長岡市医師会たより No.336 2008.3

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もくじ

 表紙絵 「山本山遠望」 丸岡稔(丸岡医院)
 「南アフリカにルーツを求めて〜その7」 田村康二(悠遊健康村病院)
 「ACLS講習会に参加して」 茨木政毅(茨木医院)
 「ACLS講習会に参加して」 犬飼賢也(立川綜合病院)
 「君の名は?」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「魚沼早春」 丸岡 稔(丸岡医院)


南アフリカにルーツを求めて〜その7  田村康二(悠遊健康村病院)

4 日本人は人食い人種

 私が知る限り、アフリカ人には「人食い」の科学的な証拠はない。「人食い人種」の問題は、肉食と関連して興味のあるテーマとして私は長年追及している。
 最近クロアチアへ行ったが、マルコ・ポーロはクロアチアが生んだ英雄とされている。13世紀に現在のクロアチア西岸アドリア海に浮かぶCurzola島に生まれたとされているからだ。
 マルコ・ポーロは有名な「東方見聞録」を書いた。そこで日本を「膨大な量の黄金をもっていて国王の宮殿が屋根まで純金で出来ているほどだ。これが黄金の国・ジパングだ」として世界に紹介したのは良く知られた話である。しかし彼が同時に「ジパングに住む人は、自分たちの仲間で無い人間を捕虜にした場合、もしその捕虜が身代金を払えなければ捕虜を殺す。その上で料理して皆でその肉を会食する。彼等は人肉がどの肉にもまして美味いと考えているのである。」と驚くべきことを書いていることを知る日本人は少ないだろう(マルコ・ポーロ著・愛宕松男訳注『東方見聞録』平凡社)。だから「講談師、見てきたようなウソを言い」を地で行った本であることが分かる。
 ところで皆さん!米国務省が2007年2月に発表した世界の人権状況に関する報告書では、日本の人身売買と奴隷制度の詳細を公にしている。この報告書は、何とタイ、フィリピンなど東南アジアをはじめとする世界中の女性や子どもが、年間20万人のペースで、性的搾取や強制労働の目的で日本に「密輸」され奴隷として働かされていると指摘している。米国が日本を先進工業国の中で唯一の人身売買「監視対象国」と指定した昨年6月の別の報告書に続き、日本政府の不適切な対応を厳しく批判している。
 更に米下院のトム・ラントス外交委員長は2007年6月に旧日本軍のいわゆる従軍慰安婦問題で日本に公式謝罪を求める決議案を、同委員会で採決するとした。決議案は賛成多数で採択された。日本政府は、決議案は事実に基づいていないとして反対する一方、首相が訪米時に米要人と会談して元慰安婦へのおわびを表明するなどという矛盾した言動で沈静化を図った。更に日本の国会議員を中心とした400人余りが連盟で第二次大戦後に米国占領軍が日本に慰安所の設置を要求したと言う批判の広告を首都のワシントン・ポストに載せた。しかし一方ではこの様な占領軍からの要求の事実はなかったと、日本の警察庁が国会で答弁しているのは奇妙なことだ。この様な動きが、アメリカの議一員達の思いを逆なでしたのだ。
 この様な日本人への国際批判を知ると、思わず吐き気を催してくる。やはりマルコ・ポーロの人食い人種論は正しかったのか?と思わずには居られない。日本人の誇りや文化は一体どうなったのだろうか?
 映画・座頭市は、北野武監督、ビートたけし主演の2003年制作の大評判になった日本映画である。謎の金髪をして朱塗りの杖を持ち、盲目の居合いの達人が座頭市。やくざ・市の活躍を描いた時代劇である。第60回ヴェネチア国際映画祭で監督賞を受賞して有名になった。しかしポルトガル人のイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは1585年に「日欧文化比較」(ルイス・フロイス著・岡田章雄訳注:『ヨーロッパ文化と日本文化』岩波書店)次のように書き残している「我々のなかでは盲人は平和を好む(社会で保護しているからだ)。しかし日本では古人は闘争を好み脇差を帯びて(身を守って)いる」。視力障害者が自己防衛の為に座頭市のように刀を持って身を守らなければ、身の安全が保証されなかったのが日本社会だったのだ。その様な身障者への偏見や差別は今日でも日常的に行われている。
 最近フランスのミシュランのガイドブックが話題をさらっている。そこには日本人経営のホテルには三ツ星はない。かの帝国ホテルは二ツ星でしかも中でも劣るクラスに入っている。言い換えれば6段階の内で下から3段階にあるとされている。その厳しい評価には驚いている。私の患者で車椅子を使ってこのホテルに行った人が、ホテル側の対応に憤慨していたから無理もないのだろう。私自身も先だって左足を捻挫して、車椅子で2度上京した。同じような体験を某有名ホテルで味わった。「強きを助け、弱気を挫く」のが、今に伝わる伝統的な本来の日本精神ではなかろうかと日頃から考えているからこの言葉は身にしみてくる。

第4章 全ての文化の原点はアフリカだ

 ネアンデルタール人、北京原人は現代人であるホモ・サピエンスとは違い環境の変化に適応できず、やがて絶滅した。両者の脳重量はほぼ同じである。石器も共に持っていた。そのネアンデルタール人が絶滅したのは、想像力を持てなかったからだと言う。ネアンデルタール人は現実に巧みに適応できても想像力に乏しく、文化や将来を予見する力を持てなかったのだ。これに対してホモ・サピエンスは文化的遺産、例えば洞窟に残された壁画など、を古くから残している。
 だから今の医師会のように、既得権益にのみ固執して想像力が乏しい、将来を予見できない勢力はやがて社会の変化に適応できなくなるだろう。これは万古不変な歴史的な原則があるからだ。
 古代ギリシアの昔から、西欧人は文化の全てはアフリカから来たと言っている。しかしその認識は日本人には乏しいようだ。西欧人のアフリカヘの植民地政策を正当化しょうとした思想に毒されているからだろう。逆にアフリカ人が何故ヨーロッパを植民地にしなかったのか?という命題は考えるに催すると思う。
 ところで旅行で楽しめる文化の代表とは何と言ってもまず食であり、音楽と踊りだろう。

1.肉食の思想

 アフリカの食の代表として観光客に供されるものは、肉食のアフリカン・バーベキューと決まっている。人の祖先は実は勇敢な動物の狩猟者ではなくて、むしろ肉食動物の餌食になっていたらしい。(ドナ・ハート、ロバート・W。サスマン著・伊藤伸子訳『ヒトは食べられて進化した』化学同人)。しかし人間は動物タンパクを摂れる肉食動物だから、今日まで生き残れたという考えは当たらないようだ。つまりあくまでも弱い草食動物であったのだ。
 この日の夕食はアフリカ料理専門店のレストラン・Romaで軽快な太鼓のアフリカ音楽を聴き情熱的な現地のダンスを見ながらアフリカ料理に挑戦した。まずご当地の銘酒・チブリ(トウモロコシの酒)を飲むと、前菜にはワニの肉がドサッと出てきた。あとはバーベキューで実に様々な肉を食べた。肉はインパラ、イボいのしし、バッファロー、ダチョウ、牛肉などだった。これらを全て試食してみた。しかしドレッシングが濃い味なので、どの肉も同じ様な味だった。これはケニアでの体験と同じだった。
 「当店名物の芋虫(Mopani Worm)を食べて下されば、食べたという証明書を差し上げます」と言われた図4・1)。「虫を食べるなんて、気持ちがわるいわ」と家内を始め多くの人はたじろいだ。しかし私は原始人たちが昆虫やアリを蛋白源として食べていたと知っていたので、挑戦してみた。すると虫は虫でも生の虫という期待に反して、黒焦げの大きな芋虫がでてきた。味は良かったということにしておこう。ちなみにチンパンジーにも虫類は貴重な蛋白源となっている。
 この地での肉食の思想に、私は長らく深い関心を持ってきた。肉の味を覚えた類人猿だけが、ヒトに進化できたといわれていたからだ。アフリカのヒトと兄弟であるチンパンジーは肉食もし、他のサルを揃えて食べている。ヒトがもしも人の肉を食べれば、人食いだ。カニバリズムだ。これがカーニバルの語源だとも言う。食入の科学的証拠はヨーロッパ、中国、南北アメリカで見つけられている。なかでも北京郊外に居た北京原人は食人種だった。だから中国の学者は今の中国人の祖先ではないとやっきに否定している。本当だろうか?現代中国人のギョウザ問題での「人を食ったような話」を聞くたびに、北京原人の遺伝子が彼等に
はあるのじゃないか?と疑いたくなる。
 バーベキューで供された野生動物の肉の特徴は一様に脂肪分が少ないことだ。この様な現在のアフリカのスーパーマーケットには見られない野生動物の体脂肪率は、飼育動物よりも著しく低いことが特徴だ。現代人の生活習慣病の原因は、栄養摂取が旧石器人の栄養とかけ離れてきたから生じたのだということが画期的な論文(S.Boyd,MJ Konner,Paleolithic Nutrtion.NEJM 1985)に書かれている。初期の人類は栄養の50%位は植物から得ていたらしい。今から200万年ぐらい前に石器が発明されて狩猟が可能になり、肉が栄養の50%以上を占めるようになってきた。だから原始人はその後の子孫よりも体格は立派で背丈も20センチ位は高かった。その後人口の増加と農業の発展で、栄養の90%以上を農産物から得るようになって体格も小柄になってきたという。西欧では産業革命以後に肉食が再び可能になったので、再び体格も体重も良くなってきた。日本人も戟後になって食糧事情が改善してから、体格も立派になっている。
 アフリカの野獣と飼育獣とを比較すると、野獣では不飽和脂肪酸は5倍多く、エイコサペンタエイック酸の含量は多い、タンパク質の含量も多い。つまり食べても動脈硬化になりにくい肉だ。食用植物にしても野生のものは栽培されたものよりも、糖質が少なくタンパク質が多い。植物繊維の摂取量も原始人は多かった。つまり旧石器時代の食品は現代人のそれよりもより健康的だったといえる。現代の生活習慣病の原因を食事に求めるならば、食品の種類のみならずその組成についても考える必要があるとBoydらは説いている。
 余談ですが、何と言ってもご馳走はビーフ・ステーキだと思いますが、如何でしょうか?東京の渋谷のセルリアン東急ホテル・タワーズに南フランス料理のレストラン「クーカーニョ」がある。ここは噂のミシュラ
ンの一ツ星(Michelin Restautants Hotel Tokyo,2008)に輝いた名店だ。ここで爺馬鹿は最近孫の幼稚園入園を祝って会をした。その折、曽我部シェフは、「ニュージーランドビーフは、過剰な脂肪分がなくヘルシーな肉なのでシーフードを調理する発想でメニューを考えました。あくまでも日本人が作る南仏風のフレンチを皆様に召し上がって頂くことです。ニュージーランドビーフの赤身肉は伝統的なプロヴァンスの手法を活かしつつ、自由な発想で調理ができる最高の素材だと考えています。」と説明してくれた。ニューヨークに行くたびにミッドタウンにあるステーキハウス GALLAGHER'Sに行く。全米第一という評判の店だからだ。ギャラガーのよさ、それは店内に入った時の雰囲気だが他店ではまず味わえまい。歴史を感じる店内と壁一面に張り巡らされたヤンキースや競争馬の写真、それから同店を訪れたジャクリーン・ケネディやロバート・デニーロの写真、その他の写真を見るだけでも価値がある。
 そこで何時も「この店のお勧めは何ですか?」とウエイターに聞くことにしている。答えは決まって同じだ「サーロインが男の食べ物ですぜ。ヒレはオンナの食べ物さ」と言われる。長岡の或る食肉業者の方に言わせると「そりやヒレが美味いですよ。特に血液の含有量が多いのがお勧めです」と教えて呉れる。美味しいのは肉であって脂肪ではないことは確かだろう。それも広い牧場で放牧されている牛に限られる。肉ステーキでもサーロインが美味いかヒレが良いかは、皆さん如何ですか?噂好の問題だろうとは思いますが。7月にニューヨークを訪ねるのでMichelin Guide New Yorkを片手に、
今から楽しみにしている。(続く)

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ACLS講習会に参加して  茨木政毅(茨木医院)

 眼科医として開業している私にとって、救急救命の対応は最も苦手の分野で、そのような場面に遭遇したらまず外科内科の先生を呼ぶか、119番通報するかということが頭に浮かびます。しかし自分自身が8年前に心内膜下梗塞と診断され、入院し心カテーテル検査を受けてから、心臓疾患に興味を持っていたこと。それからもう一つ、昨年の春多くの人の集まる会合に出かけて行ったところ、階段で60代の男性が突然倒れ、「お医者様はいませんか」と連呼する方がありました。眼科医だからと行かないわけにはいかず、かけつけたところ、ある方が人工呼吸(マウスツウマウス)と心臓マッサージをやっていました。そばにAEDは置いてありましたが、使われておりませんでした。ほどなく救急車が到着し、心臓マッサージを受けながら病院へと向かいました。後日その方は亡くなられたと分かりました。このような体験からAEDくらいは使用できるようになりたいと講習会に申し込みました。
 前置きが長くなりましたが、2月24日(日)、講習会の一週間前には受講についての注意と、プレテストが送られてきて、あわてて日本医師会発行の赤本、救急蘇生法の指針を開いて救急蘇生法とAEDのところを読んで、おそるおそる参加してみました。講習会の概要に関しては、過去に経験された先生方の体験記が“ぼん・じゆ〜る”に詳細に掲載されていますので、あえて書くこともありませんが、参加者は22名でした。最初三上理先生のACLS概論の講習を受け、少し理解できたかと思う間もなく、さっそくデモンストレーションがありました。このような方法で蘇生させるのかと見ていました。しかし次に4班に分かれてBLS・気道確保・心電図と薬剤・除細動(AED)の実習に移動した時は緊張しました。なぜかというと午後にテストがあるとのこと。それも一人一人に交代でチーフとなって質問に答え実技を行うという、いくら落とす試験ではないといってもあまりいい気持ちはしません。なぜかといえば日常診察したり考えたりしたことのない分野ですが、言い訳はできませんので……。
 しかし教えてくださる医師看護師救急隊の皆さんが、かくも多数で個人指導のようにやさしく、ていねいに、分からなくても恥をかかせないように配慮して下さっていました。ACLSコースをぜひ拾得してくださいという気持ちがひしひしと伝わり、恥をかいても、もう一度参加してみたいと感じました。もう忘れてしまった心電図やVF・PEAなど略語が頻繁にとびかい、もう年をとって固くなった頭になんとか記憶しようと頑張ってみました。
 午後はケース・スタディが2時間あり、しつかり記憶しようと必死に聞いていたせいかあっというまに過ぎてしまいました。
 さて午後3時よりいよいよ口答試験です。実際に救急外来へ、さまざまな訴えの患者さん、途中で意識を失ってくる患者さんが運ばれてきたと想定して口答試験がありました。他の二人に協力してもらって指示したり実技したりして、ICUや病院の専門医に受け取ってもらえるまでを試されるコースになりました。まあなんとか答えたり答えられなかったりで終わってしまいましたが、しっかり採点されていました。
 あっという問に一日が終わりました。実際のところ意識なく呼吸も弱くAEDが必要な患者さんを診たとしても、対応できるか自信はありません。今回の講習を復習してもう1〜2回参加したら何とかなるのではないかと思いました。
 最後に22名の受講生に対して、それに倍する方々に指導やいろいろお世話をしていただき厚く御礼申し
上げます。ありがとうございました。

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ACLS講習会に参加して  犬飼賢也(立川綜合病院)

 長岡市医師会主催のACLSコースが平成20年2月24日、長岡市赤十字看護専門学校で開催され参加した。眼科、耳鼻科の開業医の先生も参加しておられた。特に同席された眼科の開業の先生は自分自身が急に倒れられ、救急のお世話になったこと、ある施設で自分の目の前で人が倒れ、何もできなかったことがきっかけとなり、このコースを受けることにしたそうである。実は私はACLSの講習は2回目で、2年前の十日町病院勤務時代に講習を受けたことがあるのだが、徐々に記憶もうすれ、いざというときの必要性を感じており、再度受講することにした。
 9時からまずオリエンテーションがあり、その後ACLSの概略の講義があり、その中で『学びの効果』についての内容があった。それによれば、講義を聴く:全体の5%の理解、本を読む:全体の10%の理解、プレゼンテーション:30%、ディスカッション:50%、体験する:75%、指導する:90%、とのことである。人に教えることで理解できるものかと納得した。
 講義のあとは2〜3人の班に分れ、実技主体の実習が始まった。まずはBLS/体位のダミー人形が置いてあり、道端で歩いていて突然目の前で人が倒れている場合の想定である。いきなりの指名で、少々慌てたものの何とか対応できた。
 次は気道確保の実習があった。ダミー人形に挿管を行う訓練である。眼科の先生は、挿管は初めてとのことであった。開業の耳鼻科の先生は勤務医の時を最後に17年ぶりに行った、とのことであった。気管内挿管をする機会はあまりない科も多いので、このような実習は大変有用である。
 続いて心電図、薬剤の講義があり、看護師が講義をした。人に教えることにより自分が覚える効果を狙っているそうである。専門の医師から習うのとは別に新鮮な感じがした。
 午前中の最後に除細動/AEDの実習があった。ダミー人形に対し実際にカウンターショックをかけたり、AEDを装着したりした。心電図はコンピュータと繋がっており、波形が実際に変わるすぐれものであった。
 午後からは、VF/Pulseless VT(頻脈)に対するCase studyであった。病棟患者さんが急変し、たまたま出くわしたという想定である。意識を確認し、まず人を呼んで、AED、救急カートを持って来てもらった。頚動脈で脈を確認し、その後に気道を確保し、アンビューバックで2回空気を送り込んだ。その後、心臓マッサージを30回行った。その間に除柵動器が到着し、心電図を貼り付けた。心電図上VFを示していた。除柵動の適応であるので、除細動を360Jでかけた。戻らない。心臓マッサージを続け、その間にラインを確保してもらい、エピネフリンを1mg静注してもらった。さらに除細動をした。エビネフリンを再度静注、VFが続くため、キシロカイン50mgを静注した。これでやっと回復した。VF/Pulseless VTには除細動、エピネフリン、リドカインが基本である。
 次はPEA/Asystole(徐脈)のCase studyであった。このパターンは、除細動は行わず、エピネフリン、アトロピンが基本となる。微妙に異なる同じような実習が行われた。
 続いてOSCEの試験が行われた。わかっているつもりであったが、緊張してしまい、声が震えた。チェック項目があり、実際におこなわれているかが採点された。
 外傷の初期対応の講義とデモが行われた。バイク事故で多発外傷を受けた際の対応を救急隊の人に実演デモを行って頂いた。救急隊はその場で迅速な対応が求められ、医師と違う対応が必要で、その現場をデモではあるが感じることができ、大変参考になった。
 最後に優秀者の名前が発表され、その後に終了書を頂いた。
 この度の講習は大変勉強になったが、まだこの講習を受けていない方はいざという時のために、是非受けることをお勧めしたい。また、このような機会をもうけていただいた医師会、準備、指導にあたられたスタッフの方々には大変感謝致します。ありがとうございました。

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君の名は?  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

「ところで、先生のお名前はシゲミと読むとさっきうかがったけど、その由来をお教えいただいてもかまいませんか?」とそれまでの医学からは離れた質問をしました。

「えっ、名前の由来ですか。」とすこし不思議そうなY先生。

「あはは、最近話題の医療ミステリーの真似なんですが、ご存じなかったですか?」とわたしは笑います。

「はい。そんなのありましたっけ。わたしは読んでないです。」

「たとえば先生の重美……しげみ、のしげはお父さまの名前からとか。」

「ええ、実はまさにそうなんです。父の一字をもらいました。こどもの頃、しげみって女の子っぼいとからかわれましたね。」とY先生が一瞬遠い眼をされました。

 その夕べ、医師会の学術講演の座長を務めたあとの懇親パーティで、講師のD大学准教授のY先生との赤ワインを片手の会話です。
 その小説とは宝島社「このミステリーがすごい!」大賞受賞作で映画化され現在上映中。もと外科医であの病理医が懸賞小説に応募した作品でベストセラーとのこと。先日「アル会合」すなわち、とある(アルコールの)飲み会で、わたしはこのミステリーを、もと放射線科医である内科医M先生に勧められました。

「海堂尊の作品は、どれもおもしろいっすよ。この原作は事件解明役の主人公の神経内科医は中年男なんですけどね、映画では女医になっていて竹内結子が演じてます。」とカルビを頬ばる蘊蓄のあるM先生。

「いまテレビで映画宣伝スポットが流れてるね、竹内結子と阿部寛が主役か。なかなかじっくり本読む時間がなくてね。」とわたしは好物のテグタンを畷りながらの聞き役。

「だいじょうぶっす。オレなんかでも2時間半で読んだから、G先生ならチョロいと思います。」

 さっそく翌日の帰宅途中、駅裏のビルの大型書店で購入しました。実際には3日がかりで読了。散りばめられたくすぐりがある笑えるミステリーで、おもしろかったです。

 海堂尊(たける)「チーム・バチスタの栄光」宝島社より。

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「先生のお名前は確か恭一、でしたよね。どういう由来があるのですか」
「私の名前ですか…?」
 桐生は一瞬、遠い眼をした。
「一番になっても恭しさを忘れるな。外科医だった父が言ってました。」
 次の瞬間、白衣の裾を翻した桐生は風のように姿を消していた。
      …中略…
 自分の名前を説明してもらう、という手法が相手の理解に有効だということは、愚痴外来での経験を通じて気がついた。

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 なお今や医療ミステリで脚光浴びる医師、海堂尊のネット上での著者インタビューのひと言にも座布団一枚であります。
「……お役人の視野の広さが医療のグランドデザインを左右する。……現場を支える救急医療の方が先に崩壊しつつあり、……。どうして官僚に現場の声が届かず、またその声に耳を傾けようともしないのか、が最大のミステリでありサスペンスでは?と思う。」

 ちなみにわたしの名前は哲己(てつき)。父が自分の名前の哲三から一字とってつけてくれました。おの
れをさとることの意と開かされています。……二つ違いの兄の名前は哲吾(てつご)と言います。……われ
をさとる、まるで同じじゃん。

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