長岡市医師会たより No.385 2012.4


もくじ

 表紙絵 「栖吉川」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「二期目を迎えて」 会長 太田 裕(太田こどもクリニック)
 「英語はおもしろい〜その25」 須藤寛人(長岡西病院)
 「新しい救命処置を学ぶ半日コースに参加して」 今井春雄(今井整形外科クリニック)
 「新しい救命処置を学ぶ半日コースを受講して」 田村隆美(田村クリニック)
 「新しい救命処置を学ぶ半日コースに参加して」 星野 智(生協かんだ診療所)
 「残された穴」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「栖吉川」 丸岡 稔(丸岡医院)


二期目を迎えて  会長 太田 裕(太田こどもクリニック)

 このたび、皆様のご推挙により引き続き会長を務めさせていただくこととなりました。今後ともご指導、ご支援よろしくお願いいたします。
 大塚、長尾両副会長以下、大きな移動はありませんでしたが、監事に神谷岳太郎先生、理事に若手の高橋暁先生が就任されました。また県医師会監事に、齋藤良司先生の後を受け、大貫啓三先生が就かれておられます。齋藤先生は、長岡市医師会理事、副会長、会長、監事、また県医師会では代議員、議長、日医代議員、監事と要職を歴任して来られました。誠に長い間ご苦労様でした。そしてありがとうございました。
 さて、皆さんご存知のとおり、4月1日に新たに横倉日本医師会会長が誕生しました。今回は、原中前会長、森氏そして新たに九州、東京、大阪府医師会が推す横倉副会長による会長選となりました。原中前会長は、民主党をバックに2年連続のプラス改定(前回4800億円、今回4700億円の実質増)、事業税の導入阻止などこれまでの実績を強調。森氏は政権政党に左右されない医師会。横倉氏は地方医療を守る。選挙は決選投票となり横倉氏が原中氏を破り新会長となりました。この原動力は、東京、大阪の大都市の力が大きいようですが、民主党から自民党への回帰が医師会にも始まったとも取れる結果でした。
 次に長岡市医師会に目を向けます。まず周辺地域の医療動向についてですが、県央地区では病院の再編構築が模索され始めましたし、何よりの関心事は平成27年6月開業予定の魚沼基幹病院(仮称)です。この病院は小出病院、六日町病院、十日町病院の3県病の再編統合さらに民営化をめざし立案されました。設立母体は県、地元自治体が、そして新潟大学医学部、同附属病院から理事が入っております。当初の予定と違う点は、対象医療圏域の人口が22万から11万人に減ったこと。これは小千谷、十日町が抜けたことによります。また収支のシミュレーションを今、勢いのある新発田病院をモデルとし、更に行わないといっていた外来診療を始めることなどです。外来診療開始は地元医師会との間に軋轢を生みますし、収益予想の甘さも心配されます。長岡にとりましては、年間1140人近くありました救急搬送がなくなるなどの負担軽減もありますが、医師・看護師確保がどのようになされるかが最も懸念される点です。いずれにしても目が離せません。
 次に4月に医療、介護のダブル改定が行なわれましたが、この改定での重点配分は(1)急性期医療(2)医療と介護との機能分化や連携、在宅医療の充実(3)がん治療、認知症治療でした。この中で特に(2)は医師会全体としては重要です。長岡では昨年より高齢者施設よりの救急搬送が問題として取り上げられておりますが、さらに広い範囲で医療と介護の連携が必要になり、今後もいろいろな面で取り組み、準備していかなければと考えております。
 また私の新年の挨拶で医大新設反対の考えを示しましたが、先日長岡高校の校長が医師会に来られまして、メディカルコースの学生を中心に19名が医学部に進学したとのお話でした。これまで4年間、多くの先生方に授業をしていただき、また病院見学を引き受けていただき、その苦労が結実し本当にうれしい思いでいっぱいです。今後も医師不足解消の第一歩となるメディカルコースへの応援、よろしくお願いします。
 その他、休日・夜間急患並びに子ども急患のスムーズな運営、三病院による二次救急の維持、公益法人より一般社団法人への移行、各種疾患の連携パス、休日・夜間急患並びに子ども急患の旧市役所への移転など様々なことがありますが、「これからも益々社会に貢献する医師であり、医師会でありたい」との理念のもと、会員の皆様のご協力、医師会活動への参加、よろしくお願いいたします。

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英語はおもしろい〜その25  須藤寛人(長岡西病院)

 Axis of Evil 悪の枢軸
 アメリカの前大統領 George W. Bush は2002年1月に恒例の一般教書演説(State of the Union)を行ったが、この中で、北朝鮮、イラン、イラクをテロリストの仲間たちと一緒にして「悪の枢軸(axis of evil)」と名指しし、世界平和を脅かしているとした。私はこの言葉を何となく不可解な英語と感じていたが、最近、吉崎達彦著「アメリカの論理」(新潮社)にこの発言がなされた経過が書かれたカ所に遭遇したので、改めて調べてみた。
 大統領の下には10人のスピーチライターがいるそうで、彼らは、かつてレーガン元大統領がソ連を「悪の帝国(Evil Empire)」と呼んだことがあることを知っていた。その一人フラム氏が演説文を「米国に対する憎しみの枢軸(axis of hatred)」としたところ、主席ライターのガーソン氏が「もっと神学的な表現にしたい」と「憎しみ」を「悪」に変更した。さらに、もともと「イラクとテロリストの枢軸」であったのが、本番直前、北朝鮮を加えることとし「イラク、イランと北朝鮮の枢軸」になったそうである。
 まず axis についてみてみると、私達は平面上の x「軸」、y「軸」を思い浮かべるが、英語のイメージは「回転軸」なのだそうだ(赤祖父哲二編 英語イメージ辞典 三省堂)。The axis of earth(地軸)、The cosmic axis(宇宙軸)、axis mundi(世界軸)など。Merriam-Webster 大辞典で見てみると、axis には13の異なった意味があるが、大切なところを見てみると、(1)「身体や立体物が回転している時あるいは回転を予想できるときの中心直線」と詳しく訳すことができる。また「左右または立体的に対象的につくられた構造物の中心軸」をさす。ついで座標軸、平面の直角図の x 軸、y 軸。(2)第二頸椎(参考:第一頸椎は atlas);中心となり、基盤となり中軸となるもの、たとえば skeletal axis。(3)方向、運動、成長、拡大などを示す中心線(ex. the axis of a city)。そして最後に(4)「外交関係において、二カ国以上で、ある関心事に団結を誇示し、共通した立場や相互支援に入る合意をすること、あるいは合意した国」と訳され、ex. The Nazi-Fascist axis、The Rome-Berlin axis、London-Washington axis などとあった。「the Axis」と大文字で書くと、第二次世界大戦時の「日、独、伊枢軸国」となる(福武英和辞典、goo辞典)。axis は「線」とはかけ離れた「外交用語」であることがわかった。しかし、「枢軸国」などの日本語もわかりにくく、「同盟国」や「連帯国」では強すぎるようで、他に良い表現はないものであろうか?
 axis は他に、longitudinal axis「縦軸」、cardia caxis「心軸」などと医学的に使われる。
 産科学において pelvic axis「骨盤軸」は骨盤の入口面から出口面までの間で、骨盤の前後径の中間点を連続したときの仮想軸である。これは J型に湾曲していて胎児の進行方向になると考えられている。axis の形容詞は axial「軸の、長軸の、縦断の」で、axial view で「軸撮影」である。産婦人科の内診所見の子宮の位置の表記において、私は、anteverted(position)「前傾位」、retroverted(position)「後傾位」そしてaxial(position)「軸位」のいずれかと記載してきた。ドイツ語で伝え聞いた "Mitte" は私にはいささか不可解で、また英語の mid、middle あるいは median もいまいち不明瞭、不的確と感じて、身体の中心軸方向にあるという意味で "axial" を選択してきたつもりである。
 派生語 axilla は医学用語で「腋窩(= armpit)」、axillar、axillary は「腋窩の」。Axil は「葉腋」をいうそうだ。腋窩をなぜ西洋人は axilla と呼んだのであろうか? 今、思い至ったことであるが、腋窩も葉腋も、人間の縦方向あるいは植物の茎方向(axis)に対して、上肢そして葉の「すぐ脇にあるもので」axilla axil と名付けたのであろうか? axilla の語原をもっと掘りさげて探してみたい。
 axle は「軸、心棒、車軸」。axon は神経の「軸索」であり、axonal には a. fiber「軸索線維」を初めとしてたくさんの医学用語がある。あまり書くと神経軸索に悪いのでこのへんとしましょう。

 Evil 悪
 前項で "Axis of Evil" の axis について書いた。ここではその "evil" について書いてみたい。evil は名詞で、道徳(moral)上の善(good)に対する「悪」の意味を根本とする。(1)悪、不善、邪悪、(2)害悪(harm)、弊害、災、(3)不運(misfortune)、不幸、凶事、災害(disaster)などと訳され、広い意味を持っている(研究社英和大辞典)。形容詞も同様で、(1)悪い、邪悪な(wicked)、悪質な(sinful)、凶悪な、(2)災いの(harmful)、縁起の悪い、不吉な、不運な(evilweatherなど)と訳されるが、根底は「モラル上良くない immoral」という意味から派生している。
 evil の語原は中世英語の ivel とか evel で、これはドイツ語の Ubil に遡られ、これはまた古代英語では Up(現在の up に相当)まで遡られ、「許容される道徳的行為を越えたところの概念」にあたるという(Merriam-Webster 大辞典)。
 同義語は "bad" であるが、こちらはさらに広い意味での「悪い」という用語となる。"evil" と "bad" の比較級は worse で、最上級は worst で同じである。
 突然ではあるが、Google 社の理念に「You can make money without doing evil.(悪事を働かなくとも金儲けはできる)」というのがあることは有名だそうだ。ところが平成22年3月、Google 社は中国国家と、Web サイトでの検閲をめぐって、一大時事問題となった。当時、「米Google が、自身が〔evil〕であることを認めた!」というようなセンセーショナルな見出しがインターネット上でおどっていた(ニュースITpro)。Google 社から見れば中国こそ、検索を制限する検閲を撤廃しないので、配信を打ち切ったことはご存じの通りである(平成22年3月24日朝日新聞)。
 evil と言えば、日光東照宮の「見猿、聞か猿、言わ猿」を英語で "see no evil hear no evil speak no evil" という言い方をすることを知っている人は多いと思う。これは、「心をまどわすものや他人の欠点などについては、見たり、聞いたり、喋ったりしないということ(故事・ことわざ・四字熟語辞典)」の東洋的な教えを可視的にしたものと理解される。しかし、はたしてこの諺が正しく英訳されているのか? また西洋人にはすぐ理解してもらえるものなのか? ということになると私の理解を超えてしまう。一応、この点に関し Merriam-Webster 大辞典でみてみると、evil の意味の1 d(1)に「悪行・悪業」とあり、"doing no evil to others" と例文が載っており、続いて(2)に「中傷・悪口」とあり、例文 "hearing and speaking no evil" とあった。過日、1993年アカデミー受賞映画 "Scent of Woman"(夢の香り)のDVDを見た。Al Pacino 扮する盲目のスレード元中佐が主人公であるが、米国東部の名門高校が舞台である。好青年チャリーはあるいたずらについて、校長に「白状すればハーバード大学に推薦状を書いてもらえる」という状態の中で、級友ウィリスと電話をしていた。別の友人達を「売るか売らないか」の瀬戸際で、会話しあった言葉は「See no evil hear no evil」であった。字幕は「見ざる聞かざるで通す」であった。欧米人の道徳的な考えの中にも東洋人に似たものがあるのかなという感触をもった。
 Wikipedia での evil の定義は、「悪徳のもの、痛みや災いを起こすもの、攻撃的(offensive)あるいは脅威的(threatening)なもの」とされ、その項の説明で、「ある宗教では、evil は活動的な力で、しばしばサタン(Satan)として人格化される」と書かれている。一般的に(筆者注:中世キリスト教以降)、サタンは頭が山羊、下半身はコウモリ、そしてヒゲがあり、おどろおどろしく描かれている。Satan は日本語的には「悪魔」である。しかし「悪魔」を英訳すれば一般的には "devil" ということになろう。devil の対応反対語は god である。
 悪魔は、初めは daimon(守護神)であり、これが demon や devil となったそうだ。demon と devil の語源はギリシャ語で、それぞれdaimoniondiabolos になるというので、evil と devil の語原は全く関係ないものになる。日本語の悪魔の「魔」は San skrit(梵語)では mara で、音写で「魔羅」となる。僧侶の修行の妨げになるもの(邪魔)は penis で、今でもペニスをマラというのだそうである(赤祖父哲二編 英語イメージ辞典)。かなり横道にそれてしまったようだが、"Axis of evil" の理解も少しは深まっていただければ幸いである。(続く)

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「新しい救命処置を学ぶ半日コース」に参加して  今井春雄(今井整形外科クリニック)

 3月25日、自身開業後初めての講習会に参加させていだたきました。以前から医師会事務局から時々参加のお誘いを頂いていましたが、何せ一日休みを潰さねばならないと思うと、「そんなことは実地で経験済み」と理由をつけて重い腰があがりませんでした。しかし当院外来もご他聞に漏れず高齢化社会の縮図のような状況を呈していますため、時折ご老人が気持ち悪くなったり意識がなくなったりということが起こります。しょっちゅうあれば体が自然に動くのですが時折だとその度にあたふたです。おまけに還暦の足音が聞こえてきたこの頃は頭もアルツ前駆症状を呈してきたため頭の焼き直しをしようかと思っていた矢先、今まで一日だった講習会が何と半日でよくなったとの話ではありませんか。これは幸いと思いどうせ参加するなら職員も道連れにと、若い方から3人選んで(代休やると餌つけて)日曜午前中3時間のコースに参加させていただきました。
 日赤の講堂で3人ずつのグループに分かれ人形を使った CPR 実地訓練が主体でした(ちなみに CPR とは Cardio Pulmonary Resuscitations 心肺蘇生の略だそうです)。うちのグループは優しいお姉さんが指導して下さり(他のグループも優しいお姉さん・お兄さん・先生でした。多分)。一分間100回以上の早さで胸骨圧迫マッサージを30回した後2回の人工呼吸を繰り返し、AED が準備できたらその指示に従うという内容です。繰り返しやることで体に覚えてもらうという趣旨で程よく汗がでてきて、時折このような訓練もよいものだという気分になりました。訓練用人形は各グループ大人と赤ちゃんの2体あり、この赤ん坊人形が大変可愛らしく作られており、大人になったら必ずアイドルで稼げるなというマスクであちこちから持って帰りたいという声が漏れ聞こえてきたような。これを使って誤嚥の対処法を教えていただきましたが、案外今まで知識がなく、おもいがけず小生としては今回一番の収穫となりました。そろそろ筋肉が痛くなり始めたところで時間となり、最後に長岡市消防署の方が救命処置のデモンストレーションを披露して下さいました。帰りがけに受講証明と人工呼吸時の感染予防用 Face shield というものをお土産に頂き、アピタで昼ご飯となりました。
 今回は救急救命の応急処置でしたが内容はコンパクトによくまとめられており、3時間程度だと気持ちの集中も続き非常に有意義な時間でした。特に職員と同じ講義・経験を共有出来たことから今後の院内での救急処置もスムーズにいくことが期待されました。
 最後に貴重な時間を割いてこのような素晴らしい講習会を開催していただいた長岡市医師会・ACLS 講習会スタッフの皆様に心より御礼申し上げます。

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「新しい救命処置を学ぶ半日コース」を受講して  田村隆美(田村クリニック)

〜講習9日後に救急車を呼ぶ事態を経験しました〜

 平成24年3月25日、長岡市医師会主催の「新しい救命処置を学ぶ半日コース」に、当院看護師3人と参加しました。開業して約18年、勤務医時代を含めれば、ほぼ30年間医師という職業についており、様々な修羅場を経験してきたつもりでしたので、今回は看護師の教育を兼ねた軽い気持ちで講習会に参加しました。(この考え方が間違っており、深く反省しています)
 私自身麻酔科の研修を6か月間受けた経験から、気道の確保には多少の自信を持っていましたが、心肺停止状態での胸骨圧迫の教習など、BLS(Basic Life Support)、ACLS(Advanced Cardiovascular LifeS upport)の手技習得の必要性を再確認しました。また、救急隊の迅速な処置のデモンストレーションを見て、内藤先生をはじめとする医師と救急隊の連携の素晴らしさに頭が下がる思いでした。
 会場では、大学の茶道部の先輩丸山俊行先生、講習指導医の内藤万砂文先生、中村裕一先生、佐伯牧彦先生、さらには中央病院勤務時代の看護師吉田真弓さんの話を聞くことが出来大変有用な時間を過ごしました。さて、医師会から今回の講習の感想の原稿依頼があり、何気なく当院での救急車の要請回数を調べている矢先の平成24年4月3日、当院開院以来14回目の救急車の要請事態が発生しました。
 患者は54歳女性。3月31日風邪症状で受診後、4月3日38.9度の発熱が続き再診。インフルエンザが疑われたため、クリアビューインフルエンザウイルスキットの綿棒を外鼻孔から下鼻甲介に沿って挿入し、いつものように鼻腔奥まで到達させた後、数回擦るようにして(回転を加えたことも事実ですが)粘膜表皮を採取しました。ここまでは通常通り。看護師に綿棒を渡そうと綿棒を引き抜くと、棒の先端部を含めた約7pの部分が折れて咽頭に残ったまま。「え?」と思いつつ、すぐに口を開けさせライトを当て口腔内を観察すると先端部を確認。舌圧子を左手に、右手にペアン鉗子をもち、折れた綿棒を取り出そうとしましたが、額帯鏡がないため暗くて何も見えず、看護師にライト補助をしてもらった時には、時すでに遅し。綿棒は口腔から消え患者さんは咳き込み始めました。
 気管内に異物として入ってしまったのか、患者さんの咳は収まりません。この瞬間、講習会で習った「窒息の解除」と言う言葉が頭をよぎり、冷静をよそおったものの血の気が引きました。患者さんは咳き込みながら涙目で「大丈夫ですから……」と私を慰めて下さいましたが、咳は収まらず、このまま紹介状を持って返すわけにもいかず、救急車の要請と、日赤病院救急部の内藤先生に事の経過を連絡した次第です。
 結果的には、CT、内視鏡検査では綿棒の位置は確認できなかったものの、危険な部位には残っていないと診断され安心しました。おそらく咳き込んだ後、胃の中に入ったのだろうとの事でした。
 それにしても、まさか……。もし患者が、嚥下反射の弱いお年寄りであったなら……と思うと。その後インフルエンザの検査は鼻腔内のみで試行しています。キットが欠陥品の疑いもあり、現在どの様な報告をしようかということも含め考慮中です。ちなみに、当院での今までの救急車の要請原因は(1)4例が胸痛を主訴とする、心筋トロポニンT陽性患者の急性心筋梗塞患者(2)3例は、頭痛、麻痺を主訴とする脳梗塞、くも膜下出血患者(3)4例は重症貧血(ヘモグロビン3.4g/dl と 3.6g/dl の2名と、薬局待合室で十二指腸潰瘍からの動脈性出血による呼吸停止症例の1名を含む)(4)1例は、両側気胸の呼吸困難患者(5)1例は、9か月男児の熱性痙攣による呼吸停止、嘔吐のチアノーゼ症例、の計13例でした。
 話は講習会に戻りますが、BLS アルゴリズムの通り、一人で救命処置が出来るか考えさせられました。講習会では、「患者さんが病院の待合室で急変した」「サッカー場で観客が呼吸停止になった」などの様々なシチュエーションでプログラムが進行しました。医師は早くから、指示を出す訓練を受けていますが、コメディカルの方も救命の場合、迅速な対応・指示ができる必要があると痛感しました。
 話は逸れますが、人の命を助けることは医師として本能的なものです。しかし、近年他国では飛行機内などで、緊急状態の患者さんを助けようとした医師が、逆に救えなかったと訴えられる事例があることも事実です。医療関係者に限らず、皆だれもが救命が必要な状況に接した折には、何らかの対応ができるようにしておく必要性があるのではないでしょうか。中学・高校生から一般の人も救命の講習の機会を持てるようになることが望ましいのではないかと思いました。
 さらに加えて、松村邦洋で有名になった AED の使用経験を書きます。数年前、Nカントリークラブでのゴルフのコンペ中、2〜3組前の競技者が死戦期の呼吸で倒れており、救急車がゴルフ場に到着するまでの間 AED を5〜6回使用した経験があります。AED の最後のアナウンスが「電池が切れました……」でしたが、心室細動、心室頻拍を AED で救命できる確率が高くなったことを考えれば、AED の重要性を啓蒙していくことの必要性を改めて感じました。
 最後に、院内で「AED 使用、窒息解除の方法を知っておいて良かった」と思う様な経験はできればしたくないものだ、と感じたことをお伝えしておきます。

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「新しい救命処置を学ぶ半日コース」に参加して  星野 智(生協かんだ診療所)

 2012年3月25日日曜日午後より標記講習会に参加させていただきました。私はかつていた病院では循環器科を担当していて現在も心カテの手伝いに時々行きますし、また2007年に ACLS 講習会にも参加しておりましたので救命救急処置や AED に対して抵抗は特にありませんでした。今回何故あえて参加してみたかというと、「新しい救命処置」の「新しい」にひかれ知識を正確かつ最新のものにリフレッシュしたかったことが当然あるのですが、一番の目的は救命処置をどう指導するかというスキルを学びたかったのでした。ついでに、以前参加した時にいただいた人工呼吸用フェイスシールドのキーホルダーがだいぶ傷んできていたので新調できるかなとも期待し、思惑通りリニューアルに成功しました。
 私は例年診療所と付属の介護施設職員にむけて BLS 講習のまねごとを毎年行っております。一応はそのためにガイドラインなどを読んで新しそうな知識を上塗りしておりましたが、実際それだけで人に教えるには自信が今ひとつありません。新人たちはおそらく私から習う技術をこれから先ベースにしていく可能性が高いので、最新の理論に基づいた新しい正確な手技を教えていきたいと思うのです。
 ごく当たり前のことながら医学はどの分野においても常に進歩しております。心臓マッサージと人工呼吸という基本的すぎる手技ではありますが、研修医のころに習得したものとは大きく変わったと思います。いや、ほんの2、3年前のものとも違っています。たとえば「心臓マッサージは1分間に100回の速さで行う」これは今では正確とはいえません。漠然とした知識しかないと何が間違いか気がつきませんが、正解は「少なくとも100回」です。2010年のガイドラインでの変更点です。それなら130回とか150回でもいいのか?というと、もうひとつの重要な手技をしっかりやることでそういう回数にはなりえません。その手技は特に初心者には、「説いて聞かせてやらせてみ」のとおり、ダミー人形等で実技を伴わないと座学だけでは習得できないものと思います。
 内容は単純明快ですが密度は濃く、3時間の実技主体の気楽さで技術と背景にある意味までが身体に染みこむような講習会でした。インストラクターの丸山先生には、短時間にいいとこ取りしたようで申し訳なく、また医者相手に指導もしづらかったかと思います。様々なシミュレーションを考えていただき、その中でどう考えて動けばよいかを体得でき、また客観的に実技をみていただくことで曖昧な点が払拭され良かったです。またチームでお互い声をかけあったりしながら繰り返し蘇生演習を行うことで、それまで全く知らなかった看護師さん達でしたが一体感を覚え予想以上に楽しく過ごせました。「褒めてやらねば人は動かぬ」とはおだてろという意味ではなく達成感や喜びを共有するということらしいですが、なるほど命に関わるような実地訓練でも切迫感とかプレッシャーだけで教え込ませるのではなく、繰り返しやっても飽きない楽しさなどがある方が興味を持ててしっかり身につくのかもしれないと感じました。今後いろいろな点で職員教育の参考にしようと思いました。
 今後は災害医療のトリアージなどについての講習会も予定されているとも伺いました。東日本大震災では現地に行って初めてそういう仕事にもタッチしましたが、これまで実際に訓練をしたことがなかったため結構戸惑いました。こんな世の中なので習熟しておいて悪くはないと思いますので、講習会が開かれるとなれば参加しておきたいところです。
 最後に日頃から救命救急や講習にご尽力いただいている医療スタッフならびに救急隊員の方々、そしてまた医師会の皆様には頭が下がる思いです。講習会どうもありがとうございました。心より御礼申し上げます。

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残された穴  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 わたしどもが山の上の新興住宅地に新築して引っ越し、二十年になります。この冬は大屋根の雪下ろしを初めてしてもらいました。積もった雪も下ろした雪の量も記録的でした。その庭先の雪も雪割り作業をして、四月中旬にようやく消えました。例年より遅れて、まんさく、山茱萸、日当りの地面に福寿草が咲いております。
 晴れた日曜日、朝からの半日勤務を終えて帰宅すると、家人が出迎えて報告です。

「すごいことがあったのよ。庭までついて来てみて。」と笑顔で案内します。「あそこ。プラムの木の真ん中あたりの幹に穴があるでしょ。」
 二人で小声で話しながら、手渡された双眼鏡をのぞきました。
「見えた? キツツキがいるでしょう?」とせわしい家人です。
「双眼鏡の視界に目的物を入れるのは手間がかかる、野鳥観察会で教わったでしょ? ……ああ見えた。穴から顔出している。小さい小鳥だ。」
 大きい小鳥はいないと家人からの反論はなかったですが、「キツツキですよ。前に名前教わったけど、ケヤキの幹を下からツツーとかけのぼる灰色と黒の縞模様の小鳥よ。」
「ああ、コゲラだね。」

 コゲラは小型(体長十五センチほどで雀と同じサイズ)のキツツキ科の野鳥です。これまでも我が家ではよく庭木に飛んできて、カツカツと木をつつく行動をしておりました。5〜7月に繁殖期に入り、枯木に雌雄ペアで樹洞を掘り巣穴を作るそうです。大型キツツキと違い、自力では生木に穴を作れず、枯れ木を選び巣作りします。このプラムの木も枯れた部分の幹が選ばれていました。
 数日前に庭で花壇の手入れをしていた家人は、小さなキツツキが来て、道路に面したプラムの木にカツカツとドラミングしているなあ、と気づいたそうです。きっと下見に来ていたんですね。昨日、今日と二羽で飛んできて、交替で穴を掘ったのだそうです。
 その巣穴はなぜか、縦に数センチ離れて二つ直径5センチほどの穴が並んでいます。上は穴が浅めで白い芯の部分が見えます。下は暗がりになるほど深めの穴で、小鳥がすっぽり入れます。地面には掘って運び出した白っぽい木くずがたくさん落ちています。
 わたしの推理です。枯れ木部分の空洞を予想して掘り始めたが、やや外れてまだ芯が固く失敗、中断。第二の穴を数センチ下に掘り直したのではないか。巣穴を隠す枝葉がない場所選びといい、未熟者夫婦?
 家人はうれしそうです。

「コゲラ、かわいいよね。十年前くらいにオオカメノキの茂みに四十雀が巣作りして以来だね。」

 芽吹きが遅れた裸木状態で、カラスその他に襲われないか? 道路端で通行人がやかましくないか? 『小鳥の巣穴あり、立ち止まるな。』と立て札でも出そうか? むしろ興味をひき逆効果か? など夫婦で冗談交じりに心配しておりました。
 そんな翌朝、落胆する事態が勃発。早朝に小鳥の声で庭に出ると、木のてっぺんに陣取った数羽の雀がコゲラの夫婦を威嚇して追い払うシーンが見えました。冬期に給餌してもらう近所のすずめにとって、ここは縄張り域だったんですね。他の野鳥が採餌などで一時通過は許せるが、定住は不可ということなんでしょうか。自然界の生存競争ですが、雀がとても意地悪に思えました。
 翌日以降、コゲラの姿は見えず、幹に二個の巣穴になりそこねた穴がぽかりと残されております。

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