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新潟県中越大震災
〜 長岡市医師会医療救護活動報告 〜
(新潟県医師会報 平成17年1月号寄稿)

長岡市医師会長 齋藤良司 

 はじめに

 平成16年10月23日に発生した新潟県中越大震災は長岡地域においても甚大な被害をもたらした。この度の震災に際し長岡市医師会が行った医療救護活動の概略をここに報告する。地震による被害状況や医療環境の変化は中越でも地域により大きく異なり、その救護活動も多様となるのは当然である。本報告書は一地域の限定された条件下での活動として受け取って頂きたい。また本報告書の作成にあたって、多くの関係機関から貴重な資料の提供を頂いた。厚く御礼申し上げます。

1 地震による長岡市の被災状況と医療環境

 市の東側、悠久山公園寄りの山麓に沿って被害が集中し、ご存知新幹線の脱線事故も引き起こした。しかし、信濃川に架かる橋は全て大きな損壊をまぬがれ、市内の道路網はほぼ確保され、医療機関へのアクセスは比較的良好に保たれた。
 地震発生直後より医師会館からの診療所への電話交信は殆んど不能となった。これには停電が大きく関与していたらしく、その復旧とともに回復した。携帯電話ほ発生直後一部で交信可能であったが、間もなく使用不能となった。地域防災無線による医師会と市中病院、行政、32の指定救護所との交信は可能であり、これにより主要病院が無事で診療態勢にあることを確認できた。しかし、この無線はその後殆んど使用されず、その利便性に多くの課題を残した。
 地震発生後3日後までに、診療所については多少の施設の損壊はあるも、1〜2を除きすべての医院が診療可能であることを確認した。このことは直ちにテレビとラジオにより市民に知らせた。4日目以後は電話回線の復旧とともに、通常電話、FAX、電子メール、当医師会ホームぺ−ジで情報を流した。会員への連絡にはFAXを最も多用した。
 地震による傷病者は発生直後から殆どが病院を直接受診し、その他市民の多くは指定避難所に集まった。長岡市医師会員は当医師会の「大規模地震発生時初動マニュアル」に従って行動を開始した。その骨子は震度5強以上の地震発生時には、病院会員は各自の病院の方針に従って救護にあたり、診療所会員は予め定められた指定救護所に自主参集し救護活動を開始するものである。

2 医師会館では

 市内の主病院が直ちに救護活動に入ったことは知ったが、発生後48時間の診療所会員の活動状況は殆んど分からなかった。祈るような気持ちでマニュアルに沿った自主的救護活動を待った。分担箇所の再確認のため分担表を急いでFAXし、併せて急増する他の避難所への巡回を依頼した。
 長岡市は災害対策本部を設置したが、医療救護本部設置の話はなかった。医師会でも救護本部は設置しなかった。物理的にも無理であったし、本部設置はあまり意味がないと考え、三役と事務局で臨機応変に対応した方が良いと判断した。この方がベターであったと今も考えている。事実上長岡市健康課が本部の役割を果たした。医師会はこれを側面からサポートする立場をとった。市健康課とは緊密な連携をとり、情報の収集と発信に努めた。4日目に健康課と三役で最初の打ち合わせ会を持ち、避難所での諸問題を協議した。その後長岡市長からの要望もあり、市健康課の毎日の対策会議に医師会から副会長が連日参加し、協議に加わった。

3 病院での医療救護



 第1図に地震発生後一週間に、地震による怪我や病状の悪化で市内5病院(長岡赤十字病院、長岡中央綜合病院、立川綜合病院、長岡西病院、吉田病院)の救急外来を受診した患者の状況を示した。
 地震発生後5時間の受診者は225名を数えたが、その内、入院は12名(4.7%)と少なかった。その後の5時間は深夜帯であったせいか受診者は82名に減少しているが、入院は46名(56.0%)と急増している。6日目受診者が若干増加しているのは余震と強風の影響であろう。4日目に入院がやや増加しているのは小千谷市内の病院からの転院のためであろう。受診総数は2,254名で入院総数は322名(14.7%)であった。軽症と中等症の合計は総受診者数と平行している。

 長岡中央綜合病院救急外来を受診した845名の疾患別集計を第1表に示した。発生直後はやはり外傷や熱傷が多く、経過とともに感冒や胃腸疾患が増えている。患者の搬送手段についてみると、立川綜合病院の救急患者1,039名中185名(17.8%)が救急車で搬送されている。また長岡市管内の救急車の出動状況は地震発生後5時間で51回、2日目127回、3日目97回、4日目56回であり、平常時の1日の平均15回を大きく上回っている。救急車による医療救護活動は順調であったと判断される。

4 避難所での医療救護


 避難所での救護活動の概要を第2図に示した。地震発生直後より市民は続々と避難所に集まり、10時間後には18,665名、2日目には45,582になり、3日目には長岡市指定の避難所に41,502名、車内等の避難8,588名、合計51,000名に達した。また、避難所も125カ所に及んだ。5日目に避難者が若干増加しているのは余震と山古志村村民の全村避難の影響である。約1,500名の山古志村民は市内6カ所に分散収容された。その後避難者数と避難所数は暫滅し、11月30日(40日目)にはそれぞれ2,100名(山古志村1,439名)と16カ所に減少した。12月に入り、まず長岡市民の仮設住宅への転居が始まり、12月22日山古志村民の仮設への移転が終了し、全ての避難所が閉鎖した。かくして我々の約2カ月におよぶ救護活動も終了した。
 この間、これらの避難者に対し長岡市医師会員(診療所会員)と外部救護班で分担して救護活動にあたった。

(1)地元医師会員の活動
 地元医師会員は先に述べた当医師会の初動マニュアルに従って救護活動を開始した。避難所が100カ所以上となったため、会員には指定の救護所以外にも数カ所の避難所を巡廻するよう依頼し、効果的な巡廻を助けるため日々変わる避難者数および避難所のリスト、外部救護班の活動状況を連日FAXで会員に知らせた。巡回が夜間になることもあった。34カ所の避難所は外部救護班に分担して頂いたが、残りの90カ所余りは地元医師会がカバーしたことになる。
 救護の内容は基本的にほ各会員に一任したが、殆どの医療機関がすでに診療態勢にあったこと、道路事情が良かったこと、外傷など重傷者が少ないことなどから、診察の上、医療機関への紹介や健康管理についての相談を主とし、状況によっては短期間の投薬をお願いした。
 しかし、避難生活1週間目頃より感冒、不眠、胃腸症状などを訴える者が目立ち始めたため、直ちに24カ所の救護所に薬剤を配備し、これを携帯巡廻することとした。避難所での疾患の概略は上気道疾患61%、循環器疾患15.4%、精神神経疾患13.6%、消化器疾患4.4%、筋肉関節疾患2.6%、病院紹介1.3%、その他1.3%であった。

(2)外部救護班の活動
 外部救護班の支援状況は第2図に示した。地震発生後4日目に兵庫医大班が到着した。多くは7〜10日目に入り、1〜2週間救護活動された。各班の救護の内容はそれぞれの班によりまた時期により異なったようだ。日赤班には山古志村民の避難所6カ所で、避難当日から仮設住宅へ移るまで、長期間継続的に心のケアも含めて医療救護活動をして頂いた。11日目からは心のケア専門の救護班が入った。各班の活動状況は各班からいずれ詳しく報告されると思うのでここでは割愛する。
 地震発生後2〜3週目から外部救護班の引き上げが始まり、順次地元医師会員に引き継がれた。

(3)インフルエンザの予防接種
 地震発生後1週間を過ぎて−部の人たちの避難生活が長期におよび、インフルエンザの流行期にかかる懸念がでてきたため、避難所での集団接種の検討に入った。しかし、その時点では集団接種は承認されておらず、やむなく長岡市医師会が実施主体となり個別接種の形式で避難所にて実施した。11月9、10、19、22、23日の5日間に希望者1,434名(65歳以上524名、13歳〜64歳684名、13歳未満226名)に接種した。
 接種開始後、新潟県医師会はじめ関係各位のご努力により集団接種が承認され、65歳以上のワクチン代および必要経費は行政の負担となった。しかし、乳幼児を含めて65歳以下は対象外であったため、その人たちの負担金は長岡市医師会が拠出することにし、会津若松医師会、喜多方医師会、両沼郡医師会、南会津郡医師会、会津医師会二十日会からの当医師会への義援金の一部を充てさせて頂いた。各位には深謝申し上げます。

5 心のケア研修会

 最近、被災者の心のケアも重要であることが報告されている。この度の救護班にはこのスタッフも含めて編成された救護班もあったし、またこの分野の専門の救護班にも援助頂いた。この問題は地元会員も長期に取り組む必要があるので、長岡市医師会では11月18日「災害時心のケア研修会」を開催した。医師会員はじめパラメジカルの人達も多数参加した。まず、精神福祉保健センター所長福島昇先生に講演を頂き、次いで鹿児島県および広島市の心のケアチームの江口政治先生と谷山純子先生から現場の活動状況の報告をして頂いた。その後、活発な意見交換がなされ、有意義な研修会となった。

6 透析患者への対応

 透析グループの対応は迅速であった。これは各施設が自家発電装置を備え、停電時でも電話回線が確保されていたとはいえ、日頃の透析施設の連携の良さを示すものであろう。市内では地震発生当日、長岡中央綜合病院の透析施設が使用不能となった。そのため以後、立川綜合病院透析室がセンター的役割を担った。
 2日目小千谷地域と十日町地域からSOSが入り、約200名の透析患者の受け入れ態勢が検討された。長岡中央綜合病院の患者は厚生連三条総合病院と刈羽郡病院に収容され、小千谷地区の患者は立川綜合病院と長岡赤十字病院で受けもち、十日町地域の患者は喜多町診療所で透析を受けた。合計約140名を長岡市の施設が引き受けた。
 4日目、災害ネットワークに呼びかけ、県内透析施設はもとより群馬県および長野県の施設からの協力もあり、この緊急事態を乗り切った。11月1日(10日目)市内すべての施設が透析可能となった。
 いずれ透析関係から詳細な報告があろう。

7 在宅被介護者の地震への対応


 この度の地震に際し、在宅で介護サービスを受けている方々の対応を知る目的で、市内の訪問看護ステーションにアンケート調査をお願いした。結果を第2表に示した。介護者数622名中388名(62.4%)が自宅でそのまま介護を受け、234名(37.6%)が他の施設に避難している。療養型施設への収容は20名と意外に少ない。残りは老人保健施設、特別養護老人ホーム、−般病院、親戚などへ分散収容されている。市内の避難所へは37名(5.9%)であった。いずれ関係組織から詳細な報告があろう。ある患者から、最初に安否の確認に釆てくれたのは介護センターの担当者であり、安心できて本当に嬉しかった、との話を聞いた。最後に付記して置きたい。

 おわりに

 新潟県中越大震災に際し、長岡市医師会が行った医療救護活動の概略を幾つかの項目に分けて述べた。それぞれに多くの検討すべき課題を残した。機会があれば他の被災地の方々のお話もお聞きし、今後の参考にしたい。


注)当医師会報11月号12月号2月号にも震災関連の手記がありますので、併せてご覧ください。