長岡市医師会たより No.346 2009.1


もくじ

 表紙絵 「守門新雪」 丸岡稔(丸岡医院)
 「新年のご挨拶」 会長 大貫啓三(大貫内科医院)
 「新春を詠む
 「宝塚ジェンヌに栄光あれ!! 宝塚歌劇への招待 その3」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「栃尾班の紹介」 小林和夫(厚生連栃尾郷病院)

 「パティシエよりケーキ屋さん」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「富士新春」 丸岡稔(丸岡医院)


新年のご挨拶  会長 大貫啓三(大貫内科医院)

 新年あけましておめでとうございます。先生方におかれましてはいかが新年をお迎えになられたでしょうか。
 最近の医療を巡る国内の情勢を見ますと、12月3日の臨時閣議で示された「2009年度予算編成の基本方針」でも、社会保障費2200億円削減については堅持から維持に言葉は変わったもののこれからも続行され、小泉内閣が残した負の遺産である2002年から2006年までの5年間での1兆1千億円の社会保障費削減に加え、2007年以降も5年間2200億円ずつ削減することが決まっており、最近の2年間の4400億円を合わせますと、これまでの7年間で既に1兆5千億円余りの社会保障費が削減されたことになります。
 しかしながら、現場からの悲鳴にも近い声によって政府もやっと重い腰を上げ、一般財源化される道路特定財源のうち600億円を社会保障費に回して、抑制額を引き下げる方針を固めました。その後、舛添厚生労働大臣、中川財務大臣との大臣折衝で「特別保健福祉事業資金」の1370億円を充当することで、先の600億円と合わせ、1970億円を抑制額補填財源とすることを決めております。従って、社会保障費の削減額は後発医薬品の使用促進による230億円にとどまる見通しになっております。
 病院の医師不足、勤務医の疲弊、妊産婦の受け入れ不能問題など医療が抱えている問題を解決するためには、今後社会保障費2200億円削減の完全撤廃を行い、社会保障全体の底上げを計らなければ、医療崩壊を食い止めることは出来ないと考えております。
 また、昨年末の政府要人の発言は、我々医療人をがっかりさせるものでありました。二階経済通産大臣は妊産婦の受け入れ不能問題に関連して「医師のモラルの問題だ。忙しいだの、人が足りないだの言うのは、言い訳に過ぎない」と発言し、麻生総理大臣は、「医師は、社会的常識がかなり欠落している人が多い」と話し、またこの発言の翌日、「たらたら飲んで食べて何もしない人の分の金を、何で私が払うんだ」と公助、共助が基本の保険制度の根幹を理解していない発言をしております。本当に情けない限りであります。
 話は変わりますが、昨年4月の医師会総会で、私は二期目の会長職をお引き受けするに当たり、期間中の2年間にやりたいこととして、認知症医療のスキルアップ、地域連携クリティカルパスの構築、緩和ケアのスキルアップの3つの事業を上げました。認知症については長尾理事を中心に各診療所の先生方にアンケート調査を行ったりして着々と準備が進んでおり、地域連携パスについては、富所副会長を中心に胃癌・大腸癌ならびにB型・C型肝炎について、5月に開かれる長岡市医師会全体会議で、地域連携パスについての説明会を開くまでに進行しています。また、緩和ケアにつきましては、富所副会長、長岡西病院の的場先生を中心に、すでに昨年中に医師を含めた50人ほどで3回のグループワークを行っており、1月17日には、一般市民も参加して「緩和ケアを考える交流集会」が医師会館で開かれました。このような早いスピードで実行に移せるとは思ってもいなかったものであり、関係の諸先生方のご努力に敬意を表しますとともに、さらにこれらの事業を発展させて参りたいと考えております。
 また、長岡市とともに、市民の時間外診療のために行っている「休日急患事業」、「こどもの平日夜間急患事業」、ならびに「大人の平日夜間急患事業」も順調に行われており、市民や3病院の救急担当の先生方からも高い評価を得ておりますことは、誠に喜ばしいことであります。このうち、こどもの平日夜間急患事業は、長岡市から土曜日の夜間も開設して欲しいとの要望があり、中越地域の小児科医会でご検討をいただいております。
 また、国が定めた特定健診では、先生方や診療所の看護師ならびに事務職員の方々に、また、特定保健指導では主として市の健康課の職員の皆さんに、多大なご負担をお掛けしていることと存じます。この制度は国が定めたもので、急に変わるものではありません。市民の健康を守る立場から、今後ともよろしくご協力をお願い申し上げます。
 そのほか、レセプトのオンライン請求の問題や、いつ来るか分からない新型インフルエンザへの対策の問題もありますが、出来るだけ早めに取り組んで参りたいと考えております。
 最後になりましたが、会員各位のなお一層の御指導、御鞭撻をお願い申し上げ、新年のご挨拶といたします。

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新春を詠む

  大いなる古巣を持てる冬木かな     渡 邊 修 作

  初夢は鷹より朱鷺を望みけり      荒 井 紫 江

  これやこれ八海山の初明り       十 見 定 雄

  初御空とき羽ばたけば朱鷺色に     石 川   忍

  につぽにあ・につぽんのゐる初山河   郡 司 哲 己

 


 

宝塚ジェンヌに栄光あれ!! 宝塚歌劇への招待〜その3

福本一朗(長岡技術科学大学)

公演システム
  公演の中心は、「本公演」と呼ばれる大劇場作品であるが、全国ツアーや宝塚バウホール公演、シアター・ドラマシティ、梅田芸術劇場、博多座、中日劇場、日生劇場など全国で行われている。全国ツアーは梅田芸術劇場で初日公演を行い基本的にトップスターが再演ものを上演し、小さなバウホールでの公演は二番手以降の若手が主演することになっている。スケジュール・ラインアップはほぼ半年毎に発表される。容姿・スター性・人気を元にスターは誕生するが、必ずしも実力者がスターになれるとは限らない。例えば真矢みまやきや壇れいはいずれも入団時の成績は最下位であったが、その後の努力や人気が評価されてトップスターに就任した。各組が持ち回りで宝塚大劇場と東京宝塚劇場で行われる本公演は新作主義であり、基本的には座付き作家がトップスターにあてて書いた新作を上演することが多いが、「エリザベート」などの海外ミュージカルや「ベルサイユのばら」など過去の作品を上演することもある。2000年以降は、花組→星組→雪組→宙組→月組のローテーションがほぼ確立している。スターか否かに拘らず、大劇場公演への出演が可能な退団者でかつ退団手続きが順調に行われた生徒は、最終公演千秋楽に紋付に緑の袴をはき、入団5年以上は大階段を降りて、また4年目以下は舞台袖から出て舞台上で挨拶する。これとは別に、男役・娘役トップクラスになると、出演した公演を振り返る「サヨナラショー」が行われることもある。
 
小林一三翁の厳しい監督を引き継いでいる宝塚歌劇の生徒達はファンとの個人的交流も厳しく禁止されている様に思える。その唯一の例外が非公式の私的なファンクラブに入ってスター達とのお茶会などで直接お話しできることであるが、人気トップのファンクラブ会員数は数万人といわれるため、それもままならぬ上、朝海ひかるの様にファンクラブを一切設けなかったジェンヌも多い。そのため一般のヅカファンが舞台以外でジェンヌ達の素顔を見ることのできる機会は極めて限られており、公演・稽古時の劇場への出入りの時のみとなっている。それが「入り待ち/出待ち」といわれるもので、「入り待ち」とは楽屋入りするスターを一目見るために開演前に楽屋口で待つことをいい、「出待ち」とは終演後のスターが楽屋から出てくるのを待つことをいう。ファンにとっては、いずれも化粧とメイクを落とした素顔のスターを間近で見ることのできる至福の時である。そのためには心ときめかせながら3時間近くひたすら立って待つことも苦にはならない。しかし特定のスターのファンクラブに入会しているファン達が、揃いの法被を着て一列に並んでお目当てのスターをエスコートして走って送って行く様子は、一般人にとっては全く異様な世界である。
 音楽学校で厳しく躾けられたヅカジェンヌはスキャンダルを起こすことがほとんどないため、銀行(陽月華)や旅行会社(白羽ゆり)はじめ様々な企業のイメージキャラクターとなる他、1994年には純名りさが現役ヅカジェンヌとして始めてNHKの朝ドラ「ぴあの」のヒロインを務めた。男役トップの退団後は涼風真世や天海祐希のように女優となる他、姿月あさとや朝海ひかるのようにミュージカル歌手に転身する例も多い。
 宝塚歌劇のファンはほとんどが女性であるが、熱心な(隠れ)男性ファンも少なからず存在する。例えば大阪大学医学部出身医師の漫画家である(故)手塚治虫医学博士がおられ、幼少の頃から親しんだ宝塚歌劇の影響を受けて不朽の名作「リボンの騎士」を創作されたことは有名である。その縁で手塚先生は今でも宝塚大劇場に隣接する宝塚市立手塚治虫記念館から、タカラジェンヌ達を見守っておられる。
 宝塚歌劇のテーマは「男と女」・「人間社会の現実」そしてなによりも「愛」である。例えば、男として育てられた伯爵令嬢と貧しい士官(ベルバラ・オスカル編)、ブルボン家王妃とスウェーデン貴族(ベルバラ・アントワネット編)、反革命英国紳士とパリジェンヌ(スカーレット・ピンパーネル)、大富豪長男と空中ブランコ乗り少女(ジュテーム)、エジプト軍総司令官と奴隷にされた王女(アイーダ)、死神とオーストリア皇后(エリザベート)、革命の闘士と農場主の娘(マリポーサの花)、堕天使ルシファーと薄幸の踊り子(堕天使の涙)など、実に様々な愛の障壁とそれを乗り越えて最後には永遠の愛に辿り着く恋人達の姿が美しく描かれている。そしてそこには女性から見た理想の異性像が、優しくもまた狂おしく描かれている。欧米諸国の男性に比べて異性の考え方や気持ちを考えることの不得意な我が国の男性達が、女性の心情を学び、男女共同参画社会の根底思想を勉強するためにも、宝塚歌劇鑑賞は良い機会となると思うのは筆者だけであろうか。

付録〔正しい歌劇鑑賞法〕
1.出演者に失礼にならない服装で、開演に遅れない様に
2.奇声歓声をあげず、周りの女性ファンが拍手する時だけ拍手する
3.贔屓以外の組の悪口を言わず、良いところを見つけて誉めてあげる
4.トップスターだけではなく、時々は舞台の端にいる未来のスター達にも視線を
5.プレゼントやファンレターは手渡さず、必ず劇場宛に郵送する

昭和50年初演 池田理代子作より
宝塚グランド・ロマン「ベルサイユのばら」〈アンドレとオスカル〉
「愛の巡礼」
  作詞:植田紳爾
  作・編曲:寺田瀧雄
  歌:涼風真世
 私は愛の巡礼
 私は愛の巡礼
 見知らぬ国をただ一人
 愛を求めて今日もさまよう
 何処までも 何処までも
 果てなき国を
 私の求める愛は何処
 私の求める愛はなに
 いつわりの姿でいても
 この胸の乙女心を誰が知る

昭和37年 グランド・ミュージカル37
「皇帝と魔女」
「愛の歌」
  作詞:白井鐵造
  作・編曲:吉崎憲治
  歌:出雲綾
 今日強く君を愛す
 昨日より さらに深く君を愛す
 ♪我ら生きて
 幸せの恋に かわらぬ愛に
 生きてゆく 生きてゆく
 ああ 君と二人
 とこしえの愛に 幸せの恋に
 恋に生きん♪
 雨強く 風強くとも
 何か恐れじ さらに強く君を愛す捲
 ♪(リフレイン)

(終わり)

 

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栃尾班の紹介  小林和夫(厚生連栃尾郷病院)

 平成20年9月現在、旧栃尾市の人口は22,638人で、栃尾班の登録医師会員数は14人です。平成14年から栃尾でお世話になっておりますが、この間、轡田先生が引退され、広瀬先生が自宅会員となられ、一方、高橋先生が入会されております。栃尾郷病院は、栃尾市で唯一の病院から長岡市のはずれの病院となり、いつの間にか常勤医は内科だけになってしまいました。病院の形態も2年毎に変わり、来年もまた変わりそうです。
 旧栃尾市は旧長岡市とほぼ同じ位の面積ですが、人口は約6分の1と少なく、市街地以外の人口は疎らです。医院および病院は市街地に集中しており、遠方の患者さんは20分ないし30分かけて医療機関を訪れます。車を運転できる患者さんは、さらに20分ないし40分かけて旧長岡市内に出かける方も少なくないようです。そもそも旧栃尾市内では働き口が少ないようで、日中は市外に出る方が多いようです。
 栃尾市古志郡医師会は、新年会およびその他で年に1ないし2回の集まりがあり、約半数の先生方が出席されます。中でも医師会長選びは圧巻で、皆さんが辞退の理由をそれぞれに述べられて、どなたに決まるのかはらはらさせられます。この医師会には事務所や事務員がいないので、医師会長の仕事は多岐にわたり、皆さんが敬遠されたようです。小人数の医師会でもまとめていくのは大変です。それでもお酒が入ると宴会というものは楽しくなるもので、カラオケで自慢ののどを震わせる方の競演もみられます。その後、栃尾班となってからの集会は少ないようです。
 救急医療は、ほぼ長岡市の3病院に頼っており、栃尾郷病院に搬送される救急車の数は、誠に申し訳ありませんが年々減少しています。近年、医療崩壊の原因として医師不足が考えられ、医学部の定員を遅まきながら増やす事になったようです。しかし、医学部の定員を何人増やせば、その後の医療がどのように変わるのかという話は聞いたことがありません。医師過剰だと言っていたお役人にはお咎めはなく、医師不足からと思われる医療過誤にはパンチが入ります。
 これからの医療では、高齢者および超高齢者の医療の在り方、ないしは終末期医療の在り方が問われることになると思われます。何人もこの問いかけから逃れられませんが、先ずはエビデンスが待たれます。

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パティシエよりケーキ屋さん  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

「またきょうの小学生の子の夢もパティシエになりたいです、だってさ。」と不満顔のわたし。
「まあまあ、そう目くじらを立てないでいいじゃないですか。はやり言葉なんですよ、きっと。」と家人は食卓に納豆、おひたし、焼き魚とぬか漬けと純和食の朝の献立を並べながら笑います。
「オレだけ? 世間にはこどもにパティシエと呼ばせるのに反対派はいないのかい?」
「そうかもね。」

 地元のN日報には地域版で好企画があり、楽しみにしています。地元長岡の小学生を毎回二名取り上げ、顔写真入りでその作文を紹介している欄です。その作文のテーマはこどもたちのいま熱中していること、家族のこと、ペットのこと、あるいは将来なりたい職業や夢がとりあげられることが多いです。
 その子その子で、田舎の素朴さがあったり、はたまた「都会の子」的発言があったりして、いずれにしても未来のあるこどもらしさが感じられ、心がなごまされることが多いのです。
 そこで将来の夢が語られるなかで、気になってしかたがないことがひとつあります。たまたまきょうのゆうた君もそうだったんですが、それは「パティシエになりたい」という言葉。最近たびたび目にするのであります。昔なら絶対こうでしょう。
「ぼくはケーキ屋さんになりたいです。」「わたしはおいしいお菓子を作ってよろこんでもらえるお店をやりたいです。」

 ちなみに大字泉によれば、パティシエ(フランス語)patissier、ケーキなどの、菓子職人のこと。
 この流行語の背景をネットでもう少し調べれば以下です。
「それはケーキを専門的に作る職人を指すフランス語。日本語では「菓子職人」と訳される。元々はフランス料理店のデザート部門を担当する料理人を指すことばで、業界内では昔から普通に使われていたが、女性雑誌の特集やテレビ番組などで取り上げられるようになって一般にも広がってきた。(中略)また、シェフやソムリエの人気を契機として、食の世界のさまざまな職業が注目されたことも追い風となっている。」(新語探検−亀井肇による解説)

 だからケーキ屋さん、お菓子屋さんで表現できない、なにか新しい概念が加わったわけでは必ずしもないのです。それならこんなカタカナ語使わないほうがよいのでは? フランス語では、もし女の子がケーキ屋さんになるなら、女性形のある名詞ですので、ほんとはパティシエール patissiere と言うのが正しいのかしらんと疑問も起きます。

 南長岡にあるスーパーHの並びに一軒の美容店があります。その看板が「ラ・プランタン」。うーむ、プランタンはフランスの有名店の名前にもなっていますが、春のことで男性名詞。となれば冠詞はルではないか。フランス語は初学なゆえに、街角のささいなことが気になります。
 話が脱線しましたが、外来語を使わずに、ケーキ屋、菓子職人がいいと思います。もちろんそれまでにない職業…たとえばソムリエがよい例でしょう。あえてソムリエを葡萄酒の利き酒鑑定人と呼びましょうとは申しません。
 わたしはパティシエが働くパティスリーでなく、長岡の街角のふつうのケーキ屋さん、お菓子屋さんでケーキを買うのが好きです。すかさず別の理由から「ケーキはあまり買わないように!」の声あり。

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