長岡市医師会たより No.446 2017.5


もくじ

 表紙絵 「パリ市街一望」 木村清治(いまい皮膚科医院)
 「かかりつけ医向け 認知症高齢者の運転免許更新に関する診断書作成の手引き をどう読むか?」 森田昌宏(三島病院)
 「英語はおもしろい〜その42」 須藤寛人 (長岡西病院)
 「蛍の瓦版〜その32」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜スズメとの十日間戦争」郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「パリ市街一望」 木村清治(いまい皮膚科医院)


「かかりつけ医向け 認知症高齢者の運転免許更新に関する診断書作成の手引き」(平成29年3月 日本医師会)をどう読むか?  森田昌宏(三島病院)

 今年の3月12日から改正道路交通法が施行され、今後は運転免許を更新される75歳以上の方について認知機能検査で「認知症の疑いあり」(第1分類)と判定された場合、全員が医師の診断を受けて診断書を提出するよう求められることになりました。日本医師会が作成した「診断書作成の手引き」が本県では県医師会報に同梱されて全医師会員に配付されました。診断書作成はこの手引きに従って行われることになるので、今後は講習会なども開催されることと思います。本稿ではもう少し広く関連する問題について私見も交えつつ述べさせていただきたいと思います。

1.そもそも医師は患者が安全に運転できるかどうかを知りうるのか?
  医師の診断書に求められているのは認知症かどうかの医学的判断であり、当然ながら本人が安全に運転できるかどうかの判断を求められているわけではありません。医師にとってそれを知ることは困難であり、認知症が疑われる方の診断を行うとき診察室で医師にできることは本人の自動車運転をめぐる状況についてご本人やご家族から聞き取ることのみです。ところで認知機能の程度と運転能力は必ずしも一致してはいません。中等度以上の認知症(CDR2以上)については安全に運転する能力を欠いていることには異論ありませんが、軽度の認知症(CDR1)については運転可能な人もいるという意見があります。一方、MCI(軽度認知障害:いわゆる認知症の予備群、CDR0.5)だからといって必ずしも皆が安全に運転できる能力を保っているとは限りません。高齢者の運転能力の可否を認知症の有無にすり替えてしまったというのは、この制度の根本的な欠陥ではないかと筆者は感じています。認知症関係学会は共同で国に対し「運転能力の適正な判断基準の構築」を提言しています(平成29年1月)が、その中で「特に初期の認知症の人の運転免許証取り消しに当たっては、運転不適格者かどうかの判断は、医学的な認知症の診断に基づくのではなく、実際の運転技能を実車テスト等により運転の専門家が判断する必要があります」と述べています。医療の現場にばかり問題を丸投げされてしまってはかないません。

2.認知症とわかれば、免許証の自主返納を勧める。
  長岡市においては免許更新時の認知機能検査で「認知症の疑いあり」(第1分類)と判定された方は、平成28年一年間で150人でした(受験者全体の3.4%)。法改正前は臨時適性検査(医師による診断)を受けるのはこのうちの数パーセントだけでしたが、法改正施行後は全員に医師の診断が求められます。医師の診断には、県公安委員会の指定した医師が担当する臨時適性検査と診断書提出命令(当事者本人に対する命令であって医師に対する命令ではないと但し書きされています)に基づき主治医等が作成する診断書作成があり、どちらになるかは県公安委員会(実務は県運転免許センター)の決定によります。臨時適性検査はこれまで通りに公費負担で賄われ、主治医等が行う検査は認知症の疑いということで保険診療になるそうです(ただし診断書料は保険適応外)。筆者が県免許センターから聞いたところでは、判断がより難しいと思われるケース(認知機能検査の点数がカットオフラインに近い等)は臨時適性検査に、認知症とみて間違いないだろうと思われるケースは主治医にということになるらしいです。認知症とする診断書が提出されると、県公安委員会はその診断に基づいて免許の取り消しを行います。しかし当事者本人には、診断書を提出する前に自分から免許証を返納するという選択肢もあるのです。自主返納すれば終生有効な身分証代わりとなる運転経歴証明書の交付申請もでき、長岡市が設けている自主返納者への優遇制を利用してバス・タクシー券一万円分の交付を受けることもできます。自主返納した方がお得なことは誰の目にも明らかです。医師はこのことを患者さんやご家族によく説明しておくほうがよいでしょう。認知症に該当しなければ運転を継続できることになりますが、MCIに該当する場合は6ヵ月ごとに診断を受け認知症に進行していないかどうか判定を受けなければなりません。

3.認知症とMCIの間にはグレーゾーンがある
  認知症とは、(1)脳の器質的な障害により、(2)認知機能の低下をきたし、(3)そのため日常生活に支障をきたした状態です。認知機能の低下はあっても日常生活への支障はあまり目立たない方がMCIに該当します。個人の生活の有り様が多様なように日常生活への支障も多面的に規定されるので、その境界を截然と区分することは困難です。「手引き」では観察式評価尺度のCDRであれば1以上が認知症に相当し、MMSEやHDS-Rなどの認知機能検査で20点以下であれば認知症の可能性が高いとしています。さまざまな面から総合的に判断して最終的に認知症か、MCIか、いずれかに決めなければならないのですが、判断に悩むケースはしばしば出てくるでしょう。

4.運転と抗認知症薬の服用
  さて、ここまで用いてきた「認知症」とは状態像を示す概念です。一方、アルツハイマー型認知症とかレビー小体型認知症などは疾患概念であり、最終的に認知症状態に至る疾患群(認知症疾患)の総称としても「認知症」ということばが充てられていますが、状態像としての認知症とは意味が異なると筆者は考えています。道路交通法では認知症の定義として「介護保険法の定義にならう」とされており、これは状態像としての認知症に当たります。医師が抗認知症薬投与を開始するか否かは疾患としての認知症診断に基づいて判断するものと筆者は考えていますので、運転の可/否と抗認知症薬服用の可/否が一致しなかったとしても不思議はないと思っています。しかし現行の抗認知症薬は使用上の注意として自動車運転禁止とされていますので、抗認知症薬を処方したら運転をやめるよう指導することになるでしょう。

5.認知症あるいはMCIと診断された方のその後は?
  認知症の早期発見・早期対応を推進するという立場からは、今回の改正道路交通法施行は大きなチャンスとなります。診断書を作成する/しない、それを提出する/しないに関わらず、認知症と診断したならその患者さんの治療やリハビリ、生活指導、地域機関と連携してサポートしていく態勢づくりなどが求められます。MCIの場合であっても健康指導や介護予防リハビリへの導入等を考えなければなりません。MCIであれば運転継続可能ですが、認知機能のある程度の低下が認められることから運転するにあたっては一定の配慮が必要とされます。MCIの方に対して筆者は、(1)夜間、雨天、降雪時など悪天候時には運転しない(天の時)、(2)車での外出は近所のいつも通い慣れている場所に限り、遠出をしたり知らないところへは行かない(地の利)、(3)助手席にナビゲーター役の家族など補助者に同乗してもらい一人では出かけない、どうしても一人で出かけるときは必ず家族に行き先と帰宅予定時間を告げてからにする(人の和)というように、注意していただきたい点を「天・地・人」とわかりやすくまとめて説明し、それを遵守して半年ごとに認知機能の再評価を受けに来るという約束をしていただいております。これまでは半年ごとといっても脱落して来なくなる方も多かったのですが、今後は半年ごとの受診が運転継続のための条件となりフォローすべきケースが急増してこれも診療の負担となるかもしれません。

6.高齢者・障害者の移動手段の確保は地域包括ケアの入り口にあたる重要な課題!
  長岡市は市街の中心部を除けば概ね公共交通機関の便が悪く、免許を返納あるいは取り消されたりした人が移動の手段を失い、とたんに住み慣れた地域での生活を続けられなくなってしまうという悲劇が起こりえます。今回施行された改正道路交通法が国会で成立したのは平成27年6月のことでしたが、当時もこの法改正について各界から多くの批判が出され、その影響もあってか法成立に際して国会は高齢者の移動手段がなくなるなど地域によっては「高齢者等の移動手段の確保を求める」という付帯決議をつけています。しかしそれから1年9ヵ月経過して改正法の施行にあたり移動手段確保の問題については進展も見られず十分な議論もされていないのは残念です。「住まいと住まい方」は地域包括ケアシステム全体を支える基幹部分にあたりますが、移動手段の確保はさらにその前提条件になるのではないかと思います。運転免許の問題は地域包括ケアの入り口部分にあたると言えるのではないでしょうか。今回の改正道路交通法施行は診断書をどう書くかという問題の先に、これから地域社会がどうなっていくのか、それにどう対処すればよいのかという難しい問いを投げかけています。しかし悲観するには及びません。『自動運転車』の急速な普及などテクノロジーの進歩によって事態がガラリと変わってしまうことに期待します。

【用語の解説等】

CDR:Clinical Dementia Rating (Hughes, et al 1982)
  日本語の定訳はなく「CDR」と呼び習わされているが、臨床認知症尺度(スケール)などと呼ばれることもある。介護者等への質問に基づいて評価する観察式の認知症症状評価尺度で、記憶、見当識、問題解決と判断力、社会適応、家庭状況・趣味関心、介護状況の6分野ごとに評価し、その結果に応じて、CDR0(健康)、CDR0.5(認知症の疑い)、CDR1(軽度認知症)、CDR2(中等度認知症)、CDR3(高度認知症)の5段階に区分する。軽度認知障害(MCI)は、CDR0.5に相当する。CDR3(高度認知症)と判定された場合、さらにその上に記述的な区分としてCDR4(非常に高度の認知症)、CDR5(末期認知症)が設けられているが、現在はこれらが実際に用いられることはほとんどない。

MCI:Mild Cognitive Impairment(軽度認知障害)
  認知機能の軽度低下は認められるが、日常生活への支障は認められない(すなわち認知症には該当しない)状態をいう。マスコミ用語ではこれを「認知症の予備群(軍)」などと言い習わしている。

MMSE:Mini-Mental State Examination (Folstein, 1975)
  認知機能のスクリーニングとして用いられる簡易テスト。日本語の定訳はなく「MMSE」と呼び習わされているが、直訳すれば簡易精神状態検査となるか?ウィキペディアではそのままに「ミニメンタルステート検査」としているが、精神状態短時間検査と呼ばれることもあるらしい。神経・精神徴候をもれなくチェックするためのトレーニングツールとして作られたものなので、認知症のスクリーニングとして用いるのは本来は誤用なのだが今では世界標準のように広く用いられている。

HDS-R:Hasegawa's Dementia Scale for Revised 改訂長谷川式簡易知能評価スケール(長谷川,1974 1991改訂版)
  日本で広く用いられている認知機能のスクリーニング検査。

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英語はおもしろい〜その42   須藤寛人(長岡西病院)

 affair(s)  仕事、業務、事柄、色事、代物

  数年前の長岡花火の時、Venezuela から19歳の女学生が、娘の友人として数日間ホームステイしていった。「大学で何を専攻していますか?」と彼女に聞いたところ、"politics and foreign affairs(国際政治学)"との返事であった。母親がアフリカのK国で大使館勤務をしているとのことであったので、本人も自然とその分野に興味を持ったようであった。2年ほどして彼女は、今度は妹と一緒にアフリカより帰国の途中ということで再び長岡に遊びに来た。旅行中、姉妹で共有していたデジカメが壊れてしまい、写真が撮れない状態であった。Venezuela は外貨の持ち出し制限も厳しいということもあり、私は躊躇なく安いデジカメを買い求めてやった。二人は、それはそれは、大喜びで、私が Karakas に来るときがあれば大歓迎してくれるとのことであった。買い物帰りの車の中で、私は「ところで大学で何を勉強しているのだったかな?」と前と同じことを聞いてしまった。姉は "politics and foreign affairs, yes, foreign affairs you know !" と答えた。"affairs" を強調して話したので、私には「政治学と外交学関係です。〔色事〕ではなくて……」と聞こえた。今日は、多くの意味を持つ、アメリカ人が好きそうな英語 "affairs" について見てみたい。
 福武書店の英和辞典では affair を、(1)(私的・個別的な)「事」「仕事」、(2)(複数形で)(公的職業上の)「業務」、(3)「事件」、「出来事」、(4)「情事」、(5)(口語)(漠然とした)「もの」、「こと」と、5つの意味として訳している。Weblio 辞典は多くの英和辞典にある用例が一括して示しているが、affair(s)については実に1100以上の用例が示されている。これらのところを以下のようにまとめてみた。日本語に直すといろんな言い方になることがわかると思う。
  まず、(1)の訳、「事」についてであるが、private affairs「私事」・「ないしょ話」、personal a.「身辺雑事」、other person's a.、other people' saffair「他人事」、household affairs「家庭の事情」・「家事」、family a.「家庭の問題」、worldly a.「世事」、"the inside a."「内情」、"the chief a. of the year" といえば「年間の主要な出来事」となり、"Don't interfere in my affairs"「私のことに干渉しないでくれ」となろう。
 第(2)の訳は、The Ministry of Foreign Affairs「外務省」、The Minister for(of)Foreign Affairs(または単に Foreign Minister)「外務大臣」の訳の部類である。The Ministry of Home Affairs「自治省」、Department of Veterans A.「復員軍人省」、The Agency of Cultural A.「文化庁」、state a.「国事」、public a.「公務」、domestic a.「内務」、financial a.「財務」、municipal a.「市政」、pharmaceutical a.「薬事」、school a.「校務」・「学校行事」など「公的業務」があげられよう。
 上記訳(3)「出来事」として、world affairs「世界情勢」、current a.「時事」・「時局」、a reporter on political a.「政治記者」などが挙げられるが、minority affair は「少数民族問題」、economic affairs「経済問題」、international a.「国際問題」などと「問題」と訳して良いのではないだろうか。
 次の訳(4)であるが、Weblio 辞典には「(一時的で不純な)恋愛、浮気」ex. "have an affair with……"「……と関係(浮気)する」と出ている。一般的にはa love affair、an affair of the heart であろうが、"affair" だけで十分通じるであろう。ニール・ジョーダン監督の "The end of the affair" という映画の日本語題名は「ことの終わり」であった。"a triangle love affair" は「三角関係」で、かつて「CIA長官が extra-marital affair(不倫)で辞職した」とCNNテレビが報道していた。
 ここで、ちょっと横道にそれるが、「浮気」に関する英語をみてみたい。といっても、市橋敬三著「アメリカ英語表現辞典」に書かれてあることである。「彼は浮気をしている」の表現において、話し手が客観的に述べるときは、"He's having an affair."、"He has an affair on his wife."で、非難の気持ちが強い時は "messing around"、"f_ _cking around"、"screwing around"、"cheating around"、"sleeping around" あるいは "sneaking around" と表現し、非難の気持ちが軽いときは "fools around" で、少しうらやましい気持ちで述べるときは "He get around." と言われるとのことであった。一つの事実を表現するにしても話す人の気持ちでこんなにも変わるものですネ。
 最後の訳の(5)の漠然とした「もの」、「こと」であるが、辞書によっては(俗)品物 ex. wonderful affairs とあり、赤祖父哲二の「英語イメージ辞典」には、口語体で cheap affair は「安物」と漠然と「物」を表す語であるが、日本語の「安い代物」にどんぴしゃの語感をもつ英語であると書かれてある。"The building is a grand affairs."「その建物はたいした物だ」、"The picnic was a very pleasant affair."「そのピクニックは非常に愉快なものであった」などという時はこの用法と言えよう。
 affair(s)の語源は Merriam-Webster 大辞典には ME afere, affaire, from MF, from a faire, to do a to(L. ad)+ faire to do from L. facere とあった。古期フランス語で「すべき事」が元々の意味であった。英語の同義語は matter や event あるいは thing が当てられている。
 私の恩師の M. L. Stone 教授が90歳を越えて「回顧録」を出版した。その中に、教授就任20周年記念のパーティを想い出して "It was a black tie affair and elegant in every detail……" とあったが、祝賀会参加は「蝶ネクタイ以上の正装」ということ、即ち、「タキシード以上であれば各自に任せ、適切と思われる正装」で集まったということが伺い知れる。M-W 大辞典には "ablack-and-black-and-white checked wool affair with double collar" という例文が載っている。いずれの場合の "affair" も、明確には規定せず(not clearly distinguished)、漠然と特定した(only vaguely specified)「物」という意味で使用されているといえよう。
 ところで、くだんの Venezuela の女子学生はその後テキサス州の大学に留学し、学年末の6月に三度目の長岡訪問となった。新緑の下、近郊の温泉での宿泊を大いに満喫して帰った。その後まもなくアメリカ人と結婚し、現在法律事務所でアルバイトをしながら「国際政治学」の勉強を続けているとのことであった。その間、友人である私の三女も結婚し、母親になった。時の経つのは実に早い。私の夢の一つとなった、Venezuela のギニア高地のテーブルマウンテンから流れ落ちる、世界一長い、雨期のエンジェルフォールを見上げて見たいという希望は叶えられるであろうか。(続く)

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蛍の瓦版〜その32 理事 児玉伸子(長岡中央綜合病院)

定時総会
  昨年6月1日の定時総会にて選任された、現在の長岡市医師会執行部となってから、早1年が経過しました。今年も6月1日に定時総会を開催し、会員の皆様に平成28年度(平成28年4月1日から平成29年3月日)の事業報告と会計認定を行います。

事業報告
  医師会の事業として、各種健診や予防接種の取りまとめや休日夜間診療業務等に加え、以下の3点を重点的に行ってまいりました。
(1)多職種連携の推進:長岡在宅フェニックスネットの活用や交流会等への参加をとおして、積極的に連携を進めてきました。フェニックスネットには、新たに薬剤師会(調剤薬局)やケアマネ協議会も参加され、現在登録は130機関に増え、救急現場でも活用が始まっています。
(2)医療情報システムの実用化:前回の瓦版でお知らせしました総務省管轄の供クラウド型HER(個人健康情報)高度化補助事業僑の補助金交付が決定し、新たな事業を開始する予定です。将来は補助金なしで運営することや災害時の対応を考慮し、シンプルかつ低コストのシステムとする所存です。
(3)胃がんリスク健診の推進:昨年度から新たに中学二年生を対象としたリスク健診が、3病院の御協力で開始しました。全国的にも佐賀県と並ぶ先進的な試みで、秋ころ結果を御報告する予定です。

会計報告
  長岡市医師会は、平成26年4月の一般社団法人への移行に伴い、医師会の公益目的財産を会計表の扱いでは17年間かけて償却することを予定しており、順調に行われています。
  中越こども急患センター事業は長岡市が開設者であり、医師会はその収支には関与していません。一方、平日夜間と休日急患診療事業は医師会が開設者であり、赤字部分は市からの補てんを受けています。今回は休日急患診療事業の収入は若干の黒字ですが、インフルエンザの流行等によってかなり変動する不安定なものです 。
  一昨年度までは新潟県や長岡市から二次病院運営事業として、3つの二次病院へ医師会を介してそれぞれ補助金が支出されていました。昨年度からは新たに総務省の交付金を活用し、“基幹病院運営費補助金”として長岡市から直接3病院へ支払われています。

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巻末エッセイ〜スズメとの十日間戦争  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 ちゅちゅん。ちゅい、ちゅい。

 五月の連休前、朝早くから、二階の寝室でにぎやかな鳥の声に起こされていました。窓の外のエアコンのあたりの早起きスズメたちです。いま恋と巣造りの真っ最中。スズメのペアは早口で声を掛け合い、マイホーム構想の打ち合わせでしょうか。

 大問題なのは、このまま巣を作ると、暑さにエアコンを作動すると、スズメの生活や子育てに大いに支障をきたしそうなこと。

 実は数年前の大地震の直後から、その部屋もエアコンも使用していませんでした。避難しやすい階下の暮らしを始めたからでした。

 昨年の秋、地震も遠のいたし、二階建て住居の元の生活に数年ぶりに戻りました。二階寝室のエアコンが故障していて、電機屋さんに新型エアコンに交換してもらいました。その古い室外機を外す作業で、裏側にあったスズメの巣には驚かされました。出るは、出るは……藁や枯草、羽毛、布の線維など、「燃えるゴミ袋」の「大」に満杯二つ分。きっとこの数年間は、風雨をしのげて、人が邪魔しないので、のびのびと営巣していたのでしょう。

 わたしは庭に暮らすカエルやアシナガバチと同様に、スズメも我が家で飼っているという心つもり。そこで雪の冬場には給餌台を軒下に設置してあげています。市街地から減少しつつあるスズメの保護が少しでもできればと思っています。数年前までは、スズメもエアコン周囲でなく、別の窓辺のベランダに置いた花のプランターの裏側などに巣造りしていたのでした。

 はて、困りました。

 スズメの繁殖期は春から夏のまさに今。別の居住場所(近所の瓦屋根の下)から、朝になると分家の予定地の我が家に飛んで来て、藁の運び込みに励むのです。この「再稼働した」(この用語、微妙な負のニュアンス?)エアコンという不都合な場所での今春の巣作りを断念してもらうためには、こちらが妨害活動するしかありません。

「おっ、おいでなすったな。」

 早朝から(五時前後ですな)スズメの鳴き声で、夫婦のどちらかが起きて窓を開け、人間がそこにいるのを印象付け、とにかく追い払います。さらに家人は、昼間にも数回は二階に監視に出向き、すでに運んだ巣の材料の藁などを撤去してしまうという作業を連日繰り返しました。

 昔話の世界なら、こりゃ完全に意地悪ばあさんと爺さんですな。スズメたちとの根気くらべが続き、一週間が経過しました。

 「本能行動には脱帽だね。」「ここで生まれた、一種の刷り込みなんだわね。」と家人もあきれ顔です。

 困った際のネット頼みで、スズメの巣造り対策を検索。困っている人は意外と多いようです。結論は「よい手なし」。でもカラス対策と同様に、反射で光るCDの吊り下げで、追い払いに成功した人も。さっそく数枚のCDをエアコンそばに吊ったり、置いたりして、無事に三日ほど経過。「きょうも昼間の藁運びはゼロでした。あきらめたみたい。」「期待を上回る効果だね。スズメ騒動もこれで一段落だねえ。」

 こんな連休明けの週末に夫婦で上京する所用あり、一泊二日で留守をして帰宅。なんとその翌朝です。

 もう朝からスズメの訪問の声が……。威嚇刺激にもすぐに慣れ(訓化)……生理学の教えるところです。「十日間戦争」で円満に終結と思ったら考えが甘かった。これは「百日戦争」に延長のようであります。

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