長岡市医師会たより No.442 2017.1


もくじ

 表紙絵 「1月4日の河口湖」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「新年を迎えて」 会長 長尾政之助(長尾医院)
 「立川綜合病院移転事業」 吉井新平(立川綜合病院 理事長)
 「新春を詠む
 「医療保険と介護保険〜その2」 森下英夫(悠遊健康村病院)
 「蛍の瓦版〜その28」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「医師会旅行2016」荒井義彦(荒井医院)
 「巻末エッセイ〜初詣の御降りに」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「1月4日の河口湖」 丸岡 稔(丸岡医院)


新年を迎えて  会長 長尾政之助(長尾医院)

 あけましておめでとうございます。
 諸先生方におかれましては、健やかに新春を迎えられたこととお喜び申し上げます。
 会長を拝命しまして6か月となりました。今まで経験したことのない様な会議や相談があり、適切な対応を心がけ順応すべく努力しているところであります。
 昨年の県知事選挙では、応援していた前長岡市長、森さんが落選してしまい、がっかりというかびっくりされた会員諸氏も少なくないと思います。前知事の就任直後は中越地震がありましたが、米山新知事も就任早々鳥インフルエンザや糸魚川大火への対応で始まり御苦労は多いと思いますが、本医師会の会員でもありましたし、御活躍を期待するところであります。
 「長岡在宅フェニックスネット」は、平成28年6月に、日赤・中央・立川、三病院の救急外来にICT端末が配備され、運用がスタートし、11月には救急隊隊員への使用説明会を済ませて、市内各所の救急隊に配備されました。
 長岡市の総世帯数は10万4105ですが、65歳以上の高齢者のみの世帯が9409、高齢者単身世帯が8155あります(平成27年)。一方、長岡市消防本部よりいただいた平成26年度の救急要請の集計で、全救急要請1万120件のうち9255例が搬送され、このうち5276(52%)が65歳以上の高齢者で、その確(約4100人)が在宅で医療や介護を受けている人です。このなかで、高齢者施設からの救急要請は665(12%)件あり、658例が搬送されましたが、死亡も61例(搬送+不搬送)ありました。
 長岡在宅フェニックスネットワーク協議会では、介護支援専門員協議会の参加もいただき、これから多くの市民の登録を進めてゆこうとしています。高齢者施設入居者の登録も進みつつあります。かかりつけ医を持たず健康な高齢者も少なくありませんし、転倒や外傷をきっかけに介護認定を受けたものの、その後は定期的な通院はしていないケースもありますが、ふだん診ている患者さんを登録しておけば、急変時、救急搬送先で情報を把握することがスムーズになり、素早い適切な処置につながると期待されます。
 フェニックスネットはまだ新しく使いこなすのに今しばらく時間がかかると思いますが、改善すべき点があればご意見をいただき、より良いシステムにしてゆきたいと考えています。
 また、長岡市が広報にも力を入れ始め、新聞、市政だより、ケーブルテレビなどで目に触れたこともあったと思います。先月には医師会のお知らせとともに、参加をお願いする小冊子を配らせていただきました。さらに多くの先生のご参加をお願いします。
 11月には立川綜合病院が上条地区に新築移転しました。ここに、長岡地区の二次救急を担う基幹三病院が最新の設計思想と設備でそろうこととなりました。立川病院の先生方におかれましては、引っ越しや電子カルテ導入の苦労はあるものの、最先端の機器を使いのびのびと腕を振るうことができる環境となったことを、お祝い申し上げます。
 最後に、伝統ある長岡市医師会をさらに発展させ、地域社会に貢献する医師会となるよう努力する所存でありますので、会員の皆様のご支援よろしくお願い申し上げます。
 皆様にとりまして飛躍の酉年となりますよう祈念して新年の挨拶とさせていただきます。

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立川綜合病院移転事業   吉井新平(立川綜合病院 理事長)

 昨年11月、立川綜合病院が新築移転いたしました。その経緯についてご報告申し上げます。
 当院の移転計画は平成22年2月17日、理事長として当時の森長岡市長を最初にお訪ねした時から始まります。その際、長岡市を含む中越医療圏の今後数十年の急性期医療の需給予測から、立川綜合病院の大幅な拡充が必須で、法人としては移転を考えている旨、お伝えいたしました。
 市は長岡赤十字病院、長岡中央綜合病院の急性期二病院が郊外に移転していることから、まちなかに残ってほしいとの意向で、まずはまちなか移転を模索しました。しかし将来の需要予測を満たせる用地がなく、紆余曲折はありましたがその2年後、現在の地、長岡市街環状道路東南の角、上条高畑土地区画整理事業33.4ヘクタールの一部10ヘクタールとさせて頂くことが出来ました。
 移転事業はこれまで順調に進んできました。その最も大きな要因は自治体、地元、医療関係者始め、大変多くの方々にご理解とご支援、ご配慮を頂いたことです。県・市・地元議員の方々・医師会・関係病院・区画整理組合様はじめご尽力頂いた方々すべてに深く感謝申し上げます。
 いくつかの運にも恵まれました。地元区画整理組合とのタイミングが合ったこと、東京オリンピック開催決定前に建設計画がスタートしたこと、設計・施工業者に恵まれ、8%への消費税引き上げ前に設計ができたこと、良質で豊富な地下水脈に当たったこと、昨年の冬には数十年に一度という1日で大量の降雪があり追加対策が立てられたことなどです。また無事故無災害で2年間の工事が完了できました。
 新病院は東に奥深い里山、南に田園、西に商業施設、北に住宅地と小中学校などの文京施設が広がるため、低層で景観に配慮した構造と色彩になっており、当地の伝統的な家屋や街並み様式が随所に取り入れられております。春夏秋冬に、一日の移ろいに様々な表情を見せてくれると思います。多くの方々に親しまれ年月を重ねることにより、風景に馴染んでほしいと願っております。
 病院内にはこの土地が最近まで美田で、千年前にも人々の暮らしがあった記憶をモニュメントとして残すことで、土地を提供頂いた方々への感謝の意を表わしました。新病院は利用者様や職員からの視点を重視して設計されました。駐車場も約2000台分確保、分散していた腎センター、健診センター、保育施設などが同一施設に入りました。屋上ヘリポート設置、救急外来や手術室・集中治療室の大幅な拡充、県内初の大型ハイブリッド手術室、高性能の放射線治療装置など最新の診断・治療機器も導入しました。免震構造など災害時対応で可能なものはすべて取り入れてあります。
 外来エリアや病室の上質なアメニティ、人々の賑わいやコミュニケーションが自然と多くなる空間演出など多くの最新コンセプトも盛り込まれています。外観を見て「現代美術館」のようだとお話しされた方もおられました。内部も同様で感動的なビューポイントも多々用意されております。予想外でしたが、「国道17号東バイパスの南側から見える夜景が美しい」とのお声も頂きました。
 公共交通として越後交通様からは病院ロータリー内のバス停から長岡駅へ1日28往復を確保して頂きました。またこのことで「ほぼ病院敷地内」に調剤薬局を許可して頂くことができました。タクシープールも十分用意させて頂いております。
 なお、超長期的観点から、数十年後にも同じ敷地内で新病院が建設できるよう病院本体を用地の北西に建設し、要すればいつでも南側に移転できるよう配慮しました。このように病院本体を交互に建てかえることにより数百年後までも医療機関として地域のお役に立てればと思っております。
 昨年11月の移転以来、屋上ヘリポート、大型ハイブリッド手術室、高性能放射線治療装置の運用は順調に始まっております。移転と同時の完全IT化にも慣れつつあり、導入された最新の診断・治療機器と相まってその威力が発揮できるものと期待しております。今後はDPCII群(大学病院と同等の診療の質と密度に加え研修実績のある病院)と評価頂けるよう邁進してまいります。
 本年4月に厚生連小千谷総合病院が開院すると聞いております。魚沼医療圏は医療再編が一定のところに収斂するものと思われます。医療の高度化が進んでいる現状では二次医療圏を超えて、より広域な対応も視野に入れていく必要性を感じております。
 当院は急性期医療を中心に、今後とも長岡赤十字病院、長岡中央綜合病院と連携させて頂き、長岡市医師会の一員として地域医療に貢献させて頂く所存でございます。
 なにとぞよろしくお願い申し上げます。

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新春を詠む

卒寿まで 生きる感謝の 年迎ふ  荒井紫江(奥弘)

紅葉散り 雪の花咲く 楓かな  鳥羽嘉雄

香煙の まっすぐ上(あが)り 年迎ふ  十見定雄

二十九年元旦 年の瀬に 逝きし友より 初便り  江部達夫

急患を まづ診し後の 御慶かな  郡司哲己

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医療保険と介護保険〜その2   森下英夫(悠遊健康村病院)

 前号その1では、昭和36年の国民皆保険、昭和48年の老人医療無料化以来大きな進歩を遂げたが、徐々に国は経済的にも大変になってきた。そして平成12年に高齢者の暮らしを皆で支えることを目的とした介護保険制度が設立された。ここで看護師や介護士、リハビリストが主な役割を果たす。病院は今まで病院完結型でやって来たところが多かったが、これからは地域完結型に変わらざるを得ない。このために介護保険へのサービス移行を進めていかなくてはならないことを申し上げた。

(4)高齢者中心の介護保険では、負担が普通の人は一割だが、最近高額の収入のある人は二割と差がつきだしている。今後、高所得者は三割になる可能性がある。

(5)平成24年在宅支援診療所は県内に140か所にのぼる。在宅支援病院になる為には200床未満の病床数で、在宅医療に関わる常勤医師が3名必要となる。ちなみに医師配置の割合で言うと病院の療養病床は48:1が限度で、老健は100:1となる。病床が機能別に分化していくことで、地方の中小病院では運営の見直しと適正な医師確保に悩まされている。

(6)介護保険でも、医師の診断・治療はできるが、介護老人保険施設ではマルメ(包括払い)になり、保険上料金は別に計上できない。このため中・重症患者は病院で治療することもある。ただDPC採用病院でも内視鏡以外の検査などは入院マルメとなり、困ったことである。

(7)居宅介護サービスは通所サービス、訪問看護・介護・リハビリ・入浴、福祉用具貸与、短期入所、入所がある。この人集めに特色と魅力が必要。

(8)介護保険施設は色々なタイプがある。介護老人保険施設、特別養護老人ホーム(特養)、有料老人ホームなどあるが、その三者の垣根は低い。終の処と考えることが多い。

(9)まずは、ケアマネジャーが利用者の情報収集を行い、利用者が入院・入所または退院・退所をした場合、各サービスを提供する事業者及び施設に情報提供を行うと介護報酬にも反映される

(10)これらの他に歯科保険などもあるが福祉8法<生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法(この前有名になったやまゆり園など)、老人福祉法、母子福祉法、高齢者の医療の確保に関する法律、社会福祉法>などがあり、決して我々の生きている世界は、医療保険だけでは無いことを思い出すべきである。

(11)ある患者さん(94歳の女性)……右中下肺野以外は癌が占めている(約3/4)。声はきれいにでる。SpO2:96%、胸の痛みもない。息苦しさもない。気力も充実。老健入所中で4人部屋で苦しんだりしないので、たいした検査などはしてないが、握力も僕といい勝負、気も張っている。本人もご家族も精査、治療を望んでいない。100歳までも生きていけそう。この状態はなんなんだろう。早期発見もどれほどの意味が……

(12)民間の生命保険に入っていると、病院入院中は入院期間によって入院料がもらえるが、老健に入所しているともらえない。もっとも最近は介護特約のついた元が取れるとも思えないあやしげな保険も出てきている。

(13)患者さんのことを見た目からおじいちゃん、おばあちゃんなどと気安くよばないこと(特に女性)。それぞれに、自分史、プライドがあるので孫にでも言われるのを嫌がる人が多いのに。

(14)退院調整を主に担当しているのはMSW(メディカルソーシャルワーカー)と退院調整看護師が主。

(15)回復期リハビリ病棟では段階的引き下げはないが、脳卒中では原則150日、大腿骨頚部骨折で90日までが、回復期リハビリ病棟で入院料が請求できる。

(16)長期療養が可能な療養病床は役割分担による。療養病床の平均在院日数は168日で、精神病床は284.7日と長い。

(17)看護師は一般的看護(全身状態の観察、見守り、入浴、排泄等)に加え主治医が指示した輸液、内服薬投与、浣腸なども行う。介護福祉士は医療行為(浣腸や輸液など)はできず、一般的介護に加え夜勤、生活リハビリ、レクリエーションなどを行う。ただ入所者も体重の軽い人ばかりではなく、時間によっては人出も足りないため、仕事によっては大変な重労働になり、腰を痛めたりする。一つ言えることは、看護師そして介護福祉士、ソーシャルワーカーなどが医療でも介護でも中心になってきているということである。

(18)世間で言われているように介護福祉士の給料を上げることは絶対に必要だがそう簡単ではない。病院は資格をもつ者の集合体であり、それぞれの意見をもつ者の集まりである。病院を支える人は多数おり、医師、薬剤師、事務員、看護師、リハビリスト、検査技師、ソーシャルワーカー、ケアマネジャー等みんなが満足感をもってもらうのは難しい。

 一般の診療所でも在宅診療をやっている。いや、それどころかすべての開業医は訪問診察もやらねばならない日が、もうじきせまって来ているようだ。PT、OT、STはどちらも利用できるが、医療保険と重なった場合は介護保険が優先する。
 私自身は保険審査委員もやり医療保険にどっぷりとつかってきたもので、間違っている箇所も多分多数あり、介護保険のこともよく知らない。特別なことを書いているわけでもなく、おこがましいが、僕の無知を超える人が1人でも減ってくれれば望ましいことと考えて、あえてこの筆を執った。
 最後に、現在勤めている悠遊健康村病院について述べたい。当施設は現在の長岡赤十字病院と同じ平成9年にできたものだが、その先進性には驚くべき点がある。病院300床プラス老健施設150床の真ん中に大きなリハビリセンターを置いて、70〜80人のリハビリストが活躍している。こんな施設を小高い丘の上に作るとは、なんて初代理事長は大胆だったのだろう。平成12年介護保険制度ができたときには、今ほど存在が大きくなるとは思いもしなかった。今私は、その老健施設で職員と一つになって入所中のお年寄りに全力で向き合っている。
 稿を終えるにあたり、共に働いている悠遊健康村病院及び悠遊苑の全スタッフに感謝する。(おわり)

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蛍の瓦版〜その28 理事 児玉伸子(長岡中央綜合病院)

 高齢者の運転免許の更新

 平成29年3月12日から新たな改正道路交通法が施行されます。主な改訂点は準中型免許の新設と高齢運転者対策の推進です。
 平成10年から、70歳以上の高齢者は免許更新時に3時間程度の高齢者講習の受講が義務付けられています。さらに平成21年に改定された現行の道路交通法では、75歳以上の方には免許更新時に講習予備検査(認知機能検査)が導入されました。
 認知機能検査は、時間の見当識に関する質問や手がかり再生(近時記銘力)に関するものと時計描画から成り立っています。100点満点で、49点未満が記憶力・判断力が低くなっている者(第1分類)、76点以上は心配のないもの(第3分類)、その中間が少し低くなっている者(第2分類)の3群に判定されます。
 現行法では、予備検査で認知機能の低下が疑われても違反歴がなければ、医師の診断書なしでも免許証は更新されていました。また認知症が疑われても、3年毎の更新時まで認知機能検査を受ける必要はありませんでした。
 今回の改定では、75歳以上の方は3年ごとの免許の更新時に加え、一定の違反行為を行った場合には、随時に臨時の認知機能検査受けなければなりません。一定の違反行為とは、認知機能の低下によって起こし易い違反(信号無視・一時不停止・通行区分違反等)を示し、制限速度違反や駐車違反は適応外です。また免許更新時の認知機能検査で第1分類と判定された方全員が、違反の有無に関わらず専門医または主治医の診断書の提出が必要となります。
 平成27年には新潟県内で約5万人が講習予備検査(認知機能検査)を受験し、診断書が必要とされる第1分類と判断された方は4%(約2千人)でした。このため今後主治医である診療所でも、診断書を依頼されるケースが増えると推測されます。
 昨年10月の新潟県医師会報(県医よろずQ&A)に三島病院の森田昌宏先生が“高齢者の運転免許更新にかかる認知症診断について”詳しく解説されています。新潟県医師会のホームページからの検索も可能です。また、3月には、日本医師会から診断書記入の手引きが出される予定です。ご参照下さい。

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医師会旅行2016 荒井義彦(荒井医院)

 去る10月15日、16日にかけて恒例の医師会旅行に参加しました。参加メンバー、日程は集合写真、スケジュール表を参照してください。
 当日は雲ひとつない秋晴れ、絶好の旅行日和、この日は幸い、当院は月1回の土曜休診日のため朝寝坊できた。おかげで数日前からの風邪も快方に向かいドタキャンせずに済んだ。11時に早めに家を出た。
 当初の予定では長岡駅まで徒歩で、あわよくば医師会館まで歩こうかと一瞬脳裏をよぎったが、1バス停歩いたところで暑さのため早速断念バスに乗ってしまった。駅大手口に出て、日赤経由のバスに乗りかえ医師会館に到着、しばらく待っていると、参加の先生方が三々五々集りだした。
 目的地の福島の岳温泉をめざし2時少し前に出発となった。
 バスはおなじみの29人乗りのサロン付デラックスバスだが、参加は計10人と医師会旅行史上タイの最少参加数だ。種々の事情でキャンセルが相次いだ。
 例年同様、発車早々に後部のサロンでは酒盛りが開始された。今年はワインとシャンパン類が多かったのは洋酒党の先生の参加が多いため、星さんが気配りしたのだろう。色々お二人の先生のうん蓄を酒の肴にし、飲み始めたが、元々予備知識に乏しいためと酔いも加わり、記憶は定かではない。覚えているのは次から次に空き瓶が出たことだけ。すすめ上手の星さんが次はどの酒にしましょうと2、3本の酒瓶を出してくるが、夜の宴会用に残しとこうと、数名の先生から正にドクターストップがかかった盛況ぶりだった。
 この日の北陸道、磐越道、東北道は渋滞もなく順調に進み、余裕で数回のトイレ休憩がとれた。周りの人から見れば、ただの酔っ払いじいさんの集団がバスから降りてきただけにみえたことだろう。「やだやだ。」
 予定どおり暗くなってから無事宿に到着、琥珀色の硫黄臭の温泉に浸かった。以前は温泉の蒸気を肺一杯吸ってリフレッシュしていたが、レジオネラの感染のリスクがあることを知り、やめた。そういえば、某先生が着替えを大浴場に忘れたと言っておられたがあったのかな。
 順調に予定どおり、夜の宴会に突入したがバスの中で飲み疲れたせいか、コンパニオンが同席していた割には、皆さん紳士で静かな会だった。
 8時30分からロビーでのアトラクションの餅つき大会に参加後、二次会会場のカラオケスナックへ、各々青春の想い出の曲を数曲ずつ熱唱した。大満足し、その後のしめのラーメンを食べ部屋に戻った。
 私の402号室は、知る限りでは就寝となった。先に寝ている先生方が発する雑音と部屋の暑さもあり熟睡したとはいえないまま朝を迎えた。時計を見ると5時30分過ぎ、頭は痛くない、ラッキー、二日酔いはなさそうだ。もう寝る気になれないので、朝風呂へ行く。結構朝から混んでおり、既にお二人の先生が湯に浸かっておられた。
 そのK先生が、あーあよく寝たとのたまった。なに、昨夜は確かラーメン会まで付き合っていたのに……。平素、酒で肝臓を鍛えておられるので慣れているのか。入浴後、先生の401号室に行くと朝ビールを飲んでいたようだ。
 朝食はバイキング。会場は混んでいるが、珍しく日本語以外は聞えてこない。ホテルの朝食は好きなのだが今回は意外と食べられない。昨夜のラーメンが効いているのだ。
 旅行2日目も快晴、バスで安達太良山の紅葉見学へ向った。なんと道はマイカーで大渋滞。おかげで次のビール工場見学は中止となった。ただ、福島の山々の紅葉は、山々の形が違うためか趣を異にし絶景だった。散々苦労して来たかいがあった。その後磐越道猪苗代インターを降り、会津料理の昼食を摂り帰途に就いた。
 車中数名を除いては、皆熟睡していた。今回は大ハプニングもなく平穏な1泊2日の旅でした。
 医師会旅行については、新たな参加者が少ないように感じます。十数年前の医師会旅行で、おわら風の盆に行ったとお聞きした。個人ではなかなか行けないので、マンネリ打破するなら、たまにはこのような企画も選択肢の一つとしていただけると新たな参加者がありそうだ。
 最後に企画に御骨折りいただいた理事の先生、旅行のマネジャー兼添乗員役の医師会事務の星さんに感謝いたします。

スケジュール
【期日】 10月15日(土)午後〜10日16日(日)
【行き先】 福島県 岳温泉方面
15日 医師会館→ホテル
16日 ホテル→あだたらエクスプレス(ゴンドラ:紅葉見学)→アサヒビール福島工場(見学)→芳本茶寮(昼食:蕎麦と会津郷土料理)
※アサヒビール福島工場(見学)は、あだたらエクスプレスの紅葉見学に行く途中の道路渋滞のため中止。その代わりに猪苗代湖近くの馬刺し屋へ寄り道(お土産購入)。

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巻末エッセイ〜初詣の御降りに 郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 雪のないお正月はよいものですね。雪国長岡の冬ではないみたいでした。元日は今年も仕事始めで、朝は家人の注ぐお屠蘇の朱杯に形式程度に口を付けました。これは昨秋京都の由緒あるK神社に参拝した際に目につき、購入した『御やくしゅ』で一晩で作成したもの。自分はお土産購入したのもすっかり忘れていましたが、家人がしっかりと覚えておりました。

「お屠蘇にはどのお酒がいいのかしら?」
「おお、いま手伝うよ。この加茂の『雪椿』でいいよ。」
「以前はよくT(漢方薬有名メーカー)の屠蘇散をいただいてお屠蘇作ったわね。」
「うん、その手のサービスはほんとうに無くなったね。」
「あらこの由緒正しい屠蘇散、香りがマイルドでいかにも上品ね。」
「やはり京のものだからかね?」

 お屠蘇は無病息災と厄除のため、薬草を調合し、酒に浸して飲んだのが始まり。この「御やくしゅ」の説明にも大晦日の夜、一袋を酒約1合に浸して十分薬味を浸出させ、元旦にこれから一年間の健康と息災を祝ってお召し上がりくださいとありました。御薬酒の原材料はミカン皮、ケイヒ、サンショウ、オケラ、クローブ、ボウフウ、キキョウ。

 家人の「おせち料理風」のおかずいくつかに箸をつけ、お雑煮を食べて出勤しました。初晴れでした。

 勤務先病院の救外受付には、淑気よりもすでに数名の急患がいて、すぐに診療開始です。これが一段落してから、救外診療の他のスタッフ一同と、改めて新年の挨拶を交わしました。(そこで詠んだ俳句が今号の新春吟詠の一句です。)

 午後から自宅に戻り、家人と二人で金峯神社に初詣に出かけました。先輩のO先生から教えていただいた当地では「蔵王さま」と敬意をもって呼ばれる歴史ある神社であります。なお蔵王権現は修験道由来の神様ですが、自分たちは旅先等の参拝も神仏混淆でなんのこだわりなく、初詣はここに毎年出かけております。ちなみにご神木の樹齢八百年の大欅(崩れかけ)と七月の流鏑馬の神事が有名な神社です。

 その時間ではめずらしいほどの人出でした。参拝者がみな口々に「こんな行列めずらしいなあ。」と言い合うほどでした。参拝までおよそ三十分見込みの行列の最後尾に並びました。待つ途中で雨が降り出してあちこちで傘をさし始めました。朝は晴れ、途中は曇りで、参拝時はついに雨となりました。御降り(おさがり)です。これは元日に降る雨のこと(雪もふくむ)です。めでたい新年に天から降ってくるので、心のはなやぎもふくめての呼称です。

お降りといへる言葉も美しく  高野素十

 さらにぱらぱらと音も立て、霰まで振り出しました。玉霰などの美称もありますな。さいわいに小降りのままで参拝できて、境内の甘酒を頂戴して帰途に着きました。

 この参拝途中に目顔で挨拶を受けた親子が数組ありました。「あれ、あの子はたしか……」そんな子のひとりが、頭痛等の不定愁訴で最近外来を受診して、おそらく学校不適応の心因性の訴えの男子小学生でした。初詣というこどもの必ずしも好まない伝統行事に、父母といっしょになかよさそうに外出できている様子に、「あっ親子関係がよいからひとまず安心だなあ。」と安堵できて、心がなごんだのでした。

御降りのなかを弾める会話して  蒼穹

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