長岡市医師会たより No.409 2014.4


もくじ

 表紙絵 「南蛮山(長岡市釜沢地区)の桜」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「スキーを嗜む」 齋藤奈つみ(長岡中央綜合病院)
 「新しい救命処置を学ぶ半日コースを受講して」  内山春雄(内山耳鼻咽喉科医院)・磯部修一(磯部医院)・河路洋一(かわじ整形外科)・鈴木信明(鈴木内科医院)
 「巻末エッセイ〜アマリリスは二度咲く」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「南蛮山(長岡市釜沢地区)の桜」 丸岡 稔(丸岡医院)


スキーを嗜む  齋藤奈つみ(長岡中央綜合病院)

 私が長岡に来てから早くも一年が経ようとしています。長岡中央綜合病院での研修医生活が始まってから、初めての人、初めての土地、初めての言葉、もう初めて尽くしでてんてこ舞い、にもかかわらず新しいモノ好きな私はどこか楽しんでいる余裕があった気がします。
 私は、出身地が北海道の片田舎、札幌で6年間中高一貫女子校の寮生活をしたのち、札幌近郊の大学を出て市内で就職、再受験で富山大学(旧富山医科薬科大学)へ入学、という遠回りな半生を送りいま現在に至ります。医師としての礎を築く場所が長岡に決まった時、長岡花火の情景を思い浮かべてにやけたことは否めません。春があって、夏が来て、秋はあっという間に終わり、とうとう恐れていた冬が来ました。長岡の雪は深く当直明けは覚悟しておくように、と先輩から教えを受けた私は、北海道出身であるにもかかわらず大雪にビビッていました。ところが12月以降、あれっ、そうでもない……。3月までに、心底「今日は降ったなーさすが雪国ながおかだわ」と思ったのはたった一日。今年度は雪が少なめだったみたいですね。とはいえ、一歩東方に分け入ると雪の山。六日町に塩沢、湯沢、もう少し足を延ばせば妙高に白馬もある。志賀高原に磐梯、蔵王も行ってみたい。今シーズンの初雪を見た瞬間、スキーを楽しもうと一気に思考回路が切り替わりました。
 北海道出身と言うと、「それじゃスキーは得意でしょう」と言われることが多いのですが、実はそうではありません。私の故郷は太平洋側の海沿いなのであまり雪が降りません。もちろん雪山も近所にはありませんでした。小学生時代の冬はスピードスケート。少しだけ降った雪をかき集めて、みんなで踏み固めて水をまき校庭にスケートリンクを作るのです。踏み方が悪いと表面がガタガタになってしまうので、滑りやすいリンクとはとても言えませんでしたが、当時はそれを滑りこなすのが「上手い人」と思っていたような気がします。滑っている最中に凸凹に引っかかり、前のめりに転倒することはよくありました。そんな少女時代を送る中、ある日父が言いました「おまえたちスキーをしてみないか」。私と弟はどういう返事をしたのか覚えていませんが、当時から好奇心旺盛であった私はスキーを始めることに抵抗なし、お姉ちゃん子の弟はもちろん私についてくる。そういう父もスキー未経験者、いったい誰に教わるんだという感じでしたが、あれよあれよという間にスキー道具を調達し雪山へ向かうことになりました。初めてのスキーは町内のバスツアー、朝4時出発で片道5時間の長旅です。朝早く起きるのはこの頃から苦手で、日の出前に出発なんて非常にツライの一言でしたが、広大な大地の中に生きているということを実感するエピソードでもあります。午前中に無事到着し、まずは装着の準備。この時点で、全く要領を得ない我々家族は他の町民に教えていただき、なんとか形になりました。さて、ここからどうやって滑るの?お父さん。うん、いきなりリフトに乗るのは危険だな、こっそりフモトで練習しよう。というわけで、まず「雪山をスキー板で登る」練習からスタートしました。これがなかなかしんどい。父に続いて私、弟、颯爽とシュプールを描くスキーヤーを横目にえっさほいさと斜面を登り、まるでクロスカントリーさながらだったと思います。やっと一山登ったところで、「滑ってみるか」。板はハの字だぞ、転ぶときはしゃがまずに横にこけるんだ、という父の教えを受け初心者3人組の滑走が始まりました。父に続いて私、弟の順でスタートし、左右交互に力を入れながらターンの練習。のはずでしたが、うまくいかない。スピードコントロールが出来ないので、スピードが出て怖いとすぐに転んでいた私は、ハの字のまま直滑降する弟がなんだか頼もしく思えました。そんな様子を伺ってか、同じバスツアーで来ていた見知らぬおじいさんが我々を気遣って教えてくださり、帰るまでにはリフトに乗れるようになりました。弟は相変わらずの直滑降で誰よりも早く下山し、父は基礎練習をこつこつこなし、私は転ぶ練習、のような初日でした。帰りのバスは、記憶がないくらいあっという間に眠りにつき、長い道のりを感じさせない疲労感があったように思います。
 そんな時期から約15年間、雪山が身近にあっても全くスキーをせずに過ごし富山へ来てから再開しました。今では自分で道具を揃え、車を走らせて雪山に向かう。少女時代には想像していなかった自分がいます。

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「新しい救命処置を学ぶ半日コース」を受講して

  内山春雄(内山耳鼻咽喉科医院)

 去る3月16日に医師会主催の救急の講習会がありました。私、一度も出席したことがないので、勧められました。講習は何年も前から行われているようで、このまま行かないでいると医師会員のブービーメーカーになってしまいそうなので思い切って午後の部に出席しました。開始の1時半ころは暗雲たれこめ強い雨が降っていました。日常この時間帯は昼寝の時間なので、頭がボーとしています。日赤看護学校に着くと玄関の扉が何枚もあって立派な作りだなと思いました。地震でも大丈夫なように設計されているのですね。中にはいると講師の方々や20名弱の受講者が集まっていました。事務局から当日に受けとった資料の中に“ぼん・じゅ〜る”の原稿依頼も入っていました。私は卒後40年、開業後25年になりました。いつ廃業しても不自然ではありません。それで、「開業2年目を迎えて」を寄稿後20数年ぶりに挨拶の意味も兼ねて書きました。学術的なことに誤りがあるかもしれませんがご容赦ください。
 最初は佐伯牧彦先生の講義から始まりました。心肺停止の蘇生は緊急を要す。除細動を目的とするなどでした。次ぎにインストラクターによる実技指導を受けました。心肺停止者と遭遇し救命にかかわるという設定です。看護学校のゴム人形を使って行いました。呼吸していないのがわかったら、大声を出して周囲の人々を呼び集める。消防に連絡してもらう。携帯電話でもGPS機能により現場の位置が大体分かるそうです。AEDを取りに行ってきてもらう。胸をはだけて胸骨圧迫を始める。救急のABCで呼吸を先にと思っていましたが循環が先だそうです。30回胸骨圧迫して2回口呼吸いたします。圧迫のリズムや深さは実習でだいたいつかめたと思います。この時に腕を伸ばしてと教えられました。人工呼吸は500mLの換気で充分だそうです。人形の鼻をつまむのを忘れてしまいました。口で何かするとき普通は相手の鼻はつままないですよね。バッグでの人工呼吸の時は空気を肺に入れすぎない方が肺循環を妨げないので良いそうです。AEDは触るのは初めてだったので、スイッチを入れたり、電極を貼ったり何度も練習しました。これら一連の動作は実際なら夢中で何も考えずにしているでしょう。体で記憶するのはいざと言うとき役に立つようです。
 次に窒息の解除の実技指導を受けました。赤ちゃんの人形で横抱きにして胸を2本指でつつく、次に、うつぶせに抱き背中を手のひらの付け根でたたく。大人は背後から相手を抱え両手で上腹部を上の方へ圧迫、胃の空気で気道を開通させるという力技です。耳鼻科ですとマッキントッシュや鉗子で咽喉を診るのが普通ですが何も器具がない状況ではこれしかないかと、納得しました。つきたての餅などは別ですが、異物などによる気道狭窄の場合、数分を争うことは稀と思います。少しのスペースがあれば何とか呼吸しています。本当に危ないと思ったら太い注射針を頚部正中に沿って輪状甲状膜や気管に数本刺してください。先輩が喉頭あたりが原因の窒息の患者にやって成功したのを見たことがあります。最後に交通事故受傷者の救急隊員による搬送の様子を見学し頼もしく感じました。今年から法案が通過し救急隊員も点滴や、エピネフリンの注射ができるようになるそうです。良かったですね。
 こんな感じで無事終了しました。関係者の皆様、講演や指導ありがとうございました。講習の終了後、外に出ると温かい春の日差しが気持ちよく、信濃川堤防を散歩し、日帰り温泉に寄って帰りました。

  磯部修一(磯部医院)

 3月16日午後の半日コースに参加させていただきました。AED導入について以前より気にしておりました。
 1月下旬午後外来。糖尿病の患者さんが全身倦怠感を訴え来院。補液中に意識が突然なくなり、心肺停止状態となり救急隊に連絡、到着するまで8分位かかったかと思います。その間、心マッサージしていました。救急隊の手早いAEDの使用、心マッサージ、手動人工呼吸器等の処置で救急病院へ転送し一命が救われました。その後医師会より「救急処置を学ぶ半日コース」の参加募集のFAXをいただき、即申し込みました。この度の講義、実技を受けたことで当院で経験した、あの時の救急隊がされた救急処置を思い出しました。内容は平成24年25年の“ぼん・じゅ〜る”の各先生が詳細に記載されております。
 コースはBLSアルゴリズム〜G2010に基づいて行われました。
1.反応がない人を見かける
 大声で叫び応援を呼ぶ。緊急通報(119番)する。他の人にAEDを持ってきてほしいと依頼する。
2.呼吸を見る
 正常な呼吸がない場合心停止と判断。下顎呼吸など死戦期呼吸は心肺停止として扱う。
3.CPR開始
 1分間に100回以上の胸骨圧迫、30回に1度程度の割合で2回アンビューバック(1クール)。胸骨圧迫は強く速く絶え間なく5cm以上の深さで圧迫。人工呼吸は胸郭の動きに注意。過換気に注意、1回500ccの換気で充分。中断は秒以内、1人10大体5クールでCPR術者を交代する。
4.AED装着
 前胸部の汗や水分を布でふきとる。心臓をかこむ右鎖骨下部と左側腹部に電極パッドを貼る。音声指示に従い、全員が患者から手を離す。AED解析後、音声指示が供ショックの適応なし僑ならCPR再開。心停止がVT、VFによるもので音声指示が供ショック必要僑ならショックを与え、CPR再開。AEDの解析は2分毎に繰り返し、胸骨圧迫中断は最小限とする。正常呼吸が出現したなら心拍再開と判断。それでもAEDははずさず次の処置、転送となる。
 開業して21年立ち心肺蘇生は不遇なことですが、今回の講演、実技は大変お世話になりました。当院もAEDを設置しました。スタッフの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。私は膝関節症で正座ができません。立ち机も用意されスタッフの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。A班担当の牧講師、A班のグループの方々大変お世話になりました。

  河路洋一(かわじ整形外科)

 医師会からのお知らせに3月16日「新しい救命処置を学ぶ半日コース」を開催するという記事を見たとき、「医院を開院してもうすぐ丸7年になり高齢患者も多いし、何より半日で終わるのだから一度講習を受けてもいいかな」とふと思いました。看護師の一人に「代休つけるから行ってみる?」と誘ったところ、意外にも「是非行ってみたい」と積極的な返事があり結局看護師3名全員と私とで、申し込むことになりました。ところが3月14日になって2名がインフルエンザで参加不能となり、結局私と看護師1名の参加となりました。当日長岡赤十字病院講堂に集合し午前9時開始となりました。まず、さえき内科の佐伯先生からコースの概要の説明があり、その後さっそく実際の一次救命の現場を想定しての模擬訓練が始まりました。3〜4名のグループに分かれて、そこにインストラクターが1名ついて進められます。私のグループは私の医院からの2名が欠席したため、組み合わせが変更となり、私と自院看護師の海津さんの2名となりました。インストラクターは牧さんというまだ若い長岡赤十字病院の男性看護師の方でした。なかなかの好青年で私たちおじさんとおばさん2名の生徒相手に、時におだて、時にユーモアを交えて楽しくガイドしてくれました。胸骨圧迫による心マッサージは胸郭が5cmは動くようにとか、2回行う人工呼吸もあまり胸郭の動きにこだわりすぎて、心マッサージの間隔をあけないようになど、ポイントも的確に指導してくれました。半日ということで密度の高い講習となりました。休憩時間に佐伯先生に「循環器専門の先生のところでは心肺蘇生を必要とする患者さんは多いのですか」と聞いたところ、「循環器専門だから心臓は、治療を行っているので大丈夫です。むしろ整形外科の方が未治療の高齢者が多く集まっている可能性が多いので危ないですよ。」とのことで、AEDの購入の検討を勧められました。現在検討中です。
 私は当初「一次救命の気道確保や心臓マッサージなんか勤務医時代に、救急外来でいやというほど経験しているので別に休日をつぶしてまで行くことはないな。」と考えていました。実際今回の講習に参加してその考えは変わりました。救急は十分やったと考えている先生にも参加してほしいです。それは病院の救急外来の救命と一次救命ではグラウンドが全く違うからです。一次救命が必要とされる場は、自院の待合室、あるいは休日に参加したマラソン大会、買い物に行ったお店の中など様々です。そこでは手慣れた救急外来の看護師ではなく一般の人たちに指示したりお願いしたりして、行わなくてはなりません。気道確保や心マッサージなど個々の行為の技術のみあっても、実際の流れを作ることはできません。そういった場を実際に想定しての講習は有意義です。また5年ごとに出されるガイドラインに沿って行われるため、講習を受けていれば面識のない人同士でも即席のチームを作って救命行為にあたれるのもいいことだともいます。最後に休日をつぶして今回の講習会を運営してくれた医師会、消防、長岡赤十字病院のそれぞれスタッフの方々に厚くお礼申し上げます。

  鈴木信明(鈴木内科医院)

 2014年3月16日に長岡市医師会BLSコースに参加させて頂きました。内科以外を専門とした医療機関の先生方や看護師さんらも多く参加されており、救命処置への意識の高さを感じました。私は研修医の頃からACLS講習会に参加しております(研修医は義務でした)。その後も受けられる機会があれば講習会に参加し、前回は3年程前に参加しました。現在はクリニック勤務であることもあり、今回はBLS講習会に参加しました。
 講習会では他病院の看護師2名と一緒に講習をうけました。救命処置のガイドラインの変更点など、詳細に説明して頂き、また丁寧に実技指導を受けることができ、救命処置を再確認することができました。
 以前、子供が通っている幼稚園のイベントで具合の悪い人がでた際に、先生や保護者の方が、いっせいに私の方を向き、対応しなければならないような雰囲気になったことがありました。高齢な方が突然、床にひざまずき、すぐに立てない状況でした。幸い、すぐに元の状態に回復しました。会場は非常に暑く、長時間の立位後の体調悪化でした。おそらくは熱中症や迷走神経反射などかと思いました。狭心症などの既往があり病院から薬剤処方も受けている方であったため、病院受診をすすめました。その後は特に体調は問題ないようで、後日、感謝の言葉など頂きました。「何もなくて、ホッとした」というのが本音でした。その後も学校・幼稚園などのイベントの際は、何か起きたら対応できないと、「信用にも関わってくるなあ」と感じています。
 急変時は、現場はパニック状態に陥ります。一般的に医療に携わる人は急変時の対応を求められ、処置ができて当然だと思っている市民の方も多いように思います。救命処置は何回やっても、忘れたりできなかったりしますが、知識・経験を積み重ねていかなければ身につかない技術だと思います。予期せぬ急変時に我々の対応で、予後改善につながれば非常に喜ばしいことです。その一方で、いざ対応できないと後悔の念に襲われますし、その対応が予後に直接かかわってしまうと、自分らへの非難につながる可能性もあるように思います。これから医療に携わる者として、救命処置は必須であり、リスク回避のためにも定期的に確認しておくべきです。
 今のところクリニックで心肺停止状態に陥った方はおらず、当院のAEDは購入してから、一度も使用しておりません。AEDパッドの交換の際に、業者の方から人形を借り、AED手順を皆で確認しています。2014年1月にも当院スタッフ皆で集まり、AED手順を再確認しました。平常時に適切に使用できなければ、緊急時に対応することは無理です。今後も救命処置やAEDの再確認を繰り返していかなければならないと感じています。1年に1回くらいは汗をかきながら心臓マッサージの練習をするのも悪くないなと思い、帰宅しました。
 今後も時々、救命処置の講習会に参加し、予期せぬ急変に対応できるよう修練していこうと思います。講習会は主催者の準備などご苦労が多いことと思いますが、是非、継続してもらえたらと思います。プログラムを立案し指導してくださった医療スタッフの皆様、救急隊・長岡市医師会の皆様に深く感謝しております。

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アマリリスは二度咲く  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 「ついに二度目のつぼみも全部立派に咲いたね。」家人が南向きの出窓に置かれた花の鉢を指さしました。
  それはやわらかな春の日差しを浴びる赤いアマリリスでした。中が白く抜けた六弁の大きな花で、白の花びらの縁取りが赤とも言えます。アマリリスの本名はヒッペアストラムで、水耕栽培の我が家のやつはもっとも普通なミネルバという種名。

 「植物男子ベランダー」(いとうせいこうのエッセイが原作)という番組がNHK衛星放送で始まりました。先日のエピソードはバツイチ独身男性主人公はベランダ栽培中のアマリリスが大のお気に入り。美人店員に新しい鉢の購入を勧められるが、裏切るようで……。

 水耕栽培というと、みなさまも小学生の頃、またはお子様らがヒヤシンスの球根栽培をされませんでしたか?ひょうたん型のガラス瓶の上段に球根、下部分に水を入れ、伸びた根だけに水分を吸収して育ちます。雪や寒波の冬から春にかけて、室内に限られた園芸の楽しみです。

 今はヒヤシンスより大輪のアマリリスが人気で、オランダ直輸入のプラ鉢球根セットが売られています。購入したら、カバーの封を切って水を注ぎ、陽当たりのよい窓辺に置くだけです。今回の鉢セットは家人が宅配に来た○ネコ運輸から購買したもの。二月末で、もう売れ残りでぜひなんとか……と頼まれたとか。翌月に緑の葉が出て、数枚がみるみる育ってきました。

 「あれあれ?」「これってまず花茎だけ伸びて花が咲くんじゃなかったけ?」「そうですよ。今まで育てたのは葉は遅れて出て来ました。」

 水耕栽培の開始時期が遅かったのか、売れ残りだったし……。などふたりでがっかり。そんなある日、家人が花茎の出現を発見しました。急にすっくと花茎を伸ばし、つぼみがふつうに四個つきました。

「このぶんだと、あなたのお誕生日頃にちょうど咲きますね。」

 三月下旬に順当につぼみが開き、わたしの誕生日には四つとも満開でした。長い葉も同時にある外観は違和感がありました。

 さて十日余りで花がおわり、花茎を切りました。いずれ地面に植え替えと思っていた四月上旬のある日
「あらなんていい子なの。また花茎が出ているわ。あなた、追加肥料と水やりお願いしますね。」と家人。
「このアマリリスは残り物には福がある、のほうだったかね。」ところでわたし先月で満六十歳となりました。村岡花子さん風には「まだまだとおもひすごしをるうちに……」もう還暦であります。

 そのお祝いの会を職場のスタッフが四月上旬に開催してくださいました。ともに小児の重症疾患と闘かった「戦友」の看護婦さんも多数来てくれ、楽しいひとときでした。赤いちゃんちゃんこはなしで、トレードマークの蝶ネクタイを赤い大きなものを着用。スピーチは趣味の俳句につき語るよう要望があり、きげんよく二枚の短冊を用意。(人情の機微がわかった人たち!)ちょうどタイミングよく秋の鳴子温泉俳句大会への入選のお知らせのあった一句をご披露し、解説しました。

湯屋出でて軽き手足や菊日和

 さらに春宵を詠みもう一句

酒になごみ人に和める花月夜  蒼穹

 家人の言葉を聞きながら、アマリリスの二度咲きも自分の還暦祝いかもなあとふと思ったことでした。

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