自然災害発生時における 医療支援活動マニュアル
平成16 年度 厚生労働科学研究費補助金 特別研究事業「新潟県中越地震を踏まえた保健医療における 対応・体制に関する調査研究」
第5部
精神保健医療活動マニュアル
国立精神・神経センター精神保健研究所成人精神保健部 部長 金 吉晴
災害は予期されない突然の出来事であるとともに 、 家屋の損壊や 、 身体的負傷、家族の犠牲や生活環境の変化など様々な要因によって住民に多大な心理的負担を与える。また 、災害時の恐怖や悲惨な光景を目撃することで心理的外傷を被るなど 、住民の精神健康が悪化する恐れがある。精神健康の悪化はさらに、社会機能の低下や対人関係の問題等2次的な問題を発生させる。したがって、被災地域における住民の精神健康の悪化を防止するための介入が必要である。
1. 一般の援助活動の一環として 、 地域全体( 集団) の精神健康を高め、集団としてのストレスと心的トラウマを減少させるための活動 2. 個別の精神疾患に対する予防、早期発見、治療のための活動 |
被災地での精神保健活動を実施するうえで、以下の点に留意することが必要である。
1. 被災後の時期にあわせた適切な介入、ケアを提供する 2. 現場に出かけていく活動(アウトリーチ)に重点をおく 3. 生活全体の支援の一環として活動を行い、求められていることを行う 4. 被災者の心理についての正しい知識をもつ(被災者の情動反応の多くは「異常な事態に対する正常な反応」でありそのことを被災者に告げることが必要) 5. 被災地域の特性を把握し 、互助機能を尊重、利用する。 6. 関係する諸機関(行政、医療チーム等)と相互の連携を図る |
ア 心的トラウマ
・災害による体感(地震の揺れ、音、火災の炎や熱など)
・災害による被害(負傷、近親者の死傷など)
・災害の目撃(遺体の目撃、損壊した建物や悲惨な場面の目撃)
→ 不安、落ち着きのなさ、情動的混乱、不眠、PTSD( 外傷後ストレス障害) 、ASD( 急性ストレス障害)など
イ 喪失
・ 死別、負傷、家財の喪失
→喪失による悲嘆、罪責感、過失が存在した場合や援助の遅れに対する怒り、うつ病, 不安障害
ウ 被災による2 次的な社会的、生活の変化
・避難所仮設住宅での生活、生活の再建の問題、就労や学業の困難、新たな対人関係のストレス等
→疲労、焦燥感、気分の落ち込み、うつ病、心身症、身体化障害
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話を聞くことは被災者を落ち着かせる上で効果的である。もっとも良い聞き手は家族、親族、友人である。そういう人との連絡が取れるように、落ち着いて話すことが出来るような環境を持つことができるように配慮する。 |
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医療者が話す場合、話すことを促したり、感情を表現させるような誘導(いわゆる心理的デブリーフィング)はPTSDを誘発することがあり、すべきでない。また、話しているうちに興奮するなどの状態の悪化が見られたときには、中断し、その後のケアを約束する。 |
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直後の一週間ほどは、症状の変遷が激しく診断が確定しにくいので、対症的な安静をはかる。安全な環境の実現と、サポートの提供による安心感の提供を行う。また、可能な限り安眠の確保に努めるべきであるが、余震が有るときなど、眠ることへの恐怖もあるので、その点に配慮する。 |
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既往精神疾患の増悪、医療機関の被災による断薬に注意する。 |
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投薬は、入眠剤・抗不安薬は心的依存を形成しないように、頓用で与えることが望ましい。 |
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現実の災害や復興に関する情報提供を十分に行う。 |
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災害によって新たにもたらされた疾患の診断は、約1 ヶ月時点までに確定する。その時期には、可能な限り、診断を付け、記録に残すようにする。 |
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ハイリスク者は、他のトラウマ的出来事の既往・合併、家屋の喪失、職業基盤の喪失、災害弱者(乳幼児、高齢者、身体障害・知的障害を持つ者、日本語を母国語としない者)や災害弱者のケアをしている者、女性、精神疾患の既往のある者、などである。 |
地域に対して
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心理的反応についての情報提供を行う。その際、精神症状の説明文を被災者が一人で読むとかえって症状が誘発されるおそれがあることに注意。講演会などで対面で説明するのが望ましい。 |
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資料を配付するときには、自然回復、対処方法、受診のタイミングの判断の仕方、受診方法などについて十分に説明をし、徒に不安を煽らないようにする。 |
援助者に対して
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医療者、援助者は、災害現場や死体の目撃、過剰な業務ストレスによって精神健康被害が悪化しがちである。業務内容、時期を明確にし、一週間以上にわたるときにはローテーションなどの工夫が必要である。 |
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派遣中の不眠が、派遣後のストレス症状と相関するので、睡眠確保が重要である。 |
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派遣後のケアは、業務上の慰労会などが中心となりがちであり、心理的なケアは行われていないのが現状である。派遣者のほとんどはそうしたケアが必要だと感じているので、その面での配慮が必要である。 |
被災者の心理は、時間の経過に伴い、刻々と変化する。ここでは 、被災地の精神保健行政あるいは、精神保健対策本部など被災地における精神保健計画の中心となる機関が検討するべき項目を示した。
被災後の時期
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被災者の心理的反応
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対 応
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被災直後
(1 週間以内) |
・急性ストレス反応(不安、不眠等)
・急性ストレス障害 ・既往精神障害の悪化 ・急性期精神症状の発症 ・認知症患者等の夜間せん妄 ・知的障害者、発達障害での不安反応 ・乳幼児の不安反応、退行 |
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急性期
(1ヵ月位まで) |
・震災の衝撃による急性ストレス障害などの問題の表面化
・様々な震災ストレス(人命、家屋の喪失、生活の変化、避難所生活による疲労や不適応、家屋 や経済的問題、将来の不安)か らくる抑うつ、不安障害、アルコール関連障害の発生 |
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中・長期
( 被災から数ヶ月後〜数 年) |
・PTSD の遷延化
・様々な震災ストレス(人名、家屋の喪失、生活の変化、避難所 生活による疲労や不適応、家屋や経済的問題、将来の不安)からくる抑うつ、不安障害、アルコール関連障害の発生 ・生活の再建の差によるはさみ状格差 |
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ア 被災地での精神医療機関の損壊が激しい場合には 、被災地域ではなくむしろ周辺地域の精神医療機関に被災地域への患者の対応が集中する。したがって状況によっては周辺の精神医療機関へ医療スタッフを派遣するほうが有効な場合がある。
イ 精神保健対策会議のメンバーとしては 、地方自治体の精神保健担当行政、精神保健病院協会等精神科医療機関の協会、医師会、精神保健福祉センター、被災地の保健所、大学の精神医学教室等メンタルヘルス専門家などで構成される 。
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活 動 項 目
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被災前
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被災後 都道府県レベル
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被災後 市町村レベル
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活 動 項 目
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災害前
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災害派遣時
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災害派遣後
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ア 派遣マニュアルには派遣に伴う費用をどのように調達するのかということも必要である。
イ 災害の現場では、状況にあわせた柔軟な判断が求められる。スタッフは臨床経験をある程度つんだ、機動力に富む構成が望ましい。また、なれない被災地で車の運転をしながら、診療を行うことは困難であることから、可能であれば、ドライバーをかねた事務スタッフが同行するとよいであろう。
ウ 派遣されるスタッフが安心して被災地活動に専念でき、また、戻った後、不在期間の仕事を個人的な負担にならないようにすることが重要である
エ 派遣されたスタッフはなれない被災地での活動による疲労のほか、悲惨な場面を目撃することの心的トラウマ、十分な救援ができなかったことによる無力感や罪責感を感じていることがある。派遣後に休養が取れることが望ましい。また、スタッフの状態を評価し、カウンセリング、治療などを必要に応じて提供する。
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活 動 項 目
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出発前
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現地での活動準備
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救援活動
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撤退・引継
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帰任後
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ア 派遣チームの構成メンバーとしては 、医師(可能であれば児童精神科医師が含まれること)、看護師、精神保健福祉士、事務職員による4,5 人のチームが望ましい。派遣期間は最低1週間の継続が必要である。
イ 携行物品リスト
・医薬品: 向精神薬、風邪等の一般的内科疾患の治療薬、簡単な外傷や打撲の治療薬
・医療品: 血圧計、聴診器、ペンライト、消毒薬等処置道具(簡単な診察用具が必要)
・スタッフ名簿(現地の行政等に提出)腕章、派遣機関の名前の入ったジャケット、ネームプレート
・記録用のノート類、クリップボード、モバイルPC,プリンター
・宿泊設備:毛布、寝袋、被災地の気候にあわせた衣類
・食料品、飲料水(自給自足を念頭に)
・その他:携帯電話の充電機(電池で動くもの)
ウ どこと打ち合わせるかは 、被災地域ごとに異なる。あらかじめ医療チームの受け入れとなる担当者を確認しておくことが重要である。
エ 一般被災者への心理教育としては 、不眠やストレス解消にアルコールを使用しないなど精神疾患の予防と自分でできる対処行動について焦点を当てるのが望ましい。
オ 地元行政は、相談や処方の記録を必要としている場合があるので、そのような記録については被災地にきちんと渡せるようにすることが必要である。
カ 向精神薬の管理には特に注意を払う必要がある。持ち込んだ薬と残量を確認し、被災地に残していかないことが重要である。
<参考文献>
1) 平成13年度構成科学研究費補助金(厚生科学特別研究事業)災害時地域精神保健医療活動ガイドライン,2002
2) 厚生労働省精神・神経疾患研究委託費外傷ストレス関連障害の病態と治療ガイドラインに関する研究班:心的トラウマの理解とケア,じほう,東京,2002
3) 新潟県こころのケア対策会議:新潟県中越地震こころのケアチームマニュアル(第2版),2004