長岡市医師会たより No.397 2013.4


もくじ

 表紙絵 「春の河川敷(水梨)」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「海洋調査船 船医の経験」 磯部賢諭(生協こどもクリニック)
 「英語はおもしろい〜その30」 須藤寛人(長岡西病院)
 「新しい救命処置を学ぶ半日コースを受講して」 鈴木丈吉(鈴木内科医院)
 「新しい救命処置を学ぶ半日コースを受講して」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「桜咲く、雪のち晴」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「春の河川敷(水梨)」 丸岡 稔(丸岡医院)


海洋調査船 船医の経験  磯部賢諭(生協こどもクリニック)

1.はじめに
 みなさんの身近に船医はいますか? いろいろあって、せっかくの機会なので船医の日常を報告します。現在の日本において船医という仕事は希少です。具体的には豪華客船の船医や北洋船団のような外洋漁業に伴う船医、そして最後は調査船(research vessel)の船医などがあります。豪華客船の船医はすでに経験医師のリピーターが多く、新規参入や契約も難しいようです。漁業船団も一般にはなかなか公募していません。あとは国の調査船で外航にでる場合には一般に公募となります。私は個人的に船医になりたいという漠然とした夢があり、今回運よくそのチャンスに恵まれました。そして約2か月間気象庁調査船船医としての航海を終了しました。たった一回の経験ですが、勤務医や開業医とも違った医師生活を堪能できました。少し、共有できたらいいなと思いご紹介いたします。

2.診察・治療
 63日間の今次航海において合計約36件の診察・治療を行いました。最多のものは筋・関節疾患、眼疾患が6例ずつ、そして胃腸炎、感冒、皮疹・湿疹、口内炎がそれぞれ5例ずつでした。疲労、ストレスが原因と思われる感冒・口内炎や、油断からくる打撲などは航海の後半に集中していました。ミクロネシア、パラオの寄港地における疾患は少なく感じましたが、クラゲ刺傷や虫刺されなどは散見されました。
 航海期間を通じて、実際には重篤な疾患は発生しませんでした。(高血圧内服治療中の方の胸部不快感には、慎重に対応させていただきました。)診療録記録は SOAP で統一し、できるだけ写真を添付しました。診察室以外での医療相談(食堂で食事ついでに相談)などについても積極的に対応しました。各人の個室には夜間であっても希望であれば往診しました。船医の気遣いが行き届かない部分に関しては経験豊富な看護長(男性。船の世界は基本的に男社会で縦社会。)に事前の問診をとってもらったりして、大変助けていただきました。寄港後の診療情報提供書を一通記載しました。

3.健康に関する講話
 東京港出港後、34日目に船内医学講演会を行いました。演題は船員の方の希望があったため、「痛風・生活習慣病について」と題してお話させていただきました。もちろん船員さんを対象にしたので3交代の勤務都合上、2回にわけて話をさせていただきました。高血圧をふくめ生活習慣病は血管病変を主体に全身を蝕んでゆくため、予防が大切であることを強調させていただきました。船員には若い人もいましたが全体として高齢化しているので、生活習慣病に興味があったらしく質問も数件お受けしました。
 船医という医学の専門家が乗船しているのでもっと利用してくださってもよかったのかなと思いました。また、そうではなくおせっかいと言われるくらい、私のほうから積極的に健康管理をすべきだったのかも知れません。船員の疾病予防、ストレス発散などにもっとできるほかの何かがあったのかも知れません。

4.医薬品・医療機器
 船内には多くの内服薬があり、多くの内科疾患に対応できると思われました。また外用薬や市販薬もそろっており一次対応として充分と思われました。しかし、器具の滅菌消毒に関してはオートクレーブがなく、今後検討すべきであると考えました。煩雑さを考えるとディスポーザルのものを使用すべきです。また、急性冠症候群など循環器疾患で必要な薬剤(たとえばアスピリン、バファリン、ヘパリンなどがなく、トロポニン検査キットなどもない。)が不足している感がありました。感染症ではマクロライド系の抗生物質がなく、採用すべきと提言させていただきました。

5.その他 
【疾患の傾向】
 重篤感が一番つよかった症例は胸部不快感を訴えられた患者さんでした。幸い事なきを得ましたが、予後不良の急性冠症候群を鑑別する必要がありました。乗船前は怪我・外傷が多いのだろうと予測はしていましたが、意外と少なく感じました。甲板やエンジンルーム、観測での危険な作業でも外傷などがほとんどないことは、船員の熟練した注意がなせる技であると思われました。また、勤務終了後の笑いながらの飲酒は狭い船内でのコミュニケーションづくりやストレス発散に適しているのだなあ、と考えました。
【海洋調査・気象観測の重要性】
 船医採用面接時に「気象庁についてどういうイメージですか?」という質問に関して「頭のいい奴らだなあ、と思います。」と生意気な返事をしていたことを思い出します。
 そして63日間の航海が終わってみて改めて、間違っていなかったと感じました。
 彼らは実にさまざまな調査・観測・分析を丁寧に行っていました。気象観測の重要性は、東日本大震災を経験した我々には、今さら言うまでもないことです。巨大地震、大津波、洪水、豪雨、竜巻など異常気象に適切に対応するためには詳細な気象データが欠かせません。我々は予言者ではないので自然災害に対応するには非常時の想定と詳細な予測データの分析しかないはずです。
 この航海で海洋調査の重要性を強く認識しました。そして船医のやりがいと船乗りのかっこよさを伝えるためにもこの業務の意義を広く伝えていきたいと思っています。

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英語はおもしろい〜その30  須藤寛人(長岡西病院)

 Borough 区
 ニューヨーク市の Triboro Bridge は JF Kennedy 空港や Queens 区にある La Guardia 空港から Manhattan 島(区)に入るときに通る、East River と Harlem River に架かる吊り橋で、ここを北に向かえば The Bronx 区に至るので、上記した3つの区をまたぐという意味で名付けられた。橋は1936年に完成し、New York 市で数ある橋やトンネルの中で今でも一番交通量が多く、2008年より正式には Robert F Kennedy Bridge と呼ばれている(Wikipedia)。交通標識は Triboro となっているが元来は Triborough が正しい。ニューヨーク市は、1897年より、上記3つの区と Brooklyn 区と Staten Island 区を併せた合計5つの区よりなっている。今日はこの耳慣れないBorough(区)から書きだし、次いで county(郡)に言及してみよう。
 Borough はインド・ヨーロッパ語まで遡られる言葉で、Old English、burh で fort(要塞)を意味する。Bury(England)、burgh(Scotland)、Burg(ドイツ)、bourg(フランス)、burgo(Spain)、borg(スカンジナビア)、borgo(イタリア)、burcht(オランダ)と基本的には同じとのことである。Canterbury、Strasbourg、Luxembourgh、Edinburgh、Hamburg、Gothenburg はその昔要塞であった都市にちなんだ名前であると Wikipedia には書かれてある。中世のイギリスでは、burghs、boroughs は自治権を持つ居住区(settlement)の意味になり、近年、再びこの言葉が英語圏で使われ始めたとき、さらに異なった広い意味になってきたそうだ。即ち、London、New York、Montreal では市の subdivision を意味するが、Alaska 州ではずっと広い地区(=county)を指し、Connecticut 州では町や村を意味し、New Jersey 州では独立した共同体(人口5000人以下)を指し、Pennsylvania 州では町とちょっと違った共同体、Virginia 州では市の特殊な状態の地区に限って使用されているとのこと。また、Australia では町とそれを囲む地区を示すとのことである。
 Marlboro はアメリカの有名な紙巻きタバコのブランド名で、赤い箱で一際目を引く。これは、公式には、イングランド南部のマールバラ(Marlborough)という町の名前が由来とされるとのこと(Wikipedia)。
 私たちは、英語を習い始めて直ぐ country は「国、祖国」と習った。しばらくして country に「田舎、田園の」の意味があることを知り多少驚いた。County(郡)という英語はだいぶ後になって遭遇した。この二つの似たような語は何か関係があるのではと思っていたが、改めて調べてみたら、全く関係がないことがわかった。Country は中世英語、countree、contree、中世ラテン語 contrata = landscape で「見る人の反対側」から来ており、さらにこれは中世ラテン語 contra で against、opposite side あるいは counter「反対の」という意味を基にしていた。一方、county の方はラテン語で「伯爵(count)の領地」から由来していた(以上 Merriam-Webster 大辞典)。
 County はアメリカでは「各州の最大の行政区画」を指し、公立学校の運営、選挙管理、固定資産税の賦課徴収、各種登録そして医療行政や社会福祉サービスを担っている。日本の郡の概念と全く違うことが強調されている(河野圭子著「外側から見たアメリカ医療システム」)。カリフォルニア州は、ほぼ日本と同じくらいの広さで、58の county から出来ているので、county は「県」くらいと考えで良いのかも知れない。county はイギリスより独立する以前より、「農民たちが荷馬車で1日に到着できる距離」を基にして決められたそうだ。即ち、大きな都市が生じる前に出来ていた行政単位区とみなされる。Los Angeles County は人口1000万人、しかしテキサス州には人口150人の county があるそうだ。
 Brooklyn Borough(あるいは Borough of Brooklyn)はその昔から Kings County と称されていて、ニューヨーク市内の唯一の州立大学医学部、State University of New York Downstate Medical Center(通称)があり、これに附属するように Kings County Hospital Center がある。Staten Island Boroughは、そこの一番大きな町の名前から、Richmond County と呼ばれている。The Bronx 区(どういう理由からか判らないが、ブロンクス区だけは常に The を付ける)の北に広がる Westchester County は日本人が多く住んでいる地区である。前記した Kings County Hospital Center、シカゴの Cook County Hospital、ボストンの Boston Medical Center あるいは私の勤務したマンハッタンの Metropolitan City Hospital Center などの大きな公立病院はテレビの連続ドラマ「ER緊急救命室」の現場とほぼ似たような状況にあるといえよう。4000〜5000万人といわれる無医療保険者(オバマ政権の目玉政策〔米国のヘルスケア改革〕は、平成24年6月米国連邦最高裁が合憲と判断したので、2019年には無保険者数は2300万人まで減少されると予測されている「損保ジャパンクォータリー田中健司著」)そしてメディケイドの患者は、City Hospital や County Hospital に押し寄せる。アメリカでは医師は患者の診察を拒否する権利があるが、救急外来を受診した患者と妊婦は診察を断れないという法律もあるそうで、これらの病院の主役を演ずるレジデントは過酷に働かねばならない仕組みになっている。
 ところで、私達が英語で手紙の住所に書く「県」の "prefecture" は日本とフランスに限られて使われ、アメリカでは全く使われていない。アメリカ人に対して使用するときは適切な説明が必要であろう。東京の23区の「区」は ward が当てられている。北区 Kita Ward、都区内 within the(23)wards of Tokyo、そして区議会 ward assembly など(goo辞書)。ward と言えばアメリカの病院では「病棟」を指し、「病棟回診をする」は "make a wardr ound" である。過日、東京のN大学病院へお見舞いに行ったところ、玄関口にEastWard(東棟)、WestWard(西棟)の表示が目にとまったが、なぜ East と Ward の間に半角開けなかったのか気に掛かった。アメリカを正しく理解するうえには county の役割を十分理解し、さらに、今回言及しなかったが、community(地域共同体・社会)とか municipality(地方自治体)の概念に精通する必要があるようだ。(続く)

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「新しい救命処置を学ぶ半日コース」を受講して  鈴木丈吉(鈴木内科医院)

 東京マラソンは、3万人規模の人が参加する世界でも屈指の大レースです。時々アクシデントが起こります。今年も、24キロメートル附近で一人のランナーが心肺停止状態で倒れました。まわりにいたほかのランナーや観客が力を合わせ、心マッサージ、119番通報、AEDの使用を行い、無事に救命することができました。
 そんな現場に遭遇したとき、自分だったらうまく立ち回ることができるだろうか、そんな思いを持って、長岡市医師会BLSコースプログラムに、当院のナース二人とともに参加させていただきました。
 当日は雪がちらちらと舞う寒い日でしたが、会場は熱気がむんむんとしていました。参加者はナースの方が多く、ほとんどが女性で、余計に熱気を感じたのかも知れません。
 先ず、開会の挨拶で、「以前に知識のある人でも、今日は知らないふりをして受講してください」とのお言葉。平成18年の、やはり当医師会主催のACLS講習会に参加させていただきましたが、その時のことは「一人で全部ができるわけではないのだから、まずは人員を確保すること」くらいしか覚えていない自分に気づきました。
 まずは、中村裕一先生の講義。AEDの使用が1分遅れるごとに、除細動の成功率は10%ずつ低下する、というお話をうかがい、まさに時間との勝負、という気持ちを新たにしました。
 ついで3人ずつのグループに分かれて実技演習。それぞれのグループにインストラクターの先生がついてくださいますが、私達のグループは丸山俊行先生でした。最初に、「実は、スタッフカードを忘れてきてしまいまして……」と頭をかいておられましたが、これが丸山先生特有の、やさしいアイスブレークだったことに後で気づきました。多分、緊張して引きつった顔をしていたのだと思います。
 まずは前回のACLSで習ったことと同様に兵隊集め。その時も、名指しをして、「あなたは119番通報を」、「あなたはAEDを」と指示することが大切だと教わりました。気道確保と胸骨圧迫、人工呼吸。強く、速く、絶え間なく、という気持ちで胸骨を圧迫していると、1分もしないうちに汗が滲んできます。冷や汗も混じっているような……
 AEDの使い方。急いでやらなければならないと思うと、手早く、というつもりが、つい泡食って、という感じになってしまいます。急ぎながらも、正確な手順が大切、と再認識。
 30分もやっていると、汗と動悸と快い疲労とがどっと押し寄せてきて、普段の運動不足を痛感させられます。ここで休憩が入ったのはありがたいことでした。
 その後は、診療の最中、訪問診療、堤防を散歩している最中、などの状況を設定して、先ほどの順を追った手順で進めることを実習しました。知識としてはわかっているつもりでも、その場にあたると、状況を忘れて同じような指示を出している自分に気づき、また冷や汗です。
 窒息に対する処置を大人と子供に分けて、特に赤ん坊の人形を使っての実習に認識を新たにしました。頭でわかっていても、体が覚えるまで繰り返しやってみなければならないと感じました。
 最後は救急隊の皆さんを主とする JPTEC(病院前外傷救護プログラム)の説明とデモ。救急の手順を正確に追って、流れるように処置を進めていく姿に感心いたしました。
 開始から3時間、あっという間に過ぎ、受講証明と人工呼吸時の感染予防マスクをいただきました。久し振りに体と頭を使った気持ちで家路につきました。
 今回の実習を通し、まずは大声を出して人を集めること、的確に仕事を分担する指示を出すこと、一つ一つの手順をしっかりと踏んでいくこと、以上のことを、考えなくてもやれるように体に覚え込ませることが必要と感じました。今回は医師、ナースが対象、ということでしたが、受付にいる職員にもひろげていただけたら、と思いました。
 これだけのプログラムを立案し、指導してくださった医療スタッフ、救急隊員の皆様、長岡市医師会の皆様に深く感謝いたします。

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「新しい救命処置を学ぶ半日BSLコース」を受講して  福本一朗(長岡技術科学大学)

 まだ雪深い2013年3月3日(日)AM9〜12時、長岡赤十字看護専門学校で開催された「新しい救命処置を学ぶ半日BLS(Basic Life Support)コース」に参加してきました。これまでのACLS(Advanced Cardiovascular Life Support)コースは丸一日でしたので今回の半日コースは参加しやすい分、内容的には随分濃くなっていました。小生のグループはインストラクターが六日町病院副院長の丸山俊行先生で、メンバーはつい二ヶ月前にAED(Automated External Defibrillator)の使用経験があったために、受講モチベーション十分の高木内科クリニックナースお二人でした。
 まずグループ内の自己紹介の後、中村先生から「コース概要説明」と「G2010の重要なポイント」の説明があり、続いて長岡市消防署救急救命士から「救急蘇生法の手順」の解説、そして実技解説((1)胸骨圧迫→(2)気道確保と人工呼吸→(3)胸骨圧迫と人工呼吸→(4)一人法CPR(Cardio Pulmonary Resuscitation))に続いてインストラクターの指導で実技演習、実技解説((5)バッグバルブマスクを用いた人工呼吸→(6)AEDの使用方法→(7)CPRとAED)に続いて再度インストラクターの指導で実技演習がありました。その後10分の休憩後「シナリオ練習」と実技「(8)窒息の解除(成人・乳児)」、最後に「JPTEC(Japan Prehospital Trauma Evaluation and Care)の説明とデモ」でコースは締めくくられました。
 今回のコースは「成人のBLSアルゴリズム−G2010」に基づいて行われました。大体はそれ以前のアルゴリズムと同様ですが、いくつかの点で改正がみられました。

1.反応がない
 患者周囲の安全を確認して、倒れている人に声をかけて反応がなければ「誰か来て!」と大声で叫び応援を呼ぶ。近くの人に119番緊急通報を依頼し必ず戻ってきてほしいと伝える。他の人にAEDを持って来てくれるよう依頼する。

2.呼吸を見る
 正常な呼吸がない場合には、(脈を診ることなく?)“心停止”と判断し即CPRを開始する。このとき下顎呼吸など死戦期呼吸は心停止として扱う。呼吸停止は10秒以内に判断する。

3.CPR開始
 1分間で100回以上の速さの胸骨圧迫30回に続く2回の人工呼吸を1クールとして、これを救急隊員に引き継ぐまで、強く・早く・絶え間なく継続する。中断は10秒以内とする。可能なら大体5クールでCPR術者を交代する。術者は5cm以上の深さで胸骨圧迫するとともに1回毎に胸郭の戻りを確認する。また人工呼吸時には胸郭の動きに注意し、低換気とともに過換気にも注意する。毎回500ccの換気で十分。

4.AED装着
 AEDを持ってきてくれた人に「AEDは使えますか?」と尋ね、電源を入れる。落ち着いてAEDの音声指示に従い、心臓を挟む様に電極を貼り付け、電極ソケットを差し込む。「心電図を解析しています。患者さんから離れてください」の音声指示で全員が患者から手を離す。しばらくしてAED解析が自動終了し、そのときの音声指示が「電気ショックは不要です」ならば30回の胸骨圧迫と2回の人工呼吸を救急隊員に引き継ぐまで継続する。心停止が除細動適用のVTまたはVFによるものであって、音声指示が「ショックが必要です」「患者から離れてください」の音声指示で全員が患者から手を離す。AED術者は全員が離れたことを確認して放電ボタンを押す。放電直後から再度30回の胸骨圧迫と2回の人工呼吸を再開し救急隊員に引き継ぐまで継続する。AED解析は2分毎に繰り返し、胸骨圧迫中断は最小限にする。正常な呼吸や目的のある体動があれば、心拍再開と判断し経過観察するがそのときでもAEDははずさない。心拍再開が得られなければ、もう1クールCPRして再度AED評価させる。救急隊が到着するまで頑張ること。
 今回のコースで一番注目すべきことは、「胸骨圧迫が何より大事で直ちに開始すること」であり、特に今までの「頚動脈触知」不用で「下顎呼吸も含めて呼吸停止があれば心停止と判定して即CPR開始」という点であった(Fig.1。長岡市消防本部:救急蘇生法リーフレット(応急手当講習用))。また従来は医療職のみが実施できた直流除細動が、筆者も参画した不整脈解析システム開発の御蔭で、一般人にも容易安全確実に人命救助が可能なAEDとしてこのように実現されたことは、医用工学に携わってきた一学徒として喜ばしいことであった。ただひとつ意外であったことはAEDのバッテリーが5万円、ディスポーザル電極が5万円もするのに数年に一度は、使用しなくても交換しなければならないことであった。しかも高木先生のお話では、医院の前で倒れた人にAEDを持ち出してディスポーザル電極を使用して救命した場合にでも、その電極代金5万円は誰も支払ってくれないため医院の負担となるとのことであった。これでは市内各所に折角設置されているAEDが有効に生かされないことになりかねない。それを防ぐためには、公共の場所で個人のAEDを市民の救命処置のために使用したときには、電極代金を市が給付するよう市医師会として要望してくださることを望む次第である。

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桜咲く、雪のち晴  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

「おはようございまーす。晴れてきましたね。」「昨日の寒さと雪が嘘のようらね。」「生まれて初めてぐらい、遅い雪でしたね。」「咲いた桜の花もびっくりしたこってね。」
 犬の散歩組、自主トレ組、とすれ違う早い時間帯の朝です。朝の空気はまだ冷たいですが日も差して、のどかな毎朝の散歩です。(……気分はまったり、実際はメタボ解消ウオーキングなのでせかせかと速足であります。)
 ちゅい、ちゅい、ちゅぴい。そこへ高い囀りはメジロの群れです。桜並木の花の蜜を吸いに来ているのです。せわしい性格で、いっときもじっとしていません。枝から枝へ、花から花へと飛び回り、逆さ向きに頭を花の中に突っ込んでいます。メジロは目の周りが白い(それで目白の名前)特徴のほかはウグイスによく似た美しい小鳥です。ちなみにわたしが個人的に山の小鳥の「三大美人」を選ぶなら、(1)メジロ、(2)エナガ、(3)シジュウカラです。(「美人」としましたが、色柄がより美しいのは実際はオスが多いかも)
 ふだんは山や林で暮らす留鳥(渡り鳥ではない)で、この時期に目につくのですが、日ごろは見かけません。虫も食べる雑食のようですが、小鳥の中では特別に桜や椿の花の蜜が大好きなことで有名です。
 わたしの住む町(高町)は高台で徒歩では外周四十分前後。そこにいま新しい桜並木が育っています。今年は花がようやく咲き始めました。ここは八年が早くも経過した中越大地震の被害地域です。復興のシンボルに翌年に山桜の苗木が外周道路に沿いぐるりと植樹されました。当時は二メートル位の細い棒でした。全周に一定間隔で機械的に植えられ、そぐわない場所もありました。数年がかりで一部は大雪と除雪作業で折れながら根付き、ついに花を咲かせました。
 山桜系の品種なのか、開花と若葉が一緒で、福島江の桜に比較すれば、見映えは負けますが、なかなかこれはこれで渋い美しさです。
 異変は4月21日(日)のこと。前日の20日(土)はお花見日和のお天気で、福島江の桜も川面に映えて満開。翌日は北日本をおおう寒波のため、北海道、東北の各地でも雪。長岡でも朝からの霙がまもなく雪になりました。この開花した桜の花びらに、白い雪が積もりました。
 「春の雪」は春の季語。ただし俳句世界の春とは、伝統で2月初旬の立春に始まる決まりです。ここ雪国の越後では、2月もまだまだ雪が降り積もります。当地なら3月下旬やっと春らしくなった時期、降ってもすぐ消える、はかない淡雪をさします。ちなみに三島由紀夫の遺作四部作「豊饒の海」の第一巻タイトルが「春の雪」でした。
 今年の最後の雪(になりますよね?)はこんな桜が咲いているきわめて遅い時期で、椿事です。
 道路の車の上にも白く薄く積もり、数時間以内で溶けて消えました。寝坊して外のお天気に注意しないでいると、午前中は冷え込んで雨だったくらいに思われたようです。長岡でも雪が降ったことを知らない方も多かったです。
 きのうの朝も、霙の降るなかを、我が家の庭先の花盛りの桜(ベニザクラ)の大木にもメジロが数羽で来て、花蜜を吸って遊んでいました。真冬の雪の中でも、わたしが給餌台に置いてあげたミカンを突っつきに来る連中ですから、悪天候もへっちゃらなんです。

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