長岡市医師会たより No.384 2012.3


もくじ

 表紙絵 「天使の涙」 福居憲和(福居皮フ科医院)
 「英語はおもしろい〜その24」 須藤寛人(長岡西病院)
 「ポラーノの広場のうた」 福居憲和(福居皮フ科医院)
 「長岡の雪」 鈴木博子(長岡中央綜合病院)
 「あれから一年」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)



「天使の涙」 福居憲和(福居皮フ科医院)

涙は癒しの友と言われます。
その一滴の涙にも、輝く希望が宿っていることは確かなことです。

 

英語はおもしろい〜その24  須藤寛人(長岡西病院)

 anticipate 期待する
 分娩の進行が順調な時、カルテに "Vaginal delivery is anticipated." と記載することが多い。また、婦人科手術の後で "Recovery is to be anticipated following the removal of twisted ovarian tumor." などと書くこともある。回診時に "What do you anticipate as an early complication of radical hysterectomy ?" などと会話されることもある。
 anticipateは、(動・他)「……を予期する」、「……を期待する」と訳される。研究社大英和辞典では「予想する」、ライフサイエンス辞典では「予測する」とある。私たちは日本語で「予期する」という英語は?と問われるとまず "expect" を思い出す。研究社英和辞典には確かに、「expect の方が anticipate より一般的といえる」と明快に書かれているが、anticipate には expect にはない意味合いを持っている語のようで、その辺のことを書いてみたい。
 〔京大学術語彙データーベース基本英単語1110〕には anticipate、expect、hope、await の語彙のニュアンスの違いに関し、要領よくまとめられている。すなわち、「期待する」は expect:事柄がきっと(高い確率で)起きるだろうと思う。anticipate:喜びまたは不安の気持ちで待ち受ける。hope:願わしいことの実現を信じて待ち望む。await:(人や事)いつ来るかと待ち受ける、と説明している。岩波英和辞典や研究社英和辞典には、anticipateは「よい意味でも、悪い意味でも用いられる」と説明が加えられている。悪い意味としては "anticipated serious side effect" などの例文などがあげられている。
 anticipate の語源は Merriam-Webster 大辞典によれば、L. anticipare の過去分詞 anticipatus, from anti- ante-(beforehand のこと)+cipare(-cipere, from capere to take)。関連語には anticipation(名)「予想」、「予期」、anticipative(副)「予期して」、anticipator「予想者」、anticipatory(副)「予想の」、anticipant(副)「先んじる」=anticipating、(名)「予想者」などがある。
 共起表現検索の300例でみてみよう。"We anticipate(d)……" という表現は55例と多く、なかんずく "We anticipate(d)that……" という言い方はこのうちの45例を占めた 。"We anticipate that our results are relevant to the design of ……"、"We anticipate that approach will have much wider applications in biological modeling." あるいは "We anticipate that our findings will open up opportunities for……" などと、特に、論文の conclusion などの最後に書かれることも多い。次に、受身形で "be anticipated" で使われることが75例と多く、このうち、"Itisanticipatedthat……"という言い方は20例を占めていた。"Itisanticipatedthatthistech-niquewillbebroadlyapplicable,……"、"It is anticipated that obstructive sleep apnea results in endoplasmic reticulum injury ……" や "It is anticipated that these results will have a significant impact on physicians decision ……" などと書かれている。
 anticipate を使用するにあたって、ひとつ注意したい点は、"We all anticipate seeing you next week." が正しく、"We all anticipate to see you next week."とは言わないことである。それは、「(……することを)予想する」で "+doing" で "to do" は間違いということになる(研究社新英和中辞典)。このことは、手紙の最後にしばしば書かれる、"Iamlook-ingforwardtoseeingyousoon.(近々お会い出来ますことを楽しみにしております)"が正しく、"I am looking forward to see you soon." といわないのと同じような理由であろう。
 マーク・ピーターセン著、「続日本人の英語」に、日本人は expect を、常に、「期待する」と訳したがる傾向にあると注意し、具体的な話が書かれていた。すなわち、1943年、映画、「カサブランカ」の中で Sam が Ilsa(Ingrid Burgman)に言ったセリフは "I never expected to see you again." であったが、これを「私はあなたにまた会えることを決して期待しなかった。」では何を言っているか分からない!日本語字幕を「もう、お会い出来ないと思っていました」にしたとのこと。"We expect a war." は「戦争を期待する」ではなく、「戦争を予期する」である。日本語の「期待する」には "looking for ward to" や "with hopeful anticipation" の意味がある。結局は、日本語を正しく理解することが重要であると強調していた。お産は、正常に経過していても、突然、児心音の異常が生じてきて帝王切開になることがあったり、逆に、経膣分娩は無理かなと思っていた産婦が難なく自然分娩したり、先の予測がつけがたい一世一代の大仕事である。anticipate は「こうなれば良いがと心に思いを描きながら、喜びと不安の入り混じった状態で待つこと」であり、まさに産婦や産婦人科医のためにあるような言葉である(極論)といえるかも知れない。

 code 暗号
 「コードブルー」は正しくは「code blue:コウドブルー」ではないであろうか。code は辞書的には「コード」でよいが、cord(ひも、線)〔〕も日本語では「コード」であるから私には違和感がある。またアナウンス上は「コウド」と「ブルー」の間を少し開けて喋るのが正しいであろう。いっそのこと「暗号〔ブルー〕」と言った方が良いのではないだろうか。「患者急変、要応援!」は、それぞれの病院で決めた「暗号」で呼んで良いわけであるが、New York の Metropolitan Medical Center のアナウンスは "code 99" であった。"99" は音声上耳に響くからなのか?詳しい理由は分からない。つい先日私の勤務先の病院で「練習、コードレッド、会議室」の一斉アナウンスが流れた。駆けつけてみると、「院内暴力発生時等の場合」の練習であった。当病院の性格上、「レッド」が以前より必要であったのかあるいは近づいた「病院機能評価」の調査項目に入っていたのか定かではない。今回は "code" にまつわることについて書かせてもらおう。
 辞書によれば、codeには (1)法典という意味があり、"The Code of Hammurabi" は「バビロニアのハンムラビ法典」、the civil code「民法」、the criminal code「刑法」などと言い、 (2)(社会・グループなどの)「規則、規範、規律、慣例」とあり、"a code of Chivalry"「騎士道の掟」、"code of honor"「死よりも尊い騎士の名誉」、"coded uello"「決闘の掟」などという古い言い方が記されており、the school of code「校則」、a code of behavior「行動規範」、a moral code「道徳律」などの用例が載っている。東京の超高級三つ星レストランに行くときはドレスコード"a dress code"「服装規程」に注意する必要がある。即ち、code は私たちが思っているより重い意味をもつ言葉であった。その次に、私たちがよく使う (3)「符号、コード、暗号、記号」という意味で、the Morse code「モールス符号」、code book「暗号帳」などである。
 code と言えば電話番号の時の area code、郵便番号の zip code そして正札についている bar code などがすぐ思い出せる。最近は genetic code「遺伝情報」にみるごとく、生物の特徴を決める「情報」という意味で使われることが多い。また、コンピューター用語として「一定の規則に従ってプログラムを表現したもの」という意味で普通に使われているそうだ。
 code といえば医師にとっては、疾病名と手術名を世界で統一する目的を持って作られた、International Code of Diseases(ICD)であろう。疾病に関して、「連続コード」であった ICD-9 は、2003年に「章別コード」の ICD-10 になり、私たちもそれに従って退院総括を書き、あるいは診断書を要求されるようになった。
 code の語源は Merriam-Webster 大辞典によればL.codex, caudex trank of tree, split block of wood, tablet of wood covered with wax on which the ancient wrote, book, a writing とあるので「古代人が書いた wax を付けた木板、書板」のことと分かった。
  code から coding、encode「暗号に書き直す」ex. "plant encode a sophisticated innate immune system"、あるいは decode「解読する」などという語が派生している。
 アメリカの病院では院内放送で「○○の会議を行いますので関係者は△△室にお集まりください」などという放送は皆無である。病院内は静かでなくてはならず、職員間の連絡に使うことなど考えられないからである。もし、病院で、ある医師が一斉放送されるようなことがあれば、彼はピッチを on にし忘れたか、寝ていたかなにかで、その医師は後で大きな問題になるかも知れない。私は第三次救急病院の緊急呼び出しから解放されて3年になるが、最近は「コードブルー」が懐かしく思われる程である。(続く)

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ポラーノの広場の歌  福居憲和(福居皮膚フ科医院)

 BSプレミアムで『宮沢賢治の音楽会』という番組をみました。賢治の自作曲がいくつか紹介されていて、つくられた頃の雰囲気が感じられるメロディでした。
 自分なりの賢治のオマージュとして感想文のような感じで曲をつけてみました。

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長岡の雪  鈴木博子(長岡中央綜合病院)

 長岡での研修を開始して早一年が経ちます。長岡は地元の仙台や大学生活を送った新潟市の街並みとも違う、穏やかな田園風景が病院の窓から眺められるとても居心地の良い場所です。そんな穏やかな生活も冬になると一変し、厳しい寒さとともに田園風景は一面の雪景色へと変わり長岡の冬は想像以上だと身を持って感じました。
 現在は冬の長岡で厳しい雪国生活を体感している真っ只中で、働き始めた春の新生活の日々が懐かしく思い出されます。今まで暮らしてきた仙台や新潟市もそれなりに雪は降るので雪国生活は慣れているものと思っていました。仙台は東北地方ですが太平洋側であり、たとえ雪が降っても、大抵すぐに晴れ間が見られるためそれ程雪が積もることもなく、新潟に来るまでは消雪パイプの存在も知らず、それがあの供柿の種僑の創業者が発案したものだということも初めて知りました。新潟市は、日本海側で海風が強く冬はほとんど毎日曇天に覆われていた印象です。たまに晴れ間がのぞくとそれだけで明るい気持ちになるくらい、青空の見られない日々が続くこともありました。新潟市もそれなりに雪は降りますが、仙台と同様にそれ程積もることはなく、学生時代にたった一度だけ積雪量約80cmという大雪を経験したことがありました。平成22年2月のことで、新潟市では26年ぶりの記録的な大雪とニュースで取り上げられて、慣れない大雪に四苦八苦しつつ珍しい大雪になんとなく心躍りました。長岡の冬はその時を彷彿とさせ、さすがに雪の降り方が仙台や新潟市とは格段に違いました。朝から晩まで勢い良く雪が降り続けます。そんな雪の多い日は仕事後に家へ帰るのが億劫になります。わたしは車で通勤しているため、帰る度に車の雪降ろしをするのが一苦労で、ひどい雪の日には病院脇の駐車場を膝下の深さまで積もった雪をかき分けて自分の車まで行き、雪に埋もれて凍りついた車のドアを何度も引っ張ってやっとの思いで開け、車の中のスコップを取り出して車の雪降ろしを開始します。私の車は小さいので車体の下半分位が雪に埋まり、スコップでいくら掘っても車は雪の中に埋もれていました。膝までの雪で足場も悪く、さらに車から払った雪が車の周囲に溜まりそれがさらに足場を悪くするという悪循環を作り出して、上手く雪降ろしが出来ずに悪戦苦闘し、途中で何度も車を置いてタクシーで帰ろうかとも考えました。そうしてやっとの思いで車から雪を降ろしても今度は車の周囲にできた雪山が通行を阻むため通れるように道を作り、こうした作業を30〜40分続け、汗をかきつつ一仕事終えた気持ちで帰路につくという状況でした。もっと雪深い地域に比べればなんてことのない雪の量だと思いますが、慣れていないととても大変な作業で、雪国の人の忍耐強さはこういうところから来るのだなぁ…などと考えてしまいます。
 以前は、私が車を停めている職員駐車場は除雪車により駐車場の半分しか除雪されず、まさに私は除雪されない側に停めていたため夜中に仕事が終わって帰るため、自分の車をせっせと雪の中から掘り出しているすぐ隣で大きな除雪車が私の雪かき作業の何倍もの速さで一気に除雪をしているということもありました。その時は、こちら側も除雪して欲しいなぁ…と羨ましく思いましたが最近は駐車場全面の除雪がされるようになり、きれいに除雪されているお陰で雪かきの苦労が大分軽くなりました。今までは当たり前のように除雪されている道路を通っていましたが、除雪のありがたみを身を持って実感しました。
 駐車場だけではなく長岡の道路は除雪体制が整っており、きめ細い除雪が行われるように工夫されています。長岡地域ではだいたい夜中の午前0時にパトロールが開始され、除雪の必要がある場合にはそのエリアの各除雪業者へ出動が要請され、その報告により本部が市内数箇所に設置された降雪センサーや道路監視カメラの観測結果等の情報を合わせて除雪車の出動を決定されるようです。除雪が開始されると除雪完了目標時間の午前7時までに除雪が終わるように活動されているようですが、近年ではいわゆるゲリラ豪雪などもあるため、夜中にドカ雪が降ると除雪作業も大忙しのようです。
 今年は長岡の大雪に洗礼を受けましたがそんな長岡にももうすぐ春がきます。まだ寒さの厳しい日々は続いていますが段々と日差しがやわらかくなり晴れ間も増え、春が近づいているなぁと感じています。直に来る長岡の春がとても待ち遠しい今日この頃です。

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あれから一年  岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 東日本大震災から一年。未曾有の地震と津波による被害と福島第一原発による放射能汚染。中越地震や中越沖地震を経験していてもそれと比べようも無いほどの大きさだった。2012年3月11日現在、警察庁のまとめによれば、死者一万五千八百五十四人、行方不明者は三千百五十五人であった。福島から新潟へ避難された方々も多い。
 当地は福島第一原発から二百キロ。柏崎原発から二十キロ。
 柏崎原発が作られた当初、原発の寿命は三十年と言われ、原発反対派の意見としては、三十年たつと廃炉として出る廃棄物の放射線量はべらぼうで、それを自然界のレベルに自然に戻るには何万年もかかる、と言われていたことを思い出した。(先日、3・11の特集番組のTVで聞いたところによると、原発から出る使用済み燃料の放射性廃棄物は、その放射線レベルが自然界のウランの放射線レベルにまで低下するのには十万年かかるそうである。そしてその番組で聞いたところでは、柏崎原発ではその放射性廃棄物は、その貯蔵庫に安全に貯蔵されていると言うことでありました。)
 柏崎原発が出来た頃に、原発の寿命は三十年と言われていたのに福島第一原発はその寿命をはるかに超えて運転され続けてきた。そして、核のゴミもずっと溜まり続け、その処理方法も曖昧にされ続けている。
 十万年の時のかなたに、自分達の子孫は何をしているのだろう。“永遠なのか、本当か。時の流れは続くのか。”(ザ・ブルー・ハーツの“永遠の薔薇”の一節です。)

 再生可能エネルギーの利用というわけでも無いのですが、(“ぼん・じゅ〜る”一月号にも書かせて頂きましたが、)我が家に薪ストーブが寒さも峠を越した二月の中旬にようやく届きました。黒いボディに黒い煙突。私が小学生の時に教室に置いてあった石炭ストーブが思い出されます。当時は、石炭ストーブの廻りにアルミの弁当箱をおのおのが並べて、ほのかにただよう海苔と醤油のかおりに、そわそわと昼食の時間を告げるベルを待ったものでした。
 懐かしく思いながら取り敢えずムサシで購入した薪やネットで取り寄せた輸入木材を燃やして見る。広葉樹が良いと言う事でメープルやユーカリを取り寄せて火力を比べて見たところ、ユーカリの炎が抜群でした。
 しかしながら、春休みに帰省した息子と娘には「この部屋いぶりくさいんじゃない?」と、やや不評。竹炭だと思えばよいのじゃ、と言うことで彼らの意見は無視。この薪ストーブで沸かしたやかんのお湯で煎れたコーヒーは正しく炭焼きコーヒー。山小屋で飲んでる気分、とコーヒーを片手に悦に入っている。
 が、大失敗としては、焚きつけの時、上手く炎が上がらず、焚き口を開けて火かき棒を振り回していると、浦島太郎が玉手箱を開けた時の様にもくもくと白い煙が立ち上り、あっと言う間に火災報知機が作動してくれた。“ピーピー、火事です、火事です!”と知らせながら紅いランプが点灯し、まるで消防車の出動の様に騒いでくれる。慌ててストップボタンを押そうにも天井に手が届かず、椅子を探して右往左往しながら、ようやく止めた。家が田舎でお隣と離れて居るお陰でご近所には気づかれずに済み、胸を撫で下ろした次第。でも、この焚き込み口から見える炎は、真っ赤な薔薇の様。原始の炎は柔らかな暖かさをかもしだします。
 長く寒く大雪だった今年の冬。この大雪が春の陽に解けて行くように、被災地の復興がすみやかに進みます様、心からお祈り申し上げます。

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