長岡市医師会たより No.444 2017.3


もくじ

 表紙絵 「タワーブリッジ」 木村清治(いまい皮膚科医院)
 「桃太郎伝説異聞」 福本一朗(長岡市小国診療所)
 「新年ボウリング大会優勝記」 高野吉行(かわさき内科クリニック)
 「新年麻雀大会優勝記」 丸山直樹(田宮病院)
 「新年囲碁大会優勝記」 大塚武司
 「第9回中越臨床研修医研究会」 
 「蛍の瓦版〜その30」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜三月のライオン 去る」郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「タワーブリッジ」 木村清治(いまい皮膚科医院)


桃太郎伝説異聞  福本一朗(長岡市小国診療所)

 江戸時代から語り継がれている「桃太郎」は、「花咲か爺さん」「舌切り雀」「さるかに合戦」「かちかち山」とともに、勧善懲悪・報恩譚・仇討ちの「日本五大おとぎ話」のひとつとして日本人なら皆が知っている昔話である。桃から生まれた桃太郎は成人して、「鬼が人々を苦しめている」ことを知り、鬼退治に行く事を決意する。お爺さんとお婆さんに作ってもらったきびだんごを、途中出会ったイヌ・サル・キジに与えて家来にし、ともに鬼が島で鬼達と戦って勝った桃太郎は、「鬼が奪った財宝」をお爺さんお婆さんの元に持ち帰って幸せにくらしましたとさ、めでたし、めでたし。
  子供の頃には、この物語は動物愛護・戦う勇気・親孝行の物語として、なんの疑問もなく受け入れていたが、中央大学法学部通信教育課程に在学中、刑法の教授から「桃太郎の罪状は何か?」と質問されて、鬼が島への「家宅侵入罪(130条)」、鬼達に対する「暴行罪(208条)」または「傷害罪(204条)」、財宝を鬼の意に反して持ち帰った「強盗罪(236条)」ないし「強盗致死傷罪(240条)」およびそれらの併合罪が成立することは明らかのように思えた。これに対して「たかが子供の童話の話に、目くじらを立てる事は無粋だろう。強い英雄に憧れる子供達は喜んでいるではないか!」という意見も首肯できるし、当の教授も「まじめに考えないで、法学者の考えを笑ってください」とおっしゃっていた。しかしスウェーデン国営放送では、子供達に悪影響を与える暴力シーンや反社会的行為をテレビなどで放映する事を禁止しており、童話も北欧産の「ムーミン」や「長靴下のピッピ」、フランス製の「アストリックス」など暴力シーンのないソフトな物語のみ、児童に与えている。そのためかスウェーデン社会において、人権はどんな場合にでも堅固に守られ、暴力や犯罪をみんなで嫌悪する国民的風潮が育てられていて、強盗や殺人事件などの強行犯はごく稀である事もまた事実である。
 そもそも桃太郎伝説は、古事記や日本書紀に登場する第7代孝霊天皇(孝安51〜孝霊76)の皇子で、山陽道を征服した「四道将軍」の一人、吉備津彦命(きびつひこのみこと)がモデルになっている。その頃、現在の岡山県総社市の鬼ノ城(きのじょう)という山城に、温羅(うら)という百済国の王子が住み着いていたが、彼は大和王権に従わず税を納めなかった。そこで孝霊天皇は吉備津彦命に命じ、三人の家来「犬飼健(いぬかいたける)」「楽々森彦(ささもりひこ)」「留玉臣(とめたまおみ)」とともに、温羅の砦を攻め立て討ち滅ぼした。しかし温羅は死後も祟りをなしたので、その悪霊を鎮めるために吉備津神社の釜の下に閉じ込めたという。
 この伝説が元となり、吉備津彦命は桃太郎、三人の家来はイヌ・サル・キジとして鬼退治の英雄になり、黍団子は岡山名物吉備団子となった。しかしタタラ製鉄技術を我が国に伝えて大和政権に貢献した温羅は、単に「脱税」したというだけで、一族とともに滅ぼされてしまった。誠に哀れというほかない。吉備の人々には半島からの帰化人も多いと言われているが、多勢に無勢、大和王権に力では抵抗できなかったのであろう。その大和政権の非情さを訴えるために、温羅の悲劇を「桃太郎伝説」として語り継いで来たのは、民衆の知恵といえるかもしれない。

 

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新年ボウリング大会優勝記〜春が来た。   高野吉行(かわさき内科クリニック)

 1月16日、恒例の新年ボウリング大会が参加者12名で行われました。ハンディキャップに助けられ念願の優勝が出来ました。
 私の長岡市医師会のボウリングとの付き合いは昭和50年頃の新年会からと覚えている。当時中央病院小児科の内山聖先生(現魚沼基幹病院院長)に誘われて大学生のころに初参加した。実に40年前である。当時の南ボウルで鳥羽先生や鈴木(宗)先生(いずれも故人)とご一緒させていただいた。ボウリング全盛の遠い昔の話である。
 その後、平成8年に開業し会合で野村権衛・一橋一郎両先生に誘われて平成9年より再度参加している。ボーリング後の懇親会を目当てに20年間珍しくほぼ皆勤しているが、プレッシャーに弱く、賞品の出る新年会は優勝できず、密かにねらっていた。これまでも何度となくハンディに助けられ優勝に近づいたが、2003年内藤万砂文先生、2004年窪田久先生、2007年吉田正弘先生さらに2014年には三上理先生にことごとく退けられ準優勝で泣いた。
 昨年2016年は根性と一緒で曲がりすぎるボールの改良を考えて、(1)回転軸を立てる、(2)2投目は縦回転でスペアを取る、などと考えドツボにはまりました。結局ハンディキャップが多くなって、やっと今回の優勝となりました。
 歴史ある優勝カップにはそうそうたる歴代の優勝者の名前がペナントに残され、今、当院受付の前で見る人を喜ばせています。

 早く雪が消えて孫と公園で遊びたいと考えているこの頃です。 春よ来い。

 

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新年麻雀大会優勝記   丸山直樹(田宮病院)

 何と、何と、優勝してしまいました。恒例の麻雀大会で勝ってしまったのです。1月21日、いつもの会場、坂之上町の雀荘トップで開催されました。
 当日、会場へ行きますと、1階の焼肉店南大門は店を閉めてしまい、寂しい雰囲気を漂わせていました。傍の階段を上がりトップの中に入ると、もう多くの先生方が集合され、賑やかな状態でした。今回は11人の参加でした。
 学生時代や一年程研修でいた秋田日赤病院時代には、毎日のように雀卓の一席を占めていたのですが、現在はこの数年間参加しているこの大会が唯一の場となっています。その唯一の場での成績はというと毎年ブービー賞に近い位置でした。
 会場で明石明夫先生からは、「いや、先生、今年はどうですか」と言葉をかけられたのですが、「これは今年も裏ドラつきで振って下さいね」という事かと、正月そうそう恨めしい気持ちで返事をしておりました。
 1回戦は組み表を見ると、その明石先生に、これも優勝経験のある小林徹先生と強い2人の先生、それと田中晋先生の3人でした。そのメンバーを見て「今年もドボンですね」と考えながら席につき開始となりました。「このメンバーでは勝つ事は難しい。マイナス点を抑えよう」と思いながら始めたのですが、少しずつ飲んでいたビールの影響が出始め、「今の配牌調子や他のメンバーの様子から強気で良いんじゃないの」と誘惑の声が耳元に現れるんです。その葛藤に揺れ動いている小生を尻目に、強い2人の先生達はあがってゆくんです。結局、1回戦は聴牌即リーチで1回勝ち、振り込みがなかった事もあり9000点ほどのプラスとなりました。
 休む間もなく2回戦となり、この卓では田中政春先生、西村義孝先生、お手伝いをしてくれていたメーカーの方、それに小生の4人でした。この卓では、静かに打ちながら何時の間にか点数を積みあげて来る2人の先生が相手でしたので、手堅く打っていたところ、上がる事もなく振り込む事もなくといった具合で結果は多少のプラスでした。この2回戦終了地点では、ブービーメーカーにならずに終わるかなという結果でした。
 3回戦に進み、メンバーも変わり新保俊光先生、本日2回目の田中晋先生、それとメーカーの方、小生で卓を囲みました。東場の親は田中先生から始まり次に新保先生、小生、メーカーの方と巡り内容も淡々と進んでゆき、小生自身も可もなく不可もなくといった状態でした。東場も終わり北場に入っても淡々と進行していました。小生の親番になり最初は、極く普通の平和であがり2回目の親での配牌となったのです。白牌2枚、字牌の南が2枚と筒子が何枚か、それに2枚の二索子といった具合でした。「まあ、七対子で早くあがろうか。親だし」と考えていたところ、あれよあれよと思う間に白牌が来て、それに筒子が次々と来て七子対どころか三暗刻か四暗刻がねらえると言った牌の様子となってきて、少しドキドキ感が感じられ始めた頃にテンパイ状態となったんです。しかし、そこには2枚の二索子があって並びの品格を少し落としている事が気になり、それと小生の後面に立って観戦しているメーカーの人間の眼も気になって強きになり2枚の索子を切って行ったところ忽ちに筒子が集まってきたんです。門前混一四暗刻の型となって待っていたところ、自力で「南」を引き完成となりました。一時、唖然とした感じとなり、周囲の先生方の声に我に帰ったといったところでした。しかも、その直後に親のハネ満をあがると言う事もあってさらに驚きました。これらの結果、それ迄トップを走っていた明石先生を追い抜き98200点の断トツで優勝となりました。聞くところでは、小生の座っていた席は、2回戦で明石先生が座って高得点を次々にあげていた勝ち運席だったようです。
 平成29年の幸先良いスタートと考29える方が良いのか、本年の運をほぼ使い切ってしまったと考えるのか、悶々と思っている状態です。
 会の終了後に小林先生や高橋先生と飲みましたが、うまかったです。来年はどうなりましょう。

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新年囲碁大会の報告   大塚武司

 長岡市医師会の恒例の新年囲碁大会が1月28日に日本料理“藤”で開催されました。ご参加の方々は斎藤良司先生、小林矩明先生、柳京三先生、斎藤古志先生、三間孝雄先生、太田裕先生、新保俊光先生、山本和男先生と大塚武司の9名でした。
 初戦の小林先生との対局は追い込まれましたが、序盤の優勢を何とか持ち堪え勝利し、2局目の斎藤良司先生との対局は厚み(勢力)が有効に働き勝つことが出来ました。決勝戦となった新保先生との対局は2石のハンデを頂いた置碁で、会心の打ちまわしで終盤まで優勢でしたが、ヨセの段階で初歩的な見損じをしてしまい10目ほどの石を取られてしまいました。盤側で観戦していた太田先生は呆れて立ち去り、他の先生方も誰もが勝負がついたとの雰囲気、何よりも私自身が負けを確信し投了を申し出たのですが、新保先生が「まだまだ形勢は不明、打ち続けましょう」と励ましてくださいましたので終局まで打ち終えたところ、何と数目ですが、地(領地)を残すことが出来勝利、優勝することが出来ました。局後の検討では、新保先生は私がヨセを失敗した段階でも劣勢を意識していたそうで、今回の優勝は新保先生の「敵に塩、情け心」の男気のお蔭と感謝しております。
 対局終了後は宴席となり、囲碁を肴に美味しいお酒を頂きましたが、世界最強棋士、李世との五番勝負に勝利した人工知能(AI)囲碁プログラム『アルファ碁』の話題で盛り上がりました。チェス、将棋に続き、遂に最後の牙城の囲碁もAIに負かされる時代が来たのかと悲嘆する意見もありましたが、斎藤古志先生の「棋士のそれぞれの棋風や人間味や生き方に、憧れや尊敬を抱いて囲碁を楽しんでいるので、『アルファ碁』の出現で囲碁の魅力や価値が下がることはない」との卓見に皆様賛同され、次回の対局を楽しみに散会しました。
 後日お会いした黒瀧八段に同じ様な質問をしたところ、プロ棋士の世では当然の流れと受け止め、AIの打った手を研究し既に対局で実践、またAI自体がまだ自身の布石や作戦の意図や棋譜の解説をしませんので、一般の愛好者に解読、説明する仕事も生まれたと前向きに捉えているとの事でした。数年後には自宅のパソコンでAIに指導碁を教わる日も来るのかと思いました。只、この進歩の速さですと、もしかするとそのころには次の様な局後の講評を頂くかもしれません。心配です。
 「あなたの碁は一貫性がなく打ち手もバラバラで落ち着きがありません。思い込みや軽率な手などミスが多すぎます。まずは日頃の生活態度から見詰め直しましょう。次回もこの傾向が続くようでしたらADHDかMCIの疑いもありますので医療機関の受診をお勧めします。」

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第9回中越臨床研修医研究会 (2017.2.2 於 医師会館大ホール)

「不明熱を呈し、診断に難渋した腹膜透析患者の一例」 春谷千智(長岡中央綜合病院)

【症例】85歳、男性
【主訴】発熱、呼吸苦
【既往歴】高血圧症、脂質異常症、気管支喘息、口唇ヘルペス、好酸球性腹膜炎
【現病歴】X−3年に慢性腎不全の診断となり、同年よりCAPD導入し通院にて継続していた。X−1年の10月頃から39度の弛緩熱が持続し、レボフロキサシン(LVFX)内服にて速やかに解熱した。以降も同様に弛緩熱が間欠的に出現し、その都度抗菌薬や、NSAIDsによる対症療法を行ってきた。X年4月より発熱、咳嗽が続き、急性気管支肺炎疑いにて当科入院した。
【家族歴】特記事項無し。
【入院後経過】血液生化学検査では炎症反応の亢進、可溶性IL-2受容体の増加を認めた。膿尿を認めたが、尿培養では細菌は検出されなかった。CTで左鎖骨下リンパ節、傍大動脈〜右腸骨動脈領域リンパ節の腫大を認めた。入院同日よりセフトリアキソン静注を開始したが症状改善を認めず、LVFX内服に変更し症状改善し退院した。3か月後のX年8月、再び発熱を主訴に再入院となった。
【再入院後経過】これまでと同様に膿尿が認められたが尿中細菌が陰性であった点、LVFX内服後リンパ節腫脹が消退した点から、抗酸菌感染を疑った。尿検査で結核菌が陽性だったため、尿路結核の診断となった。抗結核薬の三剤併用療法を開始し、症状軽快し炎症所見の改善を認めた。
【考察】透析患者は結核合併の高リスク群であり、本邦では透析患者の2〜5%に結核症が発症すると報告されている。その中でも、胸部レントゲンで肺病変を認めない肺外結核は全体の1/3から半数程度と報告され、尿路結核も例外ではない。肺外結核の場合、一般的な結核に特異的な所見・症状に乏しく診断確定まで時間を要することが多いと報告されている。結核患者が可溶性IL-2受容体高値を示す症例の報告もあり、悪性リンパ腫との鑑別が必要となる。本症例のような透析患者においての、不明熱、リンパ節腫大、無菌性膿尿、腹膜透析廃液の培養陰性、CRPの持続陽性などは結核感染症を積極的に鑑別に挙げる必要性がある。LVFXは2015年の8月に結核治療薬として認可を受けた。このような結核に対して適応のある抗菌薬が事前に投与されると、結核感染の診断に影響が生じる。
【結語】腹膜透析患者に発症した不明熱に対し、事前に投与されたLVFXにより症状・所見が軽快したため、尿路結核の診断に難渋した1例を経験した。

「非定型的な皮疹を呈した後、頭痛を訴え、診断に苦慮したライム病の一例」 酒井瑛平(長岡中央綜合病院)

【現病歴】症例は68歳男性。主訴は全身倦怠感、発熱、皮疹。山菜採りのために新潟県中越地区の山中にたびたび立ち入っていた。X年4月下旬から38度台の発熱、全身倦怠感が出現し、全身に皮疹が出現した。近医受診しツツガムシ病疑いで当院救急外来を紹介受診、同日内科に入院した。発熱、皮疹、紅斑を認めたが掻痒感は認めなかった。皮疹は左下腿に紫色調のさし口様の皮疹を1つ認め、全身には1〜2cm大の浮腫性紅斑が散見された。血液検査では白血球の増多とCRPの上昇、尿タンパクを認めた。CT上肝脾腫などは認めず、心電図上も異常は認められなかった。
【入院後経過】当初ツツガムシ病を疑いミノマイシン200mg点滴で治療を開始した。紅斑・発熱は軽快したが、第3病日より頭痛が出現し、CRPも上昇した。日本紅斑熱も疑い第9病日からレボフロキサシン500mgを追加したところ頭痛は軽減した。第10病日にツツガムシ抗体陰性、日本紅斑熱陰性、リケッチア陽性であることが判明した。CRP低下、頭痛軽減を確認し第15病日に退院した。退院後の第19病日に国立感染症研究所よりライム病IgM抗体陽性が判明しライム病と診断した。第24病日からアモキシシリン1500mgに変更した。アモキシシリン開始の翌日より激しい頭痛と皮疹が出現した。第26病日に当院神経内科を受診し、髄液の細胞増多は認めず、Jarisch-Herxheimer反応であると考えた。アモキシシリンを中止し、神経Borrelia症の第1選択薬であるセフトリアキソン2g点滴に変更した。その後頭痛は速やかに軽快し、第39病日にライム病IgMプラスIgGプラスマイナスと判明した。
【考察】ライム病ボレリア症は、スピロヘータ属のBorrelia種に感染したマダニがヒトを刺すことによって媒介される、複雑な多臓器疾患である。ダニは植物に付着しており、ヒトへの伝播はハイキングや山林での作業で生じる。日本では1999年〜2010年までに計124例報告されている。Jarisch-Herxheimer反応はスピロヘータに効果的な抗菌薬治療の際に見られる、症状が一過性に悪化する現象のことである。低血圧や悪寒戦慄、頭痛および皮疹などをきたす。この反応は一時的であるためステロイド薬や他の抗炎症療法は必要ないとされる。ライム病でもこの反応が起きることが報告されている。

「当初感染源が不明だった高齢認知症患者の敗血症の一例」 酒井愛(長岡赤十字病院)

【症例】81歳 男性
【主訴】呂律不良、異常行動
【既往歴】X−17年慢性硬膜下血腫、X−6年脳梗塞
【生活歴】海外渡航歴なし、動物への接触なし、食生活に特記すべき特徴なし。
【現病歴】X年より物取られ妄想や物忘れが進行。近医にてアルツハイマー型認知症と診断されドネペジル塩酸塩の内服が開始された。X年10月4日家族に呂律不良を気づかれた。ガスの電源が入っていないのにお湯が出ないと言って外に出るなど、不可解な言動がみられたため受診した。
 〈身体所見〉体温39.9℃、血圧114/60mmHg、脈拍120/分整、頚部リンパ節・扁桃腺腫脹なし、心肺聴診所見に異常なし.腹部所見に異常なし
 〈神経学的所見〉意識:見当識障害あり
 高次脳機能:失語なし
 髄膜刺激症状:項部硬直なし、Kernigsign(−)
 脳神経:軽度の構音障害を認めるのみ
 運動系:四肢に麻痺を認めず、協調運動障害なし、腱反射正常、病的反射(−)
 感覚系:異常なし
 自律神経:異常なし
【血液検査】WBC79.9×102/μL, PCT(+), CRP4.98mg/dL, FDP10.4μg/mL, D-dimer8.0μg/mL
【頭部CT】脳実質に軽度脳萎縮を認めるのみで、そのほか明らかな病変を認めず
【頭部MRI】新規梗塞巣を認めず
【鑑別疾患】(1)アルツハイマー型認知症、(2)認知症に伴う熱せん妄、(3)髄膜脳炎が考えられた。このうち、髄膜脳炎は神経学的所見より否定的であると考えた。本症例では発熱があり、見当識障害だけでなく行動異常も認めたことから、認知症に伴う熱せん妄を第一に考えた。救急科の先生に入院を依頼したところ、髄液検査所見をするようアドバイスをいただいた。
【髄液検査】細胞数421/μL(多核球優位)、蛋白81mg/dLと、細菌性髄膜炎を疑う所見であった。
【入院後経過】WBC、CRPの上がり方も顕著でなく、項部硬直も認めず、細菌性髄膜炎としては典型的といえない所見であり、異常行動も認めることからウイルス性の髄膜脳炎も疑い、MEPMとACV、デキサメタゾンの同時投与を開始した。その後、PCRの結果、髄液中のヘルペス・帯状疱疹ウイルスは陰性であり、培養の結果、髄液・血液ともにListeria monocytogenesが検出され、リステリア髄膜炎の診断となった。このため第3病日から、抗菌薬をMEPMからABPCに変更した。その後、発熱・意識障害・ミオクローヌスといった症状の改善を認めるとともに、CRP・髄液細胞数・蛋白の値も改善していった。
【結語】発熱で来院したアルツハイマー型認知症患者の一例を経験した。髄膜刺激症状を認めなかったが、髄液検査からリステリア髄膜脳炎と診断した。認知症患者の発熱には様々な疾患の可能性が考えられ、髄膜脳炎も鑑別となる。

※「WBC79.9×102/μL」の「2」は、上付きの数字です。

「救急外来で経験した脳梗塞のピットフォール」 小牟田佑樹(長岡赤十字病院)

【症例】67歳 男性
【主訴】嘔気、冷汗、呂律不良
【現病歴】X年春、公民館の集会中に突然大量の脂汗と嘔気が出現し、意識朦朧でいるのを発見され、救急要請された。その際、明らかに呂律不良があったとのこと。
【既往歴・服薬歴】特記事項なし
【生活歴】喫煙40本/日(20〜57歳)、日本酒2〜3合/日
【身体所見】意識清明でバイタルは安定(血圧123/72mmHg)、心音や呼吸音は正常、末梢冷感と冷汗あり。神経学的には、左半側空間無視と構音障害、左上肢の軽度麻痺を認めた。その他、異常所見なし。
【血液検査】CRP0.76mg/dL、WBC11190/μL、CK387U/L、CK-MB34U/L、FDP9.5μg/mL、D-dimer19.2μg/mL
【画像所見】心電図でST変化なし。頭部CTで出血性病変なし。頭部MRIにて右中大脳動脈(MCA)領域皮質に複数の点状高信号あり。MRAにて右MCAは末梢まで描出。胸部X線で上縦隔拡大あり。
【経過】その後の診察で冷汗、左上肢の軽度麻痺、左半側空間無視、構音障害は消失。一過性脳虚血発作(TIA)疑いとして神経内科にコンサルト、引き継ぎ。TIAに準じて抗血小板薬開始。しかし、臨床経過が非典型的であり、TroponinIが追加検査され65.2pg/mLとやや高値で急性冠症候群も疑われた。翌朝、右86/58mmHg、左135/74mmHgと上肢血圧左右差あり。造影CTにて、右腕頭/左内頸/左鎖骨下動脈に解離腔、大動脈弓前壁にエントリー、心嚢に血腫あり、急性胸部大動脈解離(AAD)、Stanford A、偽腔開存型の診断。同日、心臓血管外科により緊急手術施行、第17病日に退院。
【まとめ】AADによる脳梗塞は、右脳の虚血症状が70%と多く、胸痛や背部痛を呈さないことも多い(10〜55%)。また、純粋な脳梗塞に比して血圧が有意に低く(特に右上肢)、D-dimer値や胸部X線でも有意差がみられるとの報告がある。【結語】右脳虚血症状を呈するTIAの原因にAADがあることを学んだ。心筋虚血(冷汗、嘔吐、心筋マーカー上昇)、血圧の比較的低値、D-dimer上昇や上縦隔拡大を認める脳梗塞では、胸部症状がなくてもAADを積極的に疑い、両上肢の血圧測定、四肢の脈拍触知、心臓/頸部超音波、造影CTを検討すべきである。

「Platypnea-Orthodeoxia Syndrome の一例」 鈴木尚真(立川綜合病院)

【症例】70歳代の女性。主訴は呼吸困難。既往歴は70歳代より高血圧、73歳時に腰椎圧迫骨折、骨粗鬆症、74歳時に脳膿瘍。現病歴は、20XX年9月、労作時呼吸困難で近医を受診し、その際SpO2がroom airで89%と低値であり、当院循環器内科外来に紹介受診。肺機能検査、心エコー・下肢静脈エコー、胸部CTで異常所見なく、原因精査・加療目的に当科入院。入院時身体所見は、身長153cm、体重59kg、体温36.7℃、血圧140/80、脈拍95整。SpO2はroom airで90%。意識清明、視診、聴診等異常所見なし。血液検査は、血算、凝固系は異常なし。動脈ガス分析ではI型呼吸不全を示す所見。12誘導心電図では心拍数77/分整、洞調律、左軸偏位と電気的反時計回転。心臓カテーテル検査、肺換気−血流シンチグラフィでは明らかな異常所見なし。しかし精査の中で安静時には呼吸困難やSpO2の低下は非常に軽度だが、体動で呼吸困難とSpO2の低下を認め、体位によって変動する右左シャント疾患を疑った。まず、臥位・坐位それぞれの酸素化を比較した。臥位の状態ではSpO2の低下はなかったが、臥位から自力で坐位になり1分程度するとSpO2が80%台後半の低酸素血症を認めた。また、坐位から再び臥位に戻ると速やかにSpO2は回復した(図1)。
 経胸壁心エコー図検査によるマイクロバブルテストでは、臥位では正常の7拍でバブルが出現する一方で、坐位で施行すると2、3拍で出現し、体位変換でおこる右左シャントの存在が認められた。経食道心エコーや右房造影検査を臥位と坐位で施行すると、臥位で認められなかった右房から左房へのシャントが坐位で認められた。以上からASDによる心内右左シャントの診断に至った。翌年1月に外科的閉鎖を当院心臓血管外科にて施行。症状は改善し、6分間歩行でSpO2の低下はなかった。【考察】POSの定義は、臥位では生じず坐位や立位で生じる呼吸困難と低酸素血症である。本邦での報告は稀で、原因は不明だが、本症例の場合、潜在的にASDがあり、腰椎圧迫骨折や加齢による大動脈過延長によって縦隔内の構造変化が起こり、心房中隔へ下大静脈からの血流が直接向かい、心内右−左シャントを起こしたと考えられる。また既往の脳膿瘍は右−左シャントによるものと考えられる。
【結語】POSの一例を経験した。一般に心不全では臥位から座位になることで呼吸機能が改善するが、本疾患では逆の現象が観察されるところがユニークである。高齢で、体位で変化する呼吸困難と低酸素血症を認めたら本疾患を鑑別の1つに挙げることが必要である。

※「SpO2」の「2」は、下付の数字です。

「多発する気管・気管支病変を伴い、肺胞出血を呈した好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(EGPA)の一例」 杉田萌乃(長岡中央綜合病院)

【症例】70歳 男性
【主訴】下肢のしびれ、体重減少
【既往歴】68歳気管支喘息、70歳慢性副鼻腔炎
【生活歴】喫煙歴:10本×4年(24歳まで)、アレルギー:なし
【現病歴】X年春頃より下肢のしびれ、頭重感などを認め、7月に肉眼的血尿を認め当院泌尿器科受診。膀胱鏡、尿管鏡検査が行われたが異常は認めなかった。8月頃より体重減少、食欲低下などが出現し近医を受診。内服治療を受けたが改善しなかった。X年10月2日に泌尿器科を定期受診した際、炎症反応高値、CTにて右肺にすりガラス影を認め当科紹介、精査加療を目的に入院した。
【身体所見】身長155.0cm 体重48.0kg 体温38.9℃ 血圧149/80mmHg 脈拍107/分 SpO2 95%(room) 意識清明 結膜:貧血(−)、黄疸(−) 胸腹部:異常なし 四肢:左第5指、手掌尺側1/3、左右足底にしびれあり 皮膚:紫斑(−)
【検査結果】経過よりEGPAを疑い各種検査をすすめた。
 〈血液検査〉好中球優位(50%)の白血球の上昇とCRP、IgE、IgG、IgG4の上昇を認めた。リウマトイド因子、MPO-ANCAが陽性であった。
 〈尿検査〉尿蛋白0.54g/day、24h-Ccr83.9mL/min
 〈神経伝達度検査〉左脛骨神経でCMAPの低下を認めた。
 〈胸部X線、CT〉右中肺野の末梢優位に境界不整な浸潤影を認めCTでは右上葉優位に非区域性に広がるすりガラス影を呈した。
 〈気管支鏡検査〉気管粘膜に左右区域気管支レベルまで広い範囲で全周性に、多発性の白色扁平隆起病変(白苔)が散在していた。気管支粘膜生検では著明な好酸球浸潤を伴う気道炎症を認めたが肉芽腫や血管炎は認めなかった。
 〈気管支肺胞洗浄〉総細胞数と好酸球分画の増加を認めた。外観は血性で、鉄染色でヘモジデリン貪食マクロファージを認め、肺胞出血と考えられた。
 〈経気管支肺生検〉好酸球浸潤はわずかで肉芽腫や血管炎は認めなかった。追加で免疫染色を行ったところ、IgG4/IgG陽性細胞比98%と、IgG4陽性細胞の浸潤を認めた。
【経過】以上よりEGPAと診断し、10月7日より3日間のステロイドパルス療法を行ったのち、PSL1mg/Kgの内服(50mg)を開始し漸減した。発熱は徐々に改善したが、しびれは軽減するものの残存した。好酸球、白血球はパルス後より著明に改善、IgE、MPO-ANCAも減少した。X線では浸潤影は消失し、第42病日に気管支鏡検査を行ったところ病変の著名な改善を認めた。
【考察】EGPAの診断基準は、(1)主要臨床所見と、(2)臨床経過、(3)主要組織所見の3つの項目からなる。本症例では気管支喘息、好酸球増加、血管炎症状(発熱、多発単神経炎、体重減少)を認め(1)を満たし、血管炎症状より喘息が先行したことより(2)を満たしたことよりEGPAの診断に至った。EGPA患者において血清IgG4濃度が上昇することが報告されており、本例でも高IgG4血症・IgG4陽性形質細胞の浸潤を認め、IgG4がEGPAの発病に関与している可能性があると考えられた。EGPAでは気管気管支粘膜病変や肺胞出血をきたすことは稀とされている。報告などでは、本症例のように著明な好酸球浸潤を伴う気道炎症を認めることがあり、EGPAを支持する所見の一つである可能性が考えられた。本症例は経過や症状からEGPAが疑われ、検査結果もそれに矛盾しないものであったが、気管支鏡検査で多彩な肺病変を呈したこと、高IgG4血症・IgG4陽性細胞浸潤を認めたこと、気管気管支粘膜病変や肺胞出血を来たした点で非常に稀であり貴重な1例だったと考える。

※「SpO2」の「2」及び「IgG4」の「4」は、下付の数字です。

「門脈血栓を合併し急激な転機をたどった原発性胆汁性肝硬変の一剖検例」 石井夏樹(立川綜合病院)

【症例】76歳、女性。入院X−5年、健診異常からScheuer III期の原発性胆汁性胆管炎(PBC)を認め、ウルソデオキシコール酸(UCDA)300mg/日とベザフィブラート400mg/日の内服治療を開始した。自覚症状を認めず、胆道系酵素は正常で経過していた。入院X年4月、ALP488U/lに増加し、UCDA400mg/日に増量した。X年11月に腹水の貯留とT-bil2.5mg/dlを認め入院した。入院4日目のCTでは、入院1年前に施行されたCTにはなかった、多量の腹水、著明な肝萎縮、門脈血栓を認めた。PBCの増悪と考えUCDA900mg/日に増量、門脈血栓に抗凝固療法、腹水の貯留に利尿薬とアルブミンを投与した。入院19日目のCTでは門脈血栓の改善を認めたが、腹水の改善は乏しかった。腹水濾過再静注法(CART)も入院中3回施行したが、施行後数日以内で同量の腹水が貯留した。また、入院後から呼吸状態の悪化を認め、ARDSの診断でステロイドパルス療法やプレドニンの内服を行った。呼吸状態は一時的な改善を認めたが、徐々に増悪し、入院43日目に死亡した。病理解剖を施行したところ、6500mlの腹水を認め、肝は440gと著明に萎縮していた。肝の割面には多数の小結節が認められ、門脈には本幹から右枝に5cmの器質化血栓を認めた。組織はわずかな肝線維症の進行のみでScheuerV期と変わらず、肝硬変ではなかった。本例の腹水や肝萎縮の原因はPBCの進行というよりも門脈血栓による影響が大きいと考えられた。
【考察】PBCは中年以降の女性に好発する慢性進行性の胆汁うっ滞性肝疾患である。肝細胞の破壊と線維化を生じ、最終的には肝硬変から肝不全に至る。しかし、無症候性で経過した場合は長期の予後も良いとされている。門脈血栓は非肝硬変患者の門脈圧亢進症の5−10%を占める疾患で、静脈瘤からの出血、腹痛、腹水、食欲低下、倦怠感などの症状を示す。また、症状は無症候性から致命的な吐血まで程度は様々である。本例は抗凝固療法により、画像上門脈血栓が改善したが、剖検により器質化血栓を認めており、血栓は入院中、常に存在していたと考えられる。また、門脈血栓により、門脈圧の亢進と肝血流が減少した結果、大量の腹水と肝の著明な萎縮を生じたと考えられる。門脈血栓により著明な肝萎縮と大量腹水を認め不良な予後をたどった報告が散見されており、肝疾患を持つ患者が急激な状態悪化を呈した際には門脈血栓も疑う必要があると考える。
【結語】急激な転機をたどったPBCに合併した門脈血栓の1例を経験した。PBCで肝不全症状が急激に出現した際には門脈血栓も疑う必要がある。

「柿胃石の一例」 長谷川宝史(立川綜合病院)

【症例】71歳、男性。X年8月に人間ドックでの上部消化管内視鏡で胃内隆起性病変を指摘され、当科外来を受診した。内視鏡で黒色の胃石を認め、治療目的に入院した。入院後、EDチューブを留置し、コカコーラ・ゼロ1日2000ml(200ml/h)3日間投与するコーラ溶解療法を行った。コーラ投与後の胃石はやや偏平に変形しており、スネア鉗子で3分割のうえバスケット鉗子で破片をすべて回収した。嗜好について確認すると年間を通じて1日3−4個の柿を摂取していることから、柿胃石と考えられた。
【考察】胃石とは食物中の成分が化学的な変化により結晶化したものであり、柿胃石のほか、精神科疾患などで、毛髪を異食する癖のある患者に起きる毛髪胃石がある。柿胃石の原因はシブオールという成分のひとつが胃内で胃酸と反応して重合することによる。柿胃石の形成を促進する因子としては柿を食べる習慣、胃内の過酸状態、胃内の排泄遅延などが挙げられており、本例の年間を通じて柿を食べる習慣や糖尿病の既往による消化管運動の低下が胃石の形成の誘因となった可能性がある。胃石の治療としては内視鏡的に各種鉗子やスネアを用いる機械的破砕やコーラなど薬剤による溶解が行われる。破砕した破片により腸閉塞をきたした例もあり、回収時には取りこぼしのない操作が必要とされる。コーラの作用機序としては(1)pH2.6と胃液に近い酸性により胃石の溶解が起こる、(2)炭酸ガスの気泡が胃石表面の凹凸部分へ浸透し、繊維質の結合の切断に関与している、(3)コーラに含まれる炭酸、リン酸その他未知の成分が関与している、などが考えられており、苦痛が少なくまず試みてよい治療と考えられる。
【結語】無症状の柿胃石に対して、コーラ溶解療法を施行した一例を経験した。胃潰瘍の合併や腸管への嵌頓による胃石性のイレウスの合併が報告され、胃内に存在する場合は内科的治療が第一選択となりうる。

「CTRX による胆石性胆管炎・膵炎を発症した血液透析患者の一例」 松下仁美(長岡赤十字病院)

【症例】82歳、女性
【現病歴】慢性糸球体腎炎に対し血液透析導入・人工血管内シャント作成の目的で腎臓内科に入院した。入院当日夜間に発熱があり、CTで肺炎を認めたことから入院翌日よりセフトリアキソン(以下CTRX)投与を10日間行った。入院11日目、血液透析中に右季肋部〜心窩部痛を訴えた。血液検査で肝・胆道系酵素と膵酵素の上昇を認め、造影CTで胆嚢内に高吸収の胆泥貯留と肝内胆管拡張・膵腫大と膵周囲脂肪織濃度上昇を認めたことから胆管炎・膵炎と診断された。緊急ERCPでVater乳頭は腫大し、黄白色の結晶が付着していた。EST(乳頭括約筋切開術)を施行し、経鼻胆管ドレナージチューブを留置した。入院時のCTでは胆泥は認めず、短期間の経過で胆泥が形成されたことからCTRX投与が原因と考えられた。禁食とし、抗生剤をメロペネムに変更し加療を行った。その後は腹痛・炎症所見は改善傾向であり、ERCP後11日目のCTでは胆泥は減少していた。
【考察】CTRXは55%が尿中へ、45%が胆汁中へ排泄される。約90%がアルブミンと結合して存在し、腎機能障害例でも減量の必要がないとされている。CTRXはCa2+との親和性が非常に高い。胆嚢収縮性を低下させる作用もあることから胆嚢内でCaと複合体を形成しやすい。これらは高エコー・高吸収に描出され、胆泥や偽胆石と呼ばれている。多くは無症状で経過し、CTRX投与終了により数日〜数週間で自然に消失されるため気付かれない例も多い。小児での報告が多いが、成人例も散見される。危険因子として、投与方法(大量投与、長期投与、急速静注、Caを含む輸液と同一ルートで投与)や絶食、脱水、低アルブミン血症、腎疾患の合併などが挙げられており、特に体重あたりの使用量が多いほど発生頻度が増加するとされている。本例では体重が40kgと小さく、腎不全を合併していた。CTRXは透析で除去されないため、胆嚢内に蓄積されやすい状態であったと考えられる。
【結語】CTRXに伴う偽胆石は頻度は低いが、患者が腹痛を訴えた際は本疾患を念頭に置き、投与中止と速やかな精査を検討する必要がある。

※「Ca2+」の「2」及び「+」は、上付きの数字・記号です。

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蛍の瓦版〜その30 理事 児玉伸子(長岡中央綜合病院)

 新型インフルエンザ等対策特別措置法

 平成21年メキシコから世界的に流行したインフルエンザA(H1N1)2009、最終的には季節型インフルエンザと認定され終焉しました。しかし当初は高病原性の新型インフルエンザと考えられ、日本でもその対応に混乱を生じました。このため、致死率の高い新たな感染症が世界的に流行した場合を想定した供新型インフルエンザ等対策特別措置法僑が平成24年に制定されました。この法律は、新たな感染症の流行時に国や地方自治体等の行政機関や医療機関等の対応を定めたものです。
 この法律に基づき長岡保健所管内でも、平成26年以降は毎年1回の頻度で、“新型インフルエンザ等対策医療体制検討会”が開催されています。今年も2月1日に、長岡保健所および各郡市医師会や管内9病院の担当者が参加され流行時の対応について検討されました。9病院の内訳は中越地区の感染症指定医療機関である長岡赤十字病院と協力医療機関(中央・立川・三島・長岡西・悠遊健康村・見附市立・魚沼・小千谷の各病院)です。
 対策レベルA(病原性不明時、致死率1%以上を想定)では、長岡赤十字病院を中心に8か所の協力医療機関が対応されます。対策レベルBやC(致死率1%未満)では原則全ての医療機関で対応することが求められています。
 また特別措置法の28条では、流行時に一般の住民に先駆けて優先的にワクチン接種が開始される特定接種の対象者について定められています。
 特定接種の対象者は、カテゴリーIからIIIまであり、Iは感染拡大防止に資する業種として、感染症指定医療機関・保健所・救急業務や出入国業務に関わる者等です。IIでは、新型インフルエンザ対策に携わる行政職や、国民の生命や健康の維持に関わる業種として一般の医療従事者・福祉介護従事者・医薬品の製造販売業者、国民の安全に関わる業種として警察・報道・通信・法曹等が挙げられています。カテゴリーIIIは、ライフラインに関わる業種として電気・ガス・水道・運輸・郵便・金融・生活必需品の製造販売等があります。
 特定接種の対象者は、公務員や特定の医療機関以外は手挙げ方式で、現在カテゴリーIIIの登録が開始されています。一般の診療所はカテゴリーIIに該当し、現在もWebからの登録は可能で、日本医師会では登録を推奨しています。登録には新型インフルエンザ発生時のBCP(Business Continuity Plan:診療継続計画書)の作成が必要となります。新型インフルエンザが流行すると定期通院等の通常業務に罹患者への対応が加わり、さらにスタッフやその家族の罹患も想定されます。少ない医療スタッフで増加した業務をどのように行っていくかを、検討することが必要です。日本医師会等から出されている手引きを御参照下さい。

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巻末エッセイ〜三月のライオン  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 「三月のライオン」って人気のアニメやまもなく封切りの映画をご存じですか?わたしは同僚のI先生(将棋好きの女性、羽生善治ファン)から「なかなかおもしろいですよ。」とおすすめいただき、NHKアニメを正月3日、4日に11話分の再放送をまとめ見しました。原作は未完の連載マンガで、中学生でプロ棋士になった桐山零が主人公のこれまでにない将棋界のドラマ。
 この変わったタイトル「三月のライオン」をネット検索してみると英国の諺が由来でした。3月は獅子のようにやって来て、羊のように去っていく。これは3月は荒々しい気候とともに始まり、穏やかな気候で終わるということ。また将棋のプロ棋士たちにとっては、3月は年度末、つまり位置づけの決まる順位戦の結果の出る時期であります。この時期に進退の掛かった棋士はライオンのようになる、という暗喩も込められているらしいです。
 そうした3月、順位戦の最終戦に敗退した「ひふみん」こと加藤一二三九段が、この3月限りで順位戦という公式試合からの正式引退が決まりました。定年制がなく実力のみで勝負の業界で、不振な戦績からの強制引退です。ちなみに63年間の棋士人生を送り、今年で77歳です。全ての昇級の最年少記録を持つ「神武以来の天才」の異名の持ち主。
 そういえば昨秋に中学2年の藤井聡太が史上最年少の14歳2カ月でプロ棋士になり、加藤の14歳7カ月の記録を更新。中学生で将棋プロになったのは加藤、谷川浩司、羽生善治、渡辺明に次ぎ史上5人目です。かの三月のライオンの桐山零が中学生プロ5人目で先に誕生していたのでしたが……。
 最近ではネットで「ひふみん」の愛称で若い女性に人気。本人もお気に入りで喜んでいるそうです。別名「一分将棋の神様」とも呼ばれ、これを当人は敬虔なカトリックのため、神様でなく達人と呼ぶように主張もしていたようです。ちなみに教会活動、社会貢献よりバチカンから「聖シルベストロ騎士勲章」を1986年受章されています。「私は棋士ですが、このたびは騎士にもなりました。ヴァチカンに事件が起これば白馬にまたがり馳せ参じなければいけません。」と語ったそうです。
 将棋に熱中する余り、数々のマイペースな言動のエピソードで有名です。対戦相手と部屋が暑い、寒いと論争、エアコンを22度に設定、対局者が24度に上げ、これを19度まで下げ直して対局とか。異例のマイストーブ持ち込みとか。対戦中に相手の後ろに立ち盤面を覗くとか。
 対局中にも2人分の定食、おやつで板チョコ10枚、みかん1盛り、バナナ1房などの大食漢ぶりも有名。戦う知力と風邪もひかない体力を長年支えてきた秘訣でしょうか。
 将棋はとにかく「棒銀戦法」一筋。羽生善治に「ここまで一つの道に徹するのはすごい」と感嘆される。解説でも対局者の指す手に「いや、ここは棒銀ですよ」と「棒銀戦法」を強調しがちです。「優秀な戦法なんで、これで3割勝てるうちは私は棒銀を指し続ける。」(棒銀を指して負けた時に)「棒銀が弱いんじゃない、自分が弱いんです」
 18歳でA級8段、42歳で名人位獲得、62歳までA級に在位して、今回C級2組で1勝9敗の戦績でした。
 「精一杯戦った結果。心血注いできた順位戦を指せなくなるのは寂しい。」のコメントが新聞に出ました。

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