長岡市医師会たより No.390 2012.9


もくじ

 表紙絵 「妙高初秋」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「丸山正三絵画館 着工」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「この10+1年を振り返って」 立川 浩(悠遊健康村病院)
 「老いは惜しみなく奪う」 米山隆一(長岡ナーシングホームクリニック)
 「ピアノ」 森岡春江(長岡赤十字病院)
 「長岡映画祭」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)



「妙高初秋」 丸岡 稔(丸岡医院)


丸山正三絵画館 着工  丸岡 稔(丸岡医院)

 当医師会の最長老の丸山正三先生の秀れた画業を、後世に遺したいという長年の希(ねが)いが、平成22年8月、設立準備委員会の発足で活動の一歩を踏み出しました。その後、内容が次第に固まると共に賛同者が増え、翌23年2月に発起人総会を開くに至り絵画館設立推進実行委員会が発足しました。設立のための募金が始まって間もなく、3月11日の東日本大震災が発生、活動の出鼻をくじかれる形となりました。そんな中で、いち早く長岡市医師会が協力の手を差しのべて下さり、会長の太田裕先生が事ある毎に会員の皆さんに協力を呼びかけて下さいました。真にありがたく、このプロジェクトに携わる者達を勇気づけてくれました。
 「こういう時こそ未来を見据え、希望の光で人々を明るく照らしていかなければ。丸山先生の生き方、画業は必ず人々に力を与え、生きる希望を抱かせてくれるに違いない」と設立推進実行委員長の田村巖氏が我々の気持を鼓舞してくれました。
 正に米百俵の精神躍如たるものを感じました。
 幾分規模を縮小をせざるを得なかったものの、この8月22日に地鎮祭を迎えることが出来ました。
 この日も朝から暑い太陽が照りつけていましたが、会場には丸山先生もお元気な姿を見せて下さいました。
 建設される長岡造形大学の広いキャンパスの東側、信濃川寄りに、“もりあおがえる”が住むビオトープがあります。その畔に絵画館が立つことになりました。背景に美しい林が拡がり、前方にバラ園が美しい花を咲かせています。
 地鎮祭は滞りなく終わり、参会者にお神酒が振る舞われました。
 この日から一ヶ月。建設現場を訪ねてみました。すでに土台のコンクリートが打ちこまれ、鉄筋が立ち上がりかけていました。地鎮祭の時、ただロープで囲まれていた地面が、小さく見えたのですが、こういう形になってみますと意外に大きいのに驚きました。「そうなんですよ。これから柱が立ち建物が姿を見せると、もっと大きく見えます。」と設計に当たられた大学の山下秀之教授が仰言っていました。年内に建物が出来上がり、年明けて内装にかかり、3月までには完成の予定です。
 今、東京の国立新美術館で、「新制作展」が開かれていますが、この会の重鎮である丸山先生は新作3点を出品されました。
 今年の春から製作にとりかかっていた作品ですが、先生のアトリエを訪ねる度に、100号の大作がどんどん描きすすめられているのに驚かされました。先月末、東京へ発送する準備中の作品を見せて頂きました。100号2点、80号1点。気力充溢した作品を前に「先生は又新たな画境に入られた。」と感じました。平和な街とそこに集まった人々が、美しい色彩と厳しい構成で描かれている、正に丸山先生の世界です。どの絵の中にも赤ちゃんの姿が見られます。「人々の一番幸せなかたち」を描きたかったのだそうです。昨今の不安をかき立てる国内外の出来事。しっかりとした目標を見つけられないままに生きて行かなければならない今の日本の人々。丸山先生の哀しみと希いがこの美しい絵の奥に感じられねがます。
 「こういう時こそ未来を見据え、希望の光で人々を明るく照らしていかなければならない。」先に紹介した田村氏の言葉を私は思い出していました。更に続く氏の言葉「きっと丸山正三先生の生き方、画業、作品は人々に力を与え、生きる希望を抱かせてくれる。」
 あと一ヶ月、11月2日には、丸山先生は満100才の誕生日を迎えられます。

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この10+1年を振り返って  立川 浩(悠遊健康村病院)

 平成23年5月より、悠遊健康村病院長及び悠遊苑施設長に就任致しました立川浩と申します。私は、平成13年より出身大学である東海大学神経内科から悠遊健康村病院に赴任し、リハビリテーションを含めた脳卒中治療をはじめ、パーキンソン病などの神経疾患や認知症に対する診療に携わっています。平成19年より当院副院長となり、昨年5月より現職に就任しました。
 悠遊健康村病院及び悠遊苑は、故立川晴一初代理事長により、地域の高齢者医療と介護を支えることを目的として平成9年に開設されています。“悠遊健康村”という名前には、高齢者と若者(ご家族と職員)が共生し、ゆったりとした環境の中で健康な生活を過ごすことができるコミュニティー“村”を創る、という思いが込められています。
 超高齢化社会に突入した現在、当施設の機能を発揮するべき時代となりました。しかし高齢者医療と介護の需要は年々増え続け、単純に同じ敷地内で医療及び介護サービスを完結させることは困難な状況になっています。
 当院も時代の流れの中で、少しでも需要に応えられるように病棟再編を繰り返し現在に至っています。私の赴任当時は、病棟は一般病棟と療養型病棟しかなく、リハビリテーションスタッフも少ない状況でした。その後リハビリテーション部門に力を入れ、平成14年には回復期リハビリテーション病棟を開設し、急性期治療終了後や手術後のリハビリテーションならびに療養の必要な患者さんを急性期病院より受け入れ、医療を継続しながら家庭と社会への復帰を支援する現在の形が出来上がりました。他の病棟も、神経難病に対応可能な特殊疾患病棟、内科急性期や整形外科の手術も可能な一般病棟、医療療養病棟や介護保険病棟へと役割分担をすることで、幅広い患者層の受け入れに対応してきました。
 併設する介護老人保健施設悠遊苑も、寝たきりで長期入所される方が多い状況でしたが、リハビリテーション機能の強化を行い、在宅支援サービスの充実を図り今日に至っています。また認知症に対応できる環境として平成14年にグループホーム晴遊庵も併設しています。さらに表町診療所よりたちかわ訪問看護ステーションが当施設内に移転したことで、在宅医療及び介護への円滑な移行ができる環境も整いました。
 近年在宅での医療と介護に重点が置かれたことで、急性期病院からの受け入れだけでなく、開業されている先生方との地域連携を密にすることも、当施設の役割を果たすうえで重要となっています。悠遊健康村の“村”の考え方を“地域”に当てはめ、当施設全体が地域医療・介護の橋渡し役となることで、より多くの方々に社会的利益を還元できると考えています。現在は、訪問看護と訪問リハビリテーションの積極的な活用による、在宅医療・介護支援、地域連携の充実にも力を入れています。長岡に戻って十年間病院の運営に関わってきたことが、この一年の土台となっています。
 私は、より質の高い医療及び介護を提供し続けていくためには、当施設職員にとっても働きやすい職場、働き甲斐のある職場を作ることが重要と考えています。就任一年目は、今までの施設運営を一から見直しました。例えば、一昨年までは診療科毎に入院患者数の動向をみて運営していました。しかし一人の医師への負担が大きく効率も悪い事から、診療科別ではなく病棟単位で運営管理する方式に改めました。選任医師を配置する病棟を増やし、各病棟の施設基準管理を含めた病棟業務の効率化を図りました。また併診医師の介入を増やすことで、一人あたりの医師の業務軽減にも努めています。病棟自体も、多職種協働のチーム医療・介護の考え方を基本とした管理体制に移行しています。昨年より、それまで減少傾向であった医師及び看護師の人数が増えたこともあり、現在病床稼働率は目標通りに安定し、平均在院日数も短縮傾向にあります。但し、より安定した施設運営を続けるためには、更なる人員確保が今後も課題です。
 二年目となる現在は、職員一人一人が、立川メディカルセンターの理念である“患者さん一人一人に満足して頂ける医療”を実践できる環境づくりを目指し、教育や環境の充実を図っています。全職種を対象とした e-learning の導入、実地研修や学会、講演会への積極的な参加を促し、資格取得や様々な経験を得られやすい環境を整えることで職員全体の質の向上に努めています。患者さんの生活環境に関しても、古くなってきた施設の整備やベッド等の備品の入れ替えなどを行い、在宅生活には遠く及びませんが、少しでも快適な日々を過ごして頂けるように配慮をしています。また敷地内は杉林など自然を多く残しており、私が“悠遊の森”と呼んでいる場所があります。この“悠遊の森”を心の和む、ゆったりとした気持ちになる空間として少しずつ手入れをしており、いずれ自然の中でリハビリテーションもできる環境にしたいと考えています。
 私は、昨年当法人の広報誌の中で、“患者さん、利用者様やご家族はもとより、当施設に関わる全ての人に優しさと思いやりを感じて頂ける施設づくりを目指して参ります。”と書きました。この気持ちは、一年前よりさらに強い思いとなっています。地域の医療・介護に貢献するという目標を共有して、常にサービスの向上に努めることが、“全ての人”に満足して頂ける方法だと考えています。これからも色々な意見に耳を傾け、より良いサービスを生む種を探し、出来ることから一つ一つ丁寧に育てていく努力を全職員で続けます。
 超高齢化社会が進んでいる現在、長期的視野を持ち、より現実的な対応を行いながら実現可能な“悠遊健康村”を創っていきたいと考えております。皆様には、これまで以上のご支援、ご協力の程をお願い申し上げます。

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老いは惜しみなく奪う  米山隆一(長岡ナーシングホームクリニック)

 早いもので、昨年の9月1日に開業してもう一年がたちました。当診療所は「ナーシングホームクリニック」と銘打って、主に、隣接の「ナーシングホームメッツ川崎」に入居している患者さんの診療・健康管理を行っています。
 患者さんは基本的には「病院の外」で暮らせる方々ですから、症状は比較的安定しています。とはいえ、やはりそこは高齢者で、色々なきっかけで、さまざまな体調の変化・症状の変化が起こり、時に急変することもあります。正直この分野の経験の浅い私としては、それらの事態にうまく対応できるかハラハラしながらのスタートだったのですが、診療所のスタッフ、同じ敷地内の高野吉行先生(かわさき内科クリニック)、長谷川俊哉先生(メッツ整形外科クリニック)、北沢敦先生(ひまわり歯科)、また、長岡中央綜合病院、立川綜合病院、長岡西病院、長岡赤十字病院をはじめとする周囲の病院の皆さんのご協力で、何とか大過なくここまでやってくることが出来ました。皆様に心よりお礼申し上げたいと思います。
 さて、そんなこんなで日々高齢の方々の診療・健康管理を行っていますと、少々ペシミスティックに過ぎるかもしれないのですが、「老い」という生理現象の強烈さを痛感せずにはおれません。勿論高齢の方々の健康状態は人それぞれで、60代そこそこで健康を損なってしまった方もおられれば、90代にして尚元気という方もおられます。
 健康を損なってしまった方は勿論、どれほど健康を保っている方であっても、一日一日、少しずつ身体機能、生理機能が落ちていくことを、それによって日々、重大な事態が生じる可能性が高まっていることを、客観的事実として、認めないわけにはいきません。その変化を早期に認識していち早く対処することこそが、医師の役割だからです。
 「惜しみなく愛は奪う」は白樺派のプリンス、有島武郎の名文句ですが、「惜しみなく老いは奪う」という言葉が、診療の折々に私の脳裏をかすめます。
 ずいぶん夢も希望もない話になってしまいましたが、だからこそ、私は、今ある生を十分に楽しめる施設、今ある人生の喜びを出来るだけ長く楽しめる医療を提供できる診療所を作っていければと思っています。
 脳梗塞で麻痺が残った方の機能回復は、皆さんご承知の通り、勿論容易ではありません。今日、ディサービスで楽しい一日を過ごすことが出来れば、明日一日、リハビリに堪える気力がわきます。明日、リハビリをやり遂げることが出来れば、明後日は、より楽しい1日を、施設の仲間と過ごすことが出来ます。
 老いは高齢者からだけでなく、私を含めたすべての人から平等に時を奪い去ります。その奪い去られていく時が自分の手の内にある間に、どんな色で彩るかが人生というものであり、入居した方々の人生の最終章を出来る限り豊かに彩る環境を提供することが、当診療所の使命であると、私は思っています。
 当診療所は、まだまだ始まったばかりで、多くの改善点が山積みになっています。前述の「使命」を十全に果たすことが出来るまでには、一層の努力が必要でしょう。この一年を支えてくださったすべての人に改めて感謝申し上げながら、今後さらなる向上を目指してスタッフ一同で頑張っていきたいと思います。

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ピアノ  森岡春江(長岡赤十字病院)

 最近、研修で病院外に出ているためか、「なにか趣味はありますか?」と聞かれる機会がたくさんありました。趣味を尋ねられると、私は大抵「ピアノです。」と答えます。
 ピアノは小学1年生から習い始め、大学6年になるまでずっと続けていました。10年以上も続けていたならさぞかし上手いのだろうと思われるかもしれませんが、残念ながらそうでもありません。小、中、高、大学と、いつも部活をしており、割と熱心な部活であったため、ピアノを練習する時間がとれないことも多々ありました。それでもピアノが好きで、細々と続けていたのです。高校受験を機にやめるクラスメイトが多いなか、受験中でもレッスンを続け、大学に入って一人暮らしを始めてからも、「実家でピアノを弾き、レッスンに行き、実家のご飯を食べて帰る」時間を捻出していました。(さすがに6年生の実習が始まるとそれも出来なくなりましたが。)最終的には、弾きたいと思っていた、リストの「愛の夢第3番」や、ショパンの「バラード第3番変イ長調作品47」を弾けるようになったので、続けていて良かったなと思います。
 弾きたい曲を弾くのはもちろん楽しいですが、選んでもらった曲が大好きになることもありました。「雨の庭」という、高校2年の夏の発表会の曲です。「雨の庭」はフランスの作曲家、クロード・アシル・ドビュッシーの「版画」というピアノ曲集の3つ目の曲です。フランスの庭園に降り注ぐ雨が細かいアルペジオで表現されています。長調、短調が入り交じった不思議な雰囲気で、はじめて聴いたとき、その曲名の通り、目の前に雨が降る庭がみえた気がしました。すぐに気に入って楽譜をもらい、練習を始めました。曲の最後まで細かい音符が連なっており、自分に弾きこなせるのか、はじめは不安でした。それでもなんとかこの雨を表現したいと思い、必死で練習を繰り返すうちに、ますますその曲が好きになっていきました。発表会が、高校で入っていた吹奏楽部の合宿と重なっていたことが分かり、発表会に出るのをあきらめかけたこともありました。しかし、どうしても「雨の庭」を弾きたくて、部活の顧問にお願いし、合宿から戻って発表会にださせてもらうことにしました。普段は部活を優先していても、心の底では自分にとってはピアノが一番なんだと実感した曲でもありました。
 そんな私ですが、今までに一度だけ、ピアノが嫌で嫌で仕方なかったことがありました。小学校2年生の頃です。音階や指の基礎練習だけでなく、曲の練習すら嫌になってしまったのです。早く習い始めたくて仕方なかったのに、どうしてそんな風に思ってしまったのかは覚えていません。練習しないから上手く弾けないのに、上手く弾けないから練習もしないという悪循環でした。でも、ピアノをやめようとは思いませんでした。自分が習いたいと言いはじめたのに、自分からやっぱりやめる、なんてことは絶対に嫌だったのです。優しい先生で、ピアノを通して音楽を楽しみ、感性を育てるという方針の先生だったので、弾けるようになっていなくても怒らず、「じゃ、もう一回同じところ練習ね」というような感じでレッスンが進んで(?)いきました。そうしているうちに逆に練習したくなってきて、自然とまたピアノが楽しいと思うようになりました。それ以降、嫌になったことは一度もありません。おおらかな先生のおかげだったと感謝しています。
 最近はほとんどピアノを弾く機会がないので、現在進行形の趣味とは言えないかもしれません。弾けなくてストレスがたまることもあります。たまに実家に帰省してピアノを弾くと、指の力は落ちているし、思うように動かないし痛くなるし、音をすぐ間違って大変です。でも、ピアノを好きな気持ちは全く変わりません。弾いている時はとても楽しく、弾き終わった時はとてもスッキリします。電子ピアノを買うという手もあるのですが、私はあの音と鍵盤の引き心地がどうも好きになれず、未だ購入していません。いつか本物のピアノを買おうと思っています。

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長岡映画祭  岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 9月もなかばを過ぎて、まだこの暑さ。思考が停止しているかのようだ。読書の秋、芸術の秋なのに。この号が皆様のお手元に届くころには大分涼しくなっているでしょうか。
 ところで、毎年9月に開催されている第17回「長岡映画祭」(昨年までは「長岡・アジア映画祭」)が9月17日に初日を迎えます。アジア各国の名作映画、新潟県ゆかりの映画、長岡出身の監督製作の映画の上映に加え、監督自身のトークショーやコンサートもあり、充実した内容となっています。さらに今年は長岡造形大や附属長岡中学が企画したプログラムもあり、一層パワーアップしたようです。
 初日の17日の香港映画「王朝の陰謀、判事ディー」がちょっと面白そう。ディー判事とは紀元630年生まれの実在の人物、狄仁傑がモデル。中国の女帝、則天武后に使え、法務大臣となった人。原作は中国版シャーロック・ホームズとして欧米で熱烈に支持され、日本でも早川書房から全14巻出版されているとのこと。この秋、緑陰での読書にいかがでしょうか。
 そして19日上映の「フェルメールの憂鬱」。これはコメディ仕立ての日本映画で、製作は長岡出身の五藤利弘監督。
 五藤監督の作品はこれまで地元長岡ゆかりの地や長岡近隣でのロケが多かったようですが、今回は神奈川県が舞台との事。期待しています。
 ちなみに昨年の映画祭では、五藤監督の「雪の中の白ウサギ」が上映されました。これは十日町が舞台。だから長岡よりまた数段すごい雪の量と真っ白な大地が印象的でした。以前“ぼん・じゅ〜る”誌上で紹介したカール・ベンクスハウスが使われ、カール氏も出演されていました。この圧倒的な自然・豪雪と地元の人々。それをどう共存させ発展させていくかを若者達が試行錯誤を重ねて進めていく青春模様が描かれています。
 十日町といえば、今年は三年に一度開催される「大地の芸術祭」があります。自然と人間が共に暮らす里山がテーマの芸術祭です。棚田に溶け込む巨大なモニュメント、思わずニンマリする仕掛けの組み込まれたアートなど見応え充分です。大地をたっぷりと踏み締めて歩き回っての観賞がお勧めです。
 とは申しましても、「大地の芸術祭」は9月17日で終了。「長岡・アジア映画祭」は同日から開催ですが、いずれもこの稿がお手元に届く頃には終了しています。すみません。ぜひ、次回に“乞う、ご期待。”というところです。さらに、15、16日とアオーレ長岡で安藤美姫さん達の出演するアイスショーが行われ、17日からはアイスリンクが30日まで特別解放されるとのこと。アオーレオープン記念の一つのこのアイスショーのチケットは即日売り切れ、大好評のようでした。
 こうして見ると長岡も結構文化的、芸術の香りただよっているではありませんか。
 そしてこの時期、ずっと以前から自分が一番美しいと思っているものは、刈り入れ直前のたわわに実った稲穂が波打つ黄金色の大地。ゆうさりどき(夕暮れ時)、その黄金色の絨毯の上を涼しげな風が渡る。
 このだだっぴろい越後平野こそが、人と大地が作り上げた最高の芸術品かと思えてくるのです。
 ところで、この最高の芸術品が生み出すコシヒカリ。今年は暑さ続きの為、すこし早目の刈り入れが勧められているようです。今朝も脱穀の音が聞こえてきています。今年の出来も最高に違いありません。

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