長岡市医師会たより No.340 2008.7


もくじ

 表紙絵 「奥入瀬」 丸岡稔(丸岡医院)
 「開業一年生」 河路洋一(かわじ整形外科)
 「背番号「3」と私の人生」 田中篤(長岡中央綜合病院)
 「ハグについて」 中山遥子(長岡赤十字病院)
 「わたしの通販生活」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「奥入瀬」 丸岡稔(丸岡医院)


開業一年生  河路洋一(かわじ整形外科)

 「ついに“ぼん・じゅ〜る”に開業1年の寄稿を書くことになったか。」が、今の偽らざる心境です。勤務医から、開業独立というビッグイベントを行って、まずひとつの節目に到達した、ということですから。思うことは多く、何を書くかいまだまとまっていません。しかしそうも言っていられませんので書く事としましょう。

きっかけ
 立川綜合病院整形外科医長として、9年間勤務しましたが、それなりに幸せな勤務医生活でした。よきスタッフ、最新の医療機器にもまずまず恵まれ、充実した日々をすごしておりました。そんな私に転機が訪れたのは、平成17年3月の4人目の子供の誕生です。私はその時45歳になっていました。その後生命保険会社の担当者と面談したとき、その人の「今度生まれたお子さんが、15歳になると先生は60歳ですね。」の一言で、え?ときました。考えてみれば、60歳定年の時点で長女は24歳ですが、長男は19歳、次女は17歳と、教育費のピークを相次いで迎えることとなります。医者は就職年次が遅いため退職金等は、ほとんどあてにできません。定年を迎えて第2の就職先にありついたとしても、外科医としてピークである現在より収入が減ることは確実です。こうはしちゃいられないと思いました。そんな時、以前より知っていた開業支援業者のO社長から、私の自宅から徒歩10分ほどのところに好適地があるので、考えてみないかとの話をいただきました。それで家内とも相談したところ「いい機会じゃない」と、同意を得て決まりました。私の開業は、将来の生活設計と、たまたまチャンスがあったことが理由です。勤務医不足が問題の昨今ですが、勤務医から開業医に移行する動機としては「勤務医の仕事がつらい、忙しい」がよくあげられますが、就職時期が30台後半以降で、晩婚が多く人生のスタートが遅い医者には、現在の60歳定年のシステムの中では、人生後半の設計が立てづらいことも、勤務医を辞める大きな要因と思います。勤務医の定年制の廃止なども必要ではないかと考えます。

皆様のおかげです
 あたりまえのことですが、自分ひとりの力で独立するなど、まったく不可能です。多くの人たちの助力を得て、初めてなせることです。今回先輩、後輩の医院を、8軒見学にいきました。初めての開業で、これは絶対必要なことで、業者の説明を何時間聴いても実際のイメージは、ほとんどわきません。まず見ることです。私が見学にいくと、すべての先生たちが疲れているにもかかわらず、暖かくむかえてくれ、自分の経験からくるアドバイスを丁寧に私に与えてくれました。これは後にすべて役に立ちました。新潟大学整形外科学教室のつながりを、ありがたく感じました。
 一方立川綜合病院に9年間在籍し、長岡の医療に参加してきたこともあり、開業当初から、顔なじみの患者さんたちが、大勢来院してくれました。またいままで在籍していた立川病院も、検査の依頼などおこなうと、実にスムースに対応していただき(MRIの予約など病院時代より早い?)診療のレベルを落とすことなくできています。

電子カルテ&フィルムレス
 
私の医院は、電子カルテを導入し、レントゲンも、CR+フィルムレスとしました。フィルムレスは、立川病院で経験して、狭い医院では必ずフィルムの保管場所に、苦労することなどを考えて、迷わず導入することとしました。パソコンに強くないこともあり、最初電子カルテを、導入する気はありませんでした。しかし同じ敷地で内科を開業した木口先生が「やるなら開院の今しかないから、がんばって導入しよう。」と強く勧めてくれたことから、導入に決めました。電子カルテの選定はやや割高ですが、バックアップのしっかりした大手メーカーのものを導入することとしました。また先輩のアドバイスから、診察室に入力補助係の事務さんを、必ずおくこととしました。入力補助クラークは、患者数の多い整形外科などでは、絶対必要です。電子カルテは最初の導入は大変ですが、軌道にのれば、よほど楽です。

最後に
 やっと1年たちましたが、まだまだわからないことだらけです。医療情勢は今後どういった展開が待っているかわかりません。「開業はマラソンと同じだよ」とのアドバイスを、先輩からいただきました。あせらず、ばてることなくやっていきたいです。

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背番号「3」と私の人生  田中 篤(長岡中央綜合病院)

 改めて思い返してみると、背番号「3」と三塁手にひたすら憧れて過ごした少年時代だった。小学校の時は自分で野球チームを作った。当然のことのように「3」をまずは自分の背番号にしてから、残りの背番号を私の呼びかけに集まってくれた仲間に割り振ったが、誰も文句は言わなかった(言えなかったのかなあ)。中学校に入って、2年生の後半に念願の三塁手のレギュラーを手に入れたが、中学野球では背番号は守備位置で決まっていたため、「3」をもらうことができず、5の背番号で大変残念だったのを憶えている。高校時代は長岡高校の野球部の厳しい練習と勉強の両立に自信がなく、未練を感じながら山岳部で過ごした。
 大学でついに念願を叶えることができた。まずは医学部に入ると6年間も堂々と野球ができるということであった(これをもっと早く教えてもらえれば自分の進路について悩まずにすんだのだが)。次に千葉大学に硬式野球部があり、硬式ボールを手にすることができた。そして、入部した当時、背番号「3」は6年生の先輩が付けていたのだが、密かにその先輩が卒業する時を狙っていた。1年後卒業する時に、先輩の付けていた「3」を下さいともらいに行ったが、私にとって意外なほどあっさりもらえたことをよく憶えている。今考えてみれば、私ほど「3」に特別の思い入れを持っていたものが単にいなかったということなのであるが、当時の私にとっては、これからずっと「3」をつけて野球ができるということがどれほどうれしかったことか。さらに3年から三塁手のレギュラーとなり、背番号「3」を付けて三塁を守るという幸せな野球生活を過ごした。
 野球は大学で6年間十分にやれたので、卒業してからもやりたいという気持ちはあまりなく、むしろ6年間野球のために勉強を犠牲にしたところもあり、医者になったら一生懸命勉強して少しでもまともな医者になりたいと思っていた。ところが、新潟大学小児科学教室に入局したら、医学部の教室対抗野球があり、さらに北日本小児科学会の懇親野球大会があり、そして中部日本小児科学会の優勝の常連だった名古屋大学小児科の野球部が自分たちこそ小児科の日本一であることを証明したいということから始まった(?)全国小児科大会があり、医学部の教室対抗試合があったり、長岡の草野球大会に参加するチームに誘われたりと、何かと野球に関わり続けてきた。気がついてみると、4歳くらいの時に玄関脇のすごく細い壁目がけてボールを投げてガラスを割って親に怒られてから(なぜあんな危険な場所に投げたくなったのか今もって自分でも良く分からない)、50年の歳月が過ぎている。これほど、野球を長くやり続けるとは、学生時代の私には思いもよらなかったことである。
 というわけで、色々なチームの背番号「3」のユニホームが今4種類わが家にある。
 もちろん、背番号「3」にこれほどの愛着を持ったのは、当然のことながら、巨人の長嶋茂雄のプレーに魅せられたからであり、また、息子を球場に連れてきて試合が終わると連れて帰るのを忘れて一人でさっさと帰ってしまったり、片方の足にストッキングを重ねて履いて、ストッキングがないと大騒ぎして周りの人間に探させたりというキャラクターと、決して他人の悪口を言わない(どんなに野村監督から僻みっぽい批判をされても、どんなにひどいやり方で監督を辞めさせられても)などの人間性に魅せられたからでもある。長嶋のエピソードになると終わりがなくなるのでがまんしよう

 どのくらい前だったか、長嶋茂雄のビデオ3巻セットが発売された。家族には「やれやれまたか」と呆れられたが、購入して一人密かに見て楽しんだ。一つ予想外に驚いたことがあった。それは、ビデオの中の昭和30年代、40年代の日本人が如何に熱く生きていたか、人間同士が如何に熱く関わり合っていたかということであった。ビデオの中の日本人は本当に熱く人間同士関わって生きていて、今の日本人と同じとはとても思えない。それほど年々日本社会は人間関係が疎遠となり、一人一人がバラバラになり始めているのだということを改めて実感させられた。
 背番号「3」には、そんなノスタルジックな熱い人間関係への思いも重なって、ことさら愛着を感じるのかと思う。
 やれやれ、与えられた字数ぴったりに収まったと自己満足に浸っていたところ、自己紹介をと依頼されました。すっかり自分は本来の自分の定位置に戻ってきた気持ちになっていたのですが、考えてみれば高校卒業してから長岡を出て過ごした年数の方が倍になっているのですから、ご存知ない方の方が多いのも当然ですね。この4月から長岡中央綜合病院小児科に勤務しております。私の父は田中小児科医院をやっていた田中健一で、長く皆さんにお世話になっております。今後ともよろしくお願い致します。

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ハグについて  中山遥子(長岡赤十字病院)

 青空のまぶしい日々となりましたが、いかがお過ごしですか?
 “ぼん・じゅ〜る”原稿リレーがとうとう私のところにも渡ってきました。
 とるに足らない文章なので、どうかお忙しい方は読み飛ばしてくださいね。
 さて、今日はハグ(hug)について書きます。ポイントがずれるのはよくないので断っておきますが、ここでは“挨拶のハグ”について書きます。
 私が最初に“ハグっていいな”と感じたのは、幼稚園のとき父の仕事についてアメリカに行ったときのことです。当時私は七つ年上の兄と、ピストルを持った刑事ごっこなどをして遊んでいたので、
「アメリカ人はきっと気に入らないことがあると、すぐピストルでバキューンって撃つんだ」
と、結構真剣に思っていました。
 そんな私に、父はいいことを教えてくれました。
「目があったらニコッとしなさい。“あなたに悪意はないのよ”って笑顔をみせるんだよ。」
 そのアドバイスにしたがって、私は早速実行してみました。多分、父の仕事関係の方だったと思います。私がニコッとした直後、その外人さんはしゃがんで大きく手を広げて厚い胸で、私のことをハグしてくれました。よく考えれば私は子供であったわけで、当たり前のことだったんですが、そのときとっても嬉しかった感覚を覚えています。
 残念ながら、日本には“ハグ文化”はないですが、似た感覚が重要だなと感じることがあります。まさか病院で片っ端から患者さんにハグして回ることはできませんし、看護師さんに“一緒にいい仕事しましょうね”って肩抱くこともやはり無理な話で、きっと訴えられます。でも、ほんの一瞬でも“悪意はないのよ、あなたと協力してやっていきたいのよ”って、意思表示することは大事だなと感じます。日頃からいつも笑顔でいられたら幸せですが、それはそれで嘘くさいかもしれないし、そんなに世の中甘くないと思います。厳しいことや悲しいことも伝えなきゃいけないこともあるけれど、そんな場面ではやはり信頼関係が重要で、そしてその信頼関係は必ずしも大そうなものである必要はない気がするのです。あの外人さんがしてくれたハグみたいな、ふっとした安心感を相手に伝えられるかが、実は重要な気がするのです。
 若輩ものの戯言かもしれませんが、そんなことをときどき考えながら、日々過ごしています。
 それでは皆様、暑さの折ご自愛ください

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わたしの通販生活  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 上京する新幹線の中で、持参した文庫本に目が疲れました。中身はイヴァノヴィッチのステファニー・プラム・シリーズの最新の翻訳で、肩はこらない娯楽お笑いモノです。
 気分転換も兼ね、座席の背もたれにあるJR東日本の通販のカタログを手にして、ぱらぱらとめくって見ました。「トレイン・ショップ」なる命名はすてきですね。
 通販と言えば、家人もカタログがあれこれ届きますと、けっこう楽しんで目を通しておるようです。あるゴミ分別収集日、カタログのゴミのあまりの多さにあきれました。わたしが家人に「まるで『通販の女王』と言うくらいかもね。」と冗談口をきくと、家人いわく「わたくしはほとんど購入せず、見ているだけですから、とてもそのような大それた……。」とその名誉タイトルは即座に辞退しました。
 と申すこちらも通販カタログが嫌いではありません。「ほほう、なるほど……」と眺めて鑑賞する感じ。
 わたしの通販体験でもっか印象に残るのは、数年前のお安い絹のパジャマ購入かもしれません。
 以前から某有名男優と女優が広告に出ているシルクの安売りパジャマ(この広告、ごらんになってますよね?)を購入してみました。
「『安物買いの銭失い』にならないといいわねえ。」と家人には忠告されました。
 その結果は?―着心地はまあよいのですが、つぎつぎと大腿部の縫い目が破れました。もちろん体型に合わせLLを購入。サイズ的にはよろしいようなんですが、耐久性に問題がありました。そこで同社の製品を少し価格が高いものとか、逆に糸半分だけ化繊で安いとか、どれが丈夫で耐久性があるかあれこれ試しました。すべてが同様に破れ、つまるところ、わたしの大腿部と相性がよろしくないようで、その製品はあきらめました。
 この過程での数回の購入実績により、某社の顧客名簿上位ランク入りしたかもしれませんね。今日まで、毎月あまり好みでない商品(例えばモデルガン等)も含む数種のカタログが届き続け、微苦笑であります。
 話は戻りますが、新幹線車中での通販カタログの鑑賞で、面白かったのは次の三つが断トツ。
 
その1、線香着火器。ガスボンベ式であります。雨の日や風の日も、お線香に一発着火、お墓参りの必需品と広告にあります。いわば線香束専用大型ライターですな。
 その2、キャベツの千切り器。とんかつ屋の千切りキャベツがご家庭でと広告にあるが、業務用。キャベツ一個単位で回転器械にかけます。
 その3、卓上流しそうめん器具、家庭で流しそうめんを楽しむ発想。楕円形で最長でも46センチ、電源は乾電池2個というあまりにコンパクトなプラスチックの代物。
 以上いずれも他に使い道がない専門特化した器具、そこが家庭用品としてはわたしにはホワイト・エレファントと思えるのでしょうな。
 かくいう我が家はかの『通販生活』誌も定期購読、多くの実用的な製品も購入しています。例えば枕、寝具、浄水器具、草刈り器からサングラス、電子辞書まで。ただしこの実用雑誌にも、『面白アイデア商品』の遊び特集があり、このベスト3は勝るとも劣らぬレベル。買われた方のご感想をお聞きしたいものです。
 本やCDもネット書店からの購入がほとんど。考えると通販生活にどっぷり依存しておりますな

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