長岡市医師会たより No.299 2005.2
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表紙絵 「越路橋辺り」 丸岡 稔(丸岡医院)
「地震、プレハブでの診療」 中島 滋(中島内科医院)
「新年ボウリング大会優勝記」 窪田 久(窪田医院)
「新年麻雀大会優勝記」 富所 隆(長岡中央綜合病院)
「新年囲碁大会優勝記」 斎藤 昌志(三条市医師会:さいとう小児科)
「長岡赤十字病院の登録医制度と施設の協同利用について」
武田 啓治(長岡赤十字病院)
「地震、地震、地震〜その4」 郡司 哲己(長岡中央綜合病院)
窪田 久(窪田医院)
1月17日、恒例の新年ボウリング大会が11人の参加者により、サウンドボウル見附で行われました。
30年以上にわたり、医師会のボウリング大会が毎月行われてきたアルピコ長岡が、昨年の震災の被害により閉鎖されたため、今年からは、奇数月はサウンドボウル見附で、偶数月は喜多町の遊ボウルで行うことに決まりました。
震災以前は、車で5分のアルピコ長岡で、連日汗びっしょりになるまで練習していましたが、震災後は川向こうの遊ボウル、サウンドボウル見附、アルピコ柏崎の3カ所で週3回程度練習しています。昨年と一昨年は連続優勝を飾った私ですが、今年はハンディキャップもゼロとなり、練習量も減ったため、今年の優勝は厳しいだろうと覚悟していました。
1ゲーム目226点、2ゲーム目は211点と予想外の好調な出だし、3ゲーム日は187点と小休止しましたが、最後の4ゲーム日は257点と爆発し、優勝とハイゲーム賞を頂くことができました。しかし、他の先生方のレーンでマシンの度重なるトラブルがあり、ゲームが順調に進まず、実力を出せなかった先生方には誠に申し訳なく思っています。また、アルピコ長岡ならこんなことにはならなかったのにと残念に思っていました。
アルピコ長岡は昨年10月23日の地震のために天井が破損し、スプリンクラーが作動したため、レーンが水浸しになり、大きなダメージを負いました。外からみたところ、大きな被害はなさそうでしたので、いずれ修復し、営業再開するだろうと思っていましたが、アルピコグループは今までの経営状況も考慮し、再建を断念しました。
実は地震の当日も私は午後5時40分ころまでアルピコ長岡でボウリングの練習をしていました。そして、ボウリング場をあとにして5分もたたないうち、家までの車中で、あの地震に見舞われました。あと1ゲーム練習していたら、天井から1トンもの水が巻き散らかされる悲惨な場面に遭遇するところでした。私は最後の最後までアルピコ長岡で投げていた数少ない客の一人なのです。
アルピコ長岡は、多くのボウリング愛好家の憩いの場でした。月に10回ほどあるセンター大会には毎回4、50人の参加者が集まり、会員数の多さでは県内有数のセンターでした。大会の時には参加している人たちだけでなく、後ろで応援したり、ボウリング談義に花を咲かせたりしている人たちも多く、スポーツの場としてだけでなく、社交の場として、会員の皆さんの生活に深く関わっていたと思います。
また、アプローチやレーンもよく整備されており、非常に投げやすく、点の出しやすいレーンでした。
子供の頃、父に連れられ、初めてボウリングを楽しんだのもこのボウリング場(当時は松電長岡中央ボウルの名称)。平成13年2月にマイボールを買って以来、本格的にスポーツボウリングを始めたのもこのボウリング場。そして多くの人たちから、たくさんの教えを受け、多いときには月間200ゲームも投球し、ボウリングの基礎ができたのもこのボウリング場でした。このボウリング場がなかったら、私のアフターファイブは全く違っていたことでしょう。
平成17年には、全日本ボウリング協会に加盟して、大きな大会にも参加し始めようかと意気込んでいたのですが、思い出探いこのボウリング場の閉鎖というショックな出来事で、少し弱気になっています。
できれば、私のボウリングに対する情熱が消えてしまわないうちに、アルピコ長岡のようなすばらしいボウリング場が長岡市に再建されることを心から期待しています。また、交通が不便になってしまいましたが、このようなときだからこそ、みんなで長岡メディカルボウリングクラブを盛り上げていきたいと思います。
※注)成績表の掲載はここでは省略しました。
斎藤昌志(三条市医師会:さいとう小児科)
大学入学から数えて三十年以上、飽くことなく続けてきた趣味が囲碁である。大学時代は囲碁部にも入ったが、盤外の酒の腕が上がるばかりで、肝心の棋力の方はさっばり伸びなかった。卒業後も、医業の傍らコツコツと努力を積み重ね、十年ほど前にようやく五段の免状を取得することができた。囲碁部出身としてはとりあえず一息つけた気がしたが、それからというもの、棋力は停滞気味である。
もうかれこれ十数年前から、長岡市医師会の先生たちに混じり、月に一度プロ棋士の指導を受けている。そんなご緑から、今回、長岡市医師会新年囲碁大会に誘われて出場することになった。
負け碁を逆転で拾うこと数局、斎藤古志先生との3戦全勝同士のプレーオフまで漕ぎつけ、そこでも運良く勝ちを収めることができた。少人数の大会とはいえ優勝できたことはとても嬉しかったが、後で優勝者には優勝旗ならぬ優勝記のノルマがあると聞かされ、喜びもつかの間、締め切りに追われて苦しむこととなった。
これがゴルフだと、プレーの一端を披露しながら同伴者へ上手に礼を述べ、次回に向けての決意を語って「優勝者の弁」とするところだが、囲碁の場合、ギャラリーに碁盤なしで説明するのは至難の技だし、同伴者はすなわち敗者であり、礼を言われても忸怩たるものがおありだろう。また、次回の参加も未定とあっては、さて何を書こうか、次の一手が見えてこない。
悩んだ揚げ句、小児科医には僭越ながら、囲碁と左脳・右脳の働きについて、思うところを書いてみることにした。
私ごときの考察だけでは説得力に欠けるので、ちょっと養老孟司先生の著書から知識を拝借する。報道ステーションの古館伊知郎氏との対談集「記憶がウソをつくー」余裕(扶桑社)
の中で、養老先生は次のようなこと
を仰っている。
人間の五感すなわち、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚は、その働きから二つのグループに分けることができる。視覚には文字で、聴覚には音声で、触覚には点字で、それぞれ言語化して情報伝達が可能であるが、味覚や嗅覚については、言葉での情
報伝達ができない。視覚・聴覚・触覚は、その情報が言語化できることからほとんどが大脳新皮質へ送られ、言語化できない味覚・嗅覚は、情報の半分が大脳新皮質、残りの半分が大脳辺縁系へ送られるのだという。大脳辺縁系は情動を司る古い脳で、この古い脳に働きかける情報は、時間の経過によって減衰しにくい、つまり長く記憶として残る。例として、「おふくろの味」とか「故郷の匂い」を挙げていた。
そこからさらに右脳と左脳の話に進む。人間の左脳はもっばら情報を言語に統合して処理するのに長けていて、右脳のほうは逆に、情報をその人力経路に従って、視覚は見たまま、聴覚は聞いたままというふうに、言語化のフィルターにかけることなく独立処理するようにできているのだそうだ。
そこで、囲碁との関連だが、棋力には覚え始めた年齢が大きく影響するといわれる。タイトルこそ手にしていないが、私たちが指導碁を教わっている中堅プロも、天賦の才能と不断の努力の結果、若くして棋士となった超エリートである。局後の手直しをして貰いながら私がいつも感心するのは、鋭い手筋やヨセの正確さもさることながら、勝負の行方を常に盤面全体で捉える大局観である。プロ棋士は、きっと我々よりも右脳がよく働いているに違いない。一目惚れという言葉がある。それと同様、プロのいう「ひとめ」も、まずは直感的な閃きが答を出し、理屈は後からついてくるものらしい。我々は、左脳でその理屈を納得できても、閃きのほうは、右脳が空回りして、「ヨク身ニツク」ところまでいかない。理屈の山は努力次第で越せるかもしれないが、直感的な閃きは、きっと、我々にとって「越すに越されぬ大井川」になっているのだろう。
武田啓治(長岡赤十字病院)
このたび当院は登録医制度と共同利用事業を3月1日から開始するにあたり、医師会の皆様に御案内を差し上げたばかりでございます。医師会会員の皆様に今まで以上に当院をご利用をいただきたく、「ぼん・じゅ〜る」の誌面をお借りして御説明申し上げます。
登録医制度は当院が作成した地域医療機関等連携推進要領に基づく登録制度です。当院に登録された方に当院の種々の施設を共同利用に提供し、地域の皆様のお役に立つようにしたいとの考えによるものです。登録医は医師と歯科医師が該当いたします。
施設の共同利用には4種類があります。病床、医療器械、会議室・講堂・図書室・視聴覚器械、研修研究会活動です。
病床は2床を提供いたします。共同診療主治医として入院カルテに記載し、患者様入院中はたびたび御来院いただき、当院主治医と診療を行い、主治医各々カルテヘ記載・サインを行います。御来院の際はまず2階の事務棟の病診連携室にお出で下さい。白衣・名札の用意、病棟までの御案内を行います。休日・時間外の場合は看護部(病診連携室並び)にお立ち寄り下さい。
当院の共同診療病床は医師法に定められた共同利用を目指すものであり、保険診療による解放型病床とは異なります。従いまして共同診療に御来院いただきましても、登録医はレセプト請求ができません。この点が開放型病床と一番違う点ですので御承知おき下さるようお願い申し上げます。
提供する病床が2床では少ないとの御意見もあろうかと思いますが、新潟市民病院も2床ですし、当院の入院待ち数や病床稼働率から考えますと、現状では2床が限度かと考えております。共同診療病床は緊急用ではございませんので、緊急入院を要するものは紹介状で受診させて下さるようお願いいたします。
医療器械の共同利用は御案内いたしました文書の共同利用の細則第3条に載せてあります10種類です。CT、MRI、シンチグラム、骨塩定量、内視鏡 (上部消化管)、心エコウ、ホルター心電図、聴性誘発反応検査、尿流量検査、網膜電位図・蛍光眼底撮影になります。これ以外のものでも御要望があれば病診連携室に連絡いただければ検討させていただきます。
検査項目は検査結果を読影するものに限らせていただきました。読影をしないで検査データをお渡しする方法も保険診療にございます。この場合、検査に係わる指示と患者様への説明を御依頼医にしていただくことになり、相互の手続きが甚だ面倒になることがわかりました。そのため読影するものに限らせていただきました。従って検査にかかった費用は初・再診料も含めて当院からレセプト請求いたしますので御了承下さい。
検査は検査のみで患者様の診療は行いません。診察も御希望の場合は紹介状で受診させて下さるようお願いいたします。医療器械の共同利用は検査の予約枠を使って行いますので、緊急例は共同利用の対象外となります。その場合は紹介状で受診させて下さるようお願い申し上げます。
会議室・講堂・図書室・視聴覚器械については、御利用したい時は病診連携室にお申し込みください。当院庶務課と日程調整や手続きをとっていただくことになります。御利用者全員が登録されている必要はございません。お一人でも登録されてる方がおられればその方の御名前で申し込んで下さい。当院の職員がおれば職員の名前で申し込んでいただければよろしいかと思います。
研修研究会活動は研修研究会活動の第2条に記載してありますように、利用対象者は全ての医療従事者になります。登録者・非登録者を問わず利用可能ということになります。オープンする会の時は御案内を差し上げますので、その時は職種を問わず自由に御参加いただければ幸に存じます。
最後になりますが、今まで以上に当院を開放して地域医療に貢献したい所存ですので、是非とも御登録いただきまして御利用下さるようお願い申し上げます。
「あーあ、みんな割れちゃった。」大きなため息が台所の片づけに取りかかった家人の口からもれました。ふたりで二十数年前に旅先で買った思い出のベネチアグラス。ロンドン本店で手にとり選んだウェッジウッドの茶器セット。なぜか函館でお土産にしたバカラのワイングラス。こんなものが倒れかけた食器棚からすべて投げ出され割れていました。日頃からふだん使いで出しやすい、結果的には落ちやすいところに収納してあったからでした。
「“形あるものはすべて滅ぶ”と昔から言うじやない。夕べの地震で命が無事だっただけよかったさ。この家もさしあたりはつぶれなかったんだし。」と慰めるわたし。
「危ないから、まずこの割れた食器、お皿の類だけ片づけてしまおうよ。」
力なく返事した家人。その後山ほどの割れ物をちり取りですくっては段ボールの箱に投げ込み、片づけながらだんだん気持の整理ができたようです。地震翌日の家の中はどこもかしこもめちゃくちゃ。片づけは最低限にしてミニ水害の居間と台所の割れ物だけでやめました。帰途の車中で家人がぽつりと言いました。
「割れたカップやお皿の残骸を思い切り捨てたら、気分がさっぱりしたわ。もうわたしなんにもモノなんか欲しくないわ。」
突然に物欲から解脱して、ある種悟りの境地に達したようでもありました。はてさて…。
以前友達の家族が遊びに来たときでした。幼稚園児のかおりちゃんがあちこちにいる「室内柴犬」の親子三匹に目を丸くしてカタマリながら言った言葉。
「かおり、ワンちゃんなんかこわくないもん。」…なるほどこわいんだね、ほんとは
「ティーセットやグラスなんかもう欲しくないわ。」…ふーん、ほんと?
避難先のW家は被害が少なく、お風呂、暖房、暖かい食事あり。テレビ報道のいわゆる避難所生活に比べれば天国でした。わたしも勤務先より夕方は定刻に帰らせてもらい、余震が頻発するなか、なるべく家人のそばにいるようにしました。
避難生活では買い物、食器洗い、ゴミ出し等の家事の手伝いをしました。地震に備えジャージー姿で勤務病院そばのスーパーH福住店に立ち寄ると、患者さんのご家族によくあいさつされました。被災数日後に初めて行ったこのお店。食料品が豊富で、被災環境とはまるで別世界なので驚きました。思わず興奮して、おさしみやお肉などあれこれ買って帰りました。その日の食卓ではW家の長男は「おじさん、ウチでは地震のおかげで、これは日頃よりずっとリッチな夕食だよ。」と赤ワインを飲みながらにっこりしました。
柴犬“ゆめ”は十二歳でヒトにすればすでに初老。地震後は家の中に入ることが怖いらしくていやがりました。やむなくW家では庭先に駐車した家人の車の中で、毛布にくるまり日がな暮らしておりました。二週間ほどでやっとわれわれと一緒に部屋の中で眠るようになりました。
犬の散歩は朝夕の必須事項。ついでに避難先のW家の飼い犬シェルティ二匹の散歩も引き受けました。そこの雌犬は恐がりで人に吠えつく犬でしたが、毎日いっしょに散歩しているうちになついてくれました。“ゆめ”とは相性が悪く、別々に二回の計一時間の早朝散歩。広大な刈田や東山の日の出を眺め、雨ニモ負ケズ風こモマケズ地震ニモマケズ、わたくしは散歩したのであります。(その5に続きます。)