禽たるを如何せん (揚子 法言−学行)

 解

 人と生まれて学問を修めなければ、何の苦労もない、といっても、それは禽獣と同じで人間の価値はない。(小学館「ことわざ大辞典」)

 揚子−揚雄 前漠の儒者。字は子雲。蜀の成都の人。訥弁であったが、易に擬して「大玄経」を作り、論語に擬して「法言」を作り、また、「訓簒」「州箴」を擬作したので、模擬の雄と称せられた。ほかに「揚子方言」がある。「揚子法言」は十三巻からなる書で、論語にまねて、聖人を尊び、王道を唱え、天道と人道との関係を説いたものである。単に「法言」ともいう。(広辞苑)

 生薑未だ辣(らつ)を得ずは先生の解釈の通り、まだ辛みが少ない生薑のことで未熟な自分だと謙遜した文です。

 辛も辣も意味は「からい」 二つ合わせれば 辛辣

 辛は入れ墨をするための針の象形

 辣は偏が辛で、旁は束ねたものなので、辛よりも痛みは強いと思います。

 諸橋の漢和辞典によれば

 幸甚だしきを辣という ともあります。

 また 江南に辣と云い、中国に辛と云う との記載もあります。

 簡単にはどちらも同じく「からい」と解釈してよいようです。

 「生薑未だ辣を得ず」の原典はまだ見つけていません。

 中国には次ぎのようなことわざがあるそうです。

 姜還是老的辣 (ジャン ハイ シ ラオ ダ ラー)

 「やっぱり生姜は古い方が辛くて良いなあ」=年よりの話の方が奥深くてためになるなあ。という意味らしいです。

 

 附記   田崎義則(田崎医院)

 「ぽん・じゆ〜る」誌の昨年11月号に拙文を載せて頂きました際、皆様方に御教示をお願いいたしましたが1月末に塩沢の中山康夫先生から懇切丁寧な御教示を頂戴致しましたのでご報告申し上げます。お許しを得て全文を開示させて頂きます。文中「私の父」とありますのは私共が長岡高校で教えて頂きました国漠の中山禮治先生です。

 中山康夫先生大変有り難うございました。先生のお言葉を通して中山禮治先生の慈愛に満ちたお叱りとご講義を拝受しているかの如くでありました。

 それにしても全く私にマッチした四文字語句を発見し、今後はこれをモットーにと考えていましたのに、禽獣とあっては恥じ入るばかりです。

 

目次に戻る

新年囲碁大会優勝記  富所 隆(長岡中央綜合病院)

 去る1月31日に魚藤にて恒例の新年囲碁大会が開催されました。最近看護師への指示に "あれ" とか "それ" とか言う言葉が増えてきて、今年はもっと知的な生活をしなければと考えていた矢先に、囲碁大会を耳にして勇んで出席致しました。

 小生、囲碁は学生時代に同級生の有段者から手ほどきを受けルールくらいは知っていたのですが、本格的に始めたのは長岡中央病院に来てからでした。当時は、現在見附市民病院に移られた戸枝一明先生を始め、栃尾郷病院の小林和夫先生、当院の吉川明先生など内科の医師はほとんどが囲碁を嗜んでんでいました。昼休みは医局で毎日対戦が行われていました。対戦者の周りで見物する事も結構勉強になり、岡目八目とはよく言ったものだとこの頃その意味を納得したものでした。今から考えると、暇でゆとりのある生活だったと思います。今は、とても昼休みに囲碁をする気持ちにも成りませんし、そんな時間もありません。

 さて、当日出席者はちょうど10名で、幹事の太田三段が作ったあみだくじで、それぞれ対戟が始まりました。小生は以前中央病院の囲碁部で認定されていた二級で参加させてもらいました。太田三段の「ギャ〜また殺された〜!」などの悲鳴を聞きながら粛々と対戦は進められていきました。小生、一回戦は大山五段との六子局、二回戦は太田三段との四子局、三回戦は高須初段との二子局での対戦でした。囲碁は、技量が違っていても、このハンディキャップ制度のあることがゲームを楽しくしている要素だと思います。一回戦は六つも黒石があったのですが、一回ごとに味方の黒石が少なくなり、心細い思いをしながら対戦を進めていきました。久しぶりの囲碁だったので、筋も形も無かった事と思いますが、対戦者の計らいで何とか最後まで大量虐殺にも会わず打ち続ける事が出来ました。

 きっと、初参加に加えて、出席者の中で一番レベルの低い二級だったせいでしょう。皆さんから手心を加えていただき、辛か不幸かこの原稿用紙を受けとる羽目になってしまいました。表彰式では一番大きな賞品をもらって、晴れがましいような、恥ずかしいような複雑な心境でした。優勝記を書くのも初めての経験で、しばらく原稿用紙とにらめっこしておりました。

 大会終了後は懇親会でたらふくお酒を飲み、その後再び対戦場に戻り、杉本六段・斎藤六段に教えを請い、10時過ぎまでたっぷりと囲碁を楽しみ、散会致しました。その日は久しぶりに頭脳を刺激したせいか、なかなか寝付けない夜を過ごしましたが、翌日病棟ではやっぱり"あれ" とか "それ" とかで看護師には馬鹿にされてしまいました。医師会囲碁部の先生方、これからもよろしくお願い致します。

 

  目次に戻る


新年ボウリング大会優勝記〜怒濤のストライク10連発  窪田 久(窪田医院)

 1月19日、アルピコボウル長岡で長岡市医師会の新年ボウリング大会が15人の参加で行われました。私は昨年この大会で初優勝し、今年も連続優勝を目標に臨みました。大概気負い込むとうまく行くことはないのですが、今年最初の医師会のゲームは思いのほかうまくいき、前半にスプリットミスがあったものの後半6連続ストライクで237点の好スタート。他の選手を一歩リードしました。しかし、ここでまたついつい出てしまう私の悪いクセ。もう勝負がついてしまったような気分になり、集中力を失い、2ゲーム目の最初から連続のスペアミス。その後は気を引き締めて投球したつもりなのですが歯止めが利かず、ストライクが2個しかなく、スペアミスを4個もおかし、痛恨の149点となってしまいました。2ゲーム終了時点では、野村先生が安定したゲーム運びで首位にたち、私は2位に後退してしまいました。3ゲーム目は210点と私はまずまずの点数でしたが、茨木先生が絶好調で、前半からストライクの連発で凄い勢い。それを横目でみていた私は半ばハイゲームも優勝もあきらめ加減でした。しかし、茨木先生も緊張されたのか、第10フレームでスペアミスをしてしまったため、224点止まりとなり、私の1ゲーム目の237点が何とかハイゲームとして残りました。かりに優勝できなくてもハイゲームを取れる可能性が高くなったため、この時点でプレッシャーから解放されました。3ゲーム終了時、スクラッチで茨木先生が605点でトップ。私と野村先生が小差で追う形となりましたが、ハンディ差が茨木先生とは約40点、野村先生とは約70点あるため、相当な高得点を出さないと優勝はないと覚悟していました。4ゲーム目の第1フレームはストライクでしたが、第2フレームで2本が縦に並ぶ通称インザダークといういやな残りピンをスペアミスしてしまい、いよいよ私は一歩も引けない状況に追い込まれてしまいました。いつもならこういうときにはミスが続きやすいところですが、この日は何故か調子よくストライクが続き、ついに第10フレームの最後の投球まで怒涛のストライク10連発。セミパーフェクトの268点でハイゲームと逆転優勝を手にすることができました。

 2位にはマイボールを買ってから投球フォームが別人のようによくなった高野先生。3位に茨木先生、4位には野村先生とベテラン勢が続きました。普段の医師会の大会ではハンディ込みで850点がでれば大概優勝なのですが、今回は850点以上が4人というハイレベルな大会でした。

 今年やっとの思いで連続優勝できた私ですが、昨年はボウリングに関しては苦難の一年でした。「いかに強いボールを投げるか」だけが頭の中をしめていて、リリースの時に無理に早く手を振ってみたり、必要以上に手首の力でボールを回転させようとしたり、いろいろ試行錯誤していました。その結果は無理な投球フォームからくる故障、すなわちテニス肘でした。このために5月後半に2週間完全休養を余儀なくされ、8月末までは痛みのために力いっぱい投げられませんでした。9月の京都での全国医師ボウリング大会でも、思うように点数は上がらず、非力なお年寄りたちが私より高得点をだしているのをみて、ボウリングは力ではなく、自然で安定感のあるフォームから生まれる正確なコントロールが一番大切なのだと痛感させられました。全国大会以後私は、ボールの振り子運動をくるわせないように、無駄な力をいれないスイングを心がけ、体のバランスを崩さないためにアプローチをゆっくり歩くようにしています。また、ボールの方向性を高めるために軸足のすぐそばをボールが通るように、脇を開かないことを心がけています。そして力みのない投球をするために、息をはききったところで投球動作を開始するようにしています。とくに力まないための呼吸方法をつかんでからは調子がよくなり、アベレージをワンランクアップしました。

 今年の秋には地元新潟で医師の全国大会が行われますので、それまではできる限りボウリングに打ち込み、この大会に賭けてみようと思っています。皆さんご声援をお願い敦します。

 

  目次に戻る


新年麻雀大会優勝記〜麻雀のすすめ  春谷重孝(立川綜合病院)

 医師会新年麻雀大会には約15年以上前に3回参加した記憶がある。その頃は日曜朝10時から青木楼で行い、参加人数も多く、少くとも4卓は立っていたと思う。昼は皆んなで出前ラーメンを食べ、麻雀が終るとそのまま宴会場へ移動した。1回優勝し、何を書いたか忘れたが、「ぽん・じゆ〜る」に掲載していただいた。今回久しぶりに参加し優勝させていただいた。4回参加2勝で、昨年の勝率には負けたが、普段の阪神タイガースより数段に良いと自己満足している。

 麻雀との出合いは昭和35年新潟大学医学部進学課程に入学した時が初めてであった。バスケット部とラグビー部の春の合宿の時、先輩達が「ボン」「チィ」「ロン」等わけのわからない事を言いながら卓を囲んでいた。ただ後ろから見ているだけであった。大学に入ったはいいが進学課程では出席する授業がほとんどなかった。午前中まで寝ていて、午後からクラブの練習をする毎日であった。アフターファイブと言えばその頃はテレビもなく、もちろん車もなく、売春禁止法成立直後であり、つれこみ旅館(今で言うラブホ)もない時代であった。酒飲むか麻雀するかであった。金もなく毎日酒を飲むわけにもいかなかった。仲間の下宿で古本屋で買った本で麻雀の特訓が始まった。夏の合宿になるとどうにか先輩達の相手が出来るようになつた。ただし勝つと1000点10円もらえ、負けると5円でかんべんしてもらっていた。負けるとくやしくて一生懸命に勉強した。医進2年になってからはハンデもなくなり、時々先輩に勝ってほめられたり、おこられたりした。麻雀は仲間も増え、大学生括と深くかかわりあっていた。

 昭和42年長岡日赤、昭和43年長岡中央病院へ出張したが、その頃は昼休みや午後5時過ぎからさかんに麻雀をしていた。「芸は身を助ける」とかで臨時収入が多く、全部飲み屋へ献金していた。

 最近は麻雀人口も少なくなり、麻雀する機会もめったになくなったが、麻雀の楽しさは味わってみなければ

解らない。

 ここであらためて "麻雀のすすめ" を提言したい。

 

目次に戻る

越後の冬   岸 裕(岸内科・消化器医院)

 「越後の冬もこんなだといいね。」と暖かく気持ちの良い正月を迎えて喜んでいたのに…。一転して天気は冬型、連日の大雪にご近所は皆、雪かきに精をだしています。私もホースは同じ所しか消さないので仕方なくあっちの雪をこっちへ、という感じで動かしていると私の患者で90近いおじいちゃんがスノーダンプを押しています。

 偉いものだと感心しているとその日の午後「先生、おじいちゃんの様子がおかしいんですけど」との電話。急いで往診してみると心配した脳梗塞ではなく、午前中の疲れが出たようなのでゆっくり休んで様子を見てもらう事にしました。これも雪害の一つでしょうか?

 じいちゃん、あんまり張り切らないでね。たまに本格的に雪、降ったからといって。…昔は確かにこんなんが連日だった。老いも若きも雪かき、雪掘り、雪おろし。

 その結果、若者(当時の…即ち私ら)の腕は太く足も太く、そして短かくなった。…雪掘りに適するように。今の若者はちゃんと出来るんだろうか?

 でもまあせっかくの本格的な雪。それじゃあ久しぶりにスキーに行こうとインターネットでスキー場にアクセスしました。六日町ミナミのお得パック、リフト券+昼食券+入浴券+無料駐車券で4,500円。

 早速プリントアウトして学校スキー(志賀高原2泊3日)目前の長男と、10年ぶりにカービングスキーに買い換えた(足はボーゲンから上達していない)家内をさそって3人で行ってきました。

 午前中は楽しくあのリフトこのリフトと乗って滑り、少し荒れ模様となったところでスター高原ホテルと名前は立派なホテルのランチバイキング。

 184Cmと私の身長を超えた長男は旨いカレーとフリードリンクのおかわりを何回も席を立ってしていました。結構良さそうなお風呂だったのですが、この日は長男の都合で早く切り上げ、入浴は見合わせたのが残念。なんでも高校生ともなると生物部の研究発表のためのワープロ打ちの仕事があるのだとか。

 しかしホテルの窓から見ていると、スキー場も数年前と随分変わりました。もう長いスキー板は姿を消してカービングスキー、ファンスキー、ボードと色んなスタイルで皆さん楽しんでいます。ちなみに私はファンスキーです。お天気に恵まれ、転倒、骨折などという事もなく雪を楽しんだ一日となりました。

 帰り際にホテルのロビーで「八海山」を見つけて気分良く帰りました。これですよ、これ。「八海山」は東京の人でもその違いがわかるという。

 八海山を望みながらスキーを滑り、そのあと風呂で汗を流し「八海山」を飲む。うまい飯とおいしいせんべいと旨い酒。…みんな米からの産物だけど。

 そしてたっぷりの雪。やはり越後の冬はいいですね。なんて言ってると来年は本気で雪降ったりするとちと困るかも。

 あ、たしか3月7日には山古志で「日本一大きい大さいの神」の催しもあります。吹雪のなかでオレンジ色の焔と黄黒色の噴煙を巻き上げて崩れ落ちる超巨大わらつと。煙を避け位置を変えながらあま酒を飲む。

 どっとあがる歓声。走り廻る子供たち。2トンを超える牛たちのぶつかりあい。(闘牛の催しもあります)。

 なかなかいいですよ。ただしドライバーは酒飲まないように。帰り道のトンネルのあたりで警察が張っています。念のため。(終わり)

 

  目次に戻る