長岡市医師会たより No.350 2009.5


もくじ

 表紙絵 「法末(小国)にて」丸岡稔(丸岡医院)
 「武道半生記」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「ベーゼンドルファーを知っていますか」 笛木はるな(新潟労災病院(前 長岡赤十字病院))
 「ACLS講習会に参加して」 立川 浩(悠遊健康村病院)

 「ACLS講習会に参加して」 中井利紀(悠遊健康村病院)
 「南アフリカにルーツを求めて〜その13」 田村康二(悠遊健康村病院)
 「ケムンパスの正体」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「法末(小国)にて」 丸岡稔(丸岡医院)


武道半生記〜落ちこぼれ稽古人の武宗雑感 その2  福本一朗(長岡技術科学大学)

3.太極拳の思想
 
中国独自の宗教のうち「礼」を尊ぶ儒教は、開祖孔子の武術嫌いのためか武道との組織的なつながりは見当たらない。しかし神仙思想の一つである老荘思想と道教は太極拳と強く結び付き、その精神的側面を構成している。太極拳は「練身」「練意」「練気」の3つを統合した全身運動であり、意志の働きが体の動きを導くため、意に重きをおいて力に重きをおかない。これは中国の「入息調息」という古典的な養生法を拳法の中に取り入れ、動と静との統一をはかり、動中に静を求めようとするものである。雑念を去って精神を統一し、各動作をはっきりと意識する。これを「静(ジン)の原則」という。また全ての動作は「繭から糸を引き出すような」気持で行ない、足の運びは、ちょうど「猫が歩くよう」に行なう。呼吸は腹式呼吸で、自然に深く細く滞りのないようにおこなう。体は常に緩やかにしていつも楽な状態に保つ。これを「鬆(ソン)の原則」という。また稽古中は、次の太極拳十要に注意し、水が低きにながれるように、また空をわたる風が雲と戯れるような気持で行なう。

〔太極拳十要〕
1.虚霊頂頚(きょれいちょうけい)雑念を取り除き頭を真っ直ぐに保つこと。
2.含胸拔肺(がんきょうばっぱい)胸を凹ませ肺を背中に付けること。
3.鬆腰(しょうよう)腰を柔らかく保つこと。
4.分虚実(ぶんきょじつ)虚の動作(陰)と実の動作(陽)を区別すること。
5.沈肩墜肘(ちんけんついちゅう)肩と肘の力を抜き重力に従って落とすこと。
6.用意不用力(よういふようりき)肉体の力ではなく、気の力(内勁)を用いること。
7.上下相随(じょうげそうずい)手・腰・足・視線の動きが常に一緒であること。
8.内外相合(ないがいそうごう意志に反応して体が滑らかに動くこと。
9.相連不断(そうれんふだん)動作が連綿として一瞬も絶えず流れ続けること。
10.動中求静(どうちゅうぐせい)静をもって動を制御し動きの中にも静寂を求めること。

 太極拳の思想は日本の古武道に深い影響を及ぼし、とりわけ合気道はその動きも呼吸法もまるで双生児のように酷似している。両者の思想の根幹は老荘思想の「無為自然」に通じ、それは「人に打たれず、人打たず、全てことのなきことを旨とする。」という武道の究極の境地にも通じている。彼我を区別せずに全てを包み込みながら、大河のようにゆっくり流れゆく太極拳の動きは、一見すると空手のスピードも柔道の力強さもなく単なる体操の様に見える。しかしその技を武術として用いた場合には、「真綿で鉄を包んだような」力強さを発揮し、ゆっくりとした動きにも関わらず一瞬即発、瞬時にしてはじき飛ばされる。物理的な力よりは「気力」を用いるため、相手が強ければ強いほど強くなれる。そしてその動きは徹頭徹尾、防御的であり人を威圧しない。そこには「争い」すら気の波の中に昇華されている。まさに一人の個人の動きのなかに武道と宗教が、自然な形で止揚された姿と言えよう。

4.人、人、人、全ては人である。
 武道も宗教も「両刃の剣」であり用い様によっては人を幸福にも不幸にもできる。宗教の目的が究極的には「諸衆済度」であり、「武」の漢字の成り立ちが「争っている二本の矛を止める」ことから分かる様に、武道の目的が「和平」にあるとするならば、その求めるところは宗教と同じであると言えよう。武術は決して報復の道具や自己の欲望実現のための手段ではない。例えテロに対する報復としての戦争であっても、暴力に対する暴力は決して正義とは呼べない。憎しみは憎しみを呼び、悪意の連鎖が果てしなく続くだけであることは、人類五千年の歴史が繰返し物語っている真実である。
 不世出の天才剣術家であった宮本武蔵が唯一破れた夢想権之助を開祖とする神道夢想流杖道の師範であられる乙藤先生は、奇しくも「私の宗教は供杖僑です」と名言された。三百数十年連綿として絶えることなく伝承されてきた杖道を現代に守る85歳の乙藤先生の生活態度はまさに自然体で、その演武を拝見していると隙のない厳しい動きの中にも、決して相手を傷つけまいとする慈愛が感じられた。また当時合気会本部道場長であられた大沢師範は、歳の頃75「道場の神棚に向かって礼拝することは、クリスチャンとして絶対にできない」と訴えた稽古人に対して、「自分の信じるものに対して礼拝しなさい。神棚の中には紙切れが入っているだけだ。君は神棚を越えたずっと向こうに頭を垂れていると考えなさい。」とおっしゃったことがある。その意味で武道は究極のところ「自分自身と宇宙」の問題であり、人が人為的に作り上げたいかなる「教団」や「思想」も関係がないと考える太極拳の思想と、両師範の説かれるところは一致しているように思える。
 武道といい宗教といっても、畢竟人々の幸せを目指して人のなす技である。すべてはそれを行なう人の修業態度と人間観によって作り出されると言っても過言ではない。少林寺拳法教範に「人、人、人、全ては人である」とあるのも結局はそのことを意味しているのではないであろうか。(終わり)

  

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ベーゼンドルファーを知っていますか  笛木はるな(前:長岡赤十字病院)

 ベーゼンドルファー社は1828年にウィーンで設立されたピアノ製造会社です。すごいピアノを造る会社です。何がすごいって、まず高い。2台もあれば、けっこう高いマンションが買えます。高いのは当たり前で、このピアノは優れた技術者たちが時間をかけて造り出していく芸術品。全工程を手作業で行うため、その生産台数は年350台と大変希少です。見た目は何となくドイツっぽい印象で、眺めているとビールが飲みたくなります。が、中を覗くと大変に緻密な造りになっていて、本当に手作業で作ったのか?と疑いたくなるような精巧さです。ビールなんて言ってごめんなさい。心の中でそっと謝りました。
 ベーゼンドルファーの特徴はその音色にあります。群衆の好みがピアノ独奏からオーケストラへと変遷し、強い音が求められる時代に突入しても、その伝統的な音色を守り続けました。特にピアニッシモに対するこだわりは世界一。『ウィンナートーン』と呼ばれるその独特の音色は、『至福の音色』と評されるほど美しく響きます。音の特性上CDの録音に向かないため、生でしかこの音色は楽しめないのです。とにかくすごいピアノなのです。
 こんなに美しく繊細なベーゼンドルファーですが、実はその名を知らしめたのは耐久性でした。「ラ・カンパネラ」で知られるフランツ・リストは激しい演奏で有名で、たった2〜3曲弾いただけでピアノを壊すみごとな破壊王。こんなリストの演奏に耐え抜いたのが、ベーゼンドルファーのピアノでした。さすが、強い子です。
 さて、このベーゼンドルファーのピアノが見附市のアルカディアホールにあり、3月22日にこのピアノを弾いてきました。どーんと贅沢に、大ホール貸切です。
 通常なら小出郷文化会館の大ホール(ピアノはスタインウェイ)で行うピアノの会ですが、今回はベーゼンドルファーを愛でる会となりました。演奏者によって響く音色が異なり、聴いていて飽きないピアノだなぁ、という印象。さすがは高いピアノです。今回は本多先生のチェロ独奏があり、かなり素敵でした。ぜひまた聴かせて下さい。次回は9月に小出郷文化会館で行う予定とのことですが、個人的には今度こそ新曲にチャレンジしようと思っています。普段は安ーい電子ピアノでしか練習できませんが、時々こうして良質なピアノに触れていると、ずっとピアノを続けたくなります。しかも大ホール貸切ですから、ちょっといい気分にもなれます。かしこまった会ではありませんので、ちょっと弾いてみたい、子供に弾かせてみたい、という方はぜひご参加を!

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ACLS講習会に参加して  立川 浩(悠遊健康村病院)

 現在私は、悠遊健康村病院の医療安全管理委員長を任されております。当施設はリハビリテーションセンターや老人健康保健施設悠遊苑を併設していることから、リハビリテーションスタッフや介護職員が多い業務形態であり、当然救命処置の経験者も少ないため救命処置教育もBLS(Basic Life Support)が中心となります。どちらかというと講義が中心で実践的な部分は少ないため、実際の場面では看護師を呼びにいく行為までがほとんどであり、全職員に教育が行き届いているかを把握することは難しいのが現状です。また当院はAEDを2台設置しており、幸い一度も稼動することもなく経過しておりますが、AED研修も十分とはいえません。今回私が参加した目的の一つは、救命処置に関する院内教育を充実させるための指導方法を体験することでした。
 正直に言いますと、ACLS講習会参加にあたり事前の学習が十分ではなかったため、指導されたスタッフの方にはご迷惑をおかけしました。一日がかりの講習会はあっという間に終わり、身も心も疲れ果ててしまいましたが、実に充実した研修内容であったと感じております。ACLS講習会は、この『ぼん・じゅ〜る』でも体験記が何度か紹介されており、講習内容については擬似体験された方も多いかと思いますので、細かい内容に関しては割愛させていただきます。しかし、実際に参加しないと得られないものが多いのも事実です。私に関しては、まず最新の情報に触れて自分の不十分な知識と技術の整理ができました。さまざまな状況に対応するためにも日頃から勉強は必要だということも改めて認識しました。指導方法もアメリカ的な手法を用いているため、効率的で実践に即した方法であると思いました。大勢の方々のご協力により密度の濃い内容になっていますが、講習内容に対して講習時間の割合が短いと講習が終わった当初は考えておりました。しかし、講義の中で誰かに指導することで理解を深めることができる、という話をされておりましたし、実際病院内での教育に当てはめようと考えていく中で、講習会で気が付かなかったことにも目を向けることができました。今は多数の職種が混ざったチーム構成で、より実践で求められる管理とは何か、を考えるようになっています。
 余談ですが、この講習会のあった夜、疲れた気持ちで何気なくテレビをつけましたら、日本の宇宙飛行士が選ばれるまでのドキュメンタリーが放送されていました。宇宙空間では人種も職種も全く異なるチームが構成されるため、リーダーの資質の高い者だけを選びます。様々な状況に対していかに素早く対応し、どのような状況でも誰かがチームリーダーとして管理することができることを主眼とした選考の様子をみていて、まさにACLSコースも同じ観点で構成されているな、と感じました。私は宇宙には行けないけれど、今回のベストパフォーマーであった小国診療所の金子先生は宇宙も夢ではない、と思いながら放送を観ておりました。
 ACLSのもう一つ重要な要素は、リーダーの育成に必要な要素が盛り込まれていることにあります。実際に医師以外の職種にも医師と同じような行為を体験してもらうことで、ACLS全体の流れを理解してもらい、いざというときの現場で必ず管理者がいる状況を多く作り出すのがACLSコースの目的の一つでもあります。これは病院の内外を問わず救命処置には必要でありますが、病院の安全管理の面からみた場合でも必要な条件といえます。様々な問題に対してリーダーの資質のある者が一人でも多くいることで、危険を回避して安全安心のある病院生活を患者およびご家族に提供できると考えています。また職員の安全の確保に対しても効果のあることと思います。今私は看護師長などに声を掛けて、このACLSコースの参加を勧めています。単にACLSを体験することはもちろんですが、先ほどから述べていますように、リーダーとして必要なことを体験することがACLS講習会では可能であると考えているからです。一般社会や病院全体の安全意識を高めるためにも、より多くの参加が今後も必要であると思います。
 最後になりましたが、このACLS講習会を支えている多くのスタッフの献身的な姿と情熱には、頭が下がる思いです。一つの目的に向かって団結していく姿は、まさにACLSに必要なチームワークを実践されていると感じました。この講習会がさらに発展されることを心より願っております。ありがとうございました

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ACLS講習会に参加して  中井利紀(悠遊健康村病院)

 平成21年3月8日日曜日、長岡市医師会主催のACLS講習会に参加しました。前職の病院でも講習を受けるように言われてはいたのですが、なかなか予定が合わず機会を逃し続けており、念願叶っての参加になりました。
 現在勤務している悠遊健康村病院にも院内2箇所にAEDが配置されていますが、正確な場所を把握しておらず、実を言うと恥ずかしながらAEDその物に触れたことさえありません。幸いなことに当院のAEDが稼働したケースは未だありませんが、不測の事態が発生しその場に居合わせるかもしれないことを考えると、とりあえず1度見ておくだけでもいいかな……というのが申込時の気持ちでした。しかし受講日が近づくにつれて徐々に緊張が高まり、前日は眠りが浅く、当日も早くに目覚めてしまいました。当日は残念なことに(?)とてもいいお天気だったのですが、朝食もあまりおいしくありません。内心不安を抱えながら会場の長岡赤十字看護専門学校に向かいます。長岡に赴任したのは昨春なので、他の先生方や医師会のスタッフさんにも馴染みがなく、まだ緊張は解けません。参加者を眺めると若い方が多く、気圧されていましたが、参加者名簿を見ると職場の先輩である立川浩先生の名前が!
 先に着いておられた先生も同じような気持ちであったようで、少しリラックスして開講に臨むことが出来ました。当日の詳細な講習内容は他の先生にお任せしつつ、ここからは私の当日の講習内容を書かせて頂きます。
 先ず初めにスタッフによるデモンストレーションを見せて頂いたのですが、大きな声を出し流れるようにテキパキと処置を進めていく様には目を丸くしてしまうと同時に、大きなプレッシャーとなって圧し掛かります。このような場に来てしまったことに後悔を感じながら、次に概論のスライド講習を受け、その後 skill stationの実習を受けます。「心電図と薬剤」のブースでは佐伯先生に心電図の鑑別、薬剤の用法を教わり、「徐細動/AED」のブースではついにAEDに触れることになりました。ここで担当して頂いた諸橋隊員(栃尾救急)からは誤飲による窒息の解除を教わり、これは知っておいて損はないなと思いました。「気道確保」のブースでは様々な挿管チューブの紹介と、ダミー人形を使った挿管の実習を受けました。病棟で行う挿管との違いは参考になりました。
 午後からの Case Study では午前中の実習で学んだスキルを事例で活かす講義を受け、最後のMega Codeではその集大成を試される場を与えられました。
 私事ですが、受講当初は場の雰囲気に怖じ気付き、このような場所に来てしまったことを後悔しましたが、1つずつSkillを習得するにつれて、初めはなかなか出来なかったことが少しずつ出来るようになり、OSCEを受け、修了式が終わった後は、充実した気持ちで帰途に就くことが出来ました。
 「百聞は一見にしかず」と言います。ACLS講習会を未受講の先生が居られましたら、僭越ながら早急の受講をお勧めさせて頂きます。
 最後になりますが、このような貴重な機会を設けて頂いた医師会の方、ご指導頂いた先生方、準備をして頂いたスタッフの皆様、どうも有り難うございました。

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南アフリカにルーツを求めて〜その13  田村康二(悠遊健康村病院)

第7章再びチョベ国立公園へ 10月15日(日)晴れ

 何と朝の5時には、一同はロビーに集合して朝食のコーヒーとパンなどを食べた。サファリで動物をみるには、自ずから行動は動物並みに夜討ち朝駆けとなる。

1.チョベ国立公園でサファリ・ドライブする
 朝6時になって、2台のサファリ・カーに分乗してホテルを出発した。このサファリ・カーはトヨタ製だが、無蓋車に改造されていた。
 広大な公園のサバンナに入って行くと、インパラ、カバ、バッファローなどが左右に見えた。キリンが悠々と歩いていた。しかし象の50頭位の大群に出会ったときは、驚いた。オス象の1頭が車に近づいてきて、我々を威嚇したのだ。車の10m位の位置で大きな耳を内扇のように立てて、「グオーグオー」と腹に響く轟く様な低い不気味なうなり声を立てた。ガイドが「音を立てないで下さい、危ないですから」一同息を潜めていると、間もなく象は去っていった。「象は近視ですから、我々はよくみえなかったでしょう。匂いで警戒したのでしょう」と説明してくれた。タンザニアでも数頭の象に威嚇された思い出がある。「もし本当に象が突進してきたら、我々は一溜まりもありません」などとガイドは言って笑う。「冗談じゃないよ」と一同は胸を撫で下ろした。「本当に無茶で怖いのはカバとバッファローですよ」と説明された。
 水辺で小休止した。そこにはトイレが用意されていた。「あなたの体格なら日本に来たら格闘技でも成功するでしょう」とガイドの大男に話して家内との記念写真に納まって貰った。あたりには名も知れぬ水鳥がたくさんみられた。わたしが分かったのは、ペリカンだけだった。帰路に特別に現地のスーパー・マーケットに立ち寄った。アジア人も見かけた。「中国人でしょう。」と説明された。ここで購入した紅茶は安くしかも美味しかった。

2.サバンナで競争と共栄を考える
 私が長年研究してきた時間生物学とダーウィンの進化論とは継続した思想である。ダーウィンはヒトという種が生まれるまでを理論的に説明した。ヒトの誕生以後について時間的な展開については、唯一時間生物学が科学的に解明してきている。
 「生物とは持続した振動を示すものだ」と言うのが時間生物学者の答えである。この世に受精卵が生まれて、一定の振動を始める。するとそれ以後は待ったなしで時間的に決められたリズムで生命のプログラムは進行する。やがて次世代に受精卵を提供するようになる。こうして生命は延々と展開してきた。つまり生命は時計仕掛けで展開しているというのが時間生物学なのである。
 ダーウィンがいうevolutionという語は、内側に巻き込んでおいたものを外側に展開することをいう。それを日本語で進化と訳したから、一定方向への発達や進歩に類した言葉として受け取られるように誤解されてしまっている。進化と発達や進歩とは違うのだ。これが和訳の限界である。
 evolutionとは、生物は時間と共に無方向・無目的に展開して、適者生存とは環境の激変のなかで、たまたまその変化に適したものが生き残ってきたと言う意味だろう。その過程をダーウィンは生存競争と言ったのだ。決して強者が弱者を駆逐するという弱肉強食のことを言って居るのではない。最近ではようやくダーウィンのいう進化の説明の解釈についても、生物の変化は進歩とは異なるものとして捉えられるようになっている。
 時間生物学では生体制御は中枢の親時計と末梢にある子時計とのcoordinationでできていると考えている。つまり互いに協調して動いているが、末梢振動体には中枢の時計遺伝子Clockは必ずしも必要ないとも考えられている。例えば内因性覚醒物質であるヒスタミンの合成酵素をノックアウトしたマウスでは、行動量が低下し、行動リズムの周期が延長する。マウスの時計遺伝子発現リズムは視交叉上核では野生型マウスと本質的な違いは無いが、大脳皮質や線条体では発現リズムは著明に抑制されている。そこでヒスタミンニューロンが末梢時計から中枢時計へのフィードバックに関与しているとされている(Mol Brain Res,2004)。これまで言われてきたようなnegative feed back機構は時計機構には認められていない。更にホメオスターシスも時間生物学では認めていない。ホメオ・ダイナミクスと考えているのだ。最新医学は絶えず進化しているのだ。

第8章ケープタウンへ行く 10月10日(月)晴れ

 朝ボツワナから再びジンバブエに入国してビクトリア・フォールズ空港に着いた。14:00発のブリティシュ・エアウエイズ6429便でヨハネスブルグへ向かった。南アフリカ共和国の第2の経済都市・ヨハネスブルグに着いたら、再び「危険な空港ですから一団となって行動して下さい」と注意された。
 到着後に国際線ターミナルから国内線ターミナルへと1キロ位を急いで移動した。私たちは乗り変えの飛行機までは時間が無くなったからだ。そこで急いで重い手荷物を引っ張って小走りに走ったせいか息が切れた。ヨハネスブルグは南アフリカの東部の台地地帯にあり、後で聞くと標高は1753mの高地にあることを考えると息苦しく感じたのは或いは歳のせいだけではなかったのかもしれない。
 17:10ようやくケープタウン行きのブリティシュ・エアウエイズ6429便に間に合った。「前の飛行機で到着したお客様の荷物が破損していたので、その対応でおくれたんです」と説明された。
 19:10にケープタウン空港に到着して、ホテルに向かった。The Table Bayがホテルの名前だ。ショッピングやレジャー施設があるウォーターフロント地区にある「6つ星」ともランクされている立派な「ザ・テーブル・ベイ・アット・ザ・ウォーターフロント・ホテル」である。最近は5つ星を越えたホテルが各地にある。東京でも最近日本橋にできたマンダリン・オリエンタル・ホテルも6つ星だ。
 南アフリカ共和国は豊かな鉱物資源と壮大な自然を誇る国だ。この国の多くはカラハリ剛塊という先カンブリア紀の岩石からできている。約2億前に出来た世界で最も古いとされている岩石群だ。カンブリア紀は約5〜6億年前の古生代最初である。このカンブリア紀の初期に多細胞生物が爆発的に出現し1万種以上になったとされている。世界で最も古い細胞がみつかっているのはこの国だ。約32億年前の岩石、チャートで、その中には細菌や藻の原始的な生物化石が見つかっている。
 ケープタウンの背部は急峻な険しい山並みが迫っている。その岩石のごつごつした感じは日本の優しい山並みとは違う。この北部はナビブ砂漠と草原で繋がっているという。
 ホテルと隣にあるショッピングセンターとは2階で繋がっていた。「このあたりは治安も良くて夜間でも歩けますよ」との現地ガイドの話しだったので早速ショッピングセンターに出かけた。その夜はホテルの中の立派なメイン・ダイニングルームで久しぶりに食べたチキン・サラダは美味しかった。こういう所でなければ、生野菜は口にできないのでこれも楽しめた。メインディシュはステーキか魚のグリルの選択だった。魚のグリルは食べたくないので遠慮した。魚料理は西洋料理では美味いのにおめにかかったことが無いからだ。自分で注文するならこういうところでは、ロブスターだ。ステーキのフィレを私は普通は食べないが、フィレに限られていたので、止むをえなかった。
 「折角の旅なんだから、宿も料理もこうなくちゃね」と家内と私はとりあえず満足した。ホテルの部屋からは観光名所である1086mの断崖の上にある平らな大地・テーブル・マウンテンが真正面に良く見え、窓の下の入り江の海岸の明かりと巧く調和してみえた。(続く)

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ケムンパスの正体  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 初夏のこの時期、アスファルトの道路をせかせかと横断する大きな黒茶色の毛虫をよく見かけませんか? 体長は六センチで、長い毛がふさふさと生えています。
「こっちに来ないでよ。わたしの家に来てはいけません。」
 家人が分別ゴミ出しの帰りの玄関先で、なにか言い聞かせている相手は誰かなと見れば、この毛虫、ケムンパスではありませんか。
 それでは実力行使と、家人が手にした園芸スコップで押し、くるりとからだの向きを百八十度回転させました。毛虫は急ぎ足で、我が家の庭とは反対の空き地へと向かいます。「急がないと、急がないと……。」なんて独り言を口にしていそうな雰囲気。ムクムク、モコモコの動きがどこかにくめないやつです。
 毛虫の外見はケムンパスのあだ名がぴったり。わたしと家人は同世代なのでケムンパスの名前は共通認識があります。赤塚不二夫(昨年亡くなった新潟出身のマンガ家)の作品の動物キャラクターですが、みなさまはご存じでしょうか?
 赤塚が毛虫をデフォルムして作った際に、湿布薬のサロンパスの名前と勝手にくっつけて命名したとか。ケムンパスは自分を「小生」と呼ぶ気弱な性格で、「〜でやんす」が口癖。猫のニャロメのなかまです。
 念のためネットで確認。彼らが脇役で登場する『もーれつア太郎』は、四十年前に少年サンデー連載。わたしは超マンガ好きの少年だったので愛読しました。『天才バカボン』も同様ですが、その後テレビのアニメ番組も人気がありました。
 家人の質問「このケムンパスはなんの幼虫なのかしら?」「大きさはツノがあるスズメガの幼虫級だから、かなり大きい蛾のはず。調べてみようか。」とわたし。
 このわたしたち夫婦が勝手にケムンパスと呼ぶ毛虫をネットで検索開始。のべ数時間、二日がかりの調査でその正体が判明しました。
 昆虫類、鱗翅目、ヒトリガ科のシロヒトリ。そんな名前の蛾の終齢幼虫、つまりもっとも大きく成長した段階の幼虫。その後は蛹になり、八、九月に成虫である蛾に変身する。写真で見る成虫は羽の白い大きな蛾です。開張(広げた羽の最大幅)で七センチ。北海道から九州まで全国に広く分布する。
 
この時期はラストスパートの餌探し、または蛹化する場所を求め、あちこち歩き回る姿がしばしば目撃されるわけなのでしょう。幼虫の食草は野山の草木あれこれで、クワ、スグリ、イタドリ、ギシギシ、タンポポなど。
 町内の道路脇でこの毛虫が茎に縦にしがみつき、無茶食いする姿が大量に見られます。我が家の家庭菜園でも、つい先日、なんとサラダ用のルッコラの葉をむしゃむしゃ食べている犯行現場を目撃しました。
 特徴の黒褐色の長い毛から、熊毛虫 wooly bearの別名もある。米国の近種のタイガーモスの幼虫は、頭部と尾部の黒毛の間に茶毛の部分がある。秋にさかんに道路を歩き回るこの熊毛虫は昔から関心を持たれた。古い農民暦には、この熊毛虫の茶毛が幅広だとその冬は温暖、逆に幅狭だと厳寒との伝承があるそうです。
ちょうど長岡あたりで、カマキリの巣が高い位置だとその冬は積雪が多いというような話であります。
 さて自然に恵まれた我が家のある住宅地の道路。ケムンパスの後は、梅雨の季節にカタツムリやミミズの道路横断が始まります。

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