長岡市医師会たより No.293 2004.8

このページは、実際の会報紙面をOCRで読み込んで作成しています。 誤読み込みの見落としがあるかも知れませんが、ご了承ください。

もくじ
 表紙絵 「渓流(水無川)」  丸岡  稔(丸岡医院)
 「ひよどり」         一橋 一郎(一橋整形外科医院)
 「あゆの話」         岸   裕(岸内科・消化器科医院)

渓流(水無川)   丸岡 稔(丸岡医院)

ひよどり  一橋一郎(一橋整形外科医院)  

 6月初めのある朝、いつものように脇庭の鉢物台に並べてある草木鉢に水をやりながら、ふと手を止めて蔓無朝顔の育ち具合をボンヤリと見つめている時、ふいに背後に賑やかなピヨピヨという小鳥の雛か何かの啼き声が沸き起こった。振り向くと杏の樹の低い枝の茂みの奥に小振りの丼ほどの巣のようなものが枝の叉に造られていて、その中から二羽の雛が頚を長くして嘴を上向きに大きく開いて盛んに啼き立てているのが目に止まった。しゃがみこんでいたわたしは、思わず立ち上がった拍子に、足許に置いてあったプラ製の如雨露を蹴飛ばしてしまい、けたたましい音がして一瞬雛たちはかき消すように消えた、と、同時に小鳥にしてはやや大振りで嘴もしっかりした尾羽根の長い灰緑色の鳥が巣の在る枝の直ぐ上の茂みから飛び出して来た。
 ひよどりだ。わたしが此の鳥を知っていたのは、まだ雪の積もっていた3月の庭に此の鳥が二羽やって来て冬囲いのしてある椿の木の花の蕾を啄むのを幾度か見掛けたからで、
日本野鳥図鑑を見て、?“ひよどり”と判ったのであった。
 以来、食べ物の乏しいその季節の事とて、買い置いた林檎を切半して、その一片をひよどりのために庭木の尖った枝先に突き刺しておいてやると、回りの枝に停まったり、時にはホバリングして林檎の実を啄むようになり、あげくは食べ尽くした後に、わたしが追加してやらぬと、さながらおねだりをするように良く響くピーヨピーヨと啼きながら、あちこちの枝を渡り歩いて催促するものだから、つい可愛くなって何度も林檎やらバナナやらをあげたのである。
 話が横道に逸れてしまったが、跳び出してきたひよどりは、どうやら二羽の雛鳥たちの親で、虫でも捕らえて給餌に運んで来た処に、わたしが驚かせてしまったらしい。
 ひょっとして、3月に庭に来ていたひよどり二羽は番(つがい)で、わたしの庭に居着いて仔育てを始めたのではと、わたしは一人合点した。
 わたしは如雨露を拾い上げると足早に玄関にとって返し、サンダルを脱ぎ捨てると応接間に入った。実はこの部屋の東側の窓からは、丁度、先刻の雛の居る巣が垣間見れるのであって早速音を立てぬように刷子窓を僅かに開けて、上手く巣を観察出来るようにした。そこから巣までの空間距離は凡そ一間半あまりで、わたしは息を潜めてそっと巣を見守った。
 程無く、右方から黒い影が矢のように杏の茂りの中に飛び込んで来るや、巣から唐突に雛たちの頚の延び上りが現れ、盛んにピヨピヨと囀りまくった。黒い影は親鳥で、嘴に何か短い棒状のものを銜えており、停まっていた一段高い枝から、直ぐ巣の傍の枝まで飛び下りて来て、雛の一羽に銜えたものを与えた。一寸留まったものの、再び親鳥は飛び去って行った。新たな給餌の獲物を探しに行ったのであろう。本当に忙しそうな素振りであった。
 こうしてその日以来、わたしは趣味の良い覗きの虜になった。
 しかし3年余前から、開業当時の住居を引き沸って、元の住居に戻って来たわたしには、医院にマイカーで出勤する手間が増えた分、早起きしての愛犬の散歩や、鉢物への水遣りなど出勤前にやらねばならぬ事があり、次第に雛鳥の観察は間遠にならざるを得なかったのである。
 その上いつもわたし自身が行っていた庭木のアメシロ駆除の噴霧消毒も、小鳥達一家に有害だと考え中止した。これは後にアメシロの我が家の庭への蔓延となるのだが、その頃には知る由も無かった。
 間も無く6月も終わろうと言う最後の日曜日、淡曇りの日であったと思うが、午前10時頃、いやに戸外で烏の嗄れ声に混じって聞き慣れた良く透るピーヨピーヨのひよどりの啼き声が、更に何時になく頻繁に聞こえ、しかも唯事でない響きなので、サンダルを突っ掛けて戸外に出た。
 すると、三羽の嘴細烏共と二羽のひよどりが道向こうの電線にとまって対峠しているようである。と、いきなり烏一羽がフワリと舞い上がって我が家の玄関前の赤松の梢に向って飛びこんで来た。それを逃がさじど一羽のひよどりが追い縋って来た。残念ながらひよどりは雌雄同色で見分けがつかぬが、必死の形相を感じとったわたしが赤松の梢を見上げふと、何とひよどりの仔鳥と覚しき小鳥が天辺近い松の枝に二羽とまっているではないか。唯珍妙なのは二羽とも尾羽根が短く見え、近付いて来た烏に怯えてか蹌めくように羽撃いていた。さては烏共めは、巣立ったひよどりの仔鳥を獲物にしようとの魂胆らしい。親のひよどりは烏の前後左右、また上下を殆どからみ付くばかりに飛び交ってけたましく啼き叫び行方を阻もうとしている。さすがの烏も一寸ひるんで松の梢近くの電話の引き込み線にとまった。ひよどりもその三尺ほどの処に離れてとまったが、親の心仔知らずか、それとも恐怖の方が優ったか、二羽の仔鳥は羽撃きもたどたどしく飛び立ってしまい、一羽は我が家の南側に広がる畑地を跳び越えて先向こうの住宅の小屋根を目掛けて飛び去ったが、もう一羽はまだ先の一羽より成長が今一つなのか飛び立つというより滑空するように次第に高度を下げて、我が家の西隣の草の空き地をよたよたと横切るとその先の住宅の東側の短く突き出た一階の窓庇の上に飛び乗ったが、トタンぶきの表面に爪が立たず、滑り落ちて、下の草地で蹌めいた。それまで高見の見物をきめ込んでいた残り二羽の烏は、ここぞとばかりに飛び立つと一羽は先の仔鳥を追って一羽は後の仔鳥の方に向かって来た。
 一部終始を見ていたわたしは、咄嵯に身近に手助けできると判断し、西隣りの家に着地失敗してもがく仔鳥に向かって走り寄った。仔鳥は走り来る人間の様子にも怯え、あらん限りの力を振り絞って羽撃くと、辛くもわたしの差し延べた手を滑り抜けて我が家の西側の忍冬の茂みの上に蹌きながら跳んで行った。しかし密生した茂みに潜り込むのを拒まれ、踵を返して追いすがったわたしにとうとう捕まった。烏もひよどりも突然介入した人間に噛ぎしりしているように啼きわめいていた。
 わたしは嘴で噛みついてくるのも構わず、仔鳥を両の手掌で押し包むように抱いた。親鳥に似た灰緑色の羽毛に包まれたズングリムックリの、まだ尾羽板だけが短いこの仔鳥がこの間まであの脇庭の杏の茂みの巣に居た雛鳥だったのだろうと思うと感無量だった。手掌の中に抱いた仔鳥にホワーツと息を吹きかけた後、わたしは脇庭に回り、杏の樹の左隣に一際高く奪え立つ黒松の下枝の茂みの上にそっと仔鳥を留まらせた。一瞬茫然としたかに見えたが、ふと我に帰ったように仔鳥は振り向きもせず黒松の幹近い奥の松葉の群の中に飛び移って行った。
 獲物を取り損ねた烏共は遥か向こうの住宅の屋根に飛び去った。ひよどりの親鳥達は未だ玄関前のもう一本の大きな杏の梢に留まって例のピーヨピーヨの啼き声を辺りに響かせていたが、先に南の方の住宅に飛び去った仔鳥の消息は判らなかった。
 唯、7月中旬の大洪水騒ぎの後、我が家の裏庭の栖吉川西側土手際に聳えたつ大欅の天辺近くの葉の茂りの中で四羽のひよどり達が寄りつ離れつ啼き交していた姿を目撃したのがあの仔鳥を交えたお馴みのひよどり一家であろうと思っている。

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あゆの話  岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 いやいや、この夏の暑さには参りました。連日テレビでも「長岡は三十ン度……」などと体温より高い気温を知らせる放送が流れ、庭の木々も枯れる一歩手前。花壇とプランターの花は朝夕の水遣りで何とか花を咲かせ続けていじらしいばかり。
 うちに来る患者さんも「先生、私も枯れそうですて……」と夏バテを訴える方が多く、何人かは発熱を伴う重症の脱水症状の方もおられ、水分の必要性を改めて思う夏でした。
 それでもお盆を迎える頃になると猛暑も幾分やわらぎ、朝夕にはやっと爽やかな風を感じられ、有り難いことです。この涼やかな風に誘われると川口のやなが恋しくなるのです。
 我が家から車で20分程の川口の男山やな場は昭和初期に設置された日本で最も古いやな場。清流魚野川の川幅も広く水量も多い流れの速いさまと切り立つようなまわりの山々の景色はちょっと中国の山水画のよう。
 ここ十年以上地あゆがあがっているか必ず電話で確認してから行っているので、着くとすぐやな場の人は「地あゆ、かたちの良いところが上がってます」と声をかけてくれる。
 あゆは天ぶら、甘露煮などいろいろ料理法があるが、ここではなんと言っても塩焼きが一番。囲炉裏でじっくりと焼いた香ばしさと調理場から流れる煙、扇形にひらけて流れてくる魚野川の川面のきらめきと背はそれ程高くはないがせり出すようにのしかかる山々。彼の音。その場の人々のざわめきと笑い声。こういったものがみんなご馳走。
 川風に吹かれて雄大な川の流れを眺めていると“?東京ではこの味はあじわえない、魚沼ならでは……”と思ってしまう。
 去年までは大雨がふり川が荒れたその翌日、天気がよくなるとなんとなく期待したものだ。荒れたあとの方があゆは良く上がるし増水した川の流れも大迫力。
 しかし今年は7・13の大災害があったのでそんなことを期待しては申し訳ないような気もする。被災された方々には一日も早い復旧を、と願うばかりです。
 雪がたくさん降れば難儀だけど東京に比べれば台風の直撃する回数も少ないし風水害もあまりない、何となくそんなふうに感じていたように思うので、TVで“?地球温暖化で九州、四国などで見られた熱帯のスコールのような豪雨が近年次第に北上するようになったのではないか……”などと言われると何となく心配。
 と思って食べるあゆはきっとほろ苦い。この内臓のほろ苦さがあゆの場合にはよいのだけれど。
 ちなみにあゆの臓物にはビタミンAが多く含まれていてガン予防の効果大とのこと。塩焼きのあゆの尾を取って身をはしで押さえて頭をゆっくりと引くと、頭と一緒に椅麗に中骨が取れる。これは養殖のあゆではできない。
 愛犬レオが生きていた時はこの頭と骨と尾を持って帰ってやるとしっぼをちぎれんばかりに振ってよだれを垂れ流して喜んだのだが…。だから今でも皿の上に残っている頭を見ると思わず持って帰らねば、という気になる。
 うーん。すっかり恋しくなってしまった。「お母さん、地あゆコールするか。」「落ちあゆは9月に入って雨のあとじやないと。まだ駄目じゃないの?」
 仕方がない。今夜はおとなしく酒を飲んで寝ることとしよう。“越の一本〆”がある。山古志の酒。今年のは特に出来が良かったようだが。
 塩焼きにも良く合うんだけど。

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