長岡市医師会たより No.386 2012.5


もくじ

 表紙絵 「守門岳(栃尾軽井沢)」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「開業して1年・・・」 中野敦雄(なかの眼科クリニック)
 「開業前と、開業後の近況報告」 森田善晴(メンタルクリニック長岡)
 「英語はおもしろい〜その26」 須藤寛人(長岡西病院)
 「カラスと金倉山」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)



「守門岳(栃尾軽井沢)」 丸岡 稔(丸岡医院)


開業して1年・・・   中野敦雄(なかの眼科クリニック)

 皆様はじめまして。昨年5月から旧越路町で眼科を開業しております中野です。早いもので開業してからもう1年経ってしまいました。
 簡単に自己紹介をさせて頂きます。出身は長岡なのですが、大学は東京三鷹市の杏林大学に進学しました。大学の臨床実習などを経て専攻を眼科に決め、運が良いのか自分の出身大学の眼科が全国的に見ても非常に有名だった事もありそのまま杏林大学眼科学教室に入局しました。その後静岡県浜松市にある海谷眼科、千葉県鴨川市の亀田総合病院への出向を経て平成18年に大学へ帰局。その後は白内障を専門に扱うチームの一員として馬車馬のような生活を送っていました。
 開業に至ったきっかけは今考えても何だったのかは良く分かりません。子供の年齢や、一応長男であった事など幾つかのきっかけが上手く噛み合ったのが、この時期(平成22年)だったのだと思います。
 それからの1年は東京と長岡を往復しながら銀行、設計事務所等との打ち合わせに追われつつも比較的順調に経過していきました。平成23年3月一杯で大学を退職し、4月からは開業準備に取り掛かりましたがここからが困難の連続の始まりでした。
 職員との研修が始まり、自分が経営者として決定的に向いてない事に改めて気づかされる事態が山盛りです。税理士が開業間際になっても決まっていない、保険診療の知識が全く備わっていない等のトラブルが押し寄せてきます。開業をサポートしてくれた業者の方と一個づつ解決?回避しながらようやく開業初日である5月6日を迎える事が出来ました。
 開業初日は多くの患者さんにいらして頂き、順風満帆かと思いきや翌日からは無風状態。一日の患者数が両手で足りてしまう様な日々が始まりました。地元での実績は全く無く、いわゆる落下傘な私のクリニックに最初から多くの患者さんが来てくれる事の方がおかしいのでしょうが、暇な時間というのはやはり応えます。最初は読書などをして暇を潰していたのですが、それにも飽きてしまい更なる現実逃避の為に小学生以来作っていなかったプラモデルを作り始める事になります。しかもガンダムです。開業してから現在までに作製されたプラモデルは既に15体程になり院長室は埋め尽くされつつあります。患者さんが増えてくれるのが先か、部屋がプラモデルで一杯になるのが先か?この競争は現在プラモデルがやや優勢となっています。
 そんな順調とは言い難い開業医生活ですが、クリニックに訪れて頂く患者さんに“確かな満足”を与えられる様な診療、応対を目標としています。来院した後、当クリニックを受診して良かったと思って頂けるような対応を心掛けているのですが、残念ながら私の人相はお世辞にも優しそうにも親切そうにも見えません。しかし職員に笑顔があふれていれば院内は華やぎます。怖い顔でも挨拶だけはしっかりします。応対の部分はクリニックトータルで勝負していますが、どうにも足を引っ張っているようです。
 診療面ではとにかく説明だけはしっかり時間をかける事を心がけています。幸い時間だけは沢山ありますので……。また大学病院時代は当然最新の医療機器が傍にあるのが当たり前でした。個人事業主となったからには色々考えなければいけなかったのでしょうが、器械は手術器械から顕微鏡など妥協する事無く購入してしまった為に、現在自分の首をジワジワと絞めている状態です。しかし色々な診断データーを患者さんに提示しながらお話が出来る為、必要な先行投資だったのだと自分に言い聞かせています。患者さんの希望を聞き、医療者側の意見をお話し治療プラン提示して決定していく二人三脚的な診療を出来ていると自覚する時に大きな喜びを感じる事がある今日この頃です。
 記録的な豪雪など自分ではどうにも出来ない事象もあり来院患者数が極端に落ち込み鬱になったりしますが、出来る精一杯の範囲で月並みな言い方ですが“地域医療に微力ながら貢献できるように”今後も焦らずに地道に診療を続けていきたいと思っています。
 色々と至らない点もあり御指導頂く事もあるかと思いますが、何卒今後も宜しくお願いいたします。

 

目次に戻る


開業前と、開業後の近況報告  森田善晴(メンタルクリニック長岡)


 平成23年5月10日に「メンタルクリニック長岡(精神科・心療内科)」、という、無床診療所を開業させて頂いた森田と申します。クリニックの場所が長岡市学校町の「長岡高校正門」のほぼ真ん前にあります。歩いて30秒以内でしょうか。患者さんにクリニックの場所を説明するときも、そのように説明すると、わりとわかりやすいようです。となりには、みどりやさんという文具店があります。
 この原稿の依頼が長岡市医師会から来て、開業して1年になるのだな、と思いました。尊敬する、田宮崇理事長の元で働かせていただいた後に、開業させていただく事となりました。
 地縁もない私が無事に開業をさせて頂き、1周年を迎える事が出来たのは、医師会・地域の先生方や職員の皆様をはじめ、多くの業者の方々、また、医院の職員など本当に多くの皆様方に支えて頂き、またお力添えを頂いたからであると、心から感謝しております。本当にありがとうございます。
 私の開業においては通常の診療業務と「心理相談室・カウンセリングルーム」の形態があったので、それを統合する、という形になりました。開業の場合、通常はそれなりの準備期間をおいたほうがよいと思います。しかし、私の場合は、4月末近くのぎりぎりまで田宮病院、長岡西病院でも勤務させていただき、4月25日が最後の長岡西病院の勤務でした。開業前のクリニックで自分がいない間にも、職員・家族にいろいろと準備してもらいました。
 現在、診療時間は水曜日を17時までとし、木曜日は1日休とし、そこでおのおの週1日の当直や病院勤務も続けております。
 この1年間は、開業医となり、勤務医時代とは異なる色々な事柄を経験致しました。時間ですが、診療時間は診療時間であって、もちろん労働時間全部ではないのです。銀行も15時で閉まるからといってそこで仕事が当然終わるわけではない、という話を思い出しました。仕事の時間は、トータルすると、朝は早くなり、夜は遅くなった印象です。当初は患者さんも少なかったのですが、診療以外の仕事が多く、「診療以外が忙しい」状態が続きました。特に最初は、書類や制度など、こまかいこと、雑務もいろいろとあります。ただ、その地域にいるというような感覚は、開業してより強くなりました。
 開業場所と住居が近いので、車を運転する機会、時間が減りました。それどころか、歩く歩数が減ったような気がします。ただ、ガソリンの使用が減ったのは、最近のガソリンが値上がりの風潮の中、少し助かります。
 精神科では、自傷他害のある患者さんの場合に、警察署、保健所(地域振興局)などの依頼で、精神保健指定医が、措置入院が必要か不要かを判定する措置診察というのがあります。これは勤務医時代もしていたのですが、開業後も行い、今年に入ってからも、しております。たまに休日や夜間に連絡が入ることもあります。これも保健所からの依頼があった際には出来る範囲で協力するようにしています。
 今年4月より、長岡市医師会の平日、休日急患診療がわりあてられました。平日夜間については、すでに1度、4月に経験させていただきました。休日の小児のほうは、いままであまり診たことがないので自分としても心配ではあります。その際は、二次病院の先生にもいろいろとお世話になることがあるかと存じます。
 この開業の時期に、祖母が亡くなりました。そのほかにも、葬儀や法事に出席する機会もあります。勤務医時代にも、亡くなる方を診てきて、現在の勤務でも、ときどき看取ることがあります。ただこれは、決して他人事ではなく、自分の健康、私の寿命が残りどのくらいあるか、限りある人生をどのように生きていくか、ということを最近よく考えます。
 いま、自宅では、ネコを飼っていますが、もう10歳以上の老ネコなので寿命も長くない、はずで、これも気になります。
 開業前も、開業後も、いろいろなことがありました。いままで、さまざまな場面で協力、支援、見守りをしてくださった方々に感謝いたします。これからも宜しくお願いします。

 

目次に戻る


英語はおもしろい〜その26  須藤寛人(長岡西病院)

 tentative 仮の
 外来診療において、通常の問診と理学的所見(physical examination)だけでは診断に至らないことが多いので、診療録の記載上は Diagnosis(Dx):「診断」とは書かず、Impression(Imp.):「印象」と書くことが正しいと思われる。
 しかし、外来の患者さんが即、入院になるような時は何らかの「入院時診断名」"admission diagnosis" を付さなければならない。この時に使って有効な英語は、"tentative diagnosis"「仮診断」、"provisional diagnosis"「暫定診断」あるいは "presumptive diagnosis"「推定診断」である。今回は、diagnosis の表現の種類についてみてみたい。
 tentative は、研究社新英和中辞典には、(1)「試験的な、仮の」、(2)「ためらいがちな、あやふやな」とあり、ライフサイエンス辞書では「仮の、試みの」と書かれている。語源は、Merriam-Webster 大辞典によれば、L.tentatus(過去分詞 tentare to feel, attempt, tempt)+ -ivus -iveとあり、「試みる」の意味である。訳の解説に、(1)「実験や仮説について」使われたり、「最初の一歩として(as a first step)提供されたり、行われたり、到着する」という意味合い、(2)「一時的な、変えたり、引っ込めたりできる、すなわち最終的でない」対象物で、(3)「hesitant、uncertain」の意味合いでも使用されるとある。従って、tentative diagnosis は、決まった和訳はないようなので、「あまり自信はないが、仮の(試みの)診断」と言ってはいかがであろうか。
 tentative の共起表現検索には158例の文章が載っている。まず、"…… treatment is still tentative." などと tentative で終わる使用法はわずか5例にとどまっていることが分かる。他は全て、〔tentative+名詞〕の使用であり、それらは、tentative assignment(s)、t. conclusions、t. consensus、t. evidence、t. identification、t. model などであった。t. diagnosis の実例は1例のみで、"In 62 percent of patients admitted with a tentative diagnosis of acute infarction, the initial impression was confirmed."とあった。
 昨年刊行された「同時通訳が頭の中で一瞬でやっている英語術リプロセッシング」(田中智子著)の中に、日本人のよく使う「まあ、これはあくまでもたたき台ですので。」と言う時には "This is just a tentative idea. We need to talk about it more."と言うと良いと書かれてあった。関連語はtentatively、(副)「試みに」、「仮に」。
 "provisional diagnosis" の provisional についてみてみると、ライフサイエンス辞典では「暫定的な、一次的な、仮の」と訳されている。tentative diagnosis と provisional diagnosis の相違を考えてみると、tentative の方が provisional よりやや自信のないというニュアンスが強いように感じる。provisional の共起表現検索には147例の実例があげられている。"…… remains provisional." という用例は1例のみにとどまり、他は、「provisional +名詞」であった。provisional gene、p. stenting、p. matrix などが多かった。実際、p. diagnosis は3例に使われており、"provisional diagnosis of restrictive and obstructive airway disease were assigned ……"、"nine patients received a provisional diagnosis of somatization"、そして "Syncopal patients with known or provisional diagnosis of autonomic failure were excluded from analysis"の如くであった。
 もう一つの、"presumptive diagnosis" の presumptive についてみてみると、研究社新英和中辞典では「仮定の、推定に基づく」で、ライフサイエンス辞書では「推定的な、仮定的な」である。横井川泰弘著医学英語表現辞典には「推定診断」と訳されている。presumptive diagnosis はtentative diagnosis より provisional diagnosis に近い意味合いにとれる。presumptive の共起表現検索には最高の300例文が示されているが、presumptive diagnosis は3例であった。それらは、"…… in making a presumptive diagnosis of malaria,"、"11 patients with a presumptive diagnosis of SSPE were tested"、そして "presumptive diagnosis was established in 34 patients," などであった。
 「仮の」という時、私たちは "temporary"という英語を思い出す。これは研究社英和中辞典には「一時の、はかない、仮の」という意味とあり、ライフサイエンス辞典には「一時的な」と訳されている。ちなみに、共起表現300例の中に "temporary diagnosis" という用例は見当らなかった。
 入院時診断を、「理学的所見だけで、まだ検査も無い、画像診断も無い」ということから "physical diagnosis" や "clinical diagnosis"「臨床的診断」とぼかしていう言い方もあろう。米医学口語で、"working diagnosis"といえば、「現在考えに入れて検査している最中の診断名」という意味で、日常的に使用される(医学英語活用辞典篠塚規訳)。
 そのほか、"○○ diagnosis" という言い方は、"laboratory diagnosis"、"X-ray d."、"differential d."、"disease d."、"preoperative d."、"postoperative d."、"tissue d."、"histological d."、"pathological d."、"accurate d."、"correct d."、"primary d."、"initial d."、"final d."、"discharge d."、"antenatal diagnosis「出生前診断」"など枚挙しきれない。NYHA 心臓疾患分類の Etiological Diagnosis(原因的診断)にはHypertensive heart disease、Coronary heart disease、Congenital heart disease、Rheumatic heart disease に分類されている。日本の「確定診断」にあたる英語は、小林充尚著「医学英語慣用表現集」にあるように、"definite diagnosis" より "definitive diagnosis" の方がより一般的と思われる。

 vanguard 前衛
 4年前、私たちはニューヨークを再訪した。「どうぞ、先生今日は奥様とご一緒に Village Vanguard に行ってください。」とある日本人留学生から切符をスマートに手渡された。New York で jazz を聴くならここか Bleu Note だそうだ。夜の11時、眠い目をこすりながらグリニッジ・ヴィレッジに行ってみた。道路に面した何の変哲もない扉を一つ開けると別世界。その変化がいかにもニューヨークらしい。
 vanguardって聞き慣れない言葉で、どういう意味だろうと思っていた。調べてみたら、(軍)「前兵」、(比喩的に)「先鋒、指導的地位、前衛」とあった。語源はOFr. < avant, before + garde, guard。日本語で「ヴァン」van は (1)vanguard、(2)有蓋トラックで、(2)の方は〈caravan〉よりとのこと。こうなれば、特別に自動車好きといわれる人以外でも知っている言葉であると思う。
 私の恩師 M. L. Stone 教授の「回顧録」の中に、"Mary was in the professional vanguard, leading Ob-Gyn into an era of intellectual validation."という文章があるが、ここでは「先駆者」と訳すべきであろう。
 さて、加藤秀俊は「アメリカ人その文化と人間形成」の中で、ジャズは、指揮者のいない、楽譜もない、楽器を持ち寄った、即興性(improvisation)を命とする音楽で、「調和のあるアナーキズム」とみなされるが、そのところがアメリカ人に好まれる理由であると述べている。
 話は変わるが、大昔、私は South Bronx の Family Planning Center で週の半日だけアルバイトをしていたことがあった。クリニックの始まる前に、あるカフェテリアで毎回昼食をとっていた。すると、いつも同じ時間に、私と同じくらいの年齢の日本人女性の客がいることに気がついた。どちらからともなく話しはじめた。「私はアート・ブレーキーと一緒に住んでいます」、「6歳になる子供はボストンの寄宿学校にいて、心配なんです」とのことであった。
 しばらくして、ある日アパートに招待されて、Art Blakey(本名 Abudullah Ibon Buhaina 1919〜1990)に会った。決して大柄ではない50歳を越えた黒人であった。そして、揃ってグリニッジ・ヴィレッジに行って彼の performance を聴いた。彼の必死に迫るドラム(Wikipedia には〔ナイアガラフォール〕と書かれている)は、確かに、力強く感動的であった。武者修行時代の日野皓正氏も出演していた。演奏が終わって、私は Art Blakey に、「さっき会ったばかりの人とどうやって練習したのですか?」と聞いた。彼の答えは、「なにもしないさ、one、two、three で始められるのが specialist さ!」であった。私はからっきし音楽がだめで、彼が jazz の歴史の中で大きな足跡を残している人物であるとはその時は全く知らなかった。何年も経って、jazz にはめっぽう詳しい旧同僚の井口正男先生より、「1960年代は彼は世界で一流の Jazz Drummer でしたヨ」というふうに聞いた。ところが、Art Blaky があの時に即座に返事をした上記の一言「それがスペシャリストさ!」は、どういう訳か、その後の私の人生の中で脳裏から離れないものになっていたのであります!
 私は、研修中の若い医師と手術を一緒に始めるとき、メスを加える直前に、いつも、「さあ、いきましょう!1.2.3だよ」と声かけをしてきた。今にして思えば、手術助手が、私の言う「1.2.3」をほんとうに理解していたかどうか定かでないことに気がついた。「1.2.3」の声かけは、私自身がそれまで幾多の手術経験を踏んできた specialist であると自分で確認する一言であったのだろうと思う。
 Village Vanguard での jazz の翌日、切符を頂いた日本人青年医師を Columbia 大学の Presbyterian Hospital に訪ねた。CCU の入院患者さんの面前まで私たちを着替えなし、消毒なしで連れていってくれた。「私は心臓移植後の内科的管理ならバッチリできます。必要とされれば、いつでも日本に戻れます。」との頼もしい一言であった。(続く)

 目次に戻る


カラスと金倉山  岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 「あっ、カラスが俺の弁当を持っていったいやー」という患者さんの声が診察室まで聞こえて来ました。えー、と思い窓から外を見てみると巨大な真っ黒いカラスが紅葉の古木に止まって悠々と何か白い物をくちばしで探索中でした。慌てて外に出てご自分の自転車のそばで呆然と立ちすくんでいる患者さんのそばに行って「やあ、申し訳ないねえ。」と、声をかけた。どうしたら良いものかと二人でカラスと弁当箱を見ていると、カラスの奴めは“ぽとっ”と弁当箱を落とすと東の山へばさっばさっと大きな羽をはばたかせて飛び去っていった。
 「ああ、良かった。弁当箱、弁当箱!」と拾いに行った患者さんが「先生、こんな穴があいてるてー。」と見せに来た。プラスチックの弁当箱には百円玉位の穴と強烈につつかれた為の亀裂が入っている。重ねて「申し訳ないねえ。あのカラスはうちに棲んでいるカラスじゃないんだが…。」と謝ると、「先生のせいじゃないてえ。あのカラスが悪いんだから。」と言って大事そうに弁当箱を自転車に戻すと「持って帰って夕飯の時にみんなに見せてやろう。」と笑って帰って行かれました。
 我が家の杉の木に棲んでいるカラスのカアー太郎はあんな悪カラスを追い払いもせず何をしていたんだ。と怒っていたら今までなりをひそめていたカアー太郎が言い訳をしに飛んできた。「先生、あいつはあの山の大将ガラス。あの凄いくちばしをみたでしょう。私ごときの里ガラスが歯(くちばし)のたつ相手じゃないんですから。かあー。」と言って杉の木目指してすごすごと飛び去っていった。
 確かにカラスには、くちばしの大きい奴と普通のとがいるのだが、あいつは大鎌のようなおおきなくちばしのやつだった。さすがにお山の大将だけある。あんなのに襲われたら大変だ。大人しく山に帰ってくれてよかった、よかった。

 あの山とは金倉山。何と良い名の山ではありませんか。金倉山は私の地元の渡沢から六日町まで連なっている山で毎年五月に山開きのお祭りが執り行われている。私も子供が小さい頃には子供達を連れて山道を登って行って参加したものである。山の中腹まで車で行き、後は人一人歩けるくらいの遊歩道を20分から30分くらい歩くと山頂に到着する。うっすらと汗をかいた身体に山の空気と風が心地よい。この山頂からは遠く越後駒ケ岳や八海山も望めた。当時は山頂で豚汁やお酒が振る舞われたのだが、今は車で行った人たちが飲んで帰ってはいけない、というのでお酒などの振る舞いは無くなったそうである。ただ、山の美しい空気と青い空の下、静かに山の神に感謝を捧げる山上様祭り(さんじょうさままつり、山守祭りとも言うようです。)が執り行われている。
 お山の山頂でのんびり子供とくつろげば金太郎の唄が聞こえそうである。“まさかり担いだ金太郎、熊にまたがりお馬の稽古。はっけよいよい、はいどうどう。”金太郎などの日本の昔話はこんな古里の山々から生まれたのであろうか。“お山の大将俺ひとり”“カラスが鳴くから”“七つの子”などなど山とカラスにちなんだ唄は数多い。
 金倉山は小さな山なのだがちょっと前まで熊や猪が出没して地元の猟友会が活躍して騒ぎになった事もあった。が、春はふきのとう、タラの芽、木の芽、こごめ、わらびにゼンマイなどの山菜採り、秋はキノコ採りと地元の人達にとって大切なお山なのである。

 目次に戻る