長岡市医師会たより No.532 2024.7


もくじ

 表紙絵 「輪廻」 福居憲和(福居皮フ科医院)
 「3期目を迎えて」 会長 草間昭夫(草間医院)
 「副会長就任のご挨拶」 野 勝(高野医院)
 「プール事情」 須庸平(須メンタルクリニック)
 「今さら、図書館ライフ」 大野秀子(悠遊健康村病院)
 「現代機械文明を敬遠するアーミッシュ(前編)」 福本一朗(長岡保養園)
 「巻末エッセイ〜クィーンエリザベス(後編)」 富樫賢一



「輪廻」  福居憲和(福居皮フ科医院)

此の世はお互いに学び合いの人生。魂は永遠に続いていく。何回も転生し、明るい道、暗い道も体験し、学びを深めていくのです。


3期目を迎えて 会長 草間昭夫(草間医院)

 6月に3期目の会長を拝命いたしました。会員の皆様、医師会職員の協力を得て2期4年間の任期を無事務めることができました。
 これまではコロナ対応が中心であり、直接顔を合わせる会議も減り、三役、理事会での判断で業務を進めてまいりましたが、医師会旅行を始め多くの行事が以前のように戻ってくるようになりました。しかし、Webが当たり前となった講演会も増え、若い先生方が直接会合に参加することも少ない状況です。ぜひ、医師会の会合をはじめ、学習会、講演会に直接参加いただきたいと思っています。
 新潟県医師会議長として県の理事会に参加させていただき多くの先生方、行政の方々にご指導をいただくと共に直接顔を合わせ、情報を共有できたことが大きな財産でした。会議録の中だけでなく直接話すことの大切さを学んだ機会でもありました。会員の皆様の医師会へのご参加をお願いする次第です。
 さて、少子高齢化の影響により小児科、産科、老人救急の人員配置が変化することになるでしょう。働き方改革、地方の医師不足は医師、診療科の偏在が問題になりますし、学校医、産業医、警察医の絶対的な数が足りません。医療DXが効率化をもたらすといいますが、デジタルに馴染めない先生方の現場離れが始まります。
 問題点が多い中で、さらにより良い長岡市医師会の発展に寄与できればと思っています。以下の4点について注視していきたいと思っています。
 1.医学部の学生の地域医療研修(EME:早期医学体験実習)に積極的に協力します。そして、3病院の研修医が地域に愛着が持てるように、結果的にこの地で働いてくれるように期待します。
 2.長岡の3病院による救急輪番制を維持したい。救急はもちろん、在宅医療、地域包括医療の最後の砦となるからです。
 3.在宅医療の充実のため、サービス付き高齢者住宅を含めた介護施設、長期滞在型の病院と、急性期病院、診療所の新しい形のリンクを示していければと考えています。
 4.365日24時間のかかりつけ医機能を達成するために訪問診療を担う診療所のための緩やかなネットワークを考える。
 また、本年かかりつけ医機能報告制度が設定される見込みですが、制度で縛られても、私なりに譲れない在宅医療への思いがあります。
 少ない人数で、できることに限りがある中で、地域に出かけていかなくてはならないことが増えています。患者宅に伺うということは、1.外来通院できなくなった方への訪問診療(状態を見て処方継続、疾病の予防)2.多職種で患者さんに寄り添い住み慣れた家で余生を送ることへの手助け 3.近所の患者で自分が訪問した方が早く方針を判断できる場合(救急隊を呼ぶか、看取るか、経過観察か)4.検死 と思っています。そして、残念なことに現状ではどの患者にでも即対応できるわけではありません。私の場合、よく知っている方(ご近所、親戚、友人、その家族)が限界です。「かかりつけ医」の鈴をつけられたからというのではなく、患者と医師の信頼関係があって、対応できるものと思いますので、家族のような友人のような関係性が広がっていく輪が地域医療を支えていくのだと思います。これは病院医師と患者さん、診療所医師との間にも言えるかもしれません。病院医師から診療所へのリレーに関しても信頼関係が必須です。後方支援病院においても、患者を取り囲む多職種もお互いを思いやる輪が広がれば、皆が納得する良い地域医療ができると思っています。?子定規なルールを作っても地域医療は成立しないのではとの思いからです。
 その輪を広げていく、つまり信頼関係が支える地域医療を作っていきたいと考えます。
 さて、高齢化で亡くなる人が増えます。住み慣れた家で一生を終えることが選択肢として選ばれることも多くなると思います。患者宅に伺い「看取り」を行うことが私たちの重要な役割となっていますが、単に死亡診断書を作成するのではなく、見守る家族の気持ちの落ち着く先を一緒に考えたり、たとえ見守る家族がいなくても患者の最後の生活に携わった人たちの気持ちがお互いに納得できるものであったりしてほしいと思います。なにより亡くなった人が、「こんな最後でいいか」と思っていただけるようにしたいものです。
 最後になりますが、私たちの仕事は産業医、学校医、警察医と多岐に渡ります。加えて私たちの後輩指導と、そして医師のあるべき姿を示し導いていく医師会の運営に携わることが地域を支えることと思っています。地域の皆様の理解を得たうえで、お互いの信頼関係を築いていけたらと思っています。
 今後とも会員の皆様にはよろしくご協力のほどお願い申し上げます。

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副会長就任のご挨拶 野 勝(高野医院)

 6月の総会にて副会長を拝命いたしました野でございます。理事となって6年、直近2年は草間会長、荒井・高橋副会長の下で総務を担当していましたが、7年目に副会長職が待っているとは思ってもみなかったので大役に驚いております。
 昭和62年に大学を卒業し医局で研修、関連病院を経て直接長岡に戻ってきて一般内科としての30年余りが過ぎました。この間、3病院を始め多くの先生方に御教授頂き、医師会事務局にも色々教えて貰い何とかやっております。
 理事拝命後は、よく「出身は?専門は?」と聞かれます。30年の間に、学会を次々と退会し、残っているのは医師免許だけです(これも本物かあやしいですが)。ですので「専門は在宅看取りです」と言うようにしています。誰も期待していないでしょうが、学術的な仕事は期待しないでください。医師免許があれば誰でもできるが、誰もやりたくない役割が私の仕事と理解しております。
 30数年の長岡での診療、またこの6年でコロナ前、コロナ禍、コロナ後の医師会活動を経験させていただいております。長岡を取り巻く医療環境は変貌しつつあります。県の医師会報にも書かせていただきましたが、長岡独自の2次救急輪番制については、種々の要因でその維持継続が困難になりつつあります。小児も含め協議して頂いておりますが、長岡市民にとって、あって当たり前であったこの制度を、その都度最善な形で維持すべく、皆で同じ方向を向いて、市民のための体制を構築しないと、と考えております。
 他業種、行政との連携は、近年その数が増え多岐にわたっております。理事の先生方と役割分担し、専門性の高い分野については専門の先生方にもご協力いただき対処いたします。
 医師会の財務についてはコロナ禍ではワクチン接種の手数料などで一時的には増収時期もありましたが、耐用年数を迎えた会館設備の補修工事などで相殺されています。今後はA会員の減少や休日急患診療所の運営状況を見る限り、緊縮方針でいかざるえないのかと個人的には考えております。
 前述しました通り私は3病院に勤務歴のない(珍しい?)理事です。会員の先生方とは情報提供書などのやり取りのみで、もしかしたら何十年もお会いしたことのない先生がいらっしゃるかもしれません。先生方のお時間が許せば総会、全体懇談会、ビールパーティーなどで直接お会いできることを願っております。
 草間会長を補佐、荒井副会長と協力、理事会を通じて諸問題を協議し、常に会員の先生方の方を向いて2年間つとめてまいりたいと思います。甚だ力不足ですが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

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プール事情 須庸平(須メンタルクリニック)

 小さい頃のプールと言えば悠久山プールと希望ヶ丘プールです。末広町の我が家からはどちらも子どもだけでは行けず、親に頼んで連れて行ってもらっていました。準備するのは学校のピタッとした短い水着と水泳キャップです。特に希望ヶ丘プールの長い滑り台(スライダー?)は子どもにとってはとてつもないアトラクションでワクワクさせられたのを今でも覚えています。プールでの食事は施設内で販売しているパンが定番でした。魚肉ソーセージの入ったぐるぐる巻かれた揚げパン?をよく食べていましたが、プールで食べるパンは特別おいしく感じました。夏場だけの特別な思い出です。そんな思い出の悠久山プールは昨年度末で廃止されてしまったようです。
 さて、ここからが本題です。私も親になり、今度は子どもをプールに連れていく立場となりました。小さい頃の思い出から近場のプールに連れていくイメージをもっていましたが、時代が進み勝手が違っていました。小学4年の娘から見せられたのはYouTubeの動画でした。動画の中では外国人が壮大なウォータスライダーや光のイルミネーションとともに天高くまで吹き上がる噴水のあるプールで遊んでいました。場所はドバイのようでした。流石に海外のプールは難しいと子どもに譲歩するよう頼みこみ、何とか国内のプールで手を打つこととなりました。そうして、またYouTubeを見せられ、行けそうなところを交渉し、残った選択肢は二つ。福井県の芝政ワールドか福島県のスパリゾートハワイアンズでした。残念ながら新潟県内に娘が納得するプールはありませんでした。
 いざ決心をして、令和6年のゴールデンウィークにハワイアンズへ日帰り弾丸ツアーに行ってまいりました。その前にまずは準備です。私の小学校時代と違い、今はスクール水着ではダメなようです。小学4年と言えど、女性です。おしゃれな水着にラッシュガードなるものを求めてくるのです。そして必須なのはスマホケース。水の中でも写真撮影ができる防水ケースを購入しました。福島県いわき市で開園は10:30。ゴールデンウィークの混雑を予想し、朝6:00に娘と二人出発しました。磐越道を飛ばし、現地に9:00着。早いかと思いきや、すでに20〜30組が並んでいました。並んで1時間もすると推定1000組は超える列となりました。開園とともにダッシュで更衣室に向かいます。時代は令和。娘を男性更衣室に入れることはできず、心配でしたが一人で女性更衣室に向かわせました。私は早々に着替えを済ませ、女性更衣室前で娘を待ちます。初めての施設で苦戦したのでしょう。15分待っても出てきません。その間に推定1000組以上の来場客が続々とプールへ向かっていきます。気を揉んで待っていると、20分過ぎたころにやっと出てきました。今度はプールへ向かうと、なんと入場券以外にスライダーの券も購入が必要で、販売所には100人を超える列が出来ていました。娘だけプールへ向かわせ私が一人で列に並びます。入場直後から戦いが続き、列に並びながら異性の子どもを持つひとり親の気持ちを想像していました。何とか券を購入し、多様なスライダーやプールを楽しみ、機会をうかがっては写真を撮りまくりました。食事はロコモコプレート。悠久山プールのパンとは違うなーと思いながら1500円程を支払いました。そしてメインイベントの日本一のスライダー「ビッグアロハ」です。これに乗るだけで1000円以上かかります。30〜60分待ちの階段の列に娘と並びます。40分くらいして後5〜6組のところまで来ました。ここまで来たのに……です。「怖いからやっぱりわたし乗らない」。こうなってしまっては絶対乗らないのです。娘の希望を叶えるためにここまで来たのに、私一人で乗ることとなりました。2コースあるので大抵ペアでスタートします。私のペアは相手もお一人様の中年男性で、妙な空気の中、同時にスタートします。「私はいま何をしているのだろう……」そんな複雑な気持ちでスタートしましたが、経験のないスピード、目まぐるしく変わる景色などスリリングで最高でした。
 色々あった後の帰り道。疲れた体で車に乗り込むと娘が言いました。「連れてきてくれてありがとう。パパが疲れてるのに悪いから、私も帰り道は寝ないようにするね。」なんともうれしい言葉でした。そして磐越道に乗り込むこと3分。早速いびきが聞こえてきました。そんな娘のいびきを聴きながら楽しく帰りました。

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今さら、図書館ライフ 大野秀子(悠遊健康村病院)

 昨春、3年間在籍していた芸術系大学(通信、芸術学部)を卒業、今春、博物館学芸員課程を修了しました。詳細は県医師会報8月号掲載予定の拙稿で述べますが、人文系の学生にとって、課題や卒論の作成に図書館は欠かせません。以下、3つの館を紹介します。

 1)長岡市中央図書館

 主にお世話になった長岡市中央図書館には、約40万冊の蔵書があります。ことに美術書が多く、入門書・一般書・専門書と様々なレベルの資料があることは好都合でした。コロナ初期の館内閲覧中止中も、貸出冊数の引き上げや期間延長等の措置により、勉強を続けることが出来ました。
 蔵書を検索し、朝ネットで注文すると、午後には「準備が出来ました」とメールが来ます。職場と自宅の間に大きな袋を持って図書館、というのが生活の一部になっていました。当日返却された本の棚を見ると、学ぶ人の多さと興味の多様性に驚かされます。
 他館との連携窓口にもなっており、後述の国立国会図書館(NDL)デジタル送信サービス、県立図書館の資料取り寄せ(週1便、車が行き来しています)などが利用できます。他県の名前も聞いたことがない大学の紀要で、所蔵館を探し出し、複写を手配してくれたこともありました。
 レファレンス・サービスは図書館の大切な業務の一つであり、司書は調べ物のプロです。「○○について知りたい」という要望には文献を紹介します。県立図書館で、スマホで撮った写真を「この鳥の名前を調べて下さい」とカウンターに持ち込んで来たご婦人も見かけました。様々な助言は、データベースとして全国の図書館に共有されています。

 2)国立国会図書館(NDL)

 東京・関西の二館のうち、東京だけで1,200万冊の蔵書があります。徐々にデジタル化が進められており、誰でもオンラインで読める文献の他、地域の提携館(長岡では中央・互尊の二館)でのみ閲覧・複写できる資料があります。論文の遠隔複写にも対応してくれますが、郵送には2〜3週掛かり、今日か明日かと気を揉むよりは、現地に足を運んだ方が手っ取り早く確実です。
 初回利用時には、新館で身分証明書を提示し、カードを作ります。所要時間は約15分。そして、いざ本館へ。鞄は持ち込み禁止のためロッカーに預け、筆記具・財布など最小限の貴重品のみ透明な袋に入れ、カードをタッチしてゲートを通ります。3階まで吹き抜けのホールに、池田満寿夫の巨大なタペストリー《天の岩戸》が掛かっています。
 内部には本がずらりと並んでいるのでしょうか?否、書庫は見えません。デスク上に並ぶのは多くの端末。先ほどのカードを読み込ませ、資料を検索して注文します。少し時間をおいて同端末で準備状況を確認し、OKとなったら本を受け取りに窓口へ。別フロアの複写カウンターに行き、必要個所を指定して、コピーの受け取りまで1時間以内でほぼ完了。2回目以降はさも慣れた風に振舞います。
 食堂も一見(一食?)の価値あり。カレーライス510円、日替定食も600円台と手頃で、メニュー・雰囲気ともに昭和の学食にタイムスリップした感があります。
 昔読みそびれたマンガ雑誌なども、きっと見つかります。

 3)互尊文庫

 昨年、我が家の目の前に開館した互尊文庫は、全く新しいタイプの図書館です。蔵書は約4万冊と少なめですが、本棚の高さに圧迫感がなく開放的な造りで、会話、飲食、撮影いずれも可という自由で開かれたスタイルです。居心地が良いのでつい足が向きます。
 開館時のブックツアーで聞いた話では、従来の図書分類にとらわれない配架が特徴で「くらす」「はたらく」「ひらめく」の3つのゾーンに「よのなか」「食べる」「旅する理由」など15のエリアが設けられています。いつ訪れても、現代を生きるヒントとなるような興味深いタイトルの本があり、黒板に手書きのメッセージも印象的です。
 電源付のカウンター席はネットで予約できます。5階には瞑想カプセルも。欲を言えば、カフェがもっと安いと良いのですが…。休館日が少なく、市内他館の本も受け取れて、午後9時まで開いているのもありがたいところです。セルフサービス化は時代の流れですね。

 以上、個性の異なる3館ですが、様々なサービスが、複写費以外、社会教育機関として全くの無償で提供されているのも驚くべきことです。懐かしい古書の匂いに立ち返るのも良し、ただ涼みに行くだけでも良し。機会があったら足を運んでみて下さい。何か新しい扉が開くかも知れません。

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現代機械文明を敬遠するアーミッシュ(前編) 福本一朗(長岡保養園)

 1.刑事ジョン・ブックとアーミッシュ

 2022年11月の米科学誌「サイエンス・アドバンシズ」に、現代技術を拒否して米中西部に暮らすキリスト教の一派アーミッシュの人々が10年以上健康寿命を延ばすことのできる遺伝子(SERPINE1)を有していることを、東北大学の研究チームが発見したとの記事が掲載されました。筆者はクリスチャンですが、アーミッシュのことはハリソンフォードが主演した映画で初めて知りました。
 皆さんは1985年のアメリカ映画「刑事ジョン・ブック/目撃者(Witness)」をごらんなったことがおありでしょうか??殺人事件の目撃者となった少年とその母親(ケリー・マクギリス)を守ろうとする刑事(ハリソン・フォード)の格闘を描いたサスペンス映画ですが、その母子はキリスト教の非主流派として非暴力にして前近代的な生活を営むアーミッシュの一族であったため文化的葛藤と恋愛を描いたラブストーリーでもあります(Fig. 1)。
 夫を亡くしたレイチェル(=ケリー・マクギリス)と息子サミュエルは、ペンシルベニア州ランカスター郡のアーミッシュの村から親族のいるボルチモアへ行く途中でしたが、乗り換えの駅のトイレでサミュエルは2人組による殺人を目撃してしまいます。事件を担当する刑事ジョン・ブック(=ハリソン・フォード)は面通しには時間がかかるため自分の妹の家に母子を宿泊させます。しかし犯人の1人で署内の麻薬課マクフィー刑事の襲撃を受けて負傷したジョン・ブックは、母子が非常に危険な状況であると判断し母子を秘密裏にアーミッシュの村に送り返しますが、彼自身も傷が深くその場で倒れてしまい、レイチェルの手厚い看護を受けているうちに愛が芽生えます。アーミッシュは19世紀にスイスで生まれたプロテスタントの一派で、宗教的迫害による死刑を逃れてドイツ・フランスを経てアメリカに移住し、快楽を追い求めることは禁止され、1800年代のような衣服を纏い、また原則として現代技術による機器を生活に導入することを拒み、近代以前と同様の生活様式を基本として農耕や牧畜を行う自給自足の生活を営んでいて、電気も使わず移動は馬車を使う移民当時の伝統的集団生活を維持しています(Fig. 2)。ジョン・ブックは最初そのような前近代的生活に驚いていましたが、善良な住民に受け入れられると、酪農作業や大工作業を手伝うようになり、レイチェルと恋に落ちてアーミッシュの生活に入り込みます。ジョン・ブックの住処を嗅ぎつけた追跡者たちはジョン・ブックとサミュエルの暗殺に乗り込んで返り討ちにあい倒されますが、主犯のシェイファー本部長はレイチェルを人質にとってジョン・ブックを追い詰めます。しかし隙を付いてサミュエルが鐘楼に登り、鐘を鳴らして危機を知らせたため村人が大勢集結して取り囲んだので、シェイファー本部長もこれまでと観念し銃を下ろして投降します。事件が解決し村に留まる理由がなくなったジョン・ブックは、レイチェルと互いに思いを寄せていることをわかっていましたが、住む世界が違うこともまたわかりあっていました。2人は交わす言葉もなく別れて、ジョン・ブックだけが村を出ていくところで映画は終わっています。

 2.静穏な信仰と生活を求めた難民

 アーミッシュ(Amish)は元々スイス、アルザス、シュワーベン地方を故地とし、アメリカ合衆国のペンシルベニア州や中西部やカナダのオンタリオ州などに居住するドイツ系移民のキリスト教プロテスタントの宗教共同体であって、21世紀になっても18世紀の移民当時の生活様式を保持しつつ、農耕や牧畜によって自給自足生活をしており、2020年時点の推定人口は約35万人とされています。
 現在でも1800年代の衣服を纏い、電気を使わず移動は馬車だけを使います。生活上の制約は多いにもかかわらず、その人口は増え続け平均寿命もアメリカ人全体を上回っています。共同体では各々に役割があり、誰もがよく働き、家族を超えた助け合いが基本にあって、助けるほうも助けられるほうも気負いがなく、高齢者も決して孤立させない豊かな老後を送っています。アーミッシュは平均7人の子供と49人の孫を持っていて、介護施設や老人施設に入ることもなく、子供や孫が自宅で面倒を見てくれるので孤独死などは起こり得ません。
 本来アーミッシュは、ルター派とツヴィングリ派から分かれてスイスのチューリッヒで生まれたメノナイトとよばれるプロテスタントの一派で、宗教的迫害を受けたのちにドイツ南西部やフランスのアルザス地方に避難しました。メノナイトはキリスト教の教えと共同体に忠実で、創始者のメノ・シモンズの名前をとってメノナイトと呼ばれました。そしてそのメノナイトの一員であったヤコブ・アマンは、教会の純粋さを保つためにほかのグループから離れて暮らすことを考え、更に保守的な一派を作りました。アーミッシュという呼称は彼の名に由来します。ライフスタイルは少し違いますが、メノナイトもアーミッシュも基本的信条は同じで、ひとくくりにアーミッシュと呼ばれています。
 アーミッシュには「オルドゥヌング(=ドイツ語で秩序・規律)」という戒律があり、原則として快楽を追い求めることは禁止されています。なお、オルドゥヌングは各地のコミュニティーごとに合議によって定められるので各地で差異があります。以下のような規則を破った場合、懺悔や奉仕活動の対象となり、改善が見られない場合はアーミッシュを追放され、家族から絶縁されます。
 @交通手段は馬車を用いる。これはアーミッシュの唯一の交通手段である。
 A屋根付きの馬車は大人にならないと使えない。
 Bアーミッシュの家庭においては、家族のいずれかがアーミッシュから離脱した場合、たとえ親兄弟の仲でも絶縁され、互いの交流が疎遠になる。
 C怒ってはいけない。
 D喧嘩をしてはいけない。
 E読書をしてはいけない(聖書と、聖書を学ぶための参考書のみ許可される)。
 F賛美歌以外の音楽を聴いてはいけない。
 G避雷針を立ててはいけない(雷は神の怒りであり、それを避けることは神への反抗と見なされるため)。
 H義務教育以上の高等教育を受けてはいけない(大学への進学など)。
 I化粧をしてはいけない。
 J派手な服を着てはいけない。
 K保険に加入してはいけない(予定説に反するから)。
 L離婚してはいけない。
 M男性は口ひげを生やしてはいけない(歴史的に口ひげは男性の魅力の象徴とされることがあったため)。ただし、顎ひげや頬ひげは許される。
 政治的には、「神が正しい人物を大統領に選ぶ」との信条から積極的に有権者として関わることはありませんでしたが、2004年アメリカ合衆国大統領選挙では激戦州となったペンシルベニア州やオハイオ州のアーミッシュに共和党が宗教的紐帯を根拠とし支持を広げたといわれます。彼らは専用の教会をその集落に持たず、普通の家を持ち回りで集い神に祈ります。これは教会が宗教を核とした権威の場となることを嫌って純粋な宗教儀式のみに徹するためです。1972年に連邦最高裁において独自の学校教育を行うことが認可されましたので、そのコミュニティで育った未婚女性が教師を務める8年間の義務教育はすべてコミュニティ内だけで行われています。教育期間が8年間だけなのは、それ以上の教育を受けると知識が先行して謙虚さを失い、神への感謝を失うからだとされています。なお教育内容はペンシルベニアドイツ語と英語と算数のみです。
 アーミッシュは移民当時の生活様式を守っているため電気を使用せず、電話など現代の一般的な通信機器も家庭内にはありません。自分たちの信仰生活に反すると判断した新しい技術・製品・考え方を拒否しているので、原則として現代の技術による機器を生活に導入せず、近代以前と同様の生活様式を基本に農耕や牧畜を行い、自給自足の生活を営んでいます。ただ一部ではアーミッシュのキルトや蜂蜜などを販売したり、馬車を用いて観光客を有料で乗せたりするなどの観光客向け事業が行われています。
 基本的に大家族主義であり、ひとつのコミュニティは深い互助的関係で結ばれています。新しい家を建てるときには親戚・隣近所が集まって取り組み(=結(ゆい)と同じもの?)、たった一週間で建前まで完成してしまいます。服装は極めて質素で、子供は多少色のあるものを着ますが、成人は決められた色のものしか着ません。洗濯物を見ればその家の住人がアーミッシュかどうかわかると言われているほどです。自分では自動車は運転しませんが、非アーミッシュの運転する車に乗ることは許されています。商用電源も使用せず、わずかに風車や水車によって蓄電池に充電した電気を利用する程度です。移動手段は馬車によっているものの、ウィンカーをつけることが法規上義務付けられているため、充電された蓄電池を利用しています。写真を撮られることは宗教上の理由から拒否されることが多いようです。このようにアーミッシュは現代文明を完全に否定しているわけではなく、自らのアイデンティティを喪失しないかどうか慎重に検討したうえで必要なものだけを導入しているのです。
 ただし、これらの宗教上の制限は成人になるまでは猶予されています。アーミッシュの子供は、16歳になると一度親元を離れて俗世で暮らす「ラムスプリンガ」という期間に入ります。ラムスプリンガでは、アーミッシュの一切の掟から完全に解放され、子供達はその間に酒・タバコ・ドラッグなどを含む、多くの快楽を経験します。そしてラムスプリンガを終える18歳で成人になる直前の一年間をアーミッシュのコミュニティから離れた後に、アーミッシュのコミュニティに戻るか、アーミッシュと絶縁して俗世で暮らすかを選択する事が認められていますが、ほとんどのアーミッシュの新成人はそのままアーミッシュであり続けることを選択するといわれています。
 アーミッシュの作る民芸品としてはキルトが有名で、着古した服の端切れを集めて作ります(Fig. 2右)。アーミッシュの人形も、古切れを縫い合わせた丁寧な作りで、顔に目・鼻・口などが描かれることはありませんが、アーミッシュの少女は人形を我が身の分身のように終生大切にしています。音楽は楽器を所有したり演奏したりすることが禁じられています。その理由は、個人を引き立て虚栄心をあおる可能性があるからです。歌は斉唱だけで、これも個人を引き立たせることを禁じているからです。1曲歌い終わるのに15分くらいかかるものが多いですが、これはアーミッシュは「速い」よりも「遅い」ことに価値を見出しているからです。アーミッシュでは独自の農業を行いほぼ完全な自給自足の生活を送っていますが、農薬や化学肥料を全く使わないアーミッシュの農作物は市場で高値で売られ、一部の高級ホテルや高級レストランで重宝されています。
 2006年10月、アーミッシュの住むランカスター郡の小学校に「神を憎む」という男が闖入し児童や教員を銃で殺傷する事件が発生して、13歳のアーミッシュの少女が、自分より小さな子供に銃口が向けられた際に身代わりとなって射殺され、その妹も銃撃されましたが、彼女らの祖父は犯人に恨みを抱いていないことを表明し、犯人の家族を葬儀に招いたことがありました。これは「復讐するは我にあり(ロマ書12:19)」「爾の敵を愛せよ(ルカ書6:27)」という聖書の言葉を信じ実践しているからとされています。ただアーミッシュの人々は聖書を字句通りに解釈するのではなく、その心を理解して神様の御心に沿う人生を全うしようとしている点で、他の厳格な原理主義的宗派とは一線を画しています。牧師など専門の宗教的指導者もおらず、教会など特別な礼拝場所もありません。彼らの日々の生活の場そのものが宗教的生活そのものであり、しかもどのように生きるか(オルドヌゥング)は住民の話し合いで決められていて、コミュニティの離脱加入も自由です。また近代文明を取り入れるかどうかもその都度相談して決めていますので、宗教と人生の選択の自由は保証されているといえます。彼らは自らの意思のみで、神の教えに従い、自らが正しいと信じた人生を過ごしているのです。(つづく)

Fig. 1 ハリソンフォード(中)とマクギリス(右)

Fig. 2-1 結作業中のアーミッシュ

Fig. 2-2 馬車のみが移動手段

Fig. 2-3 アーミッシュキルト

穏やかなアーミッシュの人達

穏やかなアーミッシュの人達

穏やかなアーミッシュの人達

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巻末エッセイ〜クィーンエリザベス(後編) 富樫賢一

 最初の寄港地は鹿児島。日本語が通じるので船会社主催のオプショナルツアー(高額)はパス。そこで「まだ桜島に行ったことがない」という女房の一声で桜島に行くことに。鹿児島港から船で15分、桜島港到着。サクラジマアイランドビュー(桜島港〜湯之平展望所循環バス)で島を半周。途中何かの間違いで2時間ほど歩くことに。その後マグマ温泉で疲れきった体を立て直し帰船。

 翌日は終日航行。この船では英国の慣行に従い毎日午後3時からアフタヌーンティーが振舞われる。デッキ2中央クィーンズルームで音楽を聴きながら楽しむというのが大人気。これを目当てに乗船する人も居るとのこと。ではと出向くも長蛇の列。係の人に「あちらでも飲めますよ」と別の部屋を案内されあえなくリタイア。

 次の寄港地は釜山。日本語が通じそうもない。せっかくだからと慶州までの日本語ガイドツアーを申し込んだ。1995年世界遺産に登録された仏国寺に向かう。賑やかな大勢の修学旅行生に混ざって、小雨降る中老夫婦は転倒に怯えつつなんとか見て回った。

 6日目は長崎。「軍艦島に行きたい!行きたい!」と女房。上陸ツアーの事前検索をしたが予約はすでに一杯。それでもあきらめない根性。長崎に着くや早朝に電話をしまくり当日分最後の2席をゲット。そのうえ上陸にも成功(荒波で上陸できないことも多い)。上陸記念証明書と石炭のかけら(外国産)をもらってご満悦?

 7日目は油津(宮崎)。そこから電車で飫肥へ。飫肥城跡を見て回る。大手門(これしか残っていない)から入城。旧本丸跡だったという雑木林に佇んだ後、小村寿太郎記念館で明治時代の外交の一端を垣間見る。

 8日目は高知。と言えば女房大好き朝ドラ、牧野博士ゆかりの植物園。が、船酔いでダウンしベッドから起き上がれない。これでは植物園まで行くのはとても無理。誰にでも弱点はあるものだ。

 この日は折り悪く3度目のガラ・イブニング(ドレスコードがフォーマルの日)。最初のテーマはブラック&ホワイト(黒と白の物を身に着ける)、2回目はマスカレード・ボール(仮面を被る)だった。そして今日はレッド&ゴールド(赤と金の物を身に着ける)。

 実はこのテーマはダンスタイムのもの。舞踏会はクィーンズルームで毎晩開かれている。ガラナイトでは多くの人が派手な衣装で踊りを披露する。そんなセミプロみたいな人たちに混ざってダンスをする気分にはなれない。が、折角用意した着物で記念写真だけは撮らないと。食欲がなくディナーもほとんど残したというのに、気力を振り絞って写真撮影に臨む。撮るには撮ったがゲッソリしたその顔は修正不能。

 9日目は終日航行。悪いことは重なるもので船酔いの上に発熱。念のためにコロナのPCRを施行するも陰性。その上私にも感染。2人で寝込む。

 下船日。何故か重くなったリュックを背負いボーっとした頭で大黒埠頭(横浜)に降り立つ。そこから我が家までの長かったこと。家で熱を測ると39度もあった。

 翌日いつもは徒歩で向かう長岡健康管理センターまで車で送ってもらった。が、声がまともに出ない。介助担当の看護師は振り絞るような掠れた声に疑念を抱いたと思うが、帰られたら困ると思ったのか何も言わなかった。結局最後まで診察をやり遂げ徒歩で帰宅。途中、乗船中に予約した翌年のツアーをどうしようかと悩んだが、懲りもせず今年も行って来た。

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