長岡市医師会たより No.423 2015.6


もくじ

 表紙絵 「三仏生辺り」 丸岡稔(丸岡医院)
 「宝塚歌劇 白夜の誓い:スウェーデン国王グスタフIII世〜その1」 福本一朗(長岡市小国診療所)
 「老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その2」田村康二(老人保健施設ぶんすい)
 「BSLコースブログラムに参加して」 服部美鶴(こしじ医院:作業療法士)
 「蛍の瓦版〜その13」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜アンダルシア」 富樫賢一(長岡赤十字病院)



「三仏生辺り」 丸岡稔(丸岡医院)


宝塚歌劇 白夜の誓い:スウェーデン国王グスタフIII世〜その1  福本一朗(長岡市小国診療所)

 昨年、創立百周年を迎えて国民的人気の高い宝塚歌劇はトップの交代が相次ぎ、世代交代の時期を迎えている。全国ツアー公演で2012年9月11日に新潟県民会館に来られた天才的ダンサーにして星組男役トップの柚希礼音(ゆずきれおん)が、娘役トップの夢咲ねね(ゆめさきねね)とともに今年の5月に退団するが、宝塚歌劇始まって以来のチケット一枚68万円!!!(SS席通常定価8,800円!)という最高値プレミアがついたものの、すぐに売りきれたそうな(Fig.1)。
 その星組に先立ち、一番新しい組の宙組(そらぐみ)の男役トップ鳳稀かなめ(おおきかなめ)の退団公演の千秋楽が2月15日に東京宝塚劇場で行われた。凰稀かなめと娘役トップの実咲凜音(みさきりおん)は、全国ツアー公演で2013年8月4日に新潟県民会館に来られたが、その時のショー『Amour de 99 !! − 99年の愛 −』では、素晴らしい脚線美を披露し、娘役の生徒さん達の羨望の目を集めたことは記憶に新しい(Fig.2)。
 鳳稀かなめの退団公演『白夜の誓い−グスタフV世、誇り高き王の戦い−』は、恐らくわが国では初めてのスウェーデン王室を題材に取り上げたものであった(Fig.3)。時は18世紀末のフランス革命の頃、所は北欧スウェーデンの首都ストックホルムで、主人公は啓蒙専制君主でありロココの寵児として、北欧史にその名を残したスウェーデン国王・グスタフIII世(1746〜1792)を取り上げた。腐敗した貴族政治からの脱却を図って、内政を改革し、宿敵ロシアとの戦いでは歴史的な大勝利を収めた名将として知られる一方、民衆を愛し、華やかな北欧文化を開花させて、北辺の田舎王国スウェーデンを文化と科学の香り高い文明国に育て上げたグスタフIII世の波乱に満ちた生涯は、まさにミュージカルの題材としてふさわしいものであるが、今まで日本ではほとんど知られることがなかった。
 ミュージカルとしては、権謀術数渦巻く宮廷社会、激動のうねりを見せる18世紀のヨーロッパで、ひたむきに生きた一人の男の愛と友情、そして信念を貫いた勇気ある戦いを、多彩な登場人物を絡ませながら壮大なスケールで謳い上げる一大叙事詩となっていた。
 また第一部の劇に続く二部の、グランド・ショー『PHOENIX 宝塚!! − 蘇る愛 −』は、100年という壮大な歴史の節目を迎え、次なる年への架け橋となる時期に、“再生”という思いを込めて「PHOENIX」(不死鳥)と名付けられたショーで、宙組トップスター・凰稀かなめをフェニックスに見立て、男役特有の美しさと格好よさを感じさせるシーンで構成した、宝塚歌劇ならではのゴージャスでスペクタクルなグランド・ショーとなっていた(Fig.4)。
 国民に慕われたグスタフIII世(1746〜1792)は実在の人物で、ロシアのエカチェリーナII世・プロイセンのフリードリヒII世・オーストリアのヨーゼフII世と共に啓蒙専制君主の代表とされており、ストックホルム王宮前には北欧では珍しい君主の銅像が建てられており、バルト海を隔てたロシアをにらんでいる(Fig.5)。
 啓蒙思想を持つ賢母ロヴィーサ・ウルリカ(1720〜1782)の教育を受けたグスタフは、身分を隠してフランスに留学し、ルソー(1712〜1778)、ダランベール(1717〜1783)、ヴォルテール(1694〜1778)などの哲学者・思想家と交わった。当時のスウェーデンの王権は弱く、事実上貴族が政権を握っていて私腹をこやしていた。グスタフは25歳の時に父王アドルフ・フレドリク(1710〜1771)の崩御により国王となった直後、王党派の支持を得て近衛兵を用いたクーデターを起こし、貴族らから権限を奪い取り、国王中心の新しい憲法を制定した(この背景にはスウェーデンを弱体化せしめた「自由の時代」からの脱却と、貴族政治に失望した農民やブルジョワなど王党派の支持があった)。このクーデターは無血で成功したため、ストックホルム市民に歓迎され、スウェーデン詩人のカール・ミカエル・ベルマン(1740〜1795)は祝詩を送り、ヴォルテールからも賛美の手が届いた。(続く)

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老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その2  田村康二(老人保健施設ぶんすい)

 第2部
 友よ、人生は生きる価値がある(レハール、音楽喜劇ジュディエッタから)
 陸軍大尉オクタービオが美しい人妻ジュディエッタと出会って歌う歌「友よ、人生は生きる価値がある。毎日素晴らしいことがおこり、あらたな体験ができる。この世は素晴らしい……」

 ウイーン市のフォルクス・オパーのニューイヤー・コンサートで本年聴いた元旦の演奏種目の1つが、この「友よ……」であった。高齢者にとって恋に限らず生き甲斐は心のよりどころである。

 心が変われば、態度が変わる。態度が変われば、行動が変わる。
 行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。
 人格が変われば、運命が変わる。運命が変われば、人生が変わる  ヒンズー教の教え

1.高齢者の生きがい
高齢者に限らず、心する志は次の2つ、(1)他の人々の役立つ人でありたい、(2)他の人の世話にならない人で居たいことであろう。そうすれば健康寿命が長いほど、人生は生きる価値があることになる。高齢者の医療・福祉・介護の現場にいると、予防こそが介護や治療に勝ると痛感させられる。私、80歳、家内76歳、いずれも医療の世話には殆どなっていない。ましてや介護とは無縁で自立して暮らしている。

 「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」病院に通わず、医療費がかからなかった高齢者には、「10万円あげるといえば全体の医療費は下がる」
 麻生太郎副総理兼財務相麻生大臣には是非とも再び総理大臣になり、医療保険が還付されるようにして欲しいと願っている。私は予防にはかなりの額を出費しているからだ。予防は自己責任であるから、健康保持の努力をポイント制にして保険料の支払額を増減しようとする試みが国ですでに検討されている。例えば喫煙者は3点として、その分支払を増やそうという仕組みが6月には武見敬三教授らにより提唱されるらしい。
 最近の映画「竜三と7人の子分達」では、アウトロー達が新旧の差を面白く演じていた。医師の世界になぞらえて観ていると、人生の楽しさを彷彿とさせてくれる。時代の変化と出来事がそれぞれの人生に生き甲斐を与えているのだ。人生には明日への生きがい、生きる価値、が大切だ。それがあってこそ日々の暮らしができてくる。

2.日本では予防するという観念が欠けている。
 長年私が唱えている「生体リズム健康法」(文芸春秋社、刊行)やドイツのクナイプ医療の予防医療の普及に努力して、その成果はじょじょに上がっている。しかし未だに不十分である。その理由は、病気を予防するという観念が医師を含めて日本人には元々湧いてこないのだろうと考えている。

3.日本語には時制の内で将来の言葉がない。だから高齢者も一寸先は闇とする。
 ギリシャ神話では、人類の最初の女性であるパンドーラーが、好奇心から「パンドラの箱」を開けてしまい、あらゆる悪いものが溢れ出た時に、最後に箱の底に残ったのが「希望」だったとされる。日本語でいう期待とか希望というような、未来をあらわす未来と云う言葉は、恐らく明治以降の翻訳語なのであろう。ちなみに日本が範としてきた中国文化の元である中国語には未来形はないという。
 これに対して「先がみえない」「お先真っ暗」……などと云う様に、恐れ、願い、期待というような未来の無い言葉はよく耳にする。この理由は殆どの日本人は未知のものへの恐怖以外の概念が無いからだろう。これは確たる宿命感が欠如している人に多いようだ。
 暮らしを語るときには、時制が必要である。生体の時計を説明する時にも、大切なことは時制である。予備校・東進ハイスクールのテレビコマーシャル「いつやるか?今でしょ!」が話題となっている。今という時間は、実は何処にも存在しない。「今ですよ」と思ったことは既に過去だからである。未来を言い表す未来形は、実は本来の日本語には無いのである。英語のwill,mustやshouldの相当する言葉はもともとの日本語はない。日本語には未来時制はなく、非過去時制言語である。つまり現在・過去をも含めた推量と意志・勧誘の機能に留まっており、時制を表せない。
 「I will go to hospital tomorrow.」という英文は「私は明日病院へ行くであろう」と訳せばよいと習う。しかし日常の会話では「明日は病院に行きます」と現在形になる。「You should come here tomorrow.」は「明日はここへ来るべきである」と訳せばよいのだが、日常では「明日いらっしゃい」と現在形になる。英語の should は責めを負う、負債、という意味合いが込められている。だから「いらっしゃい」という軽い意味合いではない。
 こう考えて見ると日本人は常に過去しか見ていないことになる。明治初年に訪日した宣教師ムンチンガーは「日本語には未来形がない。つまり希望、恐れ、願い、期待というような概念については殆どの日本人は未知のものだとしている。その理由は経験していない非現実な事柄を理解する概念が欠けているからである。」と説明している。(C・ムンチンガー、生熊文、「ドイツ宣教師の見た明治社会」、新人物往来社)
 これと合わせて日本人は更に決定論的な宿命感も持ち合わせていない。だから「この先の展望、将来の見通し、希望、病気の予防、前向きの態度など」は最近盛んに使われているが実は、英語の翻訳語でしかなくて、日本人の暮らしには無いことだろうと考えている。
 時間医学をもとにして主に高齢者の予防医学を説いてきたのに、多くの人が総論は賛成だが各論となると「先のことは分りませんよ」と躊躇する理由はここにあるのであろう。高齢者の病気の予防を考えて行くうえで、この日本語の未来形がない思考は私達の予防医療と云う観念に大きな壁であることを強調したい。

4.「飯の種の患者を無くそう」と本気で思う医者がいるのだろうか?
 公的な健康対策はニューヨーク市ではレストランでの食卓塩の禁止、カリフォルニア州バークレー市では「ソーダ税」を開始。フランスは甘い炭酸飲料を対象にした新税「ソーダ税」を承認、ルーマニアは「ジャンクフード税」、デンマークでは飽和脂肪酸が2.3%以上含まれる食品に対して、1キログラムあたりク16ローネを課税。ハンガリーは「ポテトチップス税」、メキシコはカロリーの高い食品すべてに8%、炭酸飲料には1リットル当たり1ペソ(約8円)の税を課す。
 日本では平成25年12月にアルコール健康障害対策基本法が成立。
 導入の背景には増大する医療費を負担できなくなりつつあるからだ。
 医師による高齢者の疾病予防の普及には、自づから限界があろう。アメリカでは国が予防を項目別に文献検索をしてエビデンスを、US Preventive Services Task force として一般に公開している。その1例として、アメリカでは国が血栓症の予防にアスピリン服用を広く国民に薦めている。アメリカの平均50歳でアスピリン服用をしている割合は医師の40%。看護師55%。米国では一次予防として公的に一般人の45〜79歳まではアスピリン服用を薦めている(US Preventive Services Task Force, 2009)。ただし80歳を過ぎると、アスピリンの功罪は合い半ばするので、服薬は慎重であるべきだと警告している。私も間もなく80歳になるので、服薬は中止しようかと考えている。ちなみに日本では最近、血栓症の2次予防には、アスピリンは無効であったと云う報告がされている。
 アスピリンはガンの化学予防になるという報告がある。20年間の継続服用で、がんで死亡するリスクは前立腺がんで10%、肺がんで30%、大腸がんで40%、食道がんでは実に60%少なくなったとしている。アスピリンの服用開始から効果が出るまでにかかる期間はがんの種類によって異なり、咽喉がんとすい臓がん、脳腫瘍、肺がんは5年、胃がんと結腸直腸がんは約10年、前立腺がんは15年だった(The Lancet, 2012)。アスピリンの継続服用で、閉経後の白人女性のメラノーマへのリスクは低下する(Gamba CA et al. Cancer, 2013; 119: 1562−1569)。そこでがんのアスピリンによる一次の『化学予防』も、特に英国では現実的な目標になってきている。日本では混合診療が未だし、医師にも病気を予防するという観念が希薄である。日本の医師でアスピリンを予防薬(化学物質)として服用している人は、ごく限られているようだ。国が財務省主導でなす必要性がある。それが人々、特に高齢者へ生きる価値をあたえることになろう。

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「BSLコースプログラム」に参加して 服部美鶴(こしじ医院:作業療法士)

 去る3月8日、院長の勧めを受けてBLS(※1)講習会に参加した。実技では医師や看護師の方々とご一緒になり、実際のAEDを使われたり、救急隊員に同行されたりした方からお話を伺う機会となった。どんなに経験があったとしても呼吸していない疾病者を目の前にすると、どなたでも緊張するとのことだった。実技ではいろんな状況を設定して実際の場面で即座に動けるように何度も繰り返し大きな声をだして積極的に体を動かした。
実技の中で私は初めて供バッグバルブマスク僑に触れ、ECクランプ法の指導を受けた。慌ててばかりいて空気が抜けてしまい、はじめに伺った「過換気注意!」どころではなく「肺に入ってねえ」と 何度も手を添えて教えていただいた。使い慣れるとマウスツーマウスよりも効率の良い道具だということを知った。「呼吸よりも心マのほうが優先ね」と声がかかり必死に体を動かしているとこちらの息が上がってきて「交代して!交代する時はリズムを途切れさせないようにできるといいね」とさらに指導が入った。ここでは大きな声を出して助けを呼ぶ意味を改めて体験した。動けずにもたもたしていた私にもインストラクターの方が優しくそして楽しく指導して下さったおかげで、後半は供外来でリハ中に患者さんが倒れたとき僑という設定に、発見者としてほかの参加者の方に指示を出せるところまで成長できた。
 JPTEC(※2)の紹介では消防隊員と看護師の方が寸劇を見せてくださり、さらに高度な技術をもってあたられていることや連携の大切さを知ることができた。医師会主催の講習ならではの専門的で実践的な内容に充実した時間となった。実際の場面に遭遇した時に目の前の疾病者を救えるように時間を見つけて復習しておきたいと思う。貴重な講習に参加させていただき感謝する。

※1…Basic LifeS upport 自らの肉体と簡単な道具で行う心肺停止に対する救命処置。一時救命処置。
※2…Japan Prehospital Trauma Evaluation and Care 主に救急隊員が病院到着以前に行う、外傷患者に対する標準観察、処置プロトコルとその教育コースをさす。

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蛍の瓦版〜その13 理事 児玉伸子(こしじ医院)

1.長岡市医師会の会計と予算
  長岡市医師会は、6月4日に長岡グランドホテルに於いて定時総会を開催し、平成26年度の事業について会員の皆様に報告し、同年の決算について認定をいただきました。この内容について、若干の補足説明させていただきます。
(1)公益法人会計基準
 昨年の4月1日より、長岡市医師会は非営利型の一般社団法人へ移行し、昨年度から会計も新たな公益法人会計基準に基づいて行っています。今までの収支決算書に相当するものが、正味財産増減計算書(総会資料13〜26頁)です。引当金という項目が増え、お金の動きだけではなく財産の動きも同時に表しています。また事業費と管理費を明確に区別し、給料のように一括して支払う経費も案分して記載されています(興味のある方は事務局までお尋ね下さい)。
(2)急患診療事業
 事業報告や会計報告のなかで、休日夜間診療に関する事業がいくつかありますが、運営の状況が異なるために決算上の扱いも異なっています。
 長岡市中越こども急患センターは長岡市長が開設し、医師会は管理運営を委託されています。収入(診療報酬)は長岡市へ支払われ、医師会へは委託料だけが支払われています。よって事業の収支状況と医師会は関係ありません。平日夜間急患診療事業と休日急患診療事業の両事業は、こども急患センターとは異なり、長岡市医師会が開設者として運営し、医師会が必要経費を負担し診療報酬を得ています。長岡市との取り決めで、赤字額は長岡市が補てんし、余剰金は医師会の収入となっています。平日夜間急患診療事業は昨年度も1千万以上の赤字ですが、休日急患診療事業は7年前から黒字に転じています。平日夜間と休日は別個の事業であるため、平日夜間診療の赤字分は長岡市から補てんを受け、休日診療の余剰金は医師会の収入となっています。
 休日や夜間の診療に関するその他事業として、休日在宅輪番制事業(産婦人科・眼科・耳鼻咽喉科)の運営もあります。これらの事業には中越こども急患センターと同様に市から委託料が支払われています。
(3)最後に
 長岡市医師会の収入は会員の皆様からの会費と、それぞれの事業への委託料や手数料から成り立っています。医師会は非営利型法人として定款に非営利性を徹底しており、利潤追求や蓄財は目的ではありません。
 休日急患診療事業の利用者が増加しているため、7年前から余剰金が発生しています。この収入は、インフルエンザの流行等受診者数の多寡に依るもので不安定な要素はありますが、定款に拠れば公共性の高い事業に使用すべきものです。
 事業の提案をお待ちしております。

2.生活保護法の指定医療機関制度
 先月お送りしました「お知らせ」でもお伝えしましたが、生活保護法の指定医療機関制度が変更され、新たに申請を提出する必要があります。平成年の生活保護法一部改正に伴26うもので、更新制の導入及び指定取り消し要件の明確化や不適切事案への対応策の強化等があります。一部の地域での不適切事案が問題となったための改定と思われます。
 生活保護指定医療機関の継続を希望される医療機関は、新潟県福祉保健部福祉保健課保護係から送られる書類に必要事項を記入して、長岡市社会福祉事務所に送付して下さい。

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巻末エッセイ〜アンダルシア 富樫賢一(長岡赤十字病院)

 ミキ・トラヴェル(トラブルではないので、発音に注意)の現地ガイド、番長さんともお別れ。マドリッド・アトーチャ駅からスペイン新幹線AVE(2等車)に乗ってコルドバへ。くじで割り当てられた席は最悪。小さいテーブルを挟んだ4人がけの席で、同席となった夫婦が最低。来る時の飛行機でも丁度前の席に居た人達。その時、男の方は背もたれをずっと倒したままで、後ろに座っていた私は食事をするのにも一苦労。女の方はたまたま空いていた最後列の席で楽々と寝そべっていた。トミイも狙っていた席だったのでずっと機嫌が悪かった。その2組が向かい合って、お互い何者だろうと探り合っているうちにコルドバに着いた。2時間は経っていない。やはり新幹線は早い。バスだと5時間はかかる。
 711年にイスラム教徒がイベリア半島に侵攻し、占領した土地をアル・アンダルスと呼んだ。その首都がコルドバだ。現在はアンダルシア第3の都市。1236年キリスト教徒が奪回した後も、イスラム文化は色濃く残っている。サントホスタ駅からバスで旧ユダヤ人街まで行く。1492年のユダヤ人追放令以来、ユダヤ人だけの街ではなくなっているが、小道ごとに様相を変える白壁の町並み、そこには花の小鉢が飾られていて、観光名所となっている。花の小道という人気スポットで写真を撮った。路地の向こうにはメスキータの尖塔が見える。
 メスキータはスペイン語でイスラム教寺院(モスク)のこと。西ゴート時代にはサン・ビセンテ教会があったところで、コルドバを占領したモーロ人が、半分だけモスクとして使い始めたのが始まり。785年、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世が、教会を全部取り壊して新しいモスクを造った。その後3回にわたって拡張され、990年、間口137メートル、奥行174メートル、2万5000人収容可能な大モスクとなった。キリスト教徒が再征服後にモスクからカテドラルへと改造された。
 免罪の門を抜け、オレンジの木が植えられた中庭を通って、シュロの門から礼拝堂に入る。中庭と礼拝堂との間の19のアーチは、2つを残してすべて閉じられている。礼拝堂の中は暗い。入って最も手前の空間が最初の礼拝室。色々な所から運んできた石柱があるという。良く見えないのであちこち触ってみた。次の間が第1次拡張部分、その奥が第2次拡張部分で、そこにミフラーブ(メッカの方向を示す目印)がある。第3の拡張部分はミフラーブに向かって左手に広がる。建物を支える石柱は850本。気に入った石柱の前で写真を撮ってもらった。
 メスキータ近くのレストランで名物?オックステールの昼食をとった後、ロンダに向かった。3時間のバス旅で疲労困憊。しかも、バスは市街に乗り入れが出来ない。添乗員も現地ガイド抜きではガイドができない。それでも、映画「アンダルシア」で人気が出たという旧市街まで急ぎ歩いて行き、あちこち散策した。戻ってきて、最大の観光スポット、新市街と旧市街をつなぐヌエボ橋で、アイスを食べながら谷底を見ていると、添乗員が近づいて来て、写真を撮ってくれた。その後スペイン最古の闘牛場を見学。ついでにと闘牛博物館に行くと閉まっていた。昼寝の時間だったらしい。前払いだったので悔しかったが、集合時間が迫っていたのでバスに戻った。バスで1時間半、セビーリャのホテルでは質素な夕食が待っていた。そして長い1日が終わった。明日のために早めに就寝。(つづく)

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