長岡市医師会たより No.376 2011.7


もくじ

 表紙絵 「青海川駅」 藤島暢(長岡西病院)
 「広島・長崎 そして福島」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「カラス、シランプリ」 廣田雅行(長岡赤十字病院)
 「英語はおもしろい〜その18」 須藤寛人(長岡西病院)
 「風に吹かれて」 岸裕(岸内科・消化器科医院)



「青海川駅」 藤島 暢(長岡西病院)


広島・長崎 そして福島  福本一朗(長岡技術科学大学)

 日本は世界唯一の被爆国であり、二発の原爆によって一般市民38万人の尊い命が奪われたのみならず、戦後66年を経ても放射能後遺症と偏見に苦しむ被爆者が数多く居られる。そして2011年3月11日の東日本大震災と津波により福島第一原電の原子炉がメルトダウンし、万人を超える23人々が生活地域から避難を余儀なくされた。人間を含むあらゆる生物と環境を永く傷つける放射能汚染は目に見えないため、心無い人々からの謂れのない風評被害が被災者と被災地域をさらに傷つけ苦しめている。世界一の識字率と高等教育を誇る日本人は、今こそ理性的に原子力と放射線について考え直し、全人類の模範となるべきではないであろうか。
 人類は、広島・長崎・福竜丸・チェルノブイリでの放射線の悲劇を永遠に忘れてはならない。しかし生物は自然放射線のもと発生進化してきたこともまた事実である。たとえば民間のラドン温泉や癌に対する放射線療法を例に引くまでもなく、「毒も使い様で薬」で放射線が人々の命を救う場合があることもまた事実である。これは漢方治療において、ヒ素やトリカブト等の「毒物」でさえも、使い方によっては「君臣佐使」の「使薬」という最下級の薬物として利用されていることからも明らかである。放射能においても、実験動物とヒトにおいて低線量電離放射線(LLIR)を照射することにより死亡率が減少する「放射線ホルミシスRadiationhormesis」現象が良く知られている(Fig.1)。
 ただこれらの科学的事実は、あくまで被爆者の方々の心の健康に役立てるべきであり、決して政府や原発推進派の「責任回避」や「原発安全神話」に利用されてはならないことは当然である。また政府が原発事故の後で変更した線量限度値は、あくまで被曝制御の「事前の目安」であり、決して恣意的に事後変更されてはならないことを関係者は深く銘記すべきである。
 福島第一原電の原子炉事故を受けて、原発を有する自治体首長や東電の株主から原発廃止の声が上がっている。だが政府と電力会社それに一部の企業は「今や日本の全発電量の26%を占める原発なしには日本の産業の未来はない」として、原発維持を目論んでいるように感じられる。しかし残念ながら、原発の有用性と安全性を、初心に立ち返って科学的に検証しようという動きはあまり見られない。原発推進派は、(1)原子力はクリーンなエネルギーであり、(2)火力水力発電に比して安価であり、(3)資源の乏しい日本に国策上有利と主張してきた。しかし今回の福島原電からの放射能汚染はチェルノブイリに相当する重大なものであり、プルトニウムの生物学的半減期が骨で50年とされている事からも、また今後二度と同じ様な原子炉事故が生じないという保障もないため、(1)のクリーン性はもろくも崩れた。また石油・石炭と同じく原発の供燃料僑であるウラニウムの埋蔵量も我が国は乏しく、使用済み核燃料の処理とともに外国に依存せねばならないため(3)の独立性も怪しくなっている。残るは(2)の経済性だけであるが、これまでは原発推進派の主張のみが世論を賑わせていたのに対して、武田邦彦教授(中部大)は「東電は原発にかかるコストのうち、研究費・設計開発費・廃棄物処理費・原発受入れ自治体への交付金などをすべて税金からまかなってもらっており、運転にしかコストをかけておらず、今回の1兆円を越す損害賠償金も国に責任を持たせている」と批判される。また小出裕章助教(京都大学原子炉実験所)は、「原子力の発電コストは1kWhあたり5〜6円という資料もあるが、それは政府が都合のいいデータを集めて計算した『モデル試算』の値だ。1970年から2007年までの総単価(発電単価、開発単価、立地単価)を有価証券報告書のデータを用いて再計算すると、1kWhあたり、原子力が10.69円、火力が9.90円、一般水力が3.98円、揚水が53.54円となり、原子力のコストが安いと言えるわけではない。つまりコストは試算の前提条件によってかなり変わるのであり、政府は原発を推進するために『安い』というイメージを流布しようとしている。」と批判されている(Fig.2)。※1
 小出氏はこれに加えて、「日本では使われていない火力の発電所が相当数あり、そういった発電所を稼働させれば、原発を全部止めて廃炉にしても問題ない。東海地震の予想震源域にある浜岡原発をはじめ、国内の全原発を即刻廃炉とすべきだ。」と主張されている。世界にはすでに供脱原発僑に踏み切った国が存在する。イタリアは1986年のチェルノブイリ原発事故を受け、1987年に国民投票を実施して当時稼働していた4か所の原発を順次閉鎖することを決定した。ドイツも脱原電を決意し、米国でも国民の多くは脱原発を要求してデモを行っている。
 新潟県避難所巡回診療でお目にかかった福島からの原発避難者のほとんどは「もう原発はいらない!」と口々におっしゃっておられた。原発事故のために故郷を追われ、生活手段と子供達の未来を奪われた避難者の方々の声なき声を我々は決して忘れてはならない。そして次の世代に美しく安全な祖国を遺すため、われわれは今こそ「脱原発」を力強く主張するとともに、どのような困難に出会ってもくじけず、「自然エネルギー」に基づく循環可能型人間生活を忍耐強く押し進めるべきと思料する。

※1http://www.news-postseven.com/archiv-es/20110526_21428.ht-ml2011.5.26

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カラス、シランプリ  廣田雅行(長岡赤十字病院)

 「カ〜ラ〜ス、何故啼くの、カラスの勝手でしょう〜。」と、歌ったのはご存知ドリフターズの定番のギャグ。昔は大受けしたものでした。キット大方の皆様もご存知の事と思います。今年は、通勤ルートの、未だ枯れ枯れとした早春の木々に、カラスの巣を二つ見つけました。一つは信濃川の河川敷で(写真1、2)、もう一つは何処有ろう日赤の構内でです(写真3)。冒頭に童謡の替え歌を引用してみましたが、原題は「七つの子」で、決して「カラスの子」とか、「カラス何故啼くの」ではないのです。皆様重々ご存知の事で、何を今更、とお思いの事とは存じます。しかし、何か変ではないでしょうか?。日本で里に見られるのは「ハシボソガラス」か、「ハシブトガラス」で、産卵数は何れにしても、三〜六個。写真に写った親の嘴からすると、どうやら「ハシボソガラス」のようですが、去年の別の巣でも、育ったのは三頭、巣の大きさから言っても、その位の数が精々と言った所です(写真4)。写真の下方にあるのが去年の「巣」で、その上に巣立ち間際の二頭の子ガラスがいます。因みに初めの二枚の写真は河川敷の「巣」ですが、写真1は「カラス」のカラス(空巣)、写真2は「カラス」のイルス(居る巣、居留守、ま、単なる洒落ですが……)、このサイズで七匹の子沢山は一寸キツイ、ですよねェ。
 元歌は、作詞、野口雨情、作曲、本居長世による物で、童謡として、又、子守唄として親しまれてきた物です。
「カラス、何故啼くの、カラスは山に、可愛い七つの子があるからよ。」と、歌うのですが、「七つの子」の「七つ」と言う「数」に一寸引っ掛かってインターネット検索をしてみました。出ましたね、何と、約五十九万四千件(グーグルでの検索結果)。そして、この「数」には二つの説が有ったのです。第一の説は、字義通り七頭の子供が居る、とするもの。第二の説は、七歳になる子供が居る、と言うものです。
 第一の説は多少、数としては多いのですが、此の位の誇張は「童謡」ですので、有りかなとは思われます。それと、KARASUとNANATUの韻の踏み方も良さそうでは有ります。
 第二の説は、最初は、七年も自立できずに巣に居座っているというのかい〜、とも思ったのですが、この説を採る方々に拠ると、その趣旨は、七歳位のニンゲンの子供に「カラスにも同じ様な可愛い子が居るんだよ。」と、話しかけているのであろうと言う事のようです。カラスは孵化してから約三十日前後で巣立つようですので、人間のように、約二十歳位で(ホボ……)自立するとしたら、その約三分の一、生まれて十日目前後がここで言う「七つ」に相当するのでしょうか。そのように考えれば、それはそれで有りかな、とも思えてきます。
 閑話休題、このように、カラスがペアで過ごすのは繁殖期のみで、それ以外の時は群れを成して居るとされ、因みに昭和五十六年版の『新潟県鳥獣図鑑』では、刈羽郡西山町石地に日本一のねぐらが在るとされて居ましたが、何せ古い話、今はどうなっているのでしょうか。
 佐渡の朱鷺の巣では中々雛が生まれないようですが、こちらのカラス達は繁殖力も強そうですので、もうすぐ雛が孵るのではないでしょうか。
さて、「七頭」でしょうか、「七歳」でしょうか、もうすぐ結果が出そうで一寸楽しみなところでは有ります。皆様はどちらの説に肩入れされますか?。尤も、当のカラス達は、こんな事が取り沙汰されていよう等とは知る由も無く、「カラス、シランプリ。」

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英語はおもしろい〜その18  須藤寛人(長岡西病院)

※発音記号等一部標記ができない部分があります。ご了承ください。

Circumcision 割礼
 circumcision は岩波英和辞典には〔ユダヤ教・回教の宗教的儀式〕の付帯説明づきで「割礼」で、研究社英和大辞典では「包皮〔小陰唇〕切断」とある。circumcise は「割礼をする」で、circumcised や circumciser などの派生語をみる。語原は <L. circumcidere(p.p. circumcisus)、circum「周りに」+ cidere「切る」である(Merriam-Webster 大辞典)。
 若いとき、私の選んだインターン先の病院は Jewish Hospital and Medical Center of Brooklyn であった。Brooklyn 区には State University of NewYork(SUNY)Kings County(通称 Downstate)Medical Center があるが、その第一番目に大きい関連病院で、ベッド数634、前年の年間総入院数は11,610、年間死亡者数441人、分娩数は年間4,000例の大病院であった。医師の待遇は飛び抜けて良かったが、行ってみて分かったことであるが、病院の建物は威厳に満ちていてはいたが、なにせ getto 地域のただ中にあり、医師も私と同じような外国人医師が多く、面食らった。
 一般病棟入院患者は「白人」も多かったが、多くは「ユダヤ系の白人」であった。そこで私を待っていたのが新生児の circumcision であったというわけである。私は、毎日、毎日、多い日には5〜6例も、朝の外来の始まるまでの短時間でこの手術を仕上げねばならなかった。外来を1分でも遅れるとビーパーで呼び出されるという stressful な日々を送った。
 今日は、circum =「周」、「周辺」、「まわりに」、「方々に」などで始まる英語をみてみたい。まず誰でも思い出すのが、circumstance であろう。多くは複数形をもって、"under the secircumstances"「事情によって」とか "according to circumstances"「状況に応じて」であった。circumstantial は「状況による」で、circumstantial evidence で「〔法律用語〕状況証拠」。次に、circumference は「円周」、「外周」で、"にっくきメタボ検診"の「腹囲」は abdominal circumference である。新生児、胎児について、cephalic circumference(頭囲)や thoracic circumference(胸囲)が発育を知る上で問題になることがある。
 circumscribe は「線で囲む」、circumscription は「制限」、「範囲」、circumflex はフランス語で母音の上につける●、●、●などの記号を言うそうで、研究社英和大辞典には55の "circum-" の付く単語が載っていた。circumambulate が「巡行する」「歩き回る」は納得であるが、circumnavigation、circumnavigate で「世界一周航海(をする)」、他の辞書で、circumaviation、circumaviate で「航空機世界一周(をする)」とあった。
 Doland 医学大辞典には、circumanal「肛門周囲」、circumarticular「関節周囲」、circumaxillary「腋窩周囲」、circumbulbar「眼球周囲」、circumoral「口周囲」他15個の医学単語が、circum=aroundの意味で、掲載されていた。
 circumvallate の -vallate は <L. vallare to wall、ridge、trench で「(塁壁で)周囲を取り囲む」であるが、周産期医学で重要な、妊娠高血圧症候群の重症型でよく見られる胎盤の肉眼的異常を示す、「周隔胎盤」は placenta circumvallata である。
 さて、どういう手順で circumcision をやるかというと、金属製の小医療器具があり、まずベル状の物で亀頭を保護し、その上に包皮(foreskin)を伸ばし、外より別の外輪を嵌め、ネジできつく閉めた後、余剰包皮を切除するという簡単な方法である。ネジをきつめに絞め、術後の出血を極力抑えることと包皮切除はやや少なめを心掛けることがコツであった。
 ユダヤ人の中でも、正統派(Orthodox Jew)の人は、Rabi ラバイ(ユダヤ教指導者)によって決まった日(生後8日目?)に儀式的に厳かに割礼は行われているようであった。
 女児の割礼は、男性のものとは異なり、外性器切除(female genital mutilation)で、悪因習以外の何ものでもないと見なされ、先の北京女性会議の時も含め、世界的に禁止の宣言がされていた。しかし、いまだ中央アフリカ地域で広く行われているのが現状であるそうだ(武石弘行著「女性割礼と文化摩擦」)。
 アメリカでの circumcision の現在はどうか? Wikipedia によれば、1998年アメリカ小児科学会は包皮切除を推奨しないというガイドラインを提出した。これを受け、包皮切除は全米で減少しており、21世紀に入ってからは、約6割程度とみなされているとのことであった。
 割礼と性感染症に関しては、論争点の多いところであるが、HIV/AIDSに関する研究で、フランス国立エイズ研究機関によるアフリカでの介入試験結果は割礼群では感染率は1/3であったとされ、その他の多くの研究結果も50〜60%のリスク低下があると結論し、割礼に一定の意味があると認めている。

conception 妊娠
 conception が「妊娠」、「懐妊」、「受胎」であり、もう一つの意味が「考え」、「概念(=concept)」であることを私たちは知っている。(ラ)coceptio より由来している。動詞の conceive は「(子)をはらむ、宿す」と「思いつく」、「想像する」の異なった二つの意味がある。
 しかし、conceptional(形)「概念上の」、conceptive(形)「概念の」、conceptual(形)「概念の」、conceivable(形)「考えられる、想像できる」などの派生語彙については妊娠に関わる意味は無い。ただし、periconceptional はライフサイエンス辞典では「受胎前後の」、「妊娠前後の」と訳され、共起表現に65用例が、"periconceptional alcohol intake"、"p. folic acid supplement"、"p. multivitamin use"、"p. period"、"p. use"などとして示されている。"preconceptional" や "postconceptional" はライフサイエンス辞典にさえ載っていないが、"preconceptional and postc on ceptional work up"「妊娠前・後の検査」として書かれていた活字文を私は見たことがある。conceptus は「(妊娠の所産の)胎芽、胎児」を意味する。流産などで排出した産物は "product of conceptus" と称して病理組織検査へ提出となる。近縁医学用語に contraception「避妊」、contraceptves「避妊器具」があげられる。
 妊娠を意味する語は、pregnancy のほか gestation、gravid、fecundation、impregnation などがある。gestation は pregnancy と交換して使われうる言葉であるが、どちらかというと、書き言葉、専門医学用語であろう。gravid は、< L. grav heavy が語源で、gravida「妊婦」、hyperemesis gravidarum「重症妊娠悪阻」、"pregravid level"「妊娠前レベル」などがあげられる。gravida はまた「妊娠回数」とも訳され、"gravida1,para1"は「1回妊娠、1回分娩」で、よく"G1P1"と略される。日本人医師がよく間違えるのは、"She is G0P0 in her 34 wks pregnancy."と書く人が多いが、現在妊娠しているのであるから、正しくは"She is G1P0 in her 34 wks pregnancy." とすべきであるということである。「未妊婦」は nulligravida、"G0P0"で、レジデント仲間では「ゴーポー」で通る。fecundation は fecund「多産の」に由来する。この線上に fertility「妊孕(よう)性ある」(fertile「多産の」、「肥沃な」)があげられるが、fertilizedegg「受精卵」、fertilization「受精」も「妊娠」とは訳されない。
 分娩を意味する parturition という英語からみると antepartum や prepartum は「分娩前」という意味になるから、即ち「妊娠」という意味にもなる。「妊婦検診」は prenatal examination、p. check-up、p. visit などと称される。"I am expected." とか "She is an expectant mother." などという時は「妊娠している」という婉曲的表現である。デイビット・A・セイン著「スラングな英語」に "She has a bun in the oven." という言い方があり、bun はパンの一種であるが、「彼女はおなかに赤ちゃんができた」という意味で、ネイティヴは知らない人はいないと書かれてあった。妊娠、おめでたがデリケートな一面をもっていることは洋の東西を問わないようである。
 もう一つスラングを書き留めると、knock up は "make someone pregnant"「妊娠させる」という意味で岩波英和辞典にも載っている。アメリカ口語辞典(朝日出版社)には「このスラングは、アメリカでは一般に下品でタブーとされている。"He knock me up."は、文字どおりでは、〔彼は戸などを叩いて(寝ている)私を起こした〕であるが、もしイギリスの女性がアメリカ人に向かって言ったら大変なことになる。」と書かれている。アメリカ人だけに通じるスラングということである。
 この作文中、ボッティチェリやレオナルド・ダヴィンチなどが描いた「受胎告知」を英語でなんというかが気にかかった。"impregnation"あたりかと思って今回調べてみたら、正しくは「The Announciation」であった。これはまた、あまりにも超婉曲的な表現で驚いた。(続く)

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風に吹かれて   岸 裕(岸内科・消化器科医院)

「暑い。今年の夏はとにかく暑い。」と悲鳴をあげながら、休日は涼みに?、汗を流しに、と日帰り温泉に行くことにした。七月のある日曜日、巻町のカーブドッチ・ヴィネスパは名前の通り、ワインとスパ(温泉)がある。そこを目指して。
 出雲崎から越後七浦シーサイドラインをドライブする。青い海には白い波と太陽がきらめく。子供連れの若いお父さんとお母さん、若いカップル。はしゃぎ声が聞こえる。波の音とかすかな潮のかおり。……海水浴はもう随分としていない、と思いながら走りぬける。
 間瀬海岸に近付くとバイクに乗った若者がたむろしていて警官が交通整理をしている。間瀬でなにかレースがあったようだ。道の両側には二、三十年もまえから取り残されているような海水浴客めあての浜茶屋が立ち並ぶ。ふた昔まえの映画の世界にタイムスリップしたみたいだ。
 角田浜を抜けると、一面にぶどう畑が広がる。背の低いぶどうの苗木が整然と立ち並ぶ。その中を舗装もされていない狭い道を抜けるとカーブドッチに着く。
 大浴場で一風呂あびてから新しく出来たガーデンスパを貸し切りで利用させて貰う。この露天風呂付きの個室をあらかじめ予約しておいたのだ。籐椅子とテーブルセットにリクライニングチエアーが整えられた部屋に案内され、ルームサービスを頼む。ワインとオードブル、ハーブテイーとデザート盛り合わせは一人分で東京のホテルの三人前分はある!小さなプール位の大きさの源泉かけ流しの露天ぶろに浸かり角田山と青い空を眺めれば浮世の憂さも洗い流される。ぶどう畑を抜けてくる風が頬に心地よい。
 よくこんな都会的なスパが巻町に出来たものと感心する。巻町はかつて東北電力が原子力発電所の建設を計画していたが住民の反対で原発計画が撤回された土地である。15年程前、巻町は原発推進派と反対派で激しい攻防が繰り広げられた。
 当時から国や電力会社のエネルギー計画は原子力利用に向いていた。この大きな力に対し、「原発のない安全な社会と美しい自然を次の世代に引き継ぎたい。」という住民の意思が住民投票において報われ、原発反対派が奇跡の勝利を収めた。
 そして巻町は原子力という圧倒的な力と、原発交付金という潤いに背を向けて静かにひっそりと暮らしてきた。働き口を求めて若者が巻町を後にしたとしてもその古里は変らずに美しい自然のままの姿で居続けた。
 今、地震や津波、自然という大きな力の前には、人は原子力を制御できないことはあきらかになった。世界一の発電量のある柏崎原発を抱える新潟県。長岡は柏崎原発20キロ圏にある。放射能被曝や古里を離れるはめになるかも、という不安はいかんともしがたい。
 重い気持ちを晴らしてくれたのは、7月18日、なでしこジャパンが今まで一度も勝った事の無い米国に勝ってW杯優勝、世界一となった事だ。ドイツ、スウェーデンといった大きな選手、強豪を相手に果敢に挑み怯むことなく、諦めることなく戦い、フェアプレー賞も戴いた。沢穂希選手は最多得点王とMVPも受賞した。輝いていたなでしこ達。
 今、自分達が出来ることは何だろう?と自問してみる。自分に出来ることはこの土地で生ある限り診察をすることしかないのかな……。
 少し早起きして畑に行けば大地はお日様に照らされ、汗の流れる顔を風が癒すように吹いていく。大変な事も多いが取り敢えず前を向いて歩くとしよう。

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