長岡市医師会たより No.395 2013.2


もくじ

 表紙絵 「待春(栃尾)」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「東日本大震災復興のために国民一人一人ができること」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「新年ボウリング大会優勝記」 三上 理(三上医院)
 「新年麻雀大会優勝記」 明石明夫(明石医院)
 「新年囲碁大会優勝記」 新保俊光(新保内科医院)
 「君ハートいたわりて雪かきされよ」郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「待春(栃尾)」 丸岡 稔(丸岡医院)


東日本大震災復興のために国民一人一人ができること  福本一朗(長岡技術科学大学)

 一昨年の東日本大震災は25兆円という未曾有の国家損失を引き起しただけでなく、25万人の原発事故難民を産み出し、その多くの人々がいまだ懐かしい故郷に帰れないという悲惨な内憂の中にある。加えて韓国との竹島問題、中国との尖閣諸島問題に関連する日中交流の冷え込みなど外患にも見舞われて、まさに国の威信と国民の資質が問われているといっても過言ではない。ただ日本の“国難”は今回が始めてではない。鎌倉時代の二度の元寇、江戸時代の戊辰西南戦争、明治の日露戦争、大正の関東大震災、昭和の原爆と敗戦、そして平成のバブル崩壊と、日本人は試練を乗り越え、“日本再生”を成しとげて来た。それは世界に誇るべき大和民族の特質によるところが大きい。聖徳太子の和の精神、紫式部のもののあわれ、世阿弥の幽玄と折々の花、二宮金次郎の向学心、伊能忠敬の好奇心、明治元勲の和魂洋才進取の気性、山本五十六の平和第一主義、そして山中淳弥博士の誠実さ、それら全ては日本人の誇りである。もちろん誤りをなさない人と国はないのであって、日本も朝鮮併合・大東亜戦争・従軍慰安婦問題・南京事件など、アジアの人々との共生を目指すために反省と解明を要する歴史問題が残されている事も決して忘れてはならない。しかし、日本国憲法前文に示されている様に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう」「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意」した我々は、「万機公論に決」して飽くまで話し合いによって外交問題の平和的解決に尽力せねばならない。また本来の日本人は、世界のどの民族にもまして“名誉と恥”を重んじ、他人に対して“優しい”という素晴らしい性質を有している。これは北朝鮮との拉致被害者帰国運動、南方諸島の遺骨収集活動に見られる様な強い同朋愛にも現れており、東日本大震災においても日本中から被災地にボランティアが参集したのもそのためである。ただ東北の産業復興については従来のボランティア活動は必ずしも有効ではない。以下は国民一人一人ができる産業復興支援の提案の一つである。
 日本は戦前には繊維工業、戦後は重工業と自動車・電気製品を輸出する事で1億の国民を飢餓から救って来たが、近年はアジア諸国の産業近代化で安価にして品質の良い製品との競争に負ける事が多い。残念ながら経産省が巨額の投資をして来た次世代コンピュータもライフサイエンスも敗色濃いと言わねばならない。筆者も含めた国民は、百円ショップに並ぶ東南アジア諸国からの安価な製品に頼り、高い人件費のため高額になった国産品には見向きもしなくなってきている。そのため新潟県でもミクロの工作技術を培って来た金属加工産業や、本場英国にも劣らない高品質のスーツ縫製技術が廃れかけてきている。前政権の“東日本復興のため”の増税と公務員給与引き下げは、国民の購買力を一層低下させ、生活を守るために「少しでも安いもの」を購入しようとしている。しかしこの一見合理的な行動は、国内産業を衰えさせ、海外移転を勧めることで失業者と生活保護受給者を増やしている。
 筆者が9年の留学生活を送ったスウェーデンでは寒冷な気候のため野菜や果物は栽培するに大変な努力と費用がかかる。スペイン・イタリア・ギリシャなどの温暖な南欧からは安価でずっと美味しい蔬菜果実が簡単に輸入され、スーパーに並んでいる。これに対してスウェーデン産の野菜などには国旗と“スウェーデン産”の表示が大きく明示されており、国民は“これも愛国心”と言って高くてまずい国産品を好んで購入している。これは決して外国製品排斥に繋がる国粋主義などではなく、冷静な愛国心と同胞愛に基づく合理的行動であると見なされている。科学者にして政治家・企業家・文筆家であるベンジャミン・フランクリンは「我々は互いに助け合わなければならない。そうしないと、皆別々に破滅する事になる。」と主張した。また人間の精神の奥深さを追求したジーグムント・フロイドが、その著書“文化への不満”において、人間の社会生活がもつ苦しみに満ちたジレンマを検討し、「我々は生まれつき利己的で攻撃的である。けれども、成功した文化はどれでも、動物的な性向を抑圧し、全体の善と調和のために利他的に行動する事を我々に要求している。文化がますます複雑になり「モダン」になるに従って、我々はますます生来の自我を断念しなければならない。だが我々にはそれがうまくできないために、やましさと苦痛と困難を伴う。文化の代償は個人的な苦痛である。」と喝破していることも、また同じ趣旨であると思われる。
 世界経済のグローバル化により関税障壁は段々消滅する運命にあり、政府の補助金による産業保護も借金財政の今日ではいつまでも継続する事はできない。しかし日々の買い物に際して「同じ品質なら少し高くても国産品でも」と考えて行動することは、風評に惑わされない被災地産品購入と並んで、国民一人一人のできる東日本大震災復興政策であると信じる次第である。

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新年ボウリング大会優勝記
ランニングで得たもの?  三上 理(三上医院)

 数年前より始めたランニングで、昨年、新潟でフルを走ってきました。お天気をみて、夕方に10kmから15km。休みの日には東山や土手を巡り、多い月は150km以上走り込んでました。それでもフルマラソンは普通ではありませんでした。30kmまでは順調でも、そこからの12kmが・・・なんとかゴールにたどり着いたときには感動しました。そんな1年間でしたのでボウリングは月例のみという感じ。それでもなぜか昨年は年間ポイント1位を頂き、明けて平成25年1月21日、月例と同じ、柏町のドリームボウルで毎年恒例の新年会に参加しました。
 いつもの月曜と同じく、集合時間には私たちのグループのみのボウリング場。当然のように暖房もあまり効かず、外気と同じような感じで練習が始まりました。今回出席者が10名で、野村先生、山井先生は見学ということで、私は廣田さんと2名で開始となりました。右隣には明石先生、市川先生とスピード勝負のペア。左隣は吉田先生、福本先生、高木先生と個性あふれるメンバー。その隣は茨木先生、高野先生、窪田先生と、実力派揃い。19時半過ぎに開始となりました。早速右隣のお二人はストライク先行で飛ばしていきます。ところが私たちペアはいきなりつまずきました。2フレームの途中で機械がストップ!なかなか戻らず、周りを見渡すと、マイボールを壊して(!)ハウスボールでの参戦となった市川先生がストライク連発。1ゲーム目より200アップと好スコアで、廣田さんと2人、焦るというより、しょぼんとした開始です。マシントラブルでリズムが乗らない廣田さんでしたが、私はなんとかまとめ192でスタート。その後マシンも順調に動きトラブルなしで周囲のペースにようやく追いつきました。お隣では明石先生がストライクを続け、2ゲーム目にビッグスコアの233!ハンディ差もあり、勝負ありかと思いました。私も何とか崩れずスコアをまとめ、3ゲーム終了して192→187→189とまとめ、最終ゲームに向かいました。数年前よりランニングを始め、参加当時より足腰は強くなったと自覚しており、以前は4ゲーム中、幾度か低スコアを記録することが多かったのですが、それ以降、比較的波は減ったようで、アプローチ、投球中のふらつきは確実に減ってきました。私自身の中でボウリングで一番大切なのは、アプローチでのタイミング、リズム、方向と考えており、そこには足腰の強さが関係していると考えています。もちろんそこにはレーンのオイルの状況が絡んできますが、そこを難しく考えてしまうととんでもないことになるので、そこは今後の課題です。さて、4ゲーム目ですが、さい先良くダブルで入りましたが、4フレーム目に早くもオープン。目標の200オーバーは難しいかと思われましたが、6フレーム目から5個ストライクが続き、終わってみれば230(それでもハイゲームは取れませんでした)。お隣のお二人の先生も確実にスコアをまとめており、何とか上位には入れたかなと思ったところ、明石先生をトータルで3ピン上回り、新年会初優勝を頂きました。寒いコンディションで実力のある窪田先生、茨木先生をはじめ、諸先輩方のスコアがいつもよりふるわなかったこともあった結果だと思いますが、残念だったのはスクラッチで798とアベレージ200にわずかに届かなかったことです。4ゲームを通じオープンフレームは5回でしたが、そこを踏ん張れば……ストライクが続かないといくらスペアを拾ってもスコアは増えませんが、自分の中ではスペアは拾いまくらないとまとまりませんのでもったいないところでした。
 今年はまたハンディも減り、このくらい出さないと優勝は難しいくらいレベルが高い月例ですが、今年もなんとか優勝争いに食い込めるようがんばりたいと思います。そのためには練習なのでしょうが、ここ数年、ボウリングよりランニングが楽しくて……ただ、ボウリングも基本は足腰ですので、どちらも時間を見つけながら続けていきます!
 昨年、斉藤志乃ぶプロのレッスン会をメジカルボウリングで開催していただき、そこでへなちょこボールじゃなくて思いっきり投げなさい!と、的確なプロのアドバイスをいただけたことが今回の優勝に繋がったようです。さすが、プロの目は違います。あまり迷わないで自分のボールを投げることがスコアアップになりそうです。
 実は月例の優勝トロフィーは持ち帰らないのですが、この新年会のトロフィーは1年間ですので、しっかり持ち帰り待合室に飾っておきます。その優勝者のペナントには父の名前もあります。どなたかは話題を振ってくれるでしょう。
 昨年、一昨年の茨木先生、福本先生の優勝記は非常にセンスのあふれた文章でしたが、文才の乏しい私はこんな駄文しか書けません。最後までおつきあい、ありがとうございました。

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新年麻雀大会優勝記
まさかの2連覇
  明石明夫(明石医院)

 1月18日午後2時より今年もいつもの会場、坂之上町「麻雀クラブトップ」で大会が開催されました。私を含めて9名の医師会員と某製薬会社MR3名で、三卓に別れてのスタート。「一局一時間、東北回し。北のあとは東に戻る。全三局戦う。」という長岡市医師会麻雀大会ルールのもと、いよいよ開局です。
 一回戦は田中先生、西村先生、児玉先生との対局となりました。お茶を飲みながら真剣にやられる先生方がほとんどですが、私を含め数名はビールを飲みながらの麻雀です。最初は配牌・自模(ツモ)に恵まれず、なかなか聴牌せず、そのうち二飜しぼり(三本積み以上)にもなり、悪戦苦闘しましたが、結局一度も和れず、マイナス4100点で4名中3位という結果に終わりました。(ちなみに一位はプラス11200点の児玉先生。全体としては9名中6位。)
 二回戦は丸山先生、高橋先生、MRのMさんが対戦相手。ビールじゃだめだと芋焼酎のロックに変えたとたん本日の初和り。するとおもしろいものでとたんに配牌・自模とも急によくなり、何回か連続で和了でき結果はプラス37800点のダントツ。この辺がツキ麻雀の真骨頂なんでしょうね。小計で田中先生と同点となり、2位に躍進。
 最終三回戦は、春谷先生、西村先生、高橋先生との対局。すっかり調子に乗ってしまい、焼酎ロックもどんどんすすみ、絶好調のうちにこの局も終え、プラス31400点となり、今年もトータルプラス65100点とダントツのトップで2連覇をなしとげることができました。勝因はと尋ねられたら、「本来の実力」と答えたいところですが、ツキ以外のなにものでもありません。アルコールの手助けもかなりあると言わなければならないのでしょうね。本当の実力者は3回戦ともプラスだった小林先生、高橋先生の両先生と思います。
 しかし、気分よく麻雀でき楽しい時間を過ごせ幸いでした。
 大会終了後はいつものように、小林先生・丸山先生・MRの二名の方とおいしい酒を十分堪能でき、二年連続“ぼん・じゅ〜る”に原稿を書くのもまんざら悪くないなと自己満足しております。こうなったら次回もめざせ3連覇!

追記:21日のボウリング大会でもハイゲームをとったりで、あやうくボウリングでも“ぼん・じゅ〜る”に原稿を書くところでした。第4ゲームで三上先生に逆転されての2位でした。そう言えば去年もボウリング大会2位で、2年連続の準優勝でした。こいつは1月から上々すぎる感じですが、今年もいい一年となるよう頑張らなくっちゃ。

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新年囲碁大会優勝記  新保俊光(新保内科医院)

 新年あけましておめでとうございます。今年の大会は、積年の功労者、杉本邦雄先生を偲び黙祷を捧げ、始まりました。参加者は、50音順で、太田裕(太田こどもクリニック)、大塚武司(大塚こども医院)、小林矩明(喜多町診療所)、斎藤古志(さいとう医院)、齋藤良司(齋藤皮膚科泌尿器科医院)、新保俊光(新保内科医院)、関根光雄(関根整形外科医院)、増村幹夫(長岡西病院)、三間孝雄(三間内科医院)、山本和男(立川綜合病院)、吉田正弘(吉田医院)の諸先生方の総勢11名でした。私は1回戦で齋藤良司先生に奇跡の逆転勝ちを収め、2回戦では吉田先生にわずか2目差、3回戦も斎藤古志先生に2目差と、まさに指運による勝利で優勝しました。最近は色々なことがあって、しばらく囲碁から離れていたので望外の喜びです。本来大会模様や囲碁にまつわる話を書くべきでしょうが、私のくだらない話におつきあいください。

色々なこと(心が震えた話)

〔本震〕
 平成23年3月、東北大震災が発生し多くの被害が出た。なかでも福島原発事故は心配した。原子炉がメルトダウンし誰も近づけなくなれば、チェルノブイリの何倍もの使用済み核燃料から大量の放射線が放出され、東日本が壊滅すると心配した。建屋が次々に爆発した時は、もはやこれまでかと恐怖で心が震えた。東電、消防隊、自衛隊が頑張ってくれていたが、今の日本で、死を覚悟して原子炉鎮圧に出動するよう命じることは、倫理的にも法的にもできない相談と思っていたので、いつ現場放棄しても仕方ないと思っていた。私は、人生初めて「心が震える」感覚を実感した。その後、胃痛や不眠等の神経症を経験し、生命力に対する自信が大きく揺らいだ。これが「心の震え」本震である。

〔予震〕
 震災前は心身健やかであったかというと、そうでもない。伏線がある。私は8年前、小千谷病院勤務中に中越地震を経験した。地震直後には急患の溢れる病院で修羅場を経験し、その後も長い戦いが続いた。幸い家族は無事で、原発事故のような不安もなかったため、心は震えなかったが、相当に疲れた。1年たって震災後の対応もひと段落し、新天地を求め長岡に開業させていただいたが、自分の患者さんが一人もいない地での内科開業はリスクもあり、かなり気張っていたと思う。幸い医業は順調に経緯し、漸く一息つくことが出来たが、気持ちの緩んだこの頃から疲れが出てきた。世相も、国の財政問題や日本の国際競争力低下、少子高齢化など暗い話題が多く、疲れと相まって、震災前から何となく心楽しまない日が多かった。

〔余震〕
 医院は日曜診療とインフルエンザ予防接種のため、秋冬の日曜日を中心に過大な負荷がかかっていた。このためか、平成23年10月に事務員の一人が退職を希望した。12月には看護師が出産退職の予定になっていた。4人のスタッフ中2人が退職することになり、新職員の目途がたたないままに繁忙期を迎え、この時も「心が震えた」。思うような看護師さんをなかなか採用できず、11月になり漸く素敵な方に来ていただいたが、キガキではなかった。このシーズンはインフルエンザの大流行と、体調不良も重なりつらかった。家にこもることが多くなり、酒量が増え、それが体調の悪さに拍車をかけた。日常の業務以外何もしたくなかった。そのため、昨年は囲碁大会を欠席した。ネット碁もやる気がせず、テレビや週刊誌は、刺激が強すぎて嫌いになった。生命力低下のためか「自分が倒れたら、子ども達はどうなるのか?」や「悔いのない人生を送るには?」と自分に問いかけることが多くなり、体力の限界や、将来設計を真剣に考えざるを得ない一年になった。これが「心の震え」余震であるが、進行中の大きな余震である。

〔前進〕
 ここまで書いてきて、ほとんどうつ病だな、と思う。うつ病の病理は私流に理解している。一言で言えば「オーバーフロー」だ。心配事や悩み、仕事のインプットが過度になれば演算処理が追いつかずスタックする。処理能力は低下し、今まで出来たことが出来なくなる。インプットが増えないように、他事に無関心になる(ならざるを得ない)。そういうことだと思う。だから、うつ病患者さんが来院されると、必死にもがいているその背景に思いが至り、すごく可哀想に思う。うつ病は残酷だ。出来ればゆっくり休んでほしいが、それを出来る人は少ない。第一に生活のためであり、第二に慣習的・関係的な存在である人間は、家族や世間の評価も気になり、思い切って変化できないからだと思う。私も、もがいた。行き詰まりの原因を考え、自分の見栄や欲を内省し、自覚的に変化を試みた。まず心配を減らそう。「日本の先行きや原発事故」など、自分がコントロールできないことは心配しないことにした。「なるようになれ、なったらその時だ」と腹をくくった。Citizen から脱落したようで寂しいが、仕方ない。スタッフは5人に増員した。診療時間も減らした。1日勤務は週3日にし、あと3日は午前診療のみにした。インフルエンザ予防接種は予約制に変更し接種数をコントロールした。外部から依頼されていたフィルム読影や産業医面談なども申し訳ないがお断りした。これでだいぶ楽にはなったが、苦しみの源泉かもしれない日曜診療はどうしても止めれなかった。

〔日曜診療〕
 開業以来日曜診療を行い8年目になる。冬期は救外状態でとてもあわただしいが、元々急性期を診たかった。風邪などの軽症が多いが、皆それぞれに苦痛や不安を抱えており、そのお役にたてることは理屈なくうれしい。重症患者様を的確に二次病院に紹介し、感謝された時も本当にうれしい。また、救急担当病院から勧められて受診する患者様もおり、激務をこなす勤務医の負担軽減に役立っていると思うと勇気が湧いてくる。医院経営に資するところも大きく、経営基盤が安定することで医療行為に経済的な雑念が入らないこともありがたい。ただ、体調が悪い時などは、続けていけるか不安になることがある。昨年来、色々考え、一緒に働いていただける先生をみつけるしかないと思うようになった。

〔医師求人のお願い〕
 こんな医院をつくりたいと思います。
・複数の医師が協力する、通年診療可能な医院。
・複診制ではなく交代制勤務にすること、また外来診療に特化することで、勤務時間を軽減し、疲弊することなく診療を続けていける医院。
 勉強や余暇にも時間を割いて、医療の質を高めながら新鮮な気持ちで日々の診療に当たりたいと思う。仕事以外にも大切なことはたくさんあるとも思う。子育て中の女医先生や、研究中の大学勤務医、そろそろ第一線を退きたい先生方とも協力し、お互いのライフバランスを尊重しながら社会に貢献できる医院が目標です。詳しくは当院 HP www.sinbo.jp に記載しました。興味のある方は是非声をかけてください。

〔お礼〕
 最後になりましたが、長岡西病院様、長岡赤十字病院様、長岡中央綜合病院様、立川綜合病院様には、いつも多くの患者様を診ていただき心から感謝申し上げます。二次救急病院様や高齢者も入院治療いただける病院様がなければ、私のような医院は一日とて診療が立ち行かないことを年々強く感じております。また日曜日も気持ちよく勤務頂いている医院スタッフや薬局の皆様にもお礼申し上げます。

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君ハートいたわりて 雪かきされよ  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 朝の出かけに玄関の戸を開けたとたん、雪片が風に舞います。

「あっ、風花じゃん。」とわたし。見送りに出た家人は淹れ立てのコーヒーのカップを手渡しながら、
「これは粉雪ですよ。きょうも一日雪が降り続く予報ですからね。」

 立春(2月4日)過ぎてまだ冬。古代中国では夏至、冬至、春分、秋分を四季の中心とし、その中間点に立春、立夏、立秋、立冬を設けたらしい。ゆえに該当季節に1.5月の先行の旧暦で、名のみの春です。

 雪の降り続いた日でも、帰宅すると自宅前はきれいに除雪してあります。いつもの家人のしわざです。雪の積もらない地方から嫁いで、○十年。とにかく雪が通路にあるのは大嫌いで、きっちり地面が出ていないと(実際はアスファルト舗装面)お気に召しません。

 雪国では通行等の実用の最低限が各戸の除雪の原則。越後育ちの身だから、つい口をはさみます。

「Aさん(家人の名前)、玄関先は上を踏み固めて通路だけ作ればいいのに。とことん雪掻きして地面まで出すのは町内でうちだけじゃん。」
「うん、わかってる。でも気が済むようにやらせておいて。それに運動不足の解消で健康にもよいしね。」と息をはずませて、毎日ママさんダンプや雪除けスコップを駆使しております。雪の女王ならぬ「雪掻きの女王」です。

 カナダのキングストン総合病院に最近二年間に心筋梗塞で入院したのは500人。その7%が雪掻きがきっかけで発症していたそうな。その群は同病の家族歴が3.6倍、また男性の比率が4.8倍でした。この医学論文は男性であることが雪掻きで心筋梗塞を起こしやすい独立危険因子としました。

 わたくし愚考いたしますに、かの国では圧倒的に(女性でなく)男性が雪掻き作業するならこの有意差は当然。男女が同率で雪掻き重作業にあたる前提でないと、この判断は微妙かも。はて我が家のように、雪掻きは女性が圧倒的に多数回行う場合はいかが? 女性だからといって、家人は自分より数倍も心筋梗塞を起こしにくいのかしらん?

 最新の医学誌ならずとも、雪国の北海道や青森では、とっくに心筋梗塞予防のため、市民への「雪掻き注意報」がネット上にあります。
 まず早朝の雪掻きは避けること!、(1)早朝血圧の上昇、(2)寒冷刺激、(3)雪掻き運動のトリプルパンチで高血圧が悪化する。ここで動脈硬化した血管壁の粥腫が破れ、血栓ができ、血管が詰まり心筋梗塞。発症時間は我が国では、午前8〜10時が最多。“雪掻きは健康的な運動ではない”のは医学上は明らかです。雪を運ぶ動的運動と雪を持ち上げる静的運動(力む、等尺性運動)の組み合せ作業は心拍数も血圧も上昇させ、心臓の大きな負担です。

 具体的には、なにを気をつければよいかと言うと—
 1:起床直後の雪掻きは避ける
 2:防寒対策(身支度)を万全に外の寒さで、交感神経は緊張し、全身と心臓の血管が収縮、そこで身支度もだいじ。またマスクをして冷気を肺に直接入れない。
 3:よく準備運動してから
 4:道具は体に合ったサイズで
 5:水分補給を怠らず
 6:疲れを感じたらすぐ休憩

 以上は、わたしが家人に贈る健康的雪掻きのすすめでもあります。ハートをいたわりながら、楽しい時間をお過ごしくださいまし。

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