長岡市医師会たより No.434 2016.5


もくじ

 表紙絵 「マルメの船着場」 木村清治(いまい皮膚科医院)
 「蟷螂の斧」 日本歯科医師会 会長 堀憲郎(堀歯科医院)
 「開業して一年経って思うこと」 小野塚淳哉(おのづかこどもクリニック)
 「救命処置を学ぶ半日コースを受講して」 横山博之(横山皮膚科)
 「救命処置を学ぶ半日コースを受講して」 加藤英雄(加藤クリニック)
 「救命処置のことなど」 伊藤英子(長岡療育園)
 「蛍の瓦版〜21」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜端午の節句の笹団子と柏餅」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「マルメの船着場」 木村清治(いまい皮膚科医院)


蟷螂の斧  日本歯科医師会 会長 堀 憲郎(堀歯科医院)

 長岡市医師会の先生方にご挨拶の機会をいただき、お礼申し上げます。
 私は長岡市の神田町で歯科診療所を開設しております。3月11日付で日本歯科医師会会長に就任いたしました。
 歯科界は1年余りに亘り様々な混乱が続いていましたが、それらにけじめを付けて、それをしっかり内外に示したいという全国の日歯会員の意志を受けて新執行部が船出しました。目の眩むような多くの難題の中での舵取りになると覚悟しております。
 医療界を巡っては2年後の医療、介護同時改定を含め、それに関わる多くの法改正、制度改革等、我が国の社会保障の将来を決める十年に一度の重要な議論が進行中であることはご承知のとおりです。日本歯科医師会は、その議論の中に歯科医療提供者として果たすべき責任と役割をしっかりと明記して、国民のため、公益のために貢献して参りたいと思います。
 社会の高齢化により疾病構造は変化しており、求められる歯科医療は、従来の歯の欠損のいわゆる「形態的回復」よりも「口腔の機能の維持、回復」に軸足をおいたものになっていますが、実際の歯科医療体系はそれにまだ追いついていない部分があります。また「地域包括ケアシステム」「地域医療構想」「地域医療介護総合確保基金」等々、国の医療政策は大きく「地域」にシフトしていますが、その構想に沿った歯科医療提供体制の整備には多くの課題があります。
 地域完結型の医療、介護システムでは在宅歯科医療の推進は不可欠な部分と承知しており、そこには医科歯科連携、多職種連携が求められます。一方9割近くが個人立の体力の弱い診療所である歯科医療機関が、外来を休んで在宅に赴くにはまだハードルが多いと認識します。即ち、いわゆる口腔ケアを中心とする歯科医療の必要性、重要性について、中央での理解は格段に進んでいますが、それを現場でどのように実行していくか、そのシステム構築の議論を進めているところです。
 長岡歯科医師会は長岡市医師会のご指導、ご協力の下で特にその「医科歯科連携」等の推進に取り組んでおります。まだまだ地域包括ケアシステムへの歯科の関わりは黎明期にありますが、地域の医師会の先生方のご理解、ご指導により、包括的な医療・介護提供体制の確立に貢献できればと願っております。
 春秋の時代、斉の荘公が馬車に乗って狩りをしていると、道で踏みつぶされそうになった一匹の虫が、前足を振り上げてに馬車に立ち向かうそぶりを見せました。荘公が従者に「これは何という虫か」と尋ねると従者は「蟷螂(とうろう)という、身の程知らずの、退くことをせず進むことだけを考える虫でございます」と答えます。それを聞いた荘公は「もし人間であったなら比類なき勇者であったろう」と、馬車を戻し蟷螂の脇を通ったと言います。「蟷螂の斧」として知られる話です。
 財政危機という言葉が登場して久しく、我が国の急激な少子高齢化や財政状態の悪化により、医療費抑制政策が続いているのはご承知のとおりです。国家の危機に対してどのような貢献ができるのか、その議論を惜しむものではありませんが、例えば経済再建にあって、国民の心理的安心は不可欠であり、その安心とは国の大本である社会保障と教育の充実であると認識しています。医療費ベースでの歯科医療のシェアは7%弱に過ぎません。我々歯科医療提供者の発言力や実行力は決して大きいものではありませんが、国民の皆様の健康への安心、老後への安心、国の将来を担う次の世代への安心が得られるように、蟷螂の斧であっても、それを授かっている以上は堂々と振るって参りたいと存じます。
 奇しくも長岡市医師会次期会長の長尾先生、並びに長岡歯科医師会現会長の大竹先生とは小、中、高等学校と机を並べて学んだ仲です。より緊密な連携を図って、地元長岡から医科歯科連携のモデルを発信することを目指して参ります。

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開業し一年経って思うこと 小野塚淳哉(おのづかこどもクリニック)

 今回、開業一年目の感想について寄稿するようにとの依頼がありました。開院してから一年がたつのだなあ、あっという間だったなあ、というのが素直な感想です。
 これまで色々なところで書いているのですが、私が長岡市に来たのは平成17年4月でした。長岡赤十字病院に小児科・新生児科医として医局から派遣されてきました。当時は1〜2年で異動する予定でしたが、異動予定が延び延びになり、気が付けば10年間も長岡赤十字病院に勤続させていただきました。この時点で医師人生の半分を長岡で過ごすことになりました。もともと開業志向は全くと言っていいほどありませんでしたが、こんな自分がいつ頃開業しようと思い立ったかはよく覚えていません。しかし、これからの自分の医師としての人生を色々考えていく中で、開業することも選択肢の一つだと思うようになりました。ちょうどいいタイミングで土地がみつかり、土地探しに苦労することが多いと聞いていたので、本当にラッキーだったと思います。開業するにあたっては、未経験のことが多く大変でしたが、様々な方の協力で無事に開院することができました。
 開業して一年経って思うのは、月並みですが勤務医と開業医は同じ医者でも全く違うものなのだ、ということです。勤務医には勤務医の大変さ、開業医には開業医の大変さがあるのがよくわかりました。このことは、すでに開業している先生方は当然御存じの事とは思いますが、勤務医をやっているとその辺のことはよくわかりませんでした(もちろん、楽をしようと思って開業したわけではありません)。某医療従事者向け医療情報サイトでは、しばしば勤務医と開業医の罵り合いが繰り広げられているようですが、お互いが他者の大変さを理解していれば、そんなことにはならないのに、と思います。
 また、勤務医時代と異なるところとしては、日中診察した患者さんたちのその後がわかりにくいところでしょうか。今までは、外来で診察した患者さんが、その後不調で救外を受診したり入院したりすれば、翌日にカルテ等で知ることができるし、症状が改善しなければ同じ病院に再診することが多いので(自分以外の先生が診察することも多々ありますが)、患者さんのその後を把握することが大体は可能でした。しかし、開業していると患者さんが夜どうなったかは当然把握しようがないですし、患者さんが来なくなった時に、症状が改善したからなのか、それとも他の先生にお世話になっているのか、さっぱりわからないです。そうすると自分の診療がそれでよかったのか、ダメだったのか、ダメだったとしてどこがダメなのか確認しにくいので、勢い独りよがりになってしまいそうで怖いです。日々研鑽していくしかないと思う今日この頃です。
 まとまりのない文章になってしまい、お恥ずかしい限りですが、この辺で筆を置きたいと思います。
 最後になりますが、医師会の先生方には今後ともお世話になることと存じます。御指導御鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

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「救命処置を学ぶ半日コース」を受講して  横山博之(横山皮膚科)

 昨年6月で皮膚科を開業し20年経ちました。勤務医時代に行って以来、救命処置の経験はありません。その間も技術の進歩、AEDの出現など気になっていました。再三受講のお誘いを頂いていたのですが、持病の腰痛のため、ためらっていました。昨年来痛みが軽減してきたので、今回受講することにしました。
 当日は各グループに分かれ、私のグループは私と吉田病院の看護師さん2名、インストラクターは魚沼病院の看護師さんでした。
 初めに佐伯牧彦先生のコース概要説明、ガイドラインG2010の重要なポイントを解りやすく講義されました。
 次に救急隊の方が救命蘇生法の手順を具体的に解説され、実技のデモンストレーションを行いました。その後各グループ毎にインストラクターの説明を受けながら、BLSアルゴリズムに従って実技の演習です。反応を見、応援を呼び緊急通報、AEDを依頼。呼吸の確認後、速やかにCPR開始。100/分の速さで圧迫し、毎回胸郭が完全に戻るように行う。30回胸骨を圧迫後、2回の人工呼吸を行う。その一連動作を反復する。胸骨圧迫を戻す際につい肘が曲がってしまい、佐伯先生から肘はまっすぐ伸ばし、体全体で行うと良いとアドバイスされました。確かにその方が圧迫もうまくいき体も疲れません。
 人工呼吸もフェイスシールド、フェイスマスク、バックバルブマスクを用いた方法で行いました。胸郭の動きに注意し低換気、過換気ともに注意が必要で、500cc換気が目処だそうです。
 AEDの使用では電極の左右に注意する、両電極を結んだライン上に心臓が来るようにする、AEDでショックを与える際は人が接触していないように安全を確認してから行う、ショック後は速やかにCPRを再会する。その間電極は外さないことが重要との事でした。
 インストラクターの分かりやすい説明を受けながら、実技演習を反復しました。結構疲れを感じた頃に休憩があり、その後各人に合わせたシナリオに基づいて救命処置を練習。私の場合は医院で患者さんが倒れたというシナリオでした。実際にはどうなるか分かりませんが慌てず冷静に、かつ迅速にですね。
 次いで乳児、成人の窒息解除の実技指導を受けました。乳児の方法は知らなかったので大変勉強になりました。
 最後にJPTEC(病院前外傷救護プログラム)の解説とデモンストレーションです。救急措置の手順と連携を分かりやすく教えていただきました。救急隊の皆様の無駄のない迅速な行動と想像以上の装備に心動かされました。頼もしいですね。
 演習終了後、受講証とフェイスシールドを頂き半日コースは終了しました。
 座学だけではなく体を使った実技演習、重要なポイントを分かりやすく指導していただきとても充実した3時間でした。
 休日にも関わらず講習会を開催し、熱心に指導していただいたスタッフの皆様に感謝し、お礼を申し上げます。

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「救命処置を学ぶ半日コース」を受講して 加藤英雄(加藤クリニック)

 この度、長岡市医師会から救命処置を学ぶ半日コースに出席を要請され、参加させて頂きました。これまで、何度も参加の要請が医師会事務局からありましたが、都合が悪いこともあり断って参りましたが(参加したくない?)、今年は、断る理由もなく3月6日、長岡赤十字看護専門学校に行って来ました。大学医局在籍中、バイトで麻酔をかける事が度々あり気管挿管は自信がありましたが、心肺蘇生は患者が急変しない限りあまりしない行為なので自信がありませんでした。最近は、医師国家試験でも、救急は必須項目ですので、知らないということは若いドクターより知識がないことになります。
 講習会は、佐伯牧彦先生の講義から始まりました。“コースの概要説明”と“ガイドラインG2010の重要なポイント”の詳細な説明、その後、長岡市消防署救急救命士さんから“心肺蘇生”の具体的な手順を説明していただき、それから3人グループに分かれて実技の練習を行いました。
 長岡市消防署の諸橋さんの指導のもと、一次救命処置アルゴリズムに沿った実技指導をさせて頂きました。救命者間の連携の取り方、心臓マッサージ、人工呼吸の正しい仕方、あるいは、AEDの正しい装着の仕方、使い方を勉強させて頂きました。重要なポイントは、胸骨圧迫は、強く、速く、絶え間なく。5cm以上の深さで圧迫。1回毎の胸郭の戻りを得る。1分間に100回以上の速さ(実施してみて速さがわかりました)。中断は最小限に。過換気を避ける。とのことで大変勉強になりました。
 今後、飛行機搭乗の際、医療従事者は届け出が義務づけられるようで、この様な基本的な救命処置が出来ないと恥ずかしい思いをすることになりかねません。今回の講習で、以前に比して少し自信を持てたのではないかと感じました。
 最後に、貴重な休日に今回の講習会を運営してくれた長岡市医師会、長岡市消防署、長岡赤十字病院の職員の方々に、厚く御礼申し上げます。

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救命処置のことなど 伊藤英子(長岡療育園)

 今年3月6日は、快晴の日曜日でした。私は、朝早く起きて、長岡赤十字看護専門学校に向かいました。
 長岡市医師会開催の「BLS半日コース」を、午前中三時間、受講しました。私のレベルに丁度よく、受けさせて頂いた事、感謝いたします。
 各講師の先生、医師会担当の方々、講堂を開放してくださった「日赤」の皆様に御礼申し上げます。
 平成16年8月8日、私は初めてACLSの講習を受けました。一日コース、同じ会場でした。それから10年以上経過いたしました。それまで、BLSを行いませんでした。その様な現場に遭遇しませんでした。それで、繰り返し講習を受ける必要を感じておりました。
 詳しい事は覚えておりませんが、AEDを職員が扱った現場に居た事が、たった一度ありました。介護職員に呼ばれて、急いで棟続きの老人ホーム居室に行きました。70歳位の女性に、AED電極を付けましたが、「ショックの適応でありません」でした。CPR再開。救急外来へ搬送された様でした。ショートステイの方だったのでしょうか、症状、病名等覚えておりませんが、数日後職員が「元気になられた」と申されました。今から10年位前の出来事でした。
 私の勤務先が障害者療養介護施設と云う、特殊な病院であるせいか、20年勤めておりますが、AEDを持って走った経験はありません。今回の講習で、特に印象強かったのは、窒息の解除(成人・乳児)と、JPTECの説明とデモでした。看護専門学校の舞台で、ノンフィクションの映画を観ている様でした。感動しました。
 平成16年10月23日の中越地震から12年経ちました。2年前のネットに「2004年、新潟中越地震から10年 被災地は復興し、救出されたあの子は大きく育った。」と云う、記事を発見しました。
 「今年、中学生になった皆川優太君は身長170cmに成長。柔道部に入り新潟県魚沼市大会、学年別では優勝した。」(柔道の写真、出典、www.sankei.com)
 新潟県内の死亡者数、68重傷者数632、……崖崩れ442……
 長岡市妙見町の土砂崩れで、この道を通行中の親子3人が車ごと生き埋めとなり、約92時間後、奇跡的に救出された……。当時救出のニュースを、TVにかじりついて観ていた事を想い出します。救急隊員に抱き抱えられた、当時2歳の皆川さん、4月から高校生になられるのでしょうか「自分だけでなく、相手のことも考えられる人になりたい」と語ったそうです。
 埋没していた乗用車から救出された現場にいた犬は、警視庁所有の警察犬で、名前はレスター号。ジャーマンシェパードの雄であったとの事。

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蛍の瓦版〜21   理事 児玉伸子(こしじ医院)

長岡市薬剤師会
 先月号で御紹介しました長岡市薬剤師会とともに、長岡歯科医師会も今年度からフェニックスネットへの参加を予定しています。長岡歯科医師会と医師会の交流は、会長レベルだけではなく、相互の理事が全員参加する懇談会も毎年一回開催されています。
 平成26年12月の統計では、全国の歯科医師は約10万4千人で、22%が女性です。なお同時期の医師数は31万1千余人で、女性は20%でした。歯科医師の勤務状況は、診療所での従事が85%と最も多く、その内の67%(歯科医師全体の58%)が診療所の開設者です。病院の勤務者は歯科医師全体の12%に過ぎず、病院勤務者が診療所勤務者の2倍近くいる医師の勤務状況とはかなり異なります。
 現在の長岡歯科医師会の会員数は141名で、診療所数は115か所です。会員の所在範囲と長岡市の行政区が若干異なるため、平成10年より長岡市歯科医師会から市の文字を省き、長岡歯科医師会と名称を変更されています。
 歯科医師会も医師会と同様に、郡市・県・全国の三層構造となっています。長岡歯科医師会の加入率は92%あり、市医師会の79%に比べると高く、全国規模で比べても日本歯科医師会は65%と、医師会の55%に比べると高率です。これらの加入率をみる場合には、医師では都市部の病院勤務者の加入率がかなり低いことや、歯科医師の勤務状況を考慮する必要があると思われます。
 新潟県歯科医師会では、在宅の歯科医療推進のために郡市の歯科医師会単位で在宅歯科医療連携室を設置しています。連携室では、歯科医院への通院が困難な高齢者や障害者に、訪問歯科診療を紹介する等、口腔ケアの相談に応じます。県の歯科医師会内に設置された基幹連携室が、郡市歯科医師会の在宅歯科医療連携室を支援統括しています。現在は新潟県内7箇所の郡市歯科医師会に設置され、今年度はさらに4か所に開設される予定だそうです。
 この活動は、平成26年度に成立した医療介護総合推進法に基づく県からの委託事業です。在宅歯科医療連携室整備事業として、新潟県の地域医療介護総合確保基金から総額3千8百万円余の事業費が計上されています。
 長岡歯科医師会は平成26年度に在宅歯科医療連携室を設置し、活動を準備されてきました。昨年度は1年間で336件の問い合わせがあり、相談の大半は訪問歯科診療を行う歯科医に関するものでした。将来的には口腔ケアに関する研修会等も行う予定だそうです。なお会員へのアンケートでは、回答者の約半数の方が訪問歯科診療を行う意向を表明されています。
 医師会員の皆様には、先日長岡歯科医師会から在宅歯科医療連携室についてのお知らせが届いていると存じます。疑問点や要望等ありましたら、長岡歯科医師会まで御連絡下さい。

追記
 巻頭に御あいさつ文を頂戴しましたように、長岡市神田町で堀歯科医院を開業されている堀憲郎先生が、今年の3月に日本歯科医師会会長(会員数6万5千余名)に就任されました。堀先生は日本歯科医師会の理事や、中央社会保険医療協議会の委員を務められた方です。現在の新潟県歯科医師会会長も長岡市の五十嵐治先生です。今後の在宅医療において歯科との連携も重要となってゆきます。長岡出身の両会長を、長岡市医師会としても是非応援してゆきたいと存じます。

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巻末エッセイ〜端午の節句の笹団子と柏餅 郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 録画までして見るテレビ番組は多くないが、木曜夜は「プレバト!」を家人と笑って楽しんでいます。プレバトは「プレッシャーバトル」の省略とか。いろんな分野の挑戦があるが、人気上昇なのは俳句部門で、辛口赤ペン先生こと、夏井いつきのスパルタ指導です。テーマ写真から詠んだタレントの俳句を赤ペン添削と辛辣な批評で「才能あり、凡人、才能なし」のランク付けをします。梅沢富美男、藤本敏史(フジモン)、東国原英夫らが優秀で特待生扱いです。この番組をきっかけにでも、若者も含め、より大勢の人が俳句をとにかく楽しめればよいなあと思います。

 さて句会には忙中閑ありと参加しています。異業種の人との触れ合いは心のリフレッシュになります。

 中原道夫主宰「この俳句の前書は必要か微妙なところだね。新潟県人なら笹団子は端午で初夏の季語とわかる。全国的には、なまじ田○屋など駅で一年中お土産で売っているから、その知名度はあるが、季感が乏しいかもね。」

 長岡アオーレを会場の先月の句会の主宰の後評です。話題のきっかけは次の俳句で、読み込み文字の課題は円。参加者互選では最高点獲得の作品。五七五の前に前書あり。

 端午に越後では−

円熟のかたちを結ぶ笹団子  蒼穹

 作者は……わたし。

 Aさん「こどもの日、端午の節句だね。むかしはどこのウチでも笹団子つくって楽しみだったねえ。」

 Bさん「笹団子は歳時記にないですよね。端午関連は柏餅か粽です。」

 必ず季語を入れ、定型の五七五調が原則の俳句では、季語と判断できるか否かは大問題です。その折衷案が前書での注釈でした。

 Cさん(新潟日報記者さん)「でも新潟日報社の『越佐俳句歳時記』には笹だんごは夏の季語でちゃんと採用されていますよ。」……句会参加一同、感嘆のどよめき。ちなみに平成二年発行の同歳時記の笹だんごの記載。「六月五日の旧端午の節句に作るところが多い。(中略)それを笹の新葉三枚くらいで包み、藺草か菅で米俵の形になるよう巻き、茹であげる。これが新潟の笹団子である。新潟県の特産品として各地で喜ばれ、土産物としても人気が高い。」

 うーむ、季語としての全国制覇はけっこう難問かもしれませぬ。なお季語としての使用を回避した自分の作例は次。母の日が季語で、親離れして寄りつかない元気な子の意をダブらせました。

母の日の笹ばなれよき団子かな  蒼穹

 なお粽は中国故事由来の別系統の文化で、いまは地方ごとに特色があるが、新潟では笹粽です。

 柏餅は江戸を中心に広がった文化とのこと。最近では長岡でもふつうにお目にかかるようになりました。

 つい先日、テレビの秘密のケンミンSHOWで、柏餅も関西では柏の葉でなく、サルトリイバラの葉だと知りました。柏の葉を採取する槲の木が関西以南では成育できず、香りや風味のまさるサルトリイバラの葉が代用として定着。秋に赤い実を多数つけた枝をリースに飾るあの植物ね。名前は柏餅のままとのこと。

 先週の編集委員会でK先生のお土産のお裾分けは鹿児島の「かからん団子」。十センチ径のハート型の二枚の葉に上下挟まれたよもぎ餅。調べると「かからの葉」はサルトリイバラの別名でした。応用編ですな。

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