長岡市医師会たより No.388 2012.7


もくじ

 表紙絵 「額紫陽花と天の川」 福居憲和(福居皮フ科医院)
 「JOY会ってご存じですか?」 湯野川淑子(田宮病院)
 「俳句“花咲く折り”」 江部達夫(江部医院)
 「スミに置けないスミレのお話」 廣田雅行(長岡赤十字病院)
 「ザ・フェルメール、真珠の耳飾りの少女」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)



「額紫陽花と天の川」 福居憲和(福居皮フ科医院)

海を宇宙にたとえるなら、泳ぐ魚は銀河の星々。
花々は地上の星とも言われます。
結局どこをみても宇宙のミニチュアかと思えてしまうのです。


JOY会ってご存じですか?  湯野川淑子(田宮病院)

 長岡には、年2回女医さん達が集まる素敵な会があります。時々男性の先生から、「一度参加してみたい」とか「どんなことを話しているの」と聞かれることがあるので、今年の春のJOY(女医)会の幹事をさせていただいた私が、ご紹介したいと思います。
 この会は、医師会川西班の忘年会の席上で女医さん達で集まろうという話が出て、第1回目は平成7年12月23日6人で集まったのが始まりだそうです。その後口コミで人数が増え、平成17年からは春の会に研修医も参加するようになり、平成24年5月に開催した会では、31名(含研修医8名)の参加がありました。
 今のはやり言葉でいうと、女子会でのガールズトークなのですが、この会の特徴は、噂話や悪口がなく、恋バナもありません。話題は自分の今夢中になっていること、趣味のこと、仕事のこと、後輩へのアドバイス、子育て、介護と様々な内容です。美味しい料理を食べながら、各自の語るスピーチを聞いて、笑ったり、もらい泣きしたりして、あっという間に2時間半が過ぎてしまいます。出席者全員が、イキイキ、キラキラしていて、終わると元気がもらえて、また頑張ろうという気持ちにさせてくれる会です。
 各自が、子育てと仕事の両立に苦労していますが、苦労を前面には出さずに、犬を飼ったり、マラソンしたり、サッカー応援に夢中になったりして、自分なりの楽しみを見つけて、人生エンジョイしています。その前向きさが、元気の源なのでしょう。
 この会で一番の存在が、最年長の84歳の横田美智先生です。ご主人と二人で小国町の地域医療を担われていましたが、ご主人を50代で亡くされた後も、一人で医院を続けられ、3人のご子息を医師に育てられ、未だに現役で診療されています。横田先生が、「女医で良かった」「色々苦労はあったけれど、その都度今を大事に生きて、生まれ変わってもまた女医でいようと思う」と言われたお言葉は、心に染み、皆のお手本であり、あこがれの存在です。
 女性医師が生涯現役でいるためには、保育所の整備や職場の同僚や家族の理解協力も不可欠ですが、長岡のJOY会のように年齢や職場、専門科を超えた繋がりが、メンタル面のサポートに重要な役割を果たし、生きたお手本や相談できる先輩の存在が、仕事を続けていくうえで必要だと思います。
 四国で生まれ、大学卒業まで四国で過ごし、28年前に縁あって、長岡に来て仕事を続けていますが、このJOY会に出会えたことが、長岡で得た一番の私の財産です。まだ参加したことのない女医さん、どんどん参加してください。ただし女装の男医(?)の方は残念ながらご遠慮ください。

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俳句「花咲く折り」  江部達夫(江部医院)

 平成23年10月、後期高齢者の仲間入りに。まだ若いつもりでいたのだが、やはり高齢者になってしまった。40年前には60歳から老人扱いになったが、世界で1、2位の長寿国になった日本、政治の都合でその扱いが15年も延びたことは喜んで良いのかどうか。他人の世話にならず、死ぬ時まで元気でいたい。
 蝶を追って山歩きを始めたのは昭和24年、中学1年生の時からだ。この年の夏休みに入った7月下旬、高山蝶を求めて白馬岳に登った。敗戦の中から立ち上がり、生活にようやくゆとりが出来始めたのだろう、白馬岳の頂上の山荘は登山客で賑わいをみせていた。以来今日までの60年間、山に親しみ、大自然の中で遊んできた。
 蝶を追っていたのは高校生まで、大学生になってからは、捕虫網を釣り竿に換え、岩魚を求めて、新潟県や山形県の渓流に入っていた。巨大岩魚と闘った思い出もある。
 医師になって初めて勤めた病院が関川村(新潟県岩船郡にある県内最大の山村)の村立国保病院(現診療所)であった。大学では大学院生、研究生であったので無給、生活費稼ぎのアルバイトであった。7年間も勤めている中に、多くの村民と親しくなり、春は山菜採り、夏は山女魚のてんから釣り、秋はマツタケ狩り、冬は鴨や山鳥猟など、山や川での楽しみ方をたくさん教えてもらった。
 今では関川村は第二の古里となり、この年になるまで月に1、2回は遊びに出かけ、山や川と、自然の中で過ごして来る。ある友人は私に専用の部屋まで用意してくれた。大自然は私にとって、明日からの仕事に意欲をもたらしてくれる命の洗濯場なのだ。
 60年間大自然の中で遊びながら、多くの山野草の花を観察して来た。それらの花々は今でも私の眼に焼き付いており、眼を閉じると鮮やかに思い出される。
 昨今はそんな花々が咲いている光景を、俳句にして楽しんでいる。大地震、大雨、猛暑と、自然が荒れ狂っている吾が日本、そんな日本の原風景である大自然を大切にし、何時までも残しておきたいものである。
 折々に咲く花々に、自然の移り変わりを感じ取って頂ければ幸いです。

雪残す里山満作目覚めさす   辛夷(こぶし)咲きにわかに時めく里の山

馬酔木(あせび)咲く庭の雪解け待たずして   百合山葵(ゆりわさび)咲く谷雪は日々に解け

星空を切りて地に咲く雪割草   藪に咲く赤き椿は吾招く

山桜葉は花よりも赤く萌え   山路咲く菫に童の頃思う

菜の花の雑炊我が家の春の味   桜散るギフチョウの舞う野点かな

水芭蕉妙高映す池に咲き   沢に沿い集い咲きそう二輪草

片子咲く里山ストレス解きほぐす   提灯の行列見るや鳴子百合

一隅に咲きて香送る沈丁花   雪の山見紛う躑躅(つつじ)庭に咲き

花筏風に流れて尾根に咲き   谷間吹く風は藤花と戯れり

浜茄子の咲く浜冬の風はなく   栗の花香を放ちての青春か

軒下に咲く紫陽花や梅雨近し   花菖蒲咲きてトンボが翅休め

睡蓮の花より葉が好きイトトンボ   黄花付け伸び出す胡瓜伸び早し

人目避け百花の山百合藪に咲き   頭下げ駒草山人迎えおり

西日差す黄菅咲く山急ぎ下り   月見草月無き夜はひそと咲き

大木になりて山独活(うど)花咲かせ   ●(たら)咲きて藪に存在示しおり

※●は、「木偏に怱」 です。

川原咲く撫子(なでしこ)釣りの手を休め   女郎花(おみなえし)去りゆく夏に袖振りて

猛暑に耐え涼しく咲けり野の桔梗(ききょう)   秋らしき庭の飯(まんま)は赤く燃え

アカトンボ飛び交う下は尾花咲き   葛の花葉に守られて雨に咲き

キリギリス鳴く音の前(さき)に萩咲けり   彼岸花葉も無き茎に花咲かせ

朝粥に香り添えたり木犀花   竜胆(りんどう)や同じ山路に咲き続け

杜鵑草(ほととぎす)花時鳥(ほととぎす)に例えられ   大輪の菊に重なる義父の顔

梅擬(うめもどき)初雪冠りなお紅く   囲われてなお咲き競う山茶花や

波が岩に砕けては咲く波の華   風に舞い窓辺に遊ぶ雪の花

寒梅は咲きて風花華を加え   寒風に耐えて水仙春を待つ

(メディカルトリビューン 平成23年12月8日リレーエッセイ「続・時間の風景」より転載)

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スミに置けないスミレのお話  廣田雅行(長岡赤十字病院)

 楽しみにしておりました「意外な出会い」は、本当に身近な所に有りました。写真1を御覧下さい。何の変哲も無い病院の風景ですが、ずっと近づいて見ますと、写真2、3の様に手前側が「白」、奥の方が「紫」に柔らかく色分けされているでは有りませんか。更に近づいてその正体を見極めようと致しますと、写真4、5の様に各々どちらも五弁の花、「菫」のようです。「身近な花」と、高を括って調べ始めるとビックリ。スミレ科は、世界中では19属有り、草本は「スミレ属」を含めて4属で、他の15属は木本。但し、日本には草本の「スミレ属」のみで、約50種が分布しているとされています。また、「スミレ」の呼び名の本は、通説としては、大工さんの使う「墨入れ」から採られたとする牧野富太郎説が流布されているようですが、必ずしも定説と迄には成っては居ないようです、ご存知でしたか?。


 閑話休題、「スミレ」は、(1)地上茎の発達した物と、(2)根元部分から葉や花柄が出る物に大きく2分する事が出来るとされています。その目で見てみますと、どちらもAのタイプに属するようです。因みに(1)に属する物には「タチツボスミレ」が有ります。もう一つ序でに「タチツボ」は花の「距の部分」を「壷」と見て、其れが「立っている」ので「立ち壷」ではなく、「立ち坪」の方で、地上茎が「立ち」、「坪」イコール「庭」に咲く「スミレ」と言う事らしいのです。どうも脱線ばかりでイケマセンイケマセン。話を本筋に戻しましょう。先ずは(2)系統で、ほぼ同じ場所に見られ、一部では写真6のように混在もしているので、本来は紫の花の「アルビノ化」かと思い、更に良く見てみました。すると、写真7、8のように、葉柄の部分に翼」と呼ばれる構造が有る「白花」の物(写真7、の真ん中の葉の葉柄の脇に細く葉の構造が続いています。)と、一寸分かり難いのですが、其れが殆ど無いのが「紫花」の物である事が分かりました。つまり、この二つの花は別種の物と言う事に成ります。普通で言う「スミレ」とされる物は(2)で、「翼」有りと言う事のようですので、これは其れに当たらず、「翼」の殆ど無い「ノジスミレ」と言う事に成るのかと思われます。問題は「白花」の方ですが、これが分かりません。皆様の中で「菫」(「ネオン界」のでは無く、「花界」いえいえ、「植物界」のですが。)に詳しい先生はいらっしゃいませんか?。これが何であるのか、御教示頂ければと思っております。
 芝生には夏近くになりますと、「ネジバナ」が良く見られて居るのですが、これは嬉しい伏兵でした。最後に各々の花のクローズアップを御覧頂こうと思います。写真9、「白花」で花弁に紫の筋が入り、花弁の内部に毛が有ります。写真は10「紫花」で、これも花弁に紫の筋模様が有ります。いやァ、高がスミレ、されどスミレ、奥深い物が有りますね。更にこれが何処からどうやって広がって来たのか、考え始めると夜も……。

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ザ・フェルメール、真珠の耳飾りの少女  岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 今、フェルメールが日本に来ている。光りの王国ともフェルメールの小部屋とも称される影と光の対比のなかにたたずむ少女の眼に、見る者も心を奪われてしまう、そんな小さな可愛らしい小品を生み出した画家。
 そこで、この7月8日に「フェルメール展」に行って来ました。と言ってもマウリッツハイス美術館所蔵の「ザ・フェルメール」(これぞフェルメールの最高傑作、と言われる)『真珠の耳飾りの少女』が公開されている上野の東京都美術館ではなく、ベルリン国立美術館所蔵の『真珠の首飾りの少女』が公開中の西洋美術館展でもなく、実は、銀座の松坂屋裏手にある「フェルメール・センター」の『フェルメール光りの王国展』を見に行って来たのです。
 そこではフェルメールが生涯に描いた全ての作品(生涯で37作品しか有りません)が展示されていました。ただ、本物ではなく、「re・create」と呼ばれる最新のコンピューターグラフィック技術で描いた当時の色彩を復元したほぼ実物大の複製画ばかりです。せっかく本物のフェルメールの作品が来日しているのですから、当然上野に行って見てみたいものだとも思ったのですが、“赤ちゃんパンダ誕生”というニュースも聞いたばかり。どんなに大勢の人が上野に集まっているかと思うと人込みや行列の苦手な私としては二の足を踏んでしまいました。
 で、複製画のフェルメール展なら空いているかと思ったのですが、そこは銀座。中年のご夫婦、若いカップル、立派なカメラを肩にしたおたくっぽい人達、買い物ついでの母娘、学生さん等々で、結構賑わっていました。常に一枚の絵の前に2、3人は人がいる。それでも『真珠の耳飾りの少女』の前で大渋滞が起きることも無く、中はカメラ撮影もOK。皆さん、名画の隣でパチリと記念撮影。
 さらに、『手紙をかく女と召使』の作品と同じ設定のコーナーがあり、窓には名画と同じ色のカーテンが掛かり名画と同じ机が置いてあって、後ろには書きかけの大幅の名画がある。そこに立つと名画のなかに入り込んだような写真が撮れる。私と家内もそこで記念撮影。
 一通り見て廻った後に、ミュージアムショップに立ち寄ると、沢山の小品から大作までさまざまなフェルメール作品のレプリカが販売されていました。折角なので一枚購入して医院に飾ろうかと思い、どれにしようかと相談したのですが……。耳飾りにしようか、首飾りにしようかと迷っていると、一緒に行った息子が「お父さんが模写すればいいんじゃない」と言う。
 模写しても良いんだけれど、だけどそうすると誰かの顔に似て来ちゃうんだけれど……。ところで、私は最近、我が家のアイドル犬“ちび”の絵しか描いておりません。「それでは供ちび僑に真珠の首輪を買ってやってね。黄色の洋服も買って着せてやってくれ」「フェルメール・ブルーと言われるラピスラズリの青色の絵の具を取り寄せるからね」
 ラピスラズリは半貴石でアクセサリーとしても使われているようですが、顔料として高松塚古墳に使われたとの説もあり、絵の具もとってもお高いはず……。とにかく、まず資料と材料を一式買いそろえねば……とインターネットで検索して見ると、ラピスラズリのウルトラマリン・ブルーの絵の具は1本3万円。で、犬用の真珠の首飾りは……。
 と言う訳で、いつごろ当医院に『真珠のくびわの仔犬』のフェルメール風の絵画が飾られるかは今のところ、まったく未定であります。

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