長岡市医師会たより No.400 2013.7


もくじ

 表紙絵 「噴水」 木村清治(いまい皮膚科医院)
 「自由・平等・友愛と“ベルサイユのばら”〜その1」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「あっという間に大家族になりました」 小林眞紀子(小林真紀子レディースクリニック)
 「イザ、ギンザ、カブキザ」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)



「噴水」 木村清治(いまい皮膚科医院)

 ミュンヘンには大小500近い噴水がある。これはカールス広場にあるものでかなり大きい。噴水の周りの石の椅子に腰掛けている人たちがシルエットで写し出されている光景が面白い。近くのビルは水煙りでかすんで見える。


自由・平等・友愛と“ベルサイユのばら”〜その1  福本一朗(長岡技術科学大学)

1.宝塚歌劇“ベルサイユのばら”
 阪急電鉄社長の小林一三氏(1842〜1957雅号逸翁)によって1913年7月に創立された宝塚歌劇団は2014年に創立百周年を迎えるが、今までに三千名を越える宝塚ジェンヌを生み出し、750万人の観客を動員して来た。女性のみの劇団員により演じられる歌・踊り・芝居を総合した“歌劇”は世界初であり、ムーランルージュの“レビュー”、ブロードウェイの“ミュージカル”と並ぶ人類の作り上げた最高の総合芸術といえよう。ただこの素晴らしい宝塚歌劇も戦後テレビに押されて観客動員数が低迷していた時期もあった。しかし池田理代子(1942〜)原作の「ベルサイユのばら」を歌劇化して1974年8月29日に初演されたベルばらブームが日本中を席巻して宝塚ファンが急増し、今では世界各国に海外公演を行うまでになっている(Fig.1)。1974年には文化庁芸術祭優秀賞・1976年には菊田一夫演劇賞特別賞が贈られ、今日では“ベルばら”は宝塚歌劇の代名詞ともなり、「エリザベート」と並ぶ救世主的演目となっている。
 1974年の初演は、歌劇団専属脚本家の植田紳爾(1932〜)が脚本を書き、俳優の長谷川一夫が演出して、主人公オスカルを月組トップ榛名由梨が演じた。企画当初は首脳陣から「漫画が原作ではだめだ」と却下され、熱烈な漫画原作ファンから「イメージが壊れる」などと反対も多く、植田もたびたびカミソリの入った投書を送られたが、予想に反して初演は大成功をおさめた。以来、大劇場の本公演だけでも、花組1975安奈淳・雪組1975汀夏子・星組1976順みつき・雪組1989一路真輝・星組1989安寿ミラ・花組1990大浦みずき・月組1991涼風真世・星組2001稔幸・宙組2001水夏希・星組2006霧矢大夢・雪組2006朝海ひかる、と素晴らしい男役トップ達によって進化しつつ演じられて来た(Table1)。
 特に1989年にはフランス革命200周年を記念して雪組トップスター杜けあきがアンドレ、二番手の一路真輝まきがオスカルを演じた。また2006年にはマリー・アントワネット生誕250周年を記念して星組安蘭けい等あらんにより「フェルゼンとマリー・アントワネット編」そして雪組朝海ひかあさみるによって「オスカル編」が再演され,公演中に通算観客動員数400万人を突破した。そして2013年には7年ぶりに月組の龍真咲によって再演され、りゅうまさき宝塚歌劇創立百周年に花を添えた(Fig.2)。
 1974年の月組初演はショーや舞踊詩を伴う二本立てだったが、同年の花組公演からは全て一本立てとなった。40年というロングランの中で、宝塚歌劇ベルばらは様々に変化し進化を遂げて来たが、脚本は大きく分けてオスカルとアンドレの純愛を元とする「オスカル編」と、王妃マリー・アントワネット(1755〜1793)とスウェーデン貴族フェルゼン(1755〜1810)の悲恋を描いた「フェルゼン編」に分けられる。宝塚歌劇はスター制をとっており、ほとんどの作品は男役トップと娘役トップを中心に作られているが、「オスカル編」の主役は男装の麗人オスカルであるため、男役二番手が相手役のアンドレを演じる事になり、娘役トップは陰ながらオスカルを慕う女中ロザリーという脇役を演じることになって可哀想である。逆に「フェルゼン編」では、原作で脇役であったフェルゼンを男役トップが演じ、娘役トップはハプスブルグ家からブルボン家のルイ16世に嫁いだ15歳から、断頭台の露と消える38歳までを演じたのに対して、オスカルとアンドレは男役二番手と三番手が担っている。(続く)

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あっという間に大家族になりました  小林眞紀子(小林真紀子レディースクリニック)

 我が家は毎日てんやわんやです。
 突然のウサギの赤ちゃんの誕生です。
 昨年の11月30日・午前10時30分頃、突然主人から外来診療中の私のところに電話がかかってきました。「ママ、大変だ!1分でもいいから来てほしい。」
 これほど危機感のある主人からの電話は、はじめて。
 びっくりして行ってみると、ウサギの赤ちゃんが6匹もいるではありませんか。
 その脇で主人はただ呆然としているだけ。
 その赤ちゃんはといえば、当然のことながら毛もはえておらず、まるでぶたちゃんの赤ちゃんのようです。とっさにどう扱えばよいか分からず、まず保温をし、それから獣医さんに電話をしました。獣医さんからの指示は「24時間は何も与えなくても良い。保温のみきちんとしてあれば大丈夫。その後は初乳が大事、犬の初乳よりも猫の初乳の方が免疫力が高い。猫の初乳の缶詰があるので取りにくるように。そしてそれを注射器に入れ、さらに赤ちゃんウサギが吸い付きやすいようにゴムの管をつけるように。そして毎日体重を測るように。もちろん母ウサギが子育てをすればそれがベスト。しかし、もしも母ウサギが育児放棄をした場合には人工哺乳が必要。」との事でした。
 しばらくはそっと見守っておりましたが残念ながら母ウサギに育児の様子がみられぬため私がミルクを与える事に致しました。
 それからは毎日毎日ミルクやりと体重測定の日々の始まりです。
 生下時の体重は5匹は40グラム、1匹は30グラムでした。
 残念ながら30グラムのウサギは3日目に亡くなってしまいましたが、残りの5匹はすくすく育ちました。
 白2匹、茶2匹、グレー1匹です。とても肌ざわりが良く、ふわふわしていて抱いていると、とても幸せな気分になります。
 ウサギの成長はとても早く、生後4日目くらいには全身が産毛で覆われます。そして7日目くらいになると耳の穴が開き、10日目くらいで目が開き動きも活発になります。
 生後3週間くらいたつと子ウサギも母ウサギと同じ物を食べるようになってきます。
 生後約4週間目には、もうずっと前から我が家にいたかのように、わがもの顔で飛び回るようになります。自分で手を掛けた分だけ可愛さも格別です。
 ところで今回このような事態になるにはそれなりのエピソードがあります。
 もともとは娘が新潟で自分の部屋で飼っておりました。「鳴かない動物なら飼ってもよいらしいよ!」との言葉を真に受けていたところ、大家さんからペットは禁止との連絡を受け我が家で飼う事になったわけです。さらに娘が、ペットショップで雌だと言われて購入した2匹のうちの1匹が雄だったのです。
 ある日、雄とわかりその後はケージも別々にしておいたのですが……
 雄は「ロップ」(アメリカン・ファジー・ロップ)、雌は「ラッキー」(ネザーランド・ドワーフ)です。
 このたびの事での教訓は、何事も曖昧なままで行動にうつすとこの様な事態になる事がありうるということです。
 それにしても出産まで誰も気がつかなかったとは…… 
 ウサギの妊娠期間は30日から32日との事。
 私が「ラッキー(雌ウサギ)ちゃん最近太ったね!」と言っても家中のみんなは「我が家の居心地がとても良いんだよ!」との反応。
 このたびの予期せぬ出来事で家中てんやわんやになりましたが、毎日話題がウサチャンの事で明け暮れし、おかげでとても癒されて明るい毎日を過ごしております。
 母は「可愛いから全部家においておきたいね!」といっておりますが、このまま子ウサギのままではない訳ですからあっという間に大人になり何十匹にも増えたら大変です。
 別れたくないほどの可愛いさでしたが昨年12月末に3匹手放しました。
 1匹は私のウサギ飼育の先輩である先生ご夫妻、もう2匹はウサギ大好きな御家庭にもらわれていきました。
 母は寂しくなったと嘆いておりましたが、私は少しホッと致しました。
 ところが安堵する間も無く、またまた驚く事がおきました。
 新年になり1月2日の午後11時30分・またまた4匹誕生。
 私の頭の中は真っ白になりました。
 前回の出産が昨年の11月30日・妊娠期間が30日から32日・そう考えると昨年の12月2日ごろ、つまり出産後2日目の交尾と言う事になるわけです。
 そういえば主人が「また赤ちゃんが出来るかもしれないよ!ロップ(雄)とラッキー(雌)が仲良ししていたから」と言っていた事を想いだしました。
 その時、「産後2日目ぐらいに妊娠するわけが無い」と答えた記憶がありました。
 ウサギの繁殖シーズンは一年中・排卵は交尾刺激・妊娠期間は平均30から32日との事。
 周年繁殖動物・つまり1年中発情しているということで、精力旺盛なシンボルともされているとの事。バニーガールの起源は雑誌「プレイボーイ」。シンボルマークもウサギです。
 可愛いウサギとセクシーな雑誌、結びつかないような気もしておりましたが納得です。
 ウサギは出産が近づいてくると自分の胸やお腹の毛をむしって巣作りを始めます。
 確かにその光景を目にしておりましたが、子ウサギが居なくなったためのストレスだろうと勝手に想像しておりました。新たに生まれた4匹のウサギもすくすく育っております。
 この度は母ウサギも育児放棄をせず一生懸命に育てており、私達の手助けは必要ありません。
 人間の出産の際には犬が安産のシンボルとして、犬の日に腹帯を巻く習慣があります。
 しかしウサギのほうが大安産。はやわざで家族を造る事がわかりました。
 我が家はあっという間に室内犬2匹(マルチーズの親子)、ウサギ8匹、人間4人の大家族になりました。
 以上が我が家で起こった予期せぬ出来事です。

 余談ですが、ウサギの数え方は以前は「羽」とされていたようですが、現在では「羽」でも「匹」でも正しいそうです。
 昔(明治時代以前)は仏教の教えで肉を食べることが禁止されており、それに対して魚や鳥は食料として許可されていたとの事。前足が小さく後ろ足が大きく発達しているウサギの容姿から鳥として考えようとして「羽」としたのではないかとの説が有力のようです。
 現在はペットウサギが増えてきたため「匹」と数えられる事が多いそうです。

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「イザ、ギンザ、カブキザ」  岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 あれから早3年、行って来ました新装大歌舞伎。2010年の閉場以来、大勢のファンから再開を待ち望まれていたあの歌舞伎座は、今年、地上29階地下4階のオフィスビル「GINZA KABUKIZA」として生まれ変わり、4月2日の初日から来年の3月までの一年間を“こけら落とし公演”として華やかな賑わいを見せている。
 当方、昔からの歌舞伎ファンではないが、3年前たまさか機会があって幸四郎、吉右衛門、菊五郎など花形揃いの“さよなら公演”を観劇した際に受け継がれる伝統芸と役者さん達や衣装、舞台装置の華やかさ、それを包み込む歯切れのよい演奏、とすべてに感激して以来、「再開したら、是非……」と新しい歌舞伎座の開場を待っていたのでした。それでは KABUKIZA へ出かけてみやしょう! いざ観劇!
 新歌舞伎座は地下鉄東銀座駅に直結していて地下スペースが充実。お土産やお弁当も中に入らなくても眼にし手に取り楽しめる。紅い毛氈を敷いた長椅子もあちこちに配して高齢者に配慮のある所も嬉しく、エスカレーターで地上に上がると唐破風造りの屋根に赤い欄干、桃山風の先代歌舞伎座の面影を残していた。沢山の提灯とのぼり旗に出迎えられ中に入ると着物を着た関係者らしき御婦人が御贔屓筋と思われるお客様に挨拶していたりと華やいだ雰囲気と人々の高揚した活気に満ちている。桟敷席を取っていたのだが2席毎に一つずつ扉が付いている。その桟敷扉を開けると畳席があり靴を脱いであがると掘りごたつ仕様で足をのばして寛げる。途中でトイレにいきたくなっても他の客に気をつかわないで済むなと感じた。
 玉三郎、仁左衛門、幸四郎、菊五郎、吉右衛門などの大看板の俳優達が当たり役を競演した四月・五月・六月公演のチケットは取れなかったので観劇した公演は七月某日、昼の部の若手主体による「加賀見山再岩藤」、通称『骨寄せの岩藤』の通し上演である。岩藤は第一回NHK大河ドラマ「花の生涯」で大老、井伊直弼を演じた故松緑の孫である現松緑が演じていた。真っ暗な舞台に鬼火が飛び交う中、野ざらしになっていた岩藤の骨が一つ、又一つと宙に浮かび手の位置、足の位置にと形成され一体の人骨となり岩藤の亡霊がよみがえる。「あやしき姿のそなたは何者?」「余は岩藤が亡霊。我が身、我が恥は野ざらしのまま……恨み晴らさで措くものか!」と女の恨みはげに恐ろし。立身出世と野望に燃える男(愛之助)に取り憑きお家騒動を巻き起こさんと企むのだ。
 そして舞台は一転、明るい春の日差しの城下町。その春霞の宙の中をお局姿の岩藤が舞う。「八重九重の桜花……」と唄い、ふわふわと舞い宙に踏み出す足元、すっと伸ばした手の先を蝶も舞う。岩藤の顔は童女のように可愛らしく嬉しそう。この世に再生し喜んでいるのか、はたまた今昔変らない人間の愛憎や妬み嫉み、野望と企て、そんなものをはるか宙から見下ろしてほくそ笑んで居たのかも知れない。お家を思う家老(染五郎)達の働きで悪人達は打ち捕られ鬼子母神の功力をもって岩藤の亡霊も滅びお家騒動は無事に収まり、めでたしと幕が下りたのである。
 今回、観劇の記念に歌舞伎座で和三盆の干菓子を買って帰りました。古来よりの木型で型抜きしているとのことで風鈴の型の菓子にはそよぐ風と鳥が描かれ、うちわの菓子は朝顔の模様だった。暑い夏になりそうですが今年はうちわと風鈴を用意しようかな。
(題は松竹のキャッチコピーです)

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