長岡市医師会たより No.305 2005.8

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もくじ

 表紙絵 「縄文復活(II)」 福居 憲和(福居皮フ科医院)
 「笛田孝雄先生の死を悼む」 八百枝 浩(眼科八百枝医院)
 「長岡赤十字病院における卒後臨床研修プログラム」 小池 正(長岡赤十字病院)
 「当院の地域医療研修」 富所 隆(長岡中央綜合病院)
 「新しい臨床研修制度の中の地域医療」 坂爪 香(長岡中央綜合病院研修医)
 「立川綜合病院における臨床研修プログラム」 岡部 正明(立川綜合病院)
 「診療所研修、いよいよ始まる」 土田 桂蔵(土田内科循環器科クリニック)
 「第4回長岡肺癌研究会を終えて」 富樫 賢一(長岡赤十字病院)
 「名器に触れるピアノ演奏会」 小林眞紀子(小林真紀子レディース・クリニック)
 「田村康二著“震度7を生き抜く”を読んで」 広田 雅行(長岡赤十字病院)
 「We Will Rock You〜未来は僕らの掌の中」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)



縄文復活(II)   福居憲和(福居皮フ医院)

 想いのエネルギーは、自由に形を持ち「叶う、叶う」と羽ばたいていきます。奉仕は心を鈍化し、人生の山坂はなんでもできる力をさずけてくれるのです。


笛田孝雄先生の死を悼む  八百枝浩(眼科八百枝医院) 

 笛田孝雄先生は昭和31年新潟大学医学部を卒業され、昭和32年同大眼科教室に入局された。
 昭和36年「網膜出血に対する抗血液凝固剤療法」に関する研究にて医学博士号を取得されたが、医局時代は恩師三国政吉教授に大変かわいがられた。もっとも明るい性格でいらっしやつたことによる。
 昭和37年6月から39年3月まで長岡中央病院の眼科医長を務められ、昭和39年4月に御尊父の眼科医院を承継され、開業された。
 笛田先生について語るとき、最も輝かしいことは、この開業時代に活躍された医師会活動であろう。市、県の医師会役員を長く続けられ、我々会員のために多くの功績を築き上げられた。
 私の思い出としては、実に多くのものがあるけれど、いつも長岡で飲ませていただいた御礼に私が新潟に招待したときのことである。数カ所飲みまわり、生来の美声を聞かせていただいた。そして新潟駅までお見送りしたまではよかったのに、先生は直後から眠り始め、長岡を通りすぎ上野駅まで行かれたのであった。
 今度はどうか安らかに心ゆくまでお眠り下さい。そしていつかまた「おい八百ちゃん」と声をかけて下さい。
 現在自明堂眼科はご子息、孝明先生が継承されておられます。

追記

医師会役員歴
昭和47年4月〜昭和57年3月 長岡市医師会理事
昭和49年4月〜平成4年3月 新潟県医師会理事
昭和48年4月〜平成2年3月 国保審査委員
昭和55年4月〜平成4年3月 新潟県医師国保組合理事

 これらのうちとりわけ県医師会理事という役職は極めて大変なもので、家業を犠牲にしなければならないほどのものであります。またその他、県眼科医師会関係の役員も多数長期にわたり務められたが、ここでは省略します。

表彰歴
昭和63年10月 全国労働衛生週間労働大臣表彰
昭和63年度 長岡市表彰(学校医25年)
平成4年度 長岡市医師会功鮨刀会員
同年 新潟県医師会功労会員

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長岡赤十字病院における卒後臨床研修プログラム

小池 正(長岡赤十字病院) 

「臨床研修は、医師が、医師としての人格を涵養し、将来専門とする分野にかかわらず、医学及び医療の果たすべき社会的役割を認識しつつ、一般的な診療において頻繁に関わる負傷又は疾病に適切に対応できるよう、基本的な診療能力(態度・技能・知識)を身に付けることができるものでなくてはならない」

 これは厚生労働省が掲げた新しい臨床研修制度の基本理念です。そして、具体的に、内科、外科及び救急部門(麻酔科を含む)、小児科、産婦人科、精神科及び地域保健・医療については、必ず研修を行うこととしました。そして、原則として、1年目は、内科、外科及び救急部門において研修すること、地域保健・医療については、少なくとも1ケ月以上の期間、へき地・離島診療所、中小病院・診療所、保健所、介護老人保健施設、社会福祉施設、赤十字社血液センター、各種検診・健診の実施施設等(臨床研修協力施設)のうち、適宜選択して研修することとしています。
 長岡赤十字病院においても管理型の研修施設として研修医を受け入れています。図1・2は当院での平成18年度の研修プログラムです。8人を予定しています。内科はcommon diseaseを中心に、すべての専門分野にわたって、6ケ月間研修します。
 外科の研修期間は4ケ月間です。一般外科2ケ月は必須とし、整形外科・脳外科は1ケ月以上の選択としています。救急は救命救急センターで2ケ月間研修します。半数は内科から、半数は外科・救急から研修を開始します。2年目は小児科2ケ月、産婦人科2ケ月、精神科1ケ月(研修協力施設を田宮病院、長岡保養園にお願いしています)、そして地域保健・医療を1ケ月間研修します。
 地域保健・医療研修の協力施設としては、平成16年度は長岡保健所と県赤十字血液センターのみでしたが、基幹災害拠点病院として水害や地震の被災者の救護や巡回診療を経験してもらいました(図3)。平成17年度以降は長岡市医師会所属の先生方のもとで診療所研修も予定しています。何卒よろしくお願いします。
 新臨床研修制度は始まったばかりで不備や問題点も多々指摘されています。今後、医師会の先生方のご意見も参考に、冒頭に掲げた理念に適ったよりよい研修プログラムを作っていきたいと考えています。

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当院の地域医療研修  富所 隆(長岡中央綜合病院)

 当院では、研修2年日に6週間の期間で地域医療研修を組み入れた(図1)。その内訳は保健所・栃尾郷病院・そして診療所研修をそれぞれ2週間とした(図2)。当院が地域医療の研修内容に診療所の研修を組み入れたのは、臨床において、特にプライマリ・ケアの実践において診療所と病院は車の両輪であるとの認識で、この研修無くして病診連携の理解は不十分だろうと考えてのことである。
 幸い長岡市医師会理事会にて快く了解していただき、平成16年3月、全医師会員に研修施設をお願いしたところ、19の診療所の先生方から承諾のご返事をいただいた。当初、何を教えればよいのか、どのように指導すればよいのかなどのご質問をいただいたが、ありのままの診療を見せていただけば、研修医が自ら何かを学びますのでと無理を聞いていただいた。
 この春、2名の研修医が7カ所の診療所におじゃまさせていただいた。3日間という短い期間ではあったが、診療所の先生やコ・メディカルの方々には大きな負担をかけたようで、感謝の気持ちに耐えない。
 この診療所の研修では、診療所の医師だけでなく、コ・メディカルの方からも研修医の評価をしていただいた。そして、研修医にも診療所での研修内容を評価してもららた。後日それぞれの評価をフィードバックする機会を設ける予定であるが、研修医も病院では経験できない発見をし、診療所の先生方からも新しい刺激になったと喜んでいただけたことは、大きな収穫だったと思っている。
 診療所での研修のみならず、開放型病床での対応、病状報告や退院時の返書など今後もいろんなところで医師会の方々のお世話になる事が多いと思う。病院で医師を育てるだけでなく、地域で医師を育てるという姿勢でこの研修がよりよく発展していくことを強く願って止まない。

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新しい臨床研修制度の中の地域医療

坂爪 香(長岡中央綜合病院研修医)

 「自分達が研修した頃と違って、医師になってからいろいろな科を見られるのは良い」、「そんな短期間で回っても身につかないし、意味がないから、きっとすぐにこの制度はなくなる」などと、諸先輩先生方からはいろいろな意見が聞かれ、新しい臨床研修制度、いわゆる「スーパーローテーション」が始まりました。その一期生として、私は昨年の春から長岡中央綜合病院で研修をさせて頂いています。昨年一年間は、内科7ケ月、外科4ケ月の研修をし、今年春から精神科6週間、地域医療6週間を研修してきました。この後は小児科6週間、産婦人科6週間、選択6ケ月(2科を3ケ月ずつ)を研修する予定となっています。実際に研修してみると、まだまだ始まったばかりで改善して良くなるだろうと思う所はいくつかありますが、私にとってはとても有意義で、充実した研修をさせて頂いています。
 「地域医療」、という研修は、各研修病院によって内容が異なります。長岡中央綜合病院では、保健所と栃尾郷病院、診療所のそれぞれで2週間ずつ研修します。現在のところ、長岡の研修病院で診療所研修をしているのは当病院だけです。私は診療所研修の2週間を、土田内科循環器科クリニックで1週間、小林真紀子レディース・クリニックで3日間、中島内科医院で2日間研修させて頂きました。それぞれの診療所での研修は、主に先生の横で診察を見せて頂き、検査などを一緒にさせて頂いたり、学校検診や往診、勉強会などにも参加させて頂きました。今までの研修で自分がしてきた医療を見直す良い機会となりました。たった2週間で何ができるのだろうか、と思っていましたが、病院にいては研修できないこと、技術的なことよりも大きくて、大切なことを学びました。
 それまで病院では、心配であればすぐに検査ができ、すぐに結果を知ることができました。しかし、診療所ではすぐに検査できないもの、検査しても結果がすぐには出ないものが多く、検査に頼らずに身体所見、自分の経験から推測しなければなりません。そして、診断が確定に至らなくても、急を要すると分かればすぐに病院に紹介する。その中で、身体所見の重要さはもちろんですが、病診連携の連絡のやり取りの大切さを知りました。診断が半分で紹介し、果たして自分の診断は合っていたのか、入院することになつただろうか、それとも大したことはなく入院までは必要なかっただろうかと心配になります。とりあえずにしても、病院からの返事がこれ程待ち遠しいものと、初めて分かりました。今まで遅れがちだった紹介のお返事を、これからはすぐに返信しようと思います。また、診察室に入って来る患者さんが、皆さん笑顔であったことがとても印象的でした。「この方は○○さんのお嫁さん」、「お孫さん」、と家族ぐるみのお付き合いで、患者さんの家族や生活環境、今おかれている状況を把握してそれらを含めた医療をされていました。もちろん先生方それぞれに全く違う医療でしたが、患者さんのことを思っていろいろと工夫されているという点では同じで、患者さんの目線で試行錯誤を重ねられた医療を見て、勉強になることはとても多かったです。急性期の苦痛を治すことも重要な医療ですが、病院を退院した後の患者さんの本当の生活を基本とした医療もまた大切であることを、直接目で見て感じました。
 言葉では上手く表し切れない部分もありますが、診療所研修を終えて、実になるものが何かあったような気がします。お世話になりました諸先生方、スタッフの方々、重みのある研修をさせて頂き、どうもありがとうございました。

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立川綜合病院における臨床研修プログラム〜特に地域医療に関して

岡部正明(立川綜合病院)

 立川綜合病院では平成9年度より厚生労働省の臨床研修病院を取得し定員4名でスーパーローテート研修を行ってきた。平成16年度より2年間の臨床研修が義務化されたことから定員を8名に増やした。大学病院以外での臨床研修を望む声は多く、その希望に答えるとともに、県外からも一人でも多くの医師に新潟県に来ていただきたいという考えからである。
 研修理念として、「いかなる医療も総合的・全人的基盤に立脚していることが必須であることから、日常診療で頻繁に遭遇する病気や病態に対応できるようプライマリケアの基本的な診療能力(態度、技能、知識)を身につけるとともに、保健・予防・福祉も含めた総合的視野を養う」を掲げた。
 研修プログラムは、管理型研修病院の立川綜合病院を中心として、精神科研修をおこなう柏崎厚生病院と、地域保健医療研修をおこなう悠遊健康村病院を協力型病院とした、主に医療法人立川メディカルセンター内で集結するプログラムである。加えて長岡市救急車乗務研修が地域保健医療研修の中に組み入れている他、医師会から依頼される業務への参加もプログラムの中に明記している。ただし医師会への研修医の入会は義務化していない。
 研修開始数日間は、以下の内容のガイダンスが行われる。
 研修医心得、研修ノートの書き方、立川メディカルセンターについて、診療録の書き方、保険診療にあたって、病歴管理について、検査オーダーの仕方、処方の仕方、救急室業務について、看護業務について、安全管理委員会から、感染症管理委員会から、防災マニュアル、臨床検討会の案内、図書・文献検索の仕方、経理事務上の注意点、放射線科より、病理・剖検について、病診連携について、など。
 このプログラム中の各部門は主に立川綜合病院の病棟単位で構成されている。基本的には担当医として患者さんを受け持つ。立川綜合病院のプログラムに特徴的な点は、まずは循環器救急件数が多いことから循環器科研修を救急部門としている点である。この中で腎臓内科も同時に研修し、麻酔科手術室での気管内挿管研修2週間も組み入れられる点である。次に、脳神経部門と称して、神経内科と脳神経外科を同時に回る必須プログラムも独特である。さらに外科部門の中には一般外科の他、整形外科、胸部外科も組み入れられている点である。

【必須】
内科 6ケ月
 呼吸器・内分泌内科 3ケ月
 消化器内科 3ケ月
外科 6ケ月
 一般外科・泌尿器科 2ケ月
 整形外科 2ケ月
 胸部外科 2ケ月
救急部門 3ケ月
 循環器科・腎臓内科・麻酔科
精神科 1ケ月
産婦人科 1.5ケ月
小児科 1.5ケ月
地域保健医療 1ケ月
脳神経部門 2ケ月
【選択】
 放射線科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科形成外科、腎臓内科単独、麻酔科単独、検査病理

 以上であるが、研修医の希望によっては厚生労働省の定める範囲内でローテーション期間を調整している。部門を横断するプログラムとして月1回の臨床談話会、臨床病理検討会(CPC)、救急診療検討会(ACLS講習も含む)、研修医ジャーナルクラブ、レントゲン勉強会に出席が義務付けられている。
 救急外来当直は1年次は上級医に付いて月2回以上は経験しレポートを作成することになっている。2年次は経験約20年以上の指導医とともに内科系当直医として組み込まれファーストタッチを行う。
 地域保健医療を担当する悠遊健康村での研修は3週間であるが、1週目は悠遊健康村病院で老年医学として老年症候群・加齢と疾患高齢者栄養管理・高齢者薬物管理などを学ぶ。
 2週目はリハビリテーション施設にて計画作成からその実践までを学
ぶ。
 3過目は老人保健施設を経験し福祉・介護に参入する。悠遊苑中心に研修し、訪問着護の実際を学び、介護保険意見書作成方法を習得する。
 なお、柏崎厚生病院でも同様な地域に根ざした精神科診療が体験できる。
 地域保健医療の中身はプログラム間で相当の違いがあると考えられる。
 当院では診療所の先生方には研修指導はお願いしていないが、医師会の要望や研修医の希望に応じて今後中身の変更や追加も考えている。
 フレッシュな研修医の先生が大勢医局にいることは、指導という仕事が増える反面、これを十分補うだけの刺激を病院スタッフに与えていることは確かで、病院全体の活性化剤となっていることを感じている。

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診療所研修、いよいよ始まる

土田桂蔵(土田内科循環器科クリニック)

 開業して10年が経過して、病院勤務の時のように多くの先生に(若い先生方にも)接することが少なくなり、当然たった一人での外来が毎日続いていたところへ、診療所研修のお話があって、「面白いかもしれない」と、すぐにお引き受けしました。
 期間については、病院での大変忙しい1年目研修の後なので、研修医の先生には少しのんびりして、ゆっくりと診療所を見て頂きたいと思って、一週間に決めました。
 半日ずつのいろいろのカリキュラム(看護婦さんの仕事、受付事務の仕事、調剤薬局など)を考えてみましたが、結局1週間ずっと私と一緒に過ごして頂くことに決めました。
 学問的なことに関しては、病院での1年目研修で、各専門の先生方の熱心な教育を受けておられるので、診療所においては、病院では忙しくてじっくり出来なかったかもしれない「ゆったりとした患者との対話」を見てもらうのもよいかも知れないと考えました。30年前の自分自身の中央綜合病院での研修医時代を振り返って、当時感激して、今も大きく影響を受けていることは何かと考えてみたら、亀山宏平先生を始め先輩の先生方の、患者に対して心を通わせて親身になって診察されている姿でした。
 5月23日(月)午前8時に当院での研修が始まって、28日(土)の午後1時に1週間の研修が終了しました。最初は長いかもしれないと思った1週間も、あっという間に過ぎ、私を始めスタッフ全員が「もう1週間研修を延長して欲しい」と思ったほどの「楽しい1週間」でした。
 私の外来診察時は隣に座って、一人一人いろいろな性格の、いろいろな症状の患者さんに、悪戦苦闘している私の姿をありのまま見てもらいました。血圧測定、レントゲン撮影、病院への紹介状などもお願いして助かりました。他に、私が校医をしている小学校の春の検診や寝たきりの患者さんの往診も手伝ってもらいました。外来の患者さんにも、検診の小学一年生にも、往診のお年寄りにも好評で、みんな私一人の時より喜んで楽しそうでした(もちろん、スタッフのみんなも)。
 昼食は、(いつもの私と同じように)スタッフと同じ弁当を、みんなと一緒に食べてもらいました。日常診療の後、夜間の検討会や講演会にも一緒に参加してもらいました。
 とにかく開業医の一週間を、一緒に体験して頂きました。ゆっくり診療所生活を体験し、のんびりできたのでは、と思っています。(そう思っているのは私だけで、研修医の坂爪香先生にとっては、結構大変で忙しい診療所研修だったかも知れません……。)
 最後に、私および当院スタッフにとって、いろいろな意味で有意義で楽しいひとときを過ごさせて頂き、清水武昭先生、富所隆先生を始め「臨床研修医診療所研修」を立案し実現に奔走された先生方に、心から感謝致します。そして、診療所研修を含め、市内の三病院の臨床研修制度が益々よりよいものになることを祈ってやみません。

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第4回長岡肺癌研究会を終えて  富樫賢一(長岡赤十字病院)

 7月22日(金)、長岡グランドホテルにおきまして、新潟大学大学院医歯学総合研究科呼吸循環外科学分野の林純一教授の座長のもと、杏林大学医学部外科学教授の呉屋朝幸教授に、「肺癌治療の最新の話題」というテーマで御講演いただきました。呉屋教授は、日本を代表する肺癌外科治療の権威であります。講演内容は、やはり肺癌の外科治療に関するものではありましたが、分かりやすくお話いただきましたので、内科の先生方にもご理解いただけたのではないかと思っております。
 講演テーマの一点目は、肺癌手術のアプローチとして、胸腔鏡は開胸よりも優れているかということでした。呉屋教授の結論は、総合的に見て、現時点では明らかに優れているとは言えないというものでした。私も呉屋教授のご意見に全く賛成です。しかし、胸腔鏡の優れている点は、創が小さいという点で、この点に閲しましては異論をはさむ余地はありません。現在、気胸手術はほとんどが胸腔鏡手術となっております。気胸に対する胸腔鏡手術は開胸に比較し、わずかに再発率が高いという欠点がありますが、創が小さく入院期間が短いという利点が、その欠点を上回って余りあると考えられているからだと思われます。気胸では、再発率が高くてもそう問題にはなりませんが、肺癌ですとそういう訳にはまいりません。そこが問題なのです。
 私は30年問外科医として一線で働いてまいりましたが、以前に比べますと、どんな手術でも低侵襲かつ安全になっていると実感しております。開胸手術もまさにその通りでありまして、傷もずっと小さく成っておりますし、合併症も非常に少なくなっております。胸腔鏡手術は、開胸手術に比べますと、まだまだ新しい手術手技です。これから、ますます機器や技術の改善が進むと思われますし、それらに習熟した外科医が増えるものと期待されます。従って、現在はどうあれ、将来的には肺癌手術は気胸同様、ほとんどが胸腔鏡手術になると予測されます。何故なら患者は、治り具合がおなじなら、より小さい創を喜ぶからであります。
 講演テーマの二点目は、病期分類の問題点ということでした。病期分類には臨床病期と病理病期とがありますが、現在の診断技術には限界があり、両者は必ずしも一致いたしません。しかし、重要な点は、現在完全とはいえないまでも、病期分類が肺癌患者の予後を非常によく反映するという点です。日本国内どこであっても、また世界中どの国であっても、I期はII期より、II期はIII期より予後が良いといったように、普遍性があります。診断した時点での病期は、その時点での進行度を示しているとともに、癌自体の悪性度、すなわち今後の進行具合も示していると思われます。
 さて、会員皆様のお陰をもちまして、長岡肺癌研究会も4回目を無事終了いたしました。当研究会は、医師および医療技術者を対象に、年1
回の研究発表(1月)と、年1回の招請講演(7月)を開催してまいりました。しかし、呉屋先生もおっしゃっていましたように、現在のところ、肺癌患者の8割以上は診断が確定した時点で治癒が望めない状況です。従って、肺癌死を減少させるためには、予防と健診の徹底が欠かせません。その点では、治療に携わる医師や医療技術者の研鑽向上のみでは足らず、一般の方々への啓蒙こそが最も大切と思われます。今後は、そのような活動も考えておりますので、会員各位におきましては、ますますのご支援をお願いいたします。

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名器に触れるピアノ演奏会

小林眞紀子(小林真紀子レディース・クリニック)

 今年の7月31日(日)、小出郷文化会館大ホールで、「名器に触れるピアノ演奏会」と名付けたコンサートが開催されました。幹事は、片貝医院、根本忠先生、聡子先生御夫妻。演奏者は中越および中越近郷の医師、その御家族の方々です。
 長岡市には、女性医師の有志で作っている「JOYの会」という楽しい会があります。そもそも今回の企画は、その「JOYの会」で、聡子先生と私が何気無くピアノの話をしたことから始まりました。「あの小出郷文化会館で、スタインウェイを奏でてみたいね!! きっと最高の気分でしょうね!!」。軽い気持で話したこの事がまさか現実になろうとは、その時には想像もしておりませんでした。小出郷文化会館の立上げから尽力されたという、小千谷市魚沼市川口町医師会長 庭山昌明先生のお力添えもあり、実現できるということになったという連絡をいただいた時には耳を疑ってしまいました。
 ピアニストのようにうまくなくたっていい、本物の持つ響きと魅力を体験できるまたとはないチャンス、個人では絶対にできない企画、そう考えて参加いたしましたが、私を除く殆どの演奏者の方々がプロ顔負けの腕前!! 何だか発起人のひとりである自分が恥ずかしくなつてしまいましたが、本番に演奏を間違えたにもかかわらず終了後最高に幸福だったのは、やはり名器に触れたからでしょうか?
 これからも回数を重ねていきたいと思っておりますので是非多数の先生方、御家族の方々にも参加していただきたいと思っております。ただ今回残念だったのは、私と同様に今、ピアノに夢中でいられる田村隆美先生が、電子カルテに変えられたことによる腱鞘炎のため参加されなかったことです。次回に期待いたしております。最後に、当日のプログラムを御紹介いたします。

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貴方の地震対策は?〜田村康二著
“「震度7」を生き抜く”を読んで

広田雅行(長岡赤十字病院)

 中越地震後半年以上が過ぎ、喉元を熱さが過ぎ去った感も有るが、一説には未だ長岡の信濃川に関わる断層を震源とする地震のリスクは去って居ないと言う事も言われている現在、備え有れば憂い無し、如何に備え、如何に動くか、又、動いたかを確認しつつ検証して置く事は大事だと思い、この本を手にしました。
 先ず私がそうかと思ったのは、被災直後にホテルの予約を考え、実際にホテルヘ避難すると言う判断である。クールなセレブは流石である。一部には批判も有ったかに書かれてはいたが、過日の福岡沖地震では福岡市がホテルや旅館の利用を被災者に呼びかけた所、延べ約千二百名が利用した事、東京都や静岡県でもホテルや旅館との利用協定が結ばれつつ有ると言う事等が朝日新聞でも報じられており、耐震、免震構造の宿泊施設の安全性と、予約の解約が必死の被災地周辺のホテル等への支援としても有用との指摘も有る。ましてやチェーン店舗へのサポートの速さは想像に難くない。今後を見守りたい。
 著者は心構えとして、「地震は起きるもの」と言う認識を実感している事が大事と説き、「自分だけは大丈夫」と言う「偏見」が危機回避に対する大きな障害因子と成るとしている。又、本文の中では行政の対策への批判も辛口では有るが、これもやはり自らを如何守るのかは、自分に懸かると言う姿勢の裏返しでも有ろうか? このように一見自分にも厳しい「自己責任」の重要性を指摘する強い立場を見せながらも、「心のケアの重要性」、「弱音を吐き」、「声を掛け」、「話を聞く」事の重要性を説きつつ、災害弱者(痴呆性高齢者、心的、身体的障害者)やペットにも向けるその瞳は優しい。
 被災後の初めの48時間を如何に耐え抜くかが重要であるとする著者は、如何にして不自由な食事で健康を守るか、エコノミークラス症候群と成らない為には如何すれば良いか、等々を述べている。その中で筆者が驚かされた事は、恩師である著者を学生の頃に受けた講義から「循環器内科」の専門医とのみ理解していたが、師は既にそれを超越し「時間医学」専門医と成っておられた。浅学にしてその何たるかを良く知らず、誠に恥じ入る次第ですが、これは恐らく「心臓のリズム」とも関連しての発展であろうかと……、ま、それはともかく、その専門的立場から、被災により起きる「生涯引きずるストレス」からの脱却には十分な睡眠をとり、「心のケア」を十分に行う事が大事であると説き、眠れない時の睡眠法を具体的に示している。ちなみにその内の一つとして、右側臥位が良いとし、その理由も示されているが、成る程と思われ、こういった事は色々な人に有用ではと思ってしまう。
 又、著者は「普通の生活」を「心と身体の調和の取れた暮らしを与えられた自然の中でする事」と捉え、生体リズムを取り戻すポイントを具体的に示す。この本は「心こそ最大の財産」とする著者が自らの持てる知識と、経験を以って、どの様にその財産を守るかを説く「生き残りの術の知恵と心」の凝縮であろうか。
 尚、実際の震災対策としての便利グッズの紹介も有り(細かくて有用)、興味深い物が多い。「防災グッズ」に目の無い方、必見ですぞ。
 自分を守る事は他人を守る事に通じます。先ず、各自の意識の覚醒とノウハウの確認は自分だけでなく自分の愛する者全てを守る武器に成るのではないでしょうか?

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We Will Rock You 〜未来は僕らの掌の中

岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 英国のミュージカル“We Will Rock You”
 家族で観に行く事に。夏の日曜、昼頃新宿に着き軽く昼食。
 ちょっと腹がふくれたところでコマまで歩く。歌舞伎町。裏通りを抜けていこう。それにしても暑い。太陽は頭のてっぺんから。この時間では高層ビル群も日陰を作らない。
 時々吹くビル風に塵と新聞紙が舞う。ビルの裏口に置いてある青いポリバケツと酸えた残飯のにおい。
 懐かしい大都会のにおいだ。学生の頃と全然変わってない。ここを抜けるとコマ劇場前の大広場の筈。
 …っと。「うわあ、ゾンべー」。30人余りの顔と腕を土色に塗ったくって唇はパールホワイトの女子軍団があらわれた。いわゆる顔黒で、おそろいの短い白の上下。なにをするでもなく、歩道の縁石に腰掛けたり立ったり。周囲の人間とは眼を合わせず、暑苦しそうにゆらゆらとさまよっているさまはまさにゾンビ。
 顔黒茶髪なんてまだいたの! しかし存在感は充分。周りの人間も一瞬驚き、少し遠巻きに通り過ぎていく。
 しかし何で女子ゾンビ軍団が…と思って良く見るとその1/3ぐらいに
Appe(小付属物)のように男の子がへばり付いている。存在感の無い放らだ。全然見えなかったぞ。頑張れ。
 まっ、君達、若いんだから良いか。どうせ未来はキミ達の掌の中!
 …と、よそ見してたらガムを踏んじまった。都会はきったねエ。Fu☆ック off!(失せろ。消えちまえ…)。
 う、歩くと気持ち悪い。びっこの犬の気分だ。肉球が腫れた様な…。
 でもコマの入り口から大音量で“We Will Rock You”が聞こえてくる。…CMやスポーツ番組などでもよく聞く、ドン・ドン・チャッというこのリズムさ。…気を取り直して、Go On!
 改装なったばかりのコマ。ゲートを入ると、ロビーが広くなり照明も今風に変わってすっきり。でも舞台と客席の配置は以前の雰囲気が残る。
 なつかしいな。ぐるつと見回す。
 随分中年のお父ちゃんの姿が多い。そして連れられて来たんだろうね。
若者から小中学生も。巾広い観客層。
 ボックスに演奏者が入ってくる。これはバンドと言うよりもオーケストラだ。もちろんみんな外人さん。コンダクターが格好いい。指揮をしながらイフェクターとアンプの操作もするらしい。
 舞台にスモーク。レーザービームが飛び交う。爆薬が炸裂。ドラムとベースの、下から突き上げるような響き。ショーが始まった。
 圧倒的に歌がすごい。声の艶、声量、テクニック文句なし。(踊りは今一?あまり複雑なステップはやらないようだ。)しばらく開きほれていたが、なにか足らない。
 そうだよ。Freddie Mercury がいない。あの長い足がない。きったな
げな(セクシーと言うべきか?)ひげも胸毛も出てこない(そんなものを期待していたわけではないが)。意味深なボディ・アクションもない。独特のハイ・トーンの歌声は誰もとって代われない。今流れている宝石のような曲ももう作ってはくれない。
 天才はなぜ早死になの。もっともっとやりたいことがあったろうに。
 医学も彼を救えなかった。
 それでもShow Must Go On, Killer Queen, Bohemian Rhapsody, We are The Champions(あの松井のヤンキースの応援歌です)と続くと皆ノリノリ。最前列のお父ちゃん達、必死に拳を振っている。その後ろ姿がレーザー光線を反射して輝いてる。格好良いぜ。お父ちゃん。
 そして最後は皆 Standing で I Was Born To Love You の大合唱。やったね。そうさ未来は僕らの掌の中。

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