長岡市医師会たより No.429 2015.12


もくじ

 表紙絵 「初冬の阿賀野川」 丸岡稔(丸岡医院)
 「認知症初期集中支援チームの概要」 直井孝二(悠遊健康村病院)
 「老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その5」田村康二(老人保健施設ぶんすい)
 「蛍の瓦版~その18」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ~グラナダ」 富樫賢一(長岡赤十字病院)



「初冬の阿賀野川」 丸岡稔(丸岡医院)


認知症初期集中支援チームの概要  直井孝二(悠遊健康村病院)

 今年度、新潟県では7市村で「認知症初期集中支援チーム」の活動が始まりました。2018年度からは全市町村に設置されますが、先生方には一歩先にこのチームについて知っていただき、連携と支援へのご協力ご参加をお願いいたしたく、概略を説明させていただきます。国は、これから3年という短い期間で、高齢者包括支援システムを強化実施する戦略を打ち出しました。そのための準備と試みが、『新オレンジプラン』の名のもとに各市町村で慌ただしく始まっております。まずその事情を、介護保険の現状と課題の視点から説明します。
 図1のマル1に示す通り、要介護者の多くを占める75歳以上の人口は、全国では、団塊の世代のすべてが75歳に達する2025年まで急増します。地域ごとでは、東京のような大都市と、埼玉、千葉といったその近郊ではこの10年間、団塊の世代の影響を大きく受けて急増し、島根、山形のような過疎化が進む地域では、人数はほとんど増えません。ちなみに新潟は後者の道を辿っております。つまり、大都市とその近郊では、増加に備えた医療・介護の整備と効率化が大きな課題となります。また図1のマル2に、生産年齢10人で支える後期高齢者の人数を示しますが、千葉、埼玉といったベッドタウンではこの10年で6割増え、島根、山形、新潟は過疎化により3割増に留まるものの、今後も着実に増え続けます。いずれにせよ費用圧縮と人材確保のためには、自助・互助体制の整備や社会資源の発掘が必須となります。実際、費用面では、図1のマル3〜マル5のように介護保険給付額を負担している40歳以上の人口は2025年以降減少に転じますし、介護給付額と介護保険料は、この10年で倍増すると予想されています。従って例えば、隣の住民から宅配業者まで、あらゆる社会資源を発掘して、その地域地域で最も有効な支援方法を模索し最大限に利用することが、費用を圧縮する上で急務となります。
 介護保険利用者の6割は認知症者であり、また「認知症者に優しい町は高齢者にとっても優しい町」といえますから、これから益々、認知症に重点を置いた施策が執られることとなります。図1のマル6に認知症者推定人数を示しますが、介護保険開始10年後の集計において認知症自立度II以上の人数が予想以上に多かったことから、実数を把握するために8市町65歳以上の5千人を対象とした調査が行われました。その結果、認知症の4%が独居であること、2012年の時点で全国の認知症者462万人、軽度認知障害(MCI)400万人、おのおのでアルツハイマー病が7割前後関与していることなどが分かり、さらに2014年の久山町研究からは、「アルツハイマー病の発症リスクは、糖尿病で2.1倍であり、糖尿病有病率は2060年までに20%増加する」ことが分かって、現在、認知症者数推移は図中マル1からマル2へと増加し、2025年には700万人前後になると推定されています。また図中マル3にて、アルツハイマー病推定人数は2025年には最大500万人となりますから、在宅の推進や生活習慣病の予防管理から、根本的な予防・治療法の確立まで、アルツハイマーを中心とした認知症対策が「待ったなし」の状況であることが分かります。
 こうして今年1月から、図2に示す内容の『新オレンジプラン』が始まったわけですが、例えば認知症施策では、「本人が語る全国的キャンペーン」として、最近テレビで認知症の当人が語り始めていますし、地域ケア会議では「向こう三軒両隣会議」と銘打つ近隣住民による濃厚な支援、生活支援ではNPOによるミニデイやボランティアによるゴミ出し援助、徘徊見守り隊、スマートフォンを利用した市民参加型徘徊者早期発見システムなど、いろいろな試みが始まっています。そして私自身、NHKの特番を見て驚いたのですが、認知症者が希望すれば働くことも出来るような生活環境を提供する方策までもが、推し進められているのです。これらを2018年度には実施し、在宅の限界点を向上させながら後期高齢者の伸び率まで費用を圧縮することとなります。
 このような流れの中で、長岡市では今年8月より認知症初期集中支援チームの活動が始まりましたが、チームには、まず国が掲げる理念があります(図3)。ここの「認知症」という文字を「要介護」や「高齢者」に置き換えても、全体的な理念になるので差し支えありません。それは、「もしも私が認知症になっても、私の意思を尊重して、住み慣れた土地で、快適な環境のもとに、暮らすことが出来る」ということです。この理念のもと、早期診断して治せるものは治し、遅らせることが出来るものは遅らせ、症状や家支援を始めることで危機的状況を予防し、必要時には迅速な対応をする目的で、対象者のもとに複数の専門職が訪問し、短期集中的にふさわしい支援を検討実施して、およそ6か月以内に、通常の医療・支援に引き継ぐ、というものです。尚、認知症初期集中支援チームの「初期」という言葉には、「認知症の初期」に加えて、「最初に関わる支援者」という意味も込められており、対象者は、40歳以上の在宅生活者で、認知症を疑うが、未診断・サービス未利用の方、そして認知症と診断されているが、必要な医療・介護サービスが中断したり、うまく繋がらない方、もしくは行動心理症状(BPSD)で対応に苦慮している方、となります。
 イメージし易いよう、最近の事例を挙げて活動内容を説明します(図4)。長岡市では、今年度は悠遊健康村病院にチームを設置していますが、私と看護師、社会福祉士の3人で組み、地域包括支援センターと認知症地域支援推進員が加わり一体となって活動、必要時には認知症疾患医療センターが緊急対応などの支援に入ります。事例は内科疾患で通院中の男性で、認知症の診断がついていますが、妻への暴言がひどく、妻は体調を崩して介護が限界となりました。本人は頑なに介護サービスを拒否し、主治医は内服を工夫しますが、勢いが止まらず、ケアマネージャーが地域包括支援センターに相談して事例化し、チームの対象となりました。チームは主治医から情報提供を受け、拒絶を受けないよう配慮工夫しながら訪問し、チーム員会議にて支援計画を練ったのち、支援に入ります。この事例では、妻の過干渉と本人の通所への抵抗感が問題であることから、訪問看護導入にて、互いのストレスを軽減しつつ通所への足掛かりを探ることとなりました。上手くいけば1〜2か月後には通常の介護サービスに引き継ぎ、モニタリング作業に移りますが、得られた情報は各機関が共有し、継続的な医療と介護サービスに活用します。
 本活動を始めて3カ月が経ちました。「チーム」と名付けられてはいますが特殊部隊というわけではなく、活動の実際は、地域において顔が見えるような円滑な連携網を広げながら、認知症へのスキルを高め合ってゆく役割の一つ、といえるかと思います。もしお困りの事例がございましたら、所轄の地域包括支援センター(要介護の方はケアマネージャー)まで、情報を提供していただければ幸いです。そして連携と支援へのご協力ご参加を、何卒よろしくお願いいたします。

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老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その5 田村康二(老人保健施設ぶんすい)

第5部「健康寿命を延ばす秘訣」の続き
(v)健康寿命、永遠の命、を求めて進化している最新技術がある
 101歳で問題なく車を運転しているのは、山梨県に住む歳になる超高齢ドライバー深沢鉄夫さん。深沢さんは約50年前に免許を取得した。買い出しや妻を病院に連れていくため、今も週に4、5回は運転するそうだ。山本昌、元中日投手、50歳で引退した。最大のご褒美はと問われて、2年前に再婚した美智子夫人との間に子供が生まれたことだという。だが世界は広い。インド北部、ハリヤーナー州に住む96歳の農家の男性、ラムジート・ラグハヴさんにこのほど、第二子の男児が生まれた。達者な人は老いてもなお達者なのだ。このように健康寿命を次々に延ばしている人々がいる。頼もしい限りだ。
 米国のグーグル社をはじめ、ロシアでも大富豪たちが今や巨額の資金と人材を不老長寿の研究に投じている。老年医学では不老長寿は研究のテーマではない。この夢をテーマにする医学は、抗加齢医学である。ハーバード大学のエイミー・ウエイジャーズらは、若いマウスの血中に多く、老いたマウスに少ないGDF11というたんぱく質が老いたマウスの若返りに関係することを発表している。このGDF11は幹細胞の細胞造成に役立つからだという。テキサスのドナルド・デビンホは染色体のテロメラーゼの値を高める方法を開発した。これにより実験動物の自己修復力が高まるのだ。これも加齢の速度を減速して若返りに希望を与える動物実験の成果となっている。生物は細胞分裂をくりかえすと、染色体末端の塩基配列部位である「テロメア」が短くなっていき、これが短くなりきると死を迎えることになる。アンドリュース博士によれば、このテロメアの生成を行う酵素が体内で作られ続ければ老化を防げるとしている。そしてシエラサイエンス社がこの酵素生成に関する薬を発売することを示唆している。いずれこれらの成績は臨床応用されるだろう。20年後には、実用化されるらしい。その時まで生き残っていなければなるまい。

知人:先生、相変わらず働いていますか?
私:生涯常勤でいたいと思っています。
知人:そんなに働いて得たお金をどう使っているんですか?
私:医療保険ましてや介護保険は使っていませんから、保険料を一部返して欲しいとおもっています。それらを貯めて、近いうちにできる不老長寿の薬代の資金に当てたいのです。

 ニートは働かないから悪いという。そうなら年金生活者も悪であろう。ニート52万人に対し親が扶養義務として出しているか、年金生活者の2700万人に国が老齢年金として出しているかの違いでしかない。神代の神々が肉体労働をしたという昔から生涯現役は当然の国なのだ。われわれは何時から働かないことを理想としてきたのだろうか?
 医学会に出てみると、科学技術の進歩は幾級数的な勢いで加速していることに驚かされる。もともと20年で成し遂げられていた技術の進歩が、今は10年、3年でできるようになっている。今後は2年半、3か月と加速していくだろう。だから長寿の医学は、確実に進化するバラ色である。健康で長生きする道は最新技術の進歩で開けているのだ。
 20年もすれば、200歳はおろか500歳の寿命を得られるようになるだろう。その時に間に合うように健康体を維持して置きたいものだ。人生における幸せの追及は、幸せでおれる長い時間を追及してゆくことと同じであろう。つまり今後は老いても健康でおれる道を各自が選択して、自己判断で思うように長生きして行くことが大切であろうと思っている。

(vi)80歳を超えても認知症にかからない人の脳は、構造自体や神経系統の結びつきに認知症になる脳とは違いがある
 アメリカでは認知症のない80歳以上の人を光栄あるスーパーエイジャーとして、その人々についての最新の研究がある。私も80歳を超えたので、栄えあるスーパー・エイジャーの仲間入りを果たせたことになり、喜んでいる。何しろ日本の80歳の男性では、生存者数110万人、生存率50%、平均余命8年、認知症率50%なのである。つまりスーパーエイジャーは50万人足らずになっている。この連載のようにまとまった思いを長文で書けるうちは、認知症とは無縁であろうと考えている。
 認知症の危険性や認知症の診断と治療についての論文は多い。これに対して、認知症になりにくい人の研究は、未だに断片的である。いわば「年寄のスーパーマン」の研究は、百寿者の研究とは違う有用な情報がえられるのである。
 代表的な最新の研究では、「スーパーエイジャー」の12人に対して脳のMRIスキャンを含む様々なテストを行い、また5人の遺体の脳を解剖した。その調査結果が、アメリカの神経学会誌 Journal of Neurology に発表された。Cognitive Neurology and Alzheimer's Disease Center で、この研究を統括する Changiz Geula 教授によれば、そもそもスーパーエイジャーの脳は、同年代の普通の人と比べると、構造自体や神経系統の結びつきに違いがあるという。一例をあげるなら、彼らの一部は、脳内で集中力をつかさどる前帯状皮質と呼ばれる部分が、より若い世代と比べても厚いそうである。つまり大脳皮質が厚いほど記憶力がよい可能性があるという新たな発見がなされた。
 更に脳内のたんぱく質の「もつれ」が脳細胞を減らすことも解った。この研究には参加していないクリーブランドの Brain Health and Memory Center at UH Case Medical Center の AlLerner博士も、この説に賛成している。彼によると、大脳皮質の衰退は認知症における貴重なマーカーなので、逆に言えば皮質が厚いほど認知症になる可能性が下がるかもしれないというのである。また Geula教授によると、「細胞内で形成されて、細胞を死滅させるたんぱく質の『もつれ』が、同年代の人に比べるとスーパーエイジャーには少ない。この『もつれ』や大脳皮質の厚さと認知症の関係に関しては、より一層の研究が必要だろう」ということである。問題は大脳の厚さは遺伝子で決まるのだろうが、如何にして厚くできるかは、未解決である。この新しい分野の研究の発展が、認知症の予防に望まれている。

(vii)奇人変人・異人は長生きする
 いま、あえて奇妙であろうとする者が殆どいないことは、われらが時代の大きな危機の兆候になっている。(ジョン・スチュアート・ミル、「自由論」)
 真の奇人変人・異人はこの世の一万人に一人位はいるそうだ。医師や大学教授には特に多いようだ。アメリカでも画期的な業績をあげている医師には、crazy な奇人が多い。奇人は幼い時から自分が風がわりであると認識していて非同調的、すなわち一般的な社会的な規範に従わない人々を云うとされている。私自身若い時から協調性に欠けていると自認している。新潟市の白新中学校の卒業の折、成績では良いのだが協調性が無いという理由で担任教師が反対したので総代になれなかったのだ。悪平等の学校義務教育の結果であろう。それを聞いた親父が「お前はサラリーマンは務まらない、医師か弁護士になれ」と話してくれた記憶がある。最近は講演会で講師が、「私は協調性が無いので話が飛ぶのですがご了承ください」と公言する人が増えてきたように思う。時代の変化であろう。
 奇人は私同様めったに医者に掛からないし、医者は医者で自分を必要としない人々に関心を示さない。ついでに言えば人類の大半を占める健常者についての医学的研究は極めて乏しいのだ。
(つづく)

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蛍の瓦版~その17 理事 児玉伸子(こしじ医院)

1.ドクターヘリ
 長岡赤十字病院が新潟県2機目のドクターヘリの基地病院となることが決まりました。上越市の県立中央病院や佐渡総合病院も候補に挙がりましたが、病院の立地や周辺の状況から長岡赤十字病院が選定されました。
 1機目は3年前から新潟大学病院を基地病院として運用されています。通常ドクターヘリが30分で到達する範囲は半径100km内で、新潟市の1機目だけでは県西部の糸魚川地域に対応できません。また1機目の運用状況をみると、大学病院までUターンしているものは全体の1/3に過ぎず、その他は新潟市以外の基幹病院へJターン搬送されています。長岡赤十字病院の受け入れ数が群を抜いて多く、4位の立川病院や5位の中央病院やその他の中越地区の病院への搬送者を併せるとJターン搬送のほぼ半数となっています。
 ドクターヘリが導入された平成24年度から今年度までの運行状況をみると、要請数・出動数ともに年々増加しています。今年度の要請数は1.9件/日と当初の2.5倍に、出動数は1.5件/日あり3倍に増加しています。昨年度の応需率は約75%で、未出動の理由としては悪天候と日没制限が2/3を占め、冬期間に増加していました。また出動後のキャンセルも20%近くありました。
 ドクターヘリは、地上での救急車のように単なる患者の搬送を行うものではありません。フライトドクターとフライトナースが必ず同乗し、搬送中から必要な医療処置を行うことが特徴です。担当のフライトドクターとナースは基地病院に待機し、5分以内に出動することが求められています。
 ヘリの運行には専任のパイロットとアシスタントの同乗が必要ですが、彼らもヘリの運行可能な時間帯は常に待機しています。さらにヘリの整備士や格納庫も必要となり、ヘリの維持費だけで年間2億円を要し、現在は県からの補助金によって賄われています。2億円を平成26年度の出動数450回で単純に除すると、1回あたり45万円となります。
 2機目のドクターヘリは、長岡地区だけではなく、広く県内の救急医療を担う目的で配備されます。長岡赤十字病院では、ハードの整備とともに県内の救急事情に詳しい救急専門医をフライトドクターとして募集する予定だそうです。

2.地域別多職種交流会
 長岡市では、昨年4月に地域包括ケアシステムの推進に当たり、関係する各分野の代表から成る供地域包括ケア推進協議会僑を発足させました。昨年8月の瓦版でも御紹介しましたが、医療と介護に関わる多職種の交流を目指しています。
 今年は各地域の包括支援センター圏域ごとの交流を目指し、医師会からそれぞれの圏域単位で、医療サイドと包括支援センターのパイプ役を務める医療機関(協力医・相談医)を推薦してきました。
 7月には市内各地の地域包括支援センターと協力医・相談医および多職種の代表が集まった懇親会が設けられました。9月頃からは各包括支援センター単位で、地域別多職種交流会が順次開催されています。
 要介護者が在宅生活を滞りなく続けるためには、介護と医療はともに不可欠で、その連携が重要です。連携をスムーズに行うために、お互いに顔の見える関係を築いていくことから始めては如何でしょうか?!

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巻末エッセイ~グラナダ 富樫賢一(長岡赤十字病院)

 日の長いスペインだが、グラナダのホテルに着いた時には暗くなっていた。急いで夕食をとり、マイクロバスでアルバイシンに向かう。グラナダの旧市街中、最古の町並み。キリスト教徒によるグラナダ陥落時、モーロ人最後の砦となった所だ。狭い坂道が迷路のように入り組んでいる。サイドミラーを時々たたまないと通れないくらい。しかも、街灯もなく暗い中、かなりのスピードで走る。目的地に着いたようだが、観光客で混んでいてなかなか停められない。何も無いような所で降ろされ、狭い石段を上がって行くとやっと灯りが見えた。
 フラメンコを見るのは3度目だ。今回は洞窟の中で間近に見た。観光客は壁を背にして舞台(ただの床)を取り囲むように座り、サービスのドリンク片手に楽しむ。ギター伴奏で、ジプシー風の男女が入れ代わり立ち代り踊る。我々はバスの中で練習してきた掛け声をかける。「オレー」(アラーに由来)、「ブラーヴォ」(イタリア語)、「いいぞ」(日本語)、その他。掛け声が良かったのか、ダンサーの踊りも熱がこもってきた。
 終わりが近づいた頃、客に一緒に踊ろうと言う。と、ここぞとばかりに、派手な衣装を着てきた化け物のような女性が立ち上がった。引き締まった体型のジプシーとは違いかなりの肥満。だが、踊りはうまい。若い時には、この手の仕事をしていたらしい。最初に見た時から何者だろうと思っていたが、やはり、只者ではなかった。余りのメイクで年齢不詳。トミイは我々より上だと言う。新婚の相手は、10歳以上は若そうだ。真っ暗な中、人一人通れる位の路地をとぼとぼ歩いて行く。突然、ライトアップされたアルハンブラ宮殿が浮き上がった。暗くてよく分らないが、背景にはシエラ・ネバダ山脈があるらしい。サン・ニコラス展望台という有名な観光スポットだ。トミイの後から、人ごみを掻き分け前に出た。崖淵からボーと浮かび上がる宮殿を見たが、疲れていたせいか、感動がない。あちこちで子供がアイスを食べながら遊んでいた。
 アルハンブラの語源は、アラビア語のアル・カラ・アルハムラ(赤い城)。翌日の現地ガイドは、元やり手の商社マン?スペインの現状や税金の話をしながら、宮殿に向かう。「裁きの門」から、カルロス5世宮殿を抜け、ナルス朝宮殿に入った。王の政務と居住の場だ。歴代の王は、刺客に備えて毎日寝る場所を変えていた。一緒に寝る相手も変えていた。常在戦場。敵来襲時には噴水を上げて知らせたらしい。中庭には、12頭のライオンの噴水がある。中庭に面した3つの部屋の内、南側の部屋がアベンセラッヘスの間。ここで、王の政敵アベンセラッヘス家の男36人が皆殺しにされた。
 血なまぐさい宮殿から出て、バルタル庭園に向かう。展望台からは、昨夜フラメンコを楽しんだアルバイシンが見えた。東の方から城壁の外に出ると、右手に導水路が見える。ナルス朝創始者ムハンマド1世が引いたもの。水は生活だけでなく、噴水や浴場にも欠かせない。
 糸杉に挟まれた遊歩道をゆっくり歩いて行くと、太陽の丘にあるヘネラリフェの入口。14世紀に建設されたナルス朝の別荘だ。グラナダ王国時代の面影をとどめるのは、一番奥のアセキアの中庭。真ん中に細長い池があり、両側の噴水が心地良い。「水の宮殿」といわれる所以だ。ほっと心が和むよう幕間だった。国外で車を売ってだいぶ儲けた、というガイドの話を聞きながらバスに戻った。

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